第151話【1944年】◆◆逃亡する夢魔と追跡する龍神◆◆
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【前回の話(第150話)↓】
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【前回のあらすじ】
利一は龍神の生け贄になるところを、突如現れたミカに助け出される。
助け出された利一は、一族の為、延いては己の為、龍神を退治する決心をした。
【登場人物】
柏木利一(12歳)
生まれた時から生け贄になる事を定められた少年。
龍神から(龍神の呪い以外の)呪術を無効化する加護と、日没の間、女体化する呪いをかけられている。
紙を媒体に呪術を行使する事が出来る。
ミカ
裏側と呼ばれる異世界に封印されていた怪物。
裏側に迷いこんだ利一を保護する名目で主従の契約を結び、利一を奴隷にした。
利一の母親
生け贄に選ばれた末子を気にかけるあまり、過干渉になっている。
余所から柏木家に嫁いできた為、加護も呪いも受けておらず呪術も使えないが、特別に鋭い勘を持つ。
龍神
柏木一族の始祖。最初の生け贄であり、最愛の妻である市と再会を果たす為、自身の血族に呪術を施し続け、近親婚を繰り返してきた。利一が市の生まれ変わりだと信じて、彼に執着している。
【1944年】
「こっち……こっちに来い……」
──声が聞こえる。
──私を呼ぶ声だ。
山荘周辺を彷徨っていた人型の土塊は、歩みを止めて天を仰いだ。
(……市が私を呼んでいる)
囁くように聞こえた声は、紛れもなく利一の声だった。
「行かねば」
ぐぐもった声で言うと、人型の土塊は再び変化を始める。
口擬きの穴しかなかった頭部に、人そっくりの顔面が形成され、顎や首、腰などの間接部分に括れが出来た。更に頭髪が伸び、着物や首飾りの細部を形成して、その身に纏う。一瞬で全身が着色され、龍神の姿に変貌を遂げる。
一方、利一はミカと共に、別荘の庭で龍神が追ってくるのを待っていた。
目を瞑り両手を合わせ、心の中で何度も龍神を呼ぶ。背後にはミカがいて、利一の肩に両手を添えている。
(こっちに来い……こっちに来い……)
ミカが言うには、利一と龍神は意識の奥底で繋がっていて、呼べば必ず通じるらしい。利一はそれを信じて龍神に呼びかける。
(来い……こっちや……俺はここにおる)
時刻は午後8時を過ぎていた。日の出にはまだまだ遠い。
広い庭の片隅に隠れて、利一は只管に念じた。
すると──
「りっちゃん!!」
呼ばれて、利一は振り向く。見れば1人の女が、こちらの方へ駆けて来る。利一の母親だ。
「来るな!!」
利一は思わず怒鳴り付けた。
「来るな!! お前とは、もう親子の縁を切ったと言うた筈や!!」
そう怒鳴られて、母親は立ち止まった。
「りっちゃん、お願いやから聞いて!!」
「嫌や!! 聞きたない!!」
「お願いやから、お願いやから聞いて!! その妖怪から離れて頂戴!!」
母親は利一の後ろに立つミカを指す。
「ソイツはアカン!! 絶対にアカン!! 危険な妖怪や!! 私には分かるんよ!! ソイツは絶対りっちゃんに害を為す!!」
「出鱈目や!! 嘘言うな!! ミカは俺の味方や!!」
「嘘やない!! ホンマなんよ!! 今まで母様の勘が外れた事あった? なかったやろ!?」
言われて利一は、ドキリとする。確かに母親は鋭い勘の持ち主だった。
その絶対的とも言える勘──直感は、利一が知る得る限り今まで外れた事がない。
今、こうして母屋から飛んできたのも、いくつも植わった木々の陰から、息子を瞬時に見つけ出す事が出来たのも、絶対的な直感によるものだ。
「りっちゃん!! 母様を信じて!!」
母親は尚も必死に訴える。彼女はミカを一目見た時から、危険な存在だと認識していた。必ずや息子に害を為し、災いを齎す恐ろしい妖怪だと直感していた。
だからこそ、初対面のミカを追い返し、利一に体を清めさせたのだ。勿論、利一が汚された可能性も考慮したが、それ以上に、ミカから発する死臭のような穢れが恐ろしかった。
この男は【人間の敵】だと思った。絶対に縁してはならぬ存在だと確信していた。
「りっちゃん!!」
母親は悲痛な形相で呼び掛ける。それを見て、利一の心が揺らぐ。
「利一」
ミカは低い声で静かに利一を呼んだ。
利一はゆっくりと母親から視線をそらし、ミカの方を見た。ミカは冷淡な表情を浮かべ、少女を見下ろしている。
「ミカ……?」
利一が戸惑った顔をしていると、ミカは利一の頬に手を添えた。
『言え、君は誰の所有物だ?』
ミカの声を聞いた途端、頭の芯が痺れて逆らえなくなった。意識は確かにあるのだが、己を制御する事が出来ない。
「俺はミカの所有物です。俺の所有者はミカです」
気づけば、そう言葉にしていた。
母親は顔面蒼白になって、その場に両膝を着く。
利一とミカの主従契約は、互いの合意の上で交わされている。それはつまり、利一自身が無効化の加護を無意識に停止して、ミカと契約を交わしたと言う事だ。その結果、契約の呪術は加護に影響される事なく、利一から自由と権利を剥奪してしまった。
母親は非情な現実を目の当たりにして、愕然とする。
『イイコだ』
ミカはそう言うと体を屈めて、利一の唇横に口づけした。目撃した母親は、悲鳴を上げて気を失う。
利一はその悲鳴を聞いて、目が覚めたかのように己の制御を取り戻した。直ぐ様、激しい怒りが湧き起こり、顔に朱が登る。
「ミカ!! お前っ!!」
「しっ。静かにせい!」
ミカに制止されて口を閉ざしたが、利一の怒りは収まらない。
(うがぁぁぁぁ!! ミカのド阿呆ぅぅぅぅ!! この、ド変態野郎がぁぁぁぁ!!!!)
心の中で絶叫した。
ミカはそんな利一に構わず、少女を抱き上げる。
(何なん?)
不思議に思っていると、ミカの顔が次第に険しくなった。それで利一もようやく──彼が来たのだと察する。
「市!!」
どこからか、怒りに満ちた声が響く。
「龍神様のお出ましや。ほな、行こか? 覚悟は出来てるんやろな?」
ミカに言われて、利一は気を取り直す。
「当たり前や!! もう腹は括った!! 龍神をしばいて、全てにケリつけたるわ!!」
ミカの不適切な行いは後で咎める事にして、龍神退治に思考を切り替える。
再び足元が淡く光り、無数の蛍火が舞い上がる。次の瞬間、その光が全て消えて、利一とミカの足元にぽっかりと大きな奈落が出現した。
利一は重力に身を任せ、ミカと共に落下する。端から見れば、まるで2人で身投げしたかのようだった。
「市!? 行くな!! 私を置いて行くな!!」
龍神の叫び声が響く。
「ならば来い! 俺が欲しければ、こちらに来い!」
利一も叫ぶ。
「裏の世がどのような所なのか……市はとっくに気づいているのだろう? それでも行くのか? 私に来いと言うのか?」
龍神の指摘に、利一はまたドキリとした。
(裏側がどういう場所なのか、俺が気づいている?)
それがどう言う意味なのか──利一自身、分かってはいたが、今は指摘されたくなかった。
ミカに連れられて、海へと飛んだ、あの日──美しい絶景を前にして、利一は気づいた。正確には、その可能性に気づいたのだ。気づいた瞬間、その考えに蓋をして、考える事を止めた。
あの時は、そうするしか術がなかった。さもなくば、あの世界で唯一頼れる存在──ミカと言う居場所を失っていたかも知れない。
無事、元の世界に戻って来てからは、考える必要もなくなっていたし、考える余裕すらなかったから、あの可能性事態、今の今まで思い出す事もなかった。
(それなのに……)
母親に言われて、またあの考えが過った。更に龍神に指摘され、否応なしに思い出してしまった。──そして確信する。裏側がどういう場所なのか……
「だったら、尚更来いや!!」
利一は有りっ丈の力で叫んだ。利一を抱えていたミカは、驚いて目を丸くする。
「俺が大事なら来い!! 俺が欲しければ来い!! 俺を取り返したければ来い!! 龍神!! 俺を──い……市を助けては下さらないのですか!?」
利一は最後の方、市を演じたつもりで言った。
それが効果覿面だったらしく、龍神は上空から砲弾の勢いで穴に飛び込んで来た。
ミカは直ぐ様、両翼を出現させて、くるりと身を翻し、飛んできた龍神をかわす。あの勢いでぶつかっては、利一も無事では済まされない。
利一に怪我を負わせてでも、取り返すつもりなのか、将又、理性を失って暴走しているのか、判別は出来ないが危険な事には変わりない。
ミカと龍神は、深い深い穴の底に向かって飛び続け、やがて底に辿り着く。途端に、深い穴が消え失せ、周囲の景色が広く緩やかな窪地に一変する。窪地に草木は生えておらず大地は干乾び、罅割れている。
前回、利一が穴に落ちた時はこれ程までに穴は深くはなかった。また、底に広がる景色も全く異なっている。その事を疑問に思ったが、考えている余裕などなかった。
ミカは利一を確と抱えたまま、低空飛行で逃げ続けた。
利一はミカにしがみついた状態で、背後に広がる赤々と燃える空を目撃した。
(空襲だ!)
聞き覚えのある警報が鳴り響く。どこかの町が焼かれているのだ。
(ひょっとして……焼かれているんは、俺の地元なんか?)
心臓が跳ね上がり、緊張が増す。紅蓮に煌めく空の向こうから、人々の悲鳴が聞こえてくる気がした。
「市を返せ!」
龍神はミカよりも高く飛んで2人を追跡した。時折、毒液を高速で飛ばし、形振り構わずミカ達を足止めしようとする。
ミカは素早く毒液を避けて、更に逃げる。窪地の縁を越えると、また景色が一変した。
(ここは……)
そこはミカと利一が最初に出逢ったトンネルだった。広いトンネルのあちこちに、淡く光る茸が生えていて、ぼんやりとトンネル内部を照らしている。
「ミカ、どこまで逃げんねん!?」
利一が尋ねるとミカは「ここまでや」と即答した。
「はぁ!?」
龍神は毒液を発射しながら、直ぐそこまで迫って来ている。ここで立ち止まる事は得策ではない。
利一が困惑していると、ミカは追いかけてくる龍神に対し叫んだ。
「降参や、降参!! りっちゃんはお返ししますんで、堪忍して下さい!!」
突然、ミカは白旗を宣言した。
利一は思わず目が点になって「へっ?」と間抜けな声を出す。龍神もつられたように「はっ?」と声を溢した。
「いやぁーもう無理無理。力に差があり過ぎて、俺じゃ勝たれへんしぃー降参でぇーす。降参しまぁーす」
言ってミカは、速度を落としてトンネルの大地に着地した。
続いて龍神も着地する。唖然としてミカを見て、徐に口を開いた。
「……本気か?」
龍神は半信半疑で尋ねた。それに対し、ミカはうんうんと頷く。
「……とても正気とは思えん」
「デスヨネー」
「……ふざけているのか?」
「まさか! 実力の差は明らかやし、ホンマのホンマ、正真正銘、偽りなく降参しますわ」
利一も龍神同様、唖然として力が抜ける。
「ミカ?」
「なん?」
「本気なん?」
「せや」
「……なんで?」
「そやかて、俺じゃ勝たれへんし。負け戦とかする気あらへんし」
「……ほ」
「ほ? 何?」
「この……」
「うん?」
「このド阿呆!! 嘘つき!!」
利一は抱き上げられたままの状態で、ミカを何度も力一杯殴った。
「痛い、痛いて! やっ止めい!」
「うるさい屑が!! 散々人を振り回しておいて、最後までコレか!? ふざけるなぁ!!」
「あはははははは!」
「笑うなー!! お前なんか大嫌いや!!」
龍神は喧嘩をする2人を見て、困惑気味になる。それでも何とか会話に割り込もうと「おい」と声をかけた。
「もうよい!! いい加減、市をお返し頂こう!! これ以上、下らん話を続けるのであれば、今度こそ我が毒の海に取り込んでくれようぞ」
「あー……それは嫌ですねぇ」
「ミカ!!」
「龍神さんの毒って、ごっつ痛いんですもん」
「ならば早う、市を返せ。分かっておるであろう? お前では、私には勝てないのだ」
「デスヨネー……確かに俺では勝たれへん。負け戦はごめんです。そやから俺は戦わへん。……俺は、ね?」
先程まで戯けていたミカの目付きが、急に鋭く変わった。
「何?」
ミカの態度に龍神は眉を顰める。何を言っているのかと訝しんだ──次の瞬間、視界に映る世界が傾いた。そのまま周りの景色が回転して、光る茸の残像が輝く帯となる。そして気がつけば、トンネルの天井を仰いでいた。
利一は小さく「ひっ」と声をあげて、ミカの肩に顔を伏せた。
(龍神が……!!)
ミカは冷淡な表情を浮かべ、地面に転がる龍神の首を見つめた。
「そやから、俺は戦わへん言うたでしょ?」
利一は恐る恐る顔を上げて、龍神の死体に目を向けた。胴体は力なく横たわり、切り落とされた頭は目を見開き、天を仰いでいた。
(死んだ? こんなにアッサリと?)
眼前の光景が信じられず、唯々震える。
ふと気づけば、死体の向こうに数人の怪物がいた。ミカとよく似た軍服を着ている事から、城にいた連中だと察した。
彼らには体毛がなく、痩せた熊、あるいは巨大な狼のような頭部をしていて、各々の手には禍々しい鉤爪がある。
利一は彼らの姿に見覚えがあった。
(前に、俺を襲ってきた妖怪と同じ種族か?)
『ミカ、コイツは違う。本体じゃねぇよ。見てみろ、血の一滴も出やしねぇ』
彼らの1人がそう言って、龍神の胴を蹴る。
『本体はどこだ?』
ミカは眉間にシワを寄せた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
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