第150話【1944年】◆◆ミカと利一の奴隷契約と龍神の想い◆◆
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【前回の話(第144話)↓】
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【これまでのあらすじ】
一族の命を救う為、龍神の生け贄になろうとした利一は、洞穴の奥で変わり果てた前任の生け贄を目撃する。
恐怖する利一の前に、突如ミカが現れ、利一を拐い逃げ出した。
【登場人物】
柏木利一(12歳)
生まれた時から生け贄になる事を定められた少年。
龍神から(龍神の呪い以外の)呪術を無効化する加護と、日没の間、女体化する呪いをかけられている。
紙を媒体に呪術を行使する事が出来る。
ミカ
裏側と呼ばれる異世界に封印されていた怪物。
偶然、裏側にやって来た利一を保護して、元の世界に送り届けた。
一度は利一の元を去ったが、利一の危機に再び現れた。
柏木不二子
利一の親戚。利一を生け贄にして、前任の生け贄である妹を救おうとする。
白い兎
現世と裏側を行き来する怪物。利一に式神として下され、嫌々ながらも協力する。
龍神
柏木一族の始祖。長きに渡り一族を支配してきた。利一に対し異様な執着をみせる。
【1944年】
「ミカ下ろせ!」
利一はミカに抱えられながら、何度も下ろすように叫んだ。
ミカの肩越しに後方を見ると、不二子達が持つ提灯の明かりが急激に遠ざかって行く。明かりは、緩やかな湾曲を過ぎた辺りで完全に見えなくなり、奥から不二子や親戚夫婦の怒号が響き渡った。
光源を見失って、利一の視界は黒一色に染まったが、それでもミカの走る速度は変わらなかった。人間と違い、随分と夜目が利くらしく、暗闇でも躊躇する事なく出口に向かった。
「ミカ、何で!?」
何でこんな暴挙に出たのかと尋ねた──その時、響き渡る怒号の調子が一変する。
「ぎゃあぁぁぁー」「いやぁぁー」
男女の声が入り交じり、雄叫びとも悲鳴とも言えぬ、聞いた事のない叫び声が響いた。
利一は驚いて後方を凝視するが、黒で塗り潰されたような洞穴の奥で、不二子達の身に何があったのか、目視する事は叶わなかった。
(何や!? 何があった!?)
不二子達はそれっきり声を上げる事なく、洞穴にはミカの足音だけが響いた。
利一は後方からとてつもない圧迫感を覚えて、全身の毛穴が窄んだ。黒しか見えぬ筈なのに、何かがこちらに迫ってくる気がする。
(何かが近づいとる? いや、これは──)
奥から聞こえる反響音に違和感を覚える。何かが近づいて来ていると言うよりは、洞穴の地形が奥から変化しているように感じた。
利一には見えていなかったが──実際、それに近い事が起こっていた。
洞穴の奥から、酷く粘り気のある何かが溢れ出て、利一達に迫っていたのだ。流動性の無い粘質は、天井いっぱいに溢れると、押し出されるようにして洞穴を進み、迫り来る壁となって利一達を追う。
ミカは一瞬だけ後方に目を向けた。粘質の壁が直ぐそこまで迫って来ている。
不二子達はあれに飲まれて死んだのだろう。先程、聞こえた絶叫は、恐らく彼女らの断末魔だ。
察するに、あれはミカが本家で受けた溶解性の毒と同一だ。飲まれたら助からない。
不意に、空気の淀みが薄れた。匂いが変わり、木々のざわめきが聞こえる。ようやく出口に辿り着いた。
「外に出んで!!」
ミカがそう言うと、強い風が吹き荒れた。
利一は急激な上昇を感じて目を瞑り、瞬時に飛翔したのだと理解して、ミカの首にしがみつく。
「どこ行くねん!!」
ミカはなるべく高く上空に舞い上がり、追ってくる粘質から間一髪逃れた。
粘質は洞穴から溢れ出て、山荘まで到達した。
そこで利一はやっと目を開けて、周囲を確認した。雲の隙間から僅かに月が出ている。ふと、下を見ると──黒く異様な物質が山荘の一部を飲み込んでいた。
利一は思わず「あぁ!!」と声をあげる。案じたのは、山荘にいる三葉と前川の事だ。
「あれはなんやねん!?」
「多分、龍神様とやらがお怒りなんやろな」
ミカは戯けたような口調で言ったが、内心は冷徹に粘質を観察していた。
(──あれは無理だ。やはり、僕では勝てない)
ミカはくるりと旋回すると、今度は真っ直ぐ分家の別荘へと飛んだ。
粘質はそれ以上溢れる事なく止まり、山荘にいた三葉と前川は無事だった。2人は慌てて、山荘の玄関から飛び出す。
「裏側に帰るで!」
ミカが叫ぶ。
「えっ!?」
利一は困惑して聞き返す。今更、逃げようものなら、親戚全員の命が危うい。龍神は再び呪いを掛けて、柏木一族を支配するに違いない。
「やめろ、ミカ! そないな事をすれば、皆が──」
「そんなもん知るか!」
「なっ……!?」
利一はミカの放った一言に、頭をガツンと殴られた気がした。それと同時に、ミカがずっと諦めずに利一を救う機会を窺っていたのだと知る。
「お前っ……納得しとったんとちゃうんか!?」
利一は風音に負けない声量で尋ねたが、ミカからの返答はなかった。彼は飛行する速度を益々上げて、只管に分家を目指した。
利一は風圧に耐えきれず、目をかたく瞑る。その内、今度は徐々に高度が下がり、体に負荷が掛かる。気持ち悪さを堪えていたら、一瞬僅かに上下に揺れて、突然負荷が消え去った。
利一が目を開けると、そこは別荘の庭先だった。ミカは利一を庭に下ろし、翼を消した。
『待ちくたびれたよ』
躑躅の陰から白い兎が姿を現し、ミカに文句を言う。
『いいから、早く穴を開けろ』
利一はハッと我に返り、ミカを制止した。
「ミカ、やめろ言うてるやろが!! 俺は裏側には行けん!!」
『うるさい、黙れ』
突然、ミカは言語を変えた。
「ミカ!!」
利一が怒鳴った、次の瞬間──足元の地面が淡く光り、蛍火に似た小さな光が無数に舞う。
利一は蛍火に照らされたミカの顔を見た。ミカは酷く冷淡な眼で、利一を見下ろしている。それはまるで虫螻を見るような眼つきだった。
利一は堪らず凍りつき、言葉を失った。
『忘れたのか? 君は誰の奴隷だ?』
ミカはそっと左手の甲を見せた。そこに利一の紋は無い。約束された7日間をとうに過ぎ、式神の仮契約は既に消え失せていたのだ。
『利一、君の主は僕だ。僕の命令に従え。生け贄になる事など絶対に許さない』
すかさず反論しようと口を開いたが、どうしても声にする事が出来ない。奇妙な制限が掛かっていて、ミカに逆らう事が出来ない。
今まで相殺されていた互いを従える契約が、一方を失った事で効力を発揮したのだ。今や利一はミカの奴隷だった。
(アカン……俺が生け贄にならんかったら……皆に死の呪いが……)
利一が声に出せず苦悶の表情を浮かべていると、ミカが頬に手を添えてきた。
『安心しろ、誰も死なせない。約束する。君の家族は僕が必ず救ってみせる。だから利一、僕に力を貸してくれ』
ミカは真っ直ぐに利一を見つめる。どうやら、ただ逃亡する訳ではないようだ。ミカの発言を真に受けるなら、彼は龍神と戦う気らしい。
『利一、僕を信じろ』
言われて胸が締めつけられた。
「何企んどるのか知らんけど、失敗したら、今度こそミカは死ぬかもせぇへんのやで? それでもええんか?」
利一はやっと声をしぼりだし、不安気に尋ねた。
「ええよ。俺らは相棒やろ?」
ミカはそう日本語で話す。その瞬間、彼の表情が僅かに和らいだ。
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洞穴から溢れ出た粘質は、暫く小刻みに震えた後、急速に縮んで人間程の大きさになり、水気が消え、粘りを帯びた土塊のように変化した。
土塊は、不規則的に伸び縮みを繰り返し、やがて不格好な人型を形成する。
その姿──頭部はあるが目鼻が無く、口に当たる箇所にぽっかりと穴が空いていた。顎や首もほぼ無いに等しい。頭部から両腕にかけて、酷い撫で肩をしており、手には指らしき突起が3つ。腰や間接部分の括れも無く、全体的に寸胴体型をしていた。
人型の土塊は辺りを見渡す仕草をすると、両手を伸ばしてフラフラと歩き始める。
「市……市……私の市……どこだ? どこにいる?」
人型の土塊はボソボソとぐぐもった声を発しながら、市──利一の姿を探し始めた。
だが、探せど探せど、利一の姿はおろか、彼が山にいる気配すら掴めない。
「市……市……何故だ……何故、私から離れる?」
──利一がいない事が寂しい。
──利一がいない事が辛い。
──利一がいない事が悲しくて堪らない。
私は利一に……市に再び逢う為だけに、子供らの血肉に……呪術を施してきたのに……
死んだ人間を生き返らすのは容易ではない。死は自然の摂理であり、反魂は摂理をねじ曲げる行いだ。
空を繋ぎ止めるものが無いように、海を飲み干す事が出来ぬように、過ぎ去りし時を巻き戻す事が出来ぬように、神と崇め奉られようとも、摂理を曲げる行いをすれば、それ相応の報いを受ける。
──私は報いを受けた。
かつて、神として崇められた龍はもうどこにもいない。
神々しく猛々しい姿を失い、猛毒の妖かしと成り果てて、山の中腹にこの身を隠した。
あの洞穴は、私の本体の一部に当たる、言わば胃袋のようなものだ。
30年毎に捧げられる生け贄を我が身に取り込んで、その血肉に呪術を施した。
全ては、最初に捧げられた生け贄──市を転生させる為だ。
市は利発な娘だった。口減らしの生け贄に選ばれた事は、市の中で心の傷となっていたが、彼女はそれでも気丈に振る舞って「己を喰って、飢饉に苦しむ村を救ってくれ」と懇願してきた。
何度「私は人は喰わない」と諭しても、市は一向に諦めなかった。村に帰るよう説教しても、市は頑なに拒んだ。
──今更、帰れないと……
強い意思を持った美しい少女。一緒に過ごす内に情が移り、いつの頃か私は市に惹かれていった。
龍神が人の子を愛するなど、何とも愚かしい事だと、分かってはいた。
……それでも、市が幸せになれるのであればと……私は持てる力を尽くした。
川に堤を作り水路を整え、種をまき作物を育て、病に苦しむ人に薬を与え、私は村を救った。特別な術を用いた訳ではなかったが、それでも村人達からすれば私の行いは奇異に見えたらしい。村中が私に畏怖の念を抱いた。
──村を救った時の、市の笑顔が脳裏に焼きついて、今でも忘れる事が出来ない。
村の暮らしがようやく安定しだした頃──最早私は市のいない生を考えられなくなっていた。
市と末長く暮らしたいと願い、私は彼女を妻に娶った。やがて市は子を身籠り、私は幸せの絶頂にいた。
──子が産まれるまでは……
市はお産に耐えられず、命を落とした。産まれた子は無事だったが、私は最愛の妻を失った。
──何が龍神だ。
──何が村を救っただ。
──たった1人の妻さえ助ける事が出来ないのに……神などと……名乗る資格は無い。
──すまない、市。
──本当に、すまない。
──私は……君を救ってやれなかった。
──君は私を孤独から救ってくれたのに、私は君を死から救えなかった。
──すまない……どうか、許してくれ……
──約束する……約束するから……
──いつか必ず、君の魂を現世に呼び戻してみせるから……
──それが容易な事ではないとしても、私は君を諦められない。
──恐らく、私達の血肉を受け継いだ子供らに、何世代にも渡って、呪術を施さねばならないだろう。
──それ程までに反魂の術は難しい。
──それでも……
──君を諦めない。
──絶対に諦めてなるものか。
──生前、君はこう言っていたな。
──人は、誰かを愛さずにはいられない様に出来ていると……
──きっと私達、妖かしもそうだ。
──人も妖かしも、誰かを愛さずにはいられない様に出来ている。
──例え悲劇に終わったとしても、きっとまた君と恋をする。
──何度生まれ変わったとしても、性懲りも無くまた恋をする。
──例え、この身が神でないものに堕ちたとしても……
──必ず君と巡り逢う。
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