第149話【1975年】◆混血の人狼とベンジャミンの記憶◆
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【前回の話(第147話)↓】
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【これまでのあらすじ】
ベンジャミンは人狼に襲撃され、飲食店の物置部屋で気を失ってしまう。そこへ、駆けつけた警官に泥棒と誤解されて留置所に入れられてしまった。
ベンジャミンの雇い主であるアビーの夫リーは、そんな彼を留置所から引き取り、自宅に送ろうとする。
【登場人物】
ベンジャミン(ベン)
記憶喪失の青年。路頭に迷う寸前の所をアビーに救われる。何故か、チェスターの亡くなった恩人に似ている。
チェスター(チェット)
吸血鬼の青年。ウォーカー姉妹の監視役の1人。リーとアビーと親子のフリをしている。
リー
アビーの夫。町一番の有力者。チェスターの協力者で、彼と親子のフリをしている。
アビー(アビゲイル)
ベンジャミンに衣食住を与え、庭師として雇う。チェスターの協力者で、彼の母親のフリをしている。
ミゲル
上級生に虐げられた事がキッカケで、人狼として覚醒した少年。
トム
ウォーカー姉妹の祖父のフリをして、その実、監視役を務める怪物。
ウォーカー姉妹 (メアリーとエミリー)
怪物を無力化する血を持つ姉妹。怪物に監視され生活している。
人狼
名前、正体不明の怪物。ミゲルを脅迫して従わせている。左手の指が3本欠損している。
【1975年】
リーはベンジャミンを車に乗せ、彼の自宅へと向かった。
昨日の事件現場──商業区の中心は立ち入り禁止になっていた為、車は住宅街を抜けて迂回する事にした。
連続殺人に乱射事件、繰り返される惨劇を受け、町の至る所に警官が配備された。出歩く一般市民の数は少なく、代わりに自警団気取りの集団が彷徨いていた。
町全体に殺気立った空気が漂っている。
リーの車は交差点を曲がり、閑静な住宅街に差し掛かったところで──突然、急停止した。
『いだっ!』
ベンジャミンは額をダッシュボードにぶつけ、思わず手で押さえた。何があったのか、と思い前方を見ると──1人の少年が進路を塞ぐようにして佇んでいる。
『ミゲル!』
運転席に座るリーがぽつりと呟く。ベンジャミンはその呟きに反応して彼の顔を見た。リーはハンドルを握りしめたまま目を見開き、顔面蒼白になって震えている。
事故を起こしかけて恐怖したにしては、余りにも様子がおかしい。
(まるで……猛獣と遭遇して、恐怖しているようだ)
リーはゆっくりとシートベルトを外す。動揺を押さえて、ベンジャミンに『ここで待っててくれ』と頼んでから、車を降りてドアを閉める。一歩、二歩と歩きだし、軽く片手を挙げて、少年に話しかけた。
『やあ、ミゲル。久しぶりだね。こんな道の真ん中で、どうしたんだい?』
リーは努めて冷静に言って、白い歯を見せ笑った。
『こんにちは。実は僕……罪を告白しに来たんです』
少年は暗い表情でそう言った。
『罪? 告解をしに来たの? 生憎、僕には牧師の資格が無いのだけれど……罪とは一体何の事かな?』
『牧師様でなくて構いません。……警察に自首したいんです。あの……僕の付き添いをして頂けませんか?』
『何故、僕に? 君にはご両親がいるだろう? 今、2人はどこにいるんだい? 長らく、無断欠勤が続いてるようだが……』
『両親は2人とも死にました。連絡を怠った事はお詫び致します。……僕には頼れる親戚もおりません。独りで自首したところで、警察も真っ当な対応はしてくれないでしょう』
『だから僕に付き添いを?』
ミゲルはコクンと頷く。
ベンジャミンは2人のやり取りを車の中から見ていた。
リーは暫く考えた後、意を決して『分かった』と返答した。
『ミゲル、僕が付き添うよ。アビーにも、そう連絡を入れよう。車の後部座席に乗ってくれ。一先ず、Uターンして、この先にある公衆電話からアビーに連絡する。至急、弁護士を手配してもらってから、一緒に警察に行こう……それでいいね?』
リーはミゲルの背中に手を添えて、後部座席に誘導した。
2人の会話を聞いていたベンジャミンは、こんな幼気な少年が一体何の罪を犯したのかと、首をかしげる。
ミゲルが後部座席に乗り込んだところで、ベンジャミンは後ろを振り返り、軽く挨拶と自己紹介をする。
暗い顔をしたミゲルに対し『大丈夫かい』と気づかうと、弱々しい声で『大丈夫です』と返事がきた。
車はもと来た道を戻り、通りに面した公衆電話の前で停まる。
リーは最初、自宅にかけたがアビーは不在だった。
(ヴィヴィアンは聴聞会の最中で連絡が取れない……チェスターとミカは学校に行ってる……)
他に信用出来そうな者はと考えて──もう一度、電話をかける。相手はウォーカー姉妹の祖父役【トム】だ。
リーがトムに連絡をしている間、ベンジャミンは車内で再びミゲルに話しかけた。
『盗み聞くつもりはなかったんだけど、さっきの会話、車の中から全部聞こえていたんだ。障りがなければ教えてくれないか? 君は何をしたんだい?』
ベンジャミンが尋ねると、ミゲルの顔からみるみる血の気が引いた。
『もしかして……昨日起こった事件と関係あるのか?』
詳しい事情は知らないが、チェスターは事件と深い関わりがあった。ならば、チェスターの父親であるリーも関係者である可能性が高い。
(だったら旦那様を頼って来たこの少年も……事件と関わりがあるのでは?)
だが、リーの話を聞く限り、彼はベンジャミンが事件を目撃した事を知らないようだった。
ベンジャミンが訝しんだのは、その点だ。リーがチェスターの正体を知っていて、尚且つチェスターの味方であるならば、チェスター本人から事情を聞いていなければ妙である。だがリーは、ベンジャミンの事をチェスターから何も聞かされていない。ならば、リーはチェスターの正体を知らないとも考えられる。
(そうなると、この少年は……昨日の事件とは無関係と言う事になるが──)
『昨日の事件……貴方はご存知ですか?』
ミゲルは暗い声で訊き返す。
『乱射事件があったと聞いているけど、俺も詳しくは知らないんだ』
『だったら何故、僕が昨日の事件と関わりがあるのかと訊いたんです?』
『……何となくだよ。君の気分を害させるつもりはなかった』
『そうですか……』
言ってミゲルは背中を丸めて、視線を落とす。それでベンジャミンも深く追及するのを止めた。
暫くして、リーが電話を終えて車に戻って来た。彼は運転席に乗り込むと、そのままエンジンをかけて走り出した。
向かったのはリーの屋敷だった。
『すまない、ベン。一先ず、僕の家に帰らせてくれ。君を送るのは後でもいいかな?』
リーは申し訳なさそうに詫びた。
『はい、俺は構いません』
ベンジャミンは家に帰れるのであれば、後でも先でも構わなかった。留置所から出して貰えただけでも有り難かったし、リーの屋敷で待っていればチェスターにも会えると思った。
『ミゲル、なるべく姿勢を低くして、外から見えないようにしてくれ』
リーはそうミゲルに指示する。
『はい、分かりました』
ミゲルはその華奢な体を折り畳むように縮こませて、後部座席の足元に隠れた。
車は一路帰宅の途についた。住宅街を抜け、郊外へと走る。緑豊かな林に囲まれた閑静な道路から、小高い丘を少し登った所に、リーの屋敷はあった。
日が既に傾き始めていた。着いて早々、一同を出迎えたのはトムだった。彼は屋敷の門柱脇に車を停め、リー達が到着するのを待っていた。
『トム、よく来てくれた』
リーは車から降りて、トムに駆け寄る。続いてベンジャミンも車から降りた。
ベンジャミンがリーの屋敷を訪れるのはこれで2度目だ。1度目は昨日。リーの妻アビーことアビゲイルに、庭師見習いの仕事を紹介されて訪れた。そこでチェスターと出逢い、その後、アビーに頼まれた品を買い出しに行って、事件に巻き込まれたのだ。
屋敷は煉瓦造りの支柱と高い柵に囲まれていて、中に入るには正面玄関に通じる表門か、裏手にある小さな門を通るしかない。
柵越しに見える庭は見事に手入れが行き届いており、奥にはアビーお気に入りのバラ園がある。
門から屋敷に続く道の途中に円形の小さな池があり、水瓶を担ぐ裸婦像の噴水が、訪れる訪問者に目を向けていた。
昨日、ベンジャミンが訪れた際は裏手から出入りしたが、こうして正面から庭を見ると、リーの裕福さを改めて実感する。
──裕福な慈善家。ベンジャミンはそうリーを認識していた。
恩人アビーの夫であり、町の有力者で人格者──それがリーと言う男だ。
(奥様と旦那様には感謝しかない……)
ベンジャミンがリーとトムのいる方へと歩み出した──次の瞬間……
こちらに目をやる2人の表情が突然で険しくなった。
リーは何かを叫びながら踵を返し、トムも酷く慌てた様子でこちらに駆けてくる。
2人の行動から察して、己の背後に何かがあるのだと思ったが、振り返って確認するよりも先にリーが体当たりしてきた。
ベンジャミンは車のすぐ横に倒れ込み、腕と顔を擦りむく。直ぐ様、顔を上げると、リーの両足が眼前にあった。アイボリー色のスーツの裾に鮮やかな赤色の模様がついている。それが模様ではなく鮮血だと気づく迄に、幾分とかからなかった。
『旦那様!!』
思わず上体を起こし、目を見開いた。
トムがリーを背に庇い、ミゲルの前に立ち塞がっていた。出血はトムの右肩からだった。リーは唖然としてミゲルを見ていた。
『ミゲル……何故、ベンを殺そうとしたんだ?』
リーは信じられないと言った口調で尋ねる。
リーがトムと話していた隙に、ミゲルはベンジャミンの背後から襲いかかったのだ。リーは咄嗟にベンジャミンを庇い、更にトムがリーを庇って攻撃を受けた。
『ミゲル、どうしてなんだ!?』
リーが声を荒らげると、トムが『違う』と強い口調で言った。
『コイツはミゲルじゃない!』
リーはハッとして、ミゲルの左手を見る。指の欠損は無い。思わず『馬鹿な』と言いかけて、またハッと息を飲む。
『混血か!』
リーの言葉にトムは頷いた。
『恐らく、人狼以外のシェイプシフターの血が混じっているんだろう。だから完璧にミゲルの姿を模す事が出来たんだ。欠損した指も……だろ? なぁ、お前さん……一体どこの何者で、何が目的なんだ?』
トムは落ち着いた口調で尋ねたが、内心は焦りを感じていた。右肩に受けた傷は深く、裂けた肉の間から骨が露出していた。左手で右肩を強く押さえて止血を試みたものの、流れ出る血の量はおさまらない。激しい痛みと痺れで、右手は使い物にならなくなっていた。
ミゲルに化けた人狼はニヤリと笑う。
ベンジャミンは状況が掴めず混乱していたが、ミゲルの血に染まった右手を見て、やはりこの少年が昨日の事件と関わりがあったのだと確信した。
(俺を殺そうとした!? 何故!? 事件を目撃したからか!?)
少年の目的が目撃者の抹殺であれば、昨日の時点で殺されている筈だ。わざわざトムやリーの前で殺しにかかる必要は無い。
(だったら、狙いは旦那様? それとも──)
ベンジャミンがそう思った時、少年がとんでもない勢いで跳躍した。
リーは素早くベンジャミンを抱き起こし、庇うようにして少年から距離を取る。トムもリー同様、素早く後退して距離を取った。
少年は跳躍した一瞬の間にその姿を醜い人狼へと変貌させた。
体毛の無い痩せたグリズリーのような生き物。右手に5本、左手の親指と小指に2本の禍々しい鉤爪を持ち、不気味な笑みを浮かべて3人を見ている。
それは間違いなく、昨日ベンジャミンが目撃した怪物と同種だった。
怪物──人狼は鋭い鉤爪を振り上げて、再びベンジャミンに襲いかかる。すかさずトムが止めようと左手を伸ばすが、人狼は身を翻して、己を掴もうとするトムの手を逆に掴み、勢いよく彼の体を引き寄せ、胴体に膝蹴りを入れた。
何かが砕ける鈍い音が響く。
『ぐぅぁあっ!!』
トムは堪らずその場に膝を着いた。
『トム!?』
『逃げろ、リー』
トムは咳き込むように吐血しながら、リーに逃げるように言った。
リーは一瞬迷ってから、ベンジャミンの手を引き走り出した。
『馬鹿! ソイツは──』
トムは、リーにベンジャミンを置いて1人で逃げるように伝えたかったが、口から溢れる血反吐が邪魔して上手く言葉にならなかった。
人狼は容赦なくトムの後頭部に踵を落とす。トムは抵抗する余裕無く、血溜まりの地面に伏せた。
リーはベンジャミンを連れて屋敷の外周を走った。だが、ベンジャミンは動揺していた為、足が縺れて上手く走れない。
『駄目です! 俺を置いて逃げて下さい!』
ベンジャミンはそう叫んだが、リーは彼の手首を掴んで離さなかった。
『君を置いて逃げる!? 何故だ!? 何故そんな事を言う!?』
『だって──』
──普通の白色人種なら、そうするのが当然じゃないか?
そんな考えが頭を過る。
──アフリカンであるベンジャミンを見捨てて──否、囮にして逃げてるのは当然だと思った。
(俺は何故、そう考えた──?)
ベンジャミンは急激に頭が冷えていくのを感じた。得体の知れない怪物に襲われ、命の危険に晒されている状況下でありながら、突如として思考が冷静さを取り戻した。
(俺は前にも……こんな経験をした気がする)
ベンジャミンは更に奇妙な感覚に襲われた。己の手首を掴んで逃げるリーの後ろ姿が、ボンヤリと二重に見え始めた。
目を凝らすと、それはリーではない他の誰かの姿が、リーに重なって見えているのだと気づく。
(誰だ?)
重なって見える人物は、後ろ姿からしてリーよりも若い体つきをしていた。明るい茶色髪に、疎らに鮮血の着いたシャツ。カーキ色のズボン。不思議な事に、どれも見覚えがある。
『リー?』
ベンジャミンは思わずリーの名を呼んだ。突然呼ばれたリーは驚いて振り返る。
同様に、リーと重なって見えていた人物も、ベンジャミンの方を振り返った。
それを見て、ベンジャミンは唖然とした。
『チェスター!?』
振り返った人物は、紛れもなくチェスターだった。今よりも少し大人びた顔つき、昨日目撃した吸血鬼の彼だった。但し、目の色は濃い青色をしている。吸血鬼と言うより、今の高校生のチェスターをそのまま成長させたかのように見えた。
ベンジャミンは酷く懐かしい気持ちになって、胸が苦しくなる。それと同時に背中がズキンと傷んだ。
(痛っ!?)
背中に痛みを感じた途端、重なって見えていたチェスターの姿が消える。
理解不能な現象に戸惑っていると、リーが突然叫んだ。
『伏せろ!!』
ベンジャミンは即座に背後を振り返ろうとした。その突如、体の動きが鈍くなり、世界は超低速になった。
視界の端に、人狼の禍々しい鉤爪が映り、ベンジャミンは今度こそ死を覚悟する。
(お願いです。どうかリーだけでも──)
心の中で最後の祈りを捧げた。
『ぐっ!!』
気がつくと、ベンジャミンは再び地面に倒れていた。頭が酷く痛む。近くに生えていた木の根にぶつけたらしい。全身、どこかしら擦りむいて、所々出血していたが、幸い怪我の程度は軽症だった。
(ハッ──あの怪物は?)
頭が痛むのを忘れて起き上がると、数メートル先に青年が立っていた。
彼はこちらに背を向け、人狼と対峙している。それを見た瞬時──ベンジャミンは落涙した。
安堵からの涙ではなかった。理由は分からないが、その後ろ姿が懐かしくて堪らない。嬉しくて堪らなかった。自然と、彼が生きている事実に感謝したくなった。
『ベン、無事か!?』
チェスターは振り返らず、ベンジャミンに声をかけた。
ベンジャミンは嗚咽を堪えて『ああ』と何度も頷いた。
【用語解説】
シェイプシフター
自らの形状を、様々なものに変化させる怪物の総称。幅広く定義するなら、日本の化け狸や化け狐、捕食した人間に化ける人狼ウェアウルフも、シェイプシフターに分類される。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
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