第145話 【1975年】◆食人種の檻と夢の中のマグダレーナ◆
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【1974年】
もし過去をやり直せるとしたら、何もかも最初からやり直したい。
未来の記憶を保持したまま、産まれ落ちた日から、やり直す事が出来れば、全ての悲劇は回避出来た筈だ。
そうすれば、赤子の私は決して泣いたりしなかった。私の泣き声のせいで、敵に見つかる事もなかった。私のせいで家族が殺される事もなかった。
呪いをかけられる事なく、ごく普通の人狼として、短い生涯を全うした筈だ。
家族を死なせた罪悪感に苛まれる事もなく、幸せに暮らしていたかも知れない。
多種多様な種族や能力、魔術等が存在するのに、何故、時を戻す事が出来ないのだろうか?
何故、過去をやり直す事が出来ないのだろうか?
似て非なる力ならば、未来予知が存在するが、それも不完全な力だと言う。
例え悲劇を予知出来たとしても、完全に回避する事は不可能なのだ。
僅かに回避出来たとしても、その分の皺寄せは必ずどこかで発生する。
結局のところ、過ぎた悲劇はやり直せないし、訪れる悲劇も回避出来ないのである。
ならば、今、私達に出来る事は、精一杯の努力──最善を尽くす事だけだろう。
一片の悔いも残さぬよう、己の命が尽きる瞬間に、誇り高く、胸を張って死ねるように……
『本当にいいのかい? あとで後悔する事になっても、僕を責めないでくれよ』
彼は皮肉混じりに、私の覚悟を確認する。
『私が後悔するとしたら、それは私が何も行動を起こさなかった時よ』
私はそう言って彼を見つめ返した。
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【1975年】
『どうして……?』
幼い少年の姿をしたチェスターは、突然の告白に困惑しつつ、責めるように尋ねた。
尋ねられたヴィヴィアンは、彼と目を合わさず黙り込む。
『君も人狼だったのかい?』
リーは冷静に尋ねた。
『ええ、そうよ』
ヴィヴィアンはリーの質問に即答した。そんな2人やり取りを、利一も冷静に見つめていた。
『でも、ヴィヴィーは人間を食べてねぇだろ!! 年齢だって、俺より歳上じゃねぇか!!』
チェスターだけが納得出来ず、声を荒らげた。
『私には、特別な呪いがかけられているの。長寿なのは、そのせいよ』
『じゃあ……』
『人間を食べた事があるか? その答えはノーよ。こう見えてヴァージンだから』
それを聞いて、チェスターはかなり気まずそうな顔をする。これまで幾度となく、ヴィヴィアンの前で人狼を蔑む発言を繰り返してきたのだ。今更、取り繕う事も出来ず、言葉を失ってしまう。
『言っておくけど、無実だからね。私は襲撃犯の人狼を手引きなんかしてないわよ』
『勿論、信じているよ。ヴィヴィアンはそんな事をする怪物じゃない』
リーはハッキリと断言した。
『……どうして、今まで言ってくれなかったんだ』
チェスターは落胆したように尋ねた。
『……私はね、人狼としての誇りを失った代わりに、安泰な生活を手に入れたのよ。人狼としての私は死んだも同然なの。上層部の命に従い、大勢の人狼を討伐してきた……そんな私に、人狼を名乗る資格は無いわ』
言わなかったのではない、言えなかったのだ。人狼を迫害する側に従いながら、人狼を名乗る事に罪悪感があった。
また、名乗ったとしても差別を受ける事は容易に想像がつく。人狼だと名乗る事は、百害あって一利なく、名乗らずに越したことはなかった。
『分かった? ……じゃあ私は、明日の準備があるから行くわ。チェスターは一晩休んでから、これまで通り護衛の任務に当たって頂戴。──カシワギさん』
呼ばれて利一は『はい』と返事をした。
ヴィヴィアンが『リズの件は──』と言いかけると、利一はすかさず
『私は何も存じません。何も聞いていませんから』
と、素っ気なく言った。そう言う他なかった。リズについて深く追及する事は、チェスターにとって不利益になる。ならば口裏を合わせ、沈黙を貫くしかない。それは寧ろ好都合だった。
ヴィヴィアンはチェスターを救いたいと思い、方や、利一はチェスターを死なせたくないと思っていた。2人の目的は一致していた。
だが利一からすれば、ヴィヴィアンが自分を信用してくれる確証は無く、対してヴィヴィアンからすれば、利一が上層部に密告する恐れがあった。
互いに、表向きは上層部の味方でなくてはならない。その為、表立って結託するわけにいかず、半ば疑心暗鬼の状態だった。
かと言って、ここで互いの意思を口に出すのは躊躇われる。
僅かに迷った末、利一はヴィヴィアンの顔を確と見て、コクンと頷いた。
それで、よくやくヴィヴィアンの強張った口元が緩む。
(……ホンマに信用してくれたんやろか?)
利一は内心不安に思うが、深く追及は出来なかった。
『……ありがとうございます。カシワギさん』
ヴィヴィアンは礼を言ってから、部屋を出ようとする。
『ハッ……待って下さい!』
利一は少し慌てて彼女を引き留めて、病室の出入り口付近──何もない空間に手をかざした。
『チェスターさんを閉じ込める為に不可視の檻を張っていたんです』
言ってすぐに、利一は『どうぞ。お通り下さい』とヴィヴィアンに道を譲った。端から見ると、利一が何をしていたのか分からなかったが、今の一瞬で、彼はヴィヴィアンの為に不可視の檻を消したのだ。
『……食人種用の檻ですね?』
ヴィヴィアンは真っ直ぐに利一を見つめた。
『はい』
言って利一は気まずそうな顔をする。利一の心情としては、食人種と言う言葉をあまり使いたくはなかった。
食人種は怪物社会において差別の対象であり、彼らの総称【食人種】と言う言葉を蔑みの心を込めて口にする者もいる。
どんな言葉も蔑みを含めば自然と蔑称になるか、それに近いものになってしまう。勿論、利一にはヴィヴィアン達を蔑む心は無いが、多用する事をあえて避けていた。
『ヴィヴィー、待てよ!!』
チェスターが病室から呼び留めたが、ヴィヴィアンはそちらを振り向けない。
(今……チェスターはどんな顔をしている?)
振り向いて確かめるのが怖かった。蔑まれるのが怖かった。憐れみも、憎しみも、何の感情も向けて欲しくはない。例え、善意であろうと、憎悪であろうと、今向けられる感情は彼女にとって差別となんら変わりなかった。
『チェスター。エミリーを助けてくれて、ありがとう。今日はよく休みなさい。……また明日ね』
背を向けたまま、そう言って、ヴィヴィアンは病室を出た。後ろから彼女の名を呼ぶ、幼い声が聞こえたが応える余裕はなかった。
病室に残されたチェスターは、悔しげに顔を歪めた。
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エミリーはまた夢を見ていた。
彼女はやわらかな布に包まれ、温かな胸と腕に抱かれていた。耳の近くで微かに心音が響き、ゆったりと心地好い振動が眠気を誘う。どうやら夢の中の自分は赤子で、誰かにあやされているらしい。
ふと見上げると、長い白金髪の女性がこちらを見て微笑んでいる。
(ああ……ミカなのね)
性別が違ったのに、何故か瞬時にミカだと確信した。その事に何の違和感も疑念も無く、まるで以前から、ミカが性別を変えられる事を知っていたかのように思えた。
(私が赤ちゃんの時から……ずっと側にいてくれたのね……それなのに……)
これ程に自分を慈しんでくれたミカが、今は自分の不幸を願っている。
(……どうすれば、いいの? どうしたらミカは憎しみから解放される?)
うとうとしながら考えていると、優しい声で子守唄が聞こえてくる。
(この唄……知ってるわ……)
とあるドイツ映画の劇中で歌われていた子守唄だった。よく、父親が歌ってくれたが、今、歌っているのはミカだ。
──それは、つまり……
(……そっか。……やっぱり、私達に子守唄を歌ってくれたのは……パパじゃなかったのね)
頭の中にある記憶の本棚が、少しずつ整理されていくのを感じた。夢を通じて、床に散乱した記憶の本が、本来あるべき棚に戻されていく──段々と正しい記憶を取り戻す──そんな感覚だった。
──幼いエミリーに子守唄を歌ってくれたのは、やはり父親ではなかったのだ。
絵本を読んでくれたのも、庭で一緒に遊んでくれたのも、父親ではなくミカだった。
(あ……そうだわ……髪を染めないと約束してくれたのも……)
──ミカだ。
それらを思い出した瞬間、これまでの夢で、ぼやけていた顔が全て鮮明になった。
ミカは幼いエミリーを【僕のお姫様】と呼んで、大事に世話してくれた。
(私は彼に愛されていた……その愛を取り戻す事は出来ないの?)
出来ると信じたかった。ミカとまた友達──否、家族のような関係に戻りたいと願った。
(ママ……どうしたらいいの?)
悲しい気持ちで瞼を閉じると、今度は子守唄ではなく、啜り泣く声が聞こえてくる。若い女性──もしくは少女の声に思えた。
(泣いているのは誰?)
エミリーが目を開けると、周囲は真っ暗な空間が広がっていた。己の姿を確認すると、赤子から16歳の姿へと戻っている事に気づく。
──誰かの泣き声は、まだ続いている。
泣き声がする方へと目を向けると、13歳前後の白金髪の少女が泣いていた。
(ミカ!?)
エミリーは思わず駆け寄ろうと一歩踏み出したが、暗闇から軍服を着た背の高い人物が現れて、泣いている少女を軽々と抱き上げた。
(誰!?)
全く見知らぬ人物だった。男性のように思えたが、中性的で女性にも見える。年齢は20代前半。ダークブラウンの髪に翠色の目をしていた。
『エミリー』
その人物はミカらしき少女を抱き上げたまま、こちらを向いて、エミリーの名を呼んだ。声は低めだったが、やはり女性で間違いない。
『貴女は誰なの?』
そう尋ねたが返答はなく、女性はエミリーを力強く見つめた。
『エミリー……お前はよく頑張った。けれど、本当に大変なのはこれからだ。強くありなさい。何事にも負けない心を持つんだ』
どこか訛りのある口調だったが、聞き取れない程度ではない。女性は続けて言う。
『人生は天気のようなものだ。晴れの日もあれば、嵐の日もある。穏やかに過ごしたいと願っていても、いつかは災害が訪れる。お前にとって今がその時だよ。理不尽に負けてはいけない。自分の権利を勝ち取れ』
『でも……一体どうすればいいの?』
『見極めるんだよ。誰が本当に信頼出来るのか、誰を信頼していけないのか。今までの事を振り返ってごらん。お前を大事に思って、行動してくれていたのは──誰だい?』
ここで夢は終わった。
──翌日。
エミリーは静かに目を覚ました。見上げた天井は白く無機質で、全く親しみを感じさせない。さらりと乾いたベッドのシーツは温かみが無く、これまた白一色だった。左腕を見ると点滴のチューブがある。
意識はぼんやりしていたが、病院のベッドにいると分かるまで、そう時間はかからなかった。
つい先程、見ていた夢の内容はハッキリと覚えている。
【自分の権利を勝ち取れ】
エミリーは夢で逢った女性に返答するように『ええ、勿論よ』と言った。
夏の期間、かなり体調を崩し、更新をお休みしておりました。
現在も、本調子ではありませんが、のんびりと更新出来ればと思います。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間が、楽しく充実したものになりますように。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.