第147話【1975年】◆人質になったメアリーと解放されたベンジャミン◆
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【1975年】
エミリーとチェスターが抱き合っていると、病室のドアがノックされた。2人が『はい』と返事をするよりも先に、ミカがメアリーを連れて病室に入って来る。
『メアリー!?』
エミリーは眼を見張る。メアリーの様子が明らかにおかしい。虚ろな眼をした姉は、まるで意思の無い人形のようだった。妹に対し、声をかける素振りもない。
『メアリーに何をしたの!?』
エミリーはミカに尋ねてから、横にいるチェスターの顔を見た。チェスターはミカに対して抗議するでもなく、忌々しそうに口元を歪めた。どうやら彼は事情を知っているらしい。
『メアリーを人質に取らせてもらったんだよ。ボスが不在の間、君達に逃げられると困るからね』
言ってミカは不敵に微笑む。
『そんな!? メアリー、メアリー、しっかりして! 私が分からないの?』
エミリーは必死呼び掛けるがメアリーは反応しない。
『無駄だよ。強力な暗示を用いて、彼女の意識を封じたからね。もし、君達が逃げ出そうとすれば自害するように仕込んである』
エミリーは瞬時に怒りが湧いてベッドから降りたが、チェスターに止められる。
『よせ、エミリー』
『離してよ!!』
『チェスターの言う通り、大人しくしていた方が懸命だ。既に護衛の数は増員されている。君達は常に包囲されているんだよ。下手に動かない方がいい。チェスターを張り付けにされたくはないだろう?』
言われた途端に背筋が冷える。張り付けは──先程チェスターが使った言い回しだ。危惧した通り、2人の会話は聞かれていた。
『だったらメアリーだけじゃなくて、私も操り人形にすればいいじゃない!!』
『僕はね、君達が苦しむ様子を見たいんだよ。2人とも意識を封じてしまったら、楽しみが無くなってしまうだろ?』
『だから私の記憶を消さなかったの!? 私を苦しめる為だけに!?』
『そうだよ』
ミカは平然と言い放ってから、メアリーの両肩に手を乗せた。
『プロムが終わるまで、残された時間を楽しむ事だね』
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亜空間の部屋にて──
利一は酷い吐き気に襲われて、反射的にベッドから飛び起きた。
起きた勢いのまま胃液を吐いて、今度は激しい目眩に襲われる。平衡感覚を失い頭から床に落ち、意識が朦朧としていると、ぼんやりとした視界に白い兎が映った。
「稲羽……」
利一は掠れた声でそう呼んだが、兎は返事をしない。稲羽は利一が式神に下した怪物の名前だ。
(稲羽とちゃうんか……ほな……ミーシャ?)
尋ねようかと思ったが、体が重たく動かない。終には声を出す事も出来なくなって、目を閉じてしまう。
全身の筋肉が痛む。肺炎を起こしたように息苦しい。一息吸う度に、胸に激痛が走る。身体は次第に熱を帯びて苦痛に拍車をかけた。
この苦痛は、マグダレーナから受け継いだ軍服を使用した代償だ。強力な呪いが織り込まれた軍服は、一定時間、標的を無力化する代わりに、使用者に耐え難い苦痛をもたらす。
利一はチェスターが辛うじて難を逃れたと判断して、マグダレーナの軍服を脱いだのだ。そして今──その無力化の代償を受けている。
利一は苦痛の最中、完全に意識を失った。
それから暫くして──次に利一が目を覚ました時には、何故かきちんとベッドで横になっていた。
吐瀉物で汚れた筈のシーツも取り替えられ、着ていた筈の衣類も寝間着に変わっている。
利一はまだ調子の戻らない上体を無理に起こし、部屋の中を見渡した。
白い壁に白黒の市松模様床、高い天井に淡い光を放つ球体が浮遊している。
特段、変わったところもなく──兎の姿も見えない。
だが、確実に兎はいた。稲羽ではない兎──あれはミーシャだと思う。
(ほな……ミカもおったんか)
でなければこの状態の説明がつかない。利一が倒れている間にミカが介抱したに違いないのだ。
利一はそれを腹立たしく思う。ミカはいつも利一の危機に現れる。裏側に落ちた時も、裏側で怪物に襲われた時も、親戚連中に責められた時も、利一が生け贄にされかけた時も、ミカは利一を助けに来た。
(なのに……そのくせ──いつも簡単に俺を裏切る……)
いっその事、放っておいてくれれば、ミカを存分に憎めるのにと恨む。だが、それと同時に介抱してくれた事がとても嬉しい。矛盾した思いを抱えて、利一は再び横になった。
ふと、天井を見上げると、利一の足元から長く延びた人影が映っている。人影は水滴が落ちたかのように波紋を描き、ゆらりと揺れた。
この人影もマグダレーナから受け継いだ式神だ。利一は人影を【内海】と名付け、大事にしてきた。内海の名前はそれ自体が一種の【約束】になっており、その名前を公言する事が出来ない。公言すれば【約束】は反故となり、影は利一から離れてしまう。
影の名前を知っているのは、影を保有する利一と影を譲渡したマグダレーナだけだった。
ミカも影を保有しているらしいが、当然、利一はミカの影の名前を知らない。互いに訊く事は憚られた。
内海は何度も波紋を描く。声は発する事はないが、利一には内海が何を言いたいのか分かった。
「ああ……せやな……お前の言う通りや。あんや奴……こっちから、ほかした方がええわ」
内海は怒っているのだ。主を苦しめるミカに対して憤りを感じている。
(でも……もしかしたら……ミカも似た思いをしとるかもせん)
ミカの本心は、利一を見捨てておきたいのかも知れない。なのに、つい見捨てられなくて、いつも利一を助けてしまうのかも知れない。それを本人は煩わしく思っているのかも知れない。
(そもそも、最初の出会いからしてそうやったな)
ミカは少年だった利一を殺そうとして、結局助けた。マグダレーナの死後も、その関係がズルズルと続いている。
殺そうとしては助け、助けては裏切り、優しく労っては突き放す。
(そやけど……)
利一はこの矛盾した思いに──矛盾した関係に──終止符を打つ時期が来ていると思い始めてた。
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ベンジャミンは『おい』と何度も怒鳴られて目が覚めた。
『起きろ!! ここで何してやがる!!』
見れば、眼前に数人の警官がいた。窓の外はすっかり明るく、あれから一晩経った様子だ。察するに、己は店の物置部屋でずっと倒れていたらしい。
床には壊れた棚の破片が散乱して、トマトの缶詰やピクルスの瓶詰めが転がっている。
『立てっ!』
乱暴に立たされて、有無を言わさず手錠をかけられた。
『エミリーは!? 女の子を見なかったか!? 彼女は無事なのか!?』
ベンジャミンが慌てて尋ねると、みぞおちに衝撃が響いた。あまりの痛みに声も出せずにいると、そのまま引きずられて物置部屋を出た。
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リーが知らせを受けて、留置所を訪ねたのは、その日の昼過ぎだった。
黒い鉄格子の向こう側、殺風景なコンクリートの空間に青年がいた。
『ベン?』
呼び掛けに応じて上げた顔は左瞼が腫れていて、明らかな暴力の跡が窺える。
『あれはどう言う事ですか!? あんな怪我、昨日はなかった筈だ!!』
リーはすかさず抗議するが警官達は『彼が暴れたからだ』と主張した。
『とにかく、今すぐうちの庭師を解放して下さい。あと、この件は後で弁護士を通じて正式に抗議させて頂きます。署長にもそうお伝え下さい』
側にいた警官は渋々留置所の扉を開けて、ベンジャミンはふらつきながら外に出た。
リーはベンジャミンを支えながら、警察署を出て駐車場に停めてあった車に彼を乗せた。
屋敷に向かう最中、リーは助手席に座るベンジャミンに尋ねる。
『大丈夫かい? 酷い目にあったね』
『ええ、ありがとうございます。あの……何故、俺があそこにいると分かったんですか?』
『今朝、君がうちに来なかったから、もしかして昨日の騒ぎに巻き込まれたんじゃないかと思って探していたんだよ。もし、君の特徴に合う青年を見かけたら、連絡をくれってね。そしたら、うちの従業員の1人がそれらしき青年が連行されるのを見たと連絡くれて。もしやと思い、駆けつけてみれば案の定と言うわけさ』
『昨日の騒ぎ……』
『ああ、町で乱射事件があったらしい。君……何か知っているかい?』
一瞬、ベンジャミンの口元が強張った。
彼は勿論知っていた。昨日、騒ぎの渦中にいたのだ。ただし、リーの言う乱射事件などではない。あれは得体の知れない怪物の仕業だ。
ベンジャミンはリーに本当の事を言うか否か迷う。
『あの……旦那様のご子息は……チェスター様はご無事でしたか?』
『……チェットは無事だったよ。丁度、ガールフレンドと現場近くにいたらしいが、2人とも無事だった』
それを聞いた途端にドッと汗が吹き出した。
(チェスターとエミリーは無事だった……!!)
ならば、わざわざ真実を言うメリットは無い。ベンジャミンは『そうでしたか。それは良かった』と言って笑みを溢した。
ベンジャミンはチェスターが普通の人間ではない事を知ったが、果たしてリーも同じだとは分からなかった。
(実の親子であれば……旦那様もチェスターと同じく……)
リーも人間じゃないかも知れないし、人間かも知れない。または普通の人間だとしても、息子の正体を知っているか分からない。だから迂闊に話すべきではないと判断した。
『チェスター様は今どちらに?』
会って確かめたい。彼の正体について──そして昨日の一件、その後どう処理をして怪物騒ぎを乱射事件にすり替えたのかを聞きたかった。
『……ガールフレンドと一緒に登校したよ』
ベンジャミンにはリーの声色が暗く聞こえた。それは些細な暗さだったが、妙な違和感を覚える。
『もしかして、チェスター様に何かありましたか?』
『ああ……実は、乱射事件の犠牲者にチェットの同級生がいてね……リズと言う子だよ。いい子だったのに……こんな事になって残念だ』
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