第141話 【1944年】◆◆信仰と再会と儀式前の2人◆◆
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【1944年】
その日の朝は1人の女中のけたたましい悲鳴から始まった。喉が裂けんばかりの声を聞きつけて、朝餉の支度をしていた使用人達が当主夫妻の寝所に向かった。
「どうした!?」
「何事や!?」
駆けつけた数人が声をかけると、寝所手前の和室から、腰を抜かした女中が這い出て来た。
「奥様が……」
掠れた声でそう言って、震える指で差す先に、梁からぶら下がる奥方がいた。
和室の奥──寝所の襖を開けた向こうに、呆然と佇む当主がいる。彼は魂魄を失ったような顔をして、変わり果てた妻の姿を見つめていた。
察するところ奥方は、昨夜、当主が寝静まってから首を吊ったのだろ。座卓に目をやると、虹色に輝く螺鈿細工が施された漆塗りの盆の上に、遺書らしき文が置かれていた。
後から駆けつけた兵隊達が、奥方の死亡を確認する。その内の1人が盆に置かれた文に気づき、一通り読んでから当主に差し出す。
「奥方の字に間違いございませんか?」
差し出された文の字を見て、当主は虚ろな眼で頷いた。
利一が奥方──大おばの悲報を聞いたのは、それから小一時間後、離れに朝餉を運んで来た女中が、大おばが命を絶ったと涙ながらに教えてくれた。
利一が大おばを最後に見たのは、昨日風呂に行く前だ。大おばは利一に対し「ありがとう」と礼を述べていた。
(もしかしたら……あの時既に……)
死ぬつもりだったのかも知れない。もし気づいていれば止められたのでは──そんな考えが一瞬過る。
朝餉を済ました利一は、ミカと離れの一室で過ごしていた。特段何かする気力も無く、本宅に顔を出す気にもなれなかった。
本宅の方では、慌ただしく通夜の準備が行われている。
「儀式はいつなん?」
ミカが尋ねた。
「多分、日が沈んでからちゃうかな。流石に坊主頭の生け贄やったら格好つかんやろ」
「まあ、確かにせやな。……それで具体的に何をすんの?」
利一は北側の窓を開けて、やや遠く見える山並みを指差した。標高は350メートル程、所々に紅葉が生い茂っている。
「あの山に登るんや。山の中腹に洞穴があって、そこに生け贄を乗せた輿を運ぶねん」
「その洞穴に何があんの?」
「祠や。そこに龍神が祀られとんねん」
ミカは「へぇー」と気のない返事をして山を眺めた。
「祠の先に、龍神の住まう宮があるんやて」
生け贄は次の生け贄が捧げられるまで、その宮で龍神と暮らすのだ。つまり──
「前任の生け贄は、まだそこにおる筈や……」
利一が捧げられる時、前任の生け贄はようやく解放される。どのような暮らしをして、どのような気持ちで過ごしていたのだろうか
……
(どんな気持ちで……この日を迎えたんやろか……)
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本家に軍が滞在していた為に、通夜と葬儀の段取りは揉めに揉めた。軍としては、自分達のいる本家に弔問客を寄せたくはない。対して柏木側は本家で通夜を行うのが筋だと主張する。
結局、柏木側が折れる形で、通夜は菩提寺で執り行われる事となった。大おばの遺体は首吊りによる汚れを拭った後、丁重に棺に納められて菩提寺へと運ばれた。
それと同時に儀式の支度が進められる。慣例では、日暮れに生け贄を輿に乗せ運ぶのだが、今回は軍に怪しまれる事を危惧して、生け贄も付き人も、昼間のうちに徒歩での移動となった。
生け贄の付き人は、本来であれば当主夫妻と数人の親戚が勤めるのだが、大おばが死んで、当主が喪主となった為、人選は当主の娘に一任された。
娘と言っても歳は利一の父親と大差なく、彼女の方が父親よりも3つ上だった。
「付き人の希望があるんやったら遠慮せんと言うてな」
利一は当主の娘にそう言われ、両親だけは付き人にしないで欲しいと頼んだ。利一の中で親と言う存在はもう死んだも同然だった。別れを惜しむ気持ちも無い。
有難い事に、当主の娘は利一の気持ちを汲んで、当主娘と懇意な間柄の親戚夫妻を指名してくれた。
利一は当主の娘に付き添われ、離れから土間に向かった。ミカは隠蔽の術を使い姿を消していたが、いつの間にか柏木の一族には術が効かなくなっていた。
ミカが危惧した通り、龍神は利一以外の一族に、無効化の加護を施したのだ。
「みかさん、余計な事をせんで下さいね」
当主の娘はミカに釘を刺す。
「勿論。俺は何もしませんよ。利一を送り届けたら、素直に帰りますよって」
ミカの返答を側で聞いていた利一は、胸にチクリと痛みを感じた。先に失望させたのは己だとしても、ミカ本人の口から諦めの言葉を聞くのは寂しい。
3人が土間に着くと、見覚えのある女が立っていた。
「前川さん」
利一が帰還して最初に出迎えた女中だ。
「奥様から、今日お発ちになるとお聞きしました。私も、ご一緒させて頂きます」
「私が分家に使いを出して呼んだんよ。親しい人が一緒の方がええでしょ」
言って当主の娘は、利一の肩に手を添えた。
前川は利一に微笑みかけるが、彼の隣にいるミカに対して目を合わせようとしない。どうやらミカの姿を認識していないようだった。
(……加護を追加で付与されたのは利一の血縁者だけか……もしかして、付与したくとも出来なかったのか)
そうであれば、それが龍神の力の限界なのだろう。恐らく、己の血族は強化出来ても、赤の他人まで術を施す事は叶わないのだ。完全無欠な怪物など存在しない。女中の前川に加護が付与されていない事実が、それを証明している。
土間から裏の潜り戸を通り抜けると、指名を受けた夫妻が外で待っていた。軽く挨拶を交わした後、一行は山を目指して歩き出した。
本家から離れるにつれて田畑が多くなり、所々に柿や栗の木を見かけるようになった。刈田に目をやると、数人の女性が慣れた手つきで稲の束を干している。
ミカは物珍しそうに、その光景を眺めた。利一は遠くの畑を指差して「夏になると、トマトがぎょうさんなるんやで」と教える。少しでも、ミカと思い出を共有したかったのだ。
すると当主の娘がすかさず首を横に振った。
「いくら実っても全然足らへん。ほら、見てみ」
言って当主の娘は、遠くの畦道に立つ若い女と百姓を指差す。若い女は百姓に何度も頭を下げて、必死に何かを頼んでいる。
「時折、ああやって、南の市から食べ物を分けてもらいに来る人がおるんよ。配給や切符だけやったら足らへんからね」
当主の娘に続いて、親戚夫婦も口を開いた。
「利一君がおらん間ね、よそから子供らが集団疎開してきたんよ。おかけでどこの村も困窮しとるわ」
「それでも、ここいらの地域は恵まれてる方やと思う。空襲の被害も少ないし、田畑もある、程好く和や。──かと言って田舎でもない。鉄道もあるし、経済的にも比較的安定しとる」
当主の娘は頷く。
「この地域が恵まれてとるんも、龍神様のお陰や。もし空襲で焼けるような事があっても、龍神様が守ってくれはる」
ミカは思わず眉を顰めた。当主の娘の話は、まるで不協和音の如く耳障りな調子で、酷く聞くに耐え難かった。
東の最果てに位置する異国の島国──そこに住まう極少数の人間が、超自然である怪物を崇め、偶然もたらされた恵みを御業だと信じている。
神の名がつく通り、彼らにとって龍神は【神】であり、受け継がれてきた【信仰】には違いないが、全知全能の存在とは到底思えない。
そんな紛い物の神に縋って、有り難がる彼らに対し、嫌悪を通り越して憐れみさえ覚えた。
ミカは知らなかったが、実際、この土地の経済状態が比較的安定しているのも、龍神の御業などではない。ここから西に位置する街が、江戸時代より物流の拠点となっていた事に端を発し、現在に至るまで小売業を繁栄させているからに他ならない。この土地はその恩恵に与っているのだ。
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一行は川沿いに設けられた山道を、ただ只管に登った。秋の季節とあって、一行の他にも、紅葉目当てに山道を登る人が疎らにいた。彼らは一行に気づくと、恭しく頭を下げた。
「柏木邸の娘さんらや……」
誰かがそう呟くのが聞こえたが、当主の娘と親戚夫婦は、それに反応する事無く、澄ました顔で登って行く。周りにいた人々は、当主の娘らに注目しつつ、一行と連れ立つように登った。
山の中腹まで辿り着くと、川にかかった赤い橋の前で、一行はその歩みを止めた。橋の向こう側──川の対岸に立派な山門が立っている。
当主の娘が先立って橋を渡り始め、それに合わしたかのように門が開く。続いて、親戚夫婦は女中の手を引いて橋を渡り、利一もミカの手を引いて渡った。
ミカは山門を通る前に、山道を歩いていた人々をチラリと見やる。彼らは、こちらを全く気にもせず、前を向いて登って行く。
(──人避けの呪い!?)
瞬時にそう気がついた。無関係な者が立ち入らぬように、山道と橋を隠蔽する呪いが施されていたのだ。ミカと女中は、柏木の者に手を引かれなければ、橋を渡る事は出来ない仕組みになっていた。
一行は、そのまま山道から延びる石畳を進む。次第に霧が立ち込めて、気づけば2階建ての山荘に辿り着く。玄関の戸がゆっくりと開いて、中からおさげの少女が出て来た。
「三葉!」
利一は目を丸くして、少女に駆け寄る。
「……りっちゃん」
出迎えたのは、利一のイトコ三葉だった。
「三葉、なんでここに?」
「……りっちゃん、聞いとらんの?」
利一は怪訝な顔をして首を傾げた。
「私、りっちゃんがおらんくなった翌日に、ここに連れて来られたんよ。もしもの時に備えて、私が生け贄になれるようにて、大おば様が──」
「えっ!?」
利一は驚いて振り返り、当主の娘を睨む。彼女は能面のような表情で「そうや。当然でしょ」と無機質な口調で言った。
利一は戦慄を覚え、毛穴が窄んだ。
「……なんで?」
つい理由を尋ねたが、聞かなくとも大体予想がついた。正二を煽てて生け贄の代役に仕立て、更に三葉を山荘に監禁する事で保険としたのだ。正二に知らした三葉の縁談の話は、全て偽りだと──当主の娘は一切悪びれる様子もなく、そう説明した。
利一は堪らず、三葉に頭を下げる。
「ごめん! 俺がおらんくなったばっかりに……三葉、ごめんな! ホンマにごめん!」
三葉は無言で利一を見つめた。利一に対し、いなくなった事を責めたい気持ちと、帰還してくれた嬉しさ──そして、生け贄にする罪悪感が入り交じり、何と言葉を発したら良いのか、分からなくなった。
三葉はやっと家に帰れる事を内心喜んだが、それと同時に、喜ぶ己を憎らしく思う。
──ふと「ごめん」と言う言葉が浮かんだが、それを口にすれば、利一が不在になった事で被った、不当な仕打ちを許してしまう気がする。反対に「もういいよ」と許しを口にする事は、利一が被る不当を肯定してしまう気がした。
結局、三葉は何も言えず、謝る利一を抱いて泣き出した。
苦い再会を経た後は、日暮れまであっと言う間だった。山荘で一息ついてから、湯浴みをして体を拭いた時には、日はとうに傾いていた。
生け贄が纏う衣装を用意している間に、利一の体をは少女に変化して、髪が長く伸びた。その体型に合わせて、当主の娘と親戚の嫁──女2人で少女を着付ける。髪を結い、白粉をつけて紅をさす。金に輝く天冠を飾り付け、2人同時にうっとりと称賛の声を上げた。
「綺麗やわぁ」
「ホンマにぃ」
利一は、男子にかける言葉ではないと憤慨しつつ、口から文句が飛び出さぬようグッと堪えた。
「ほな、写真撮ろか」
「えっ?」
親戚の嫁は利一を連れて、着付けをした和室から、洋間へと移動した。
洋間で利一待っていたミカは、強引に連れて来られた少女を見て目を丸くする。
「ミカ、なんも言わんでくれ」
利一が頬を紅潮させて、恥ずかしそうに言ったので、ミカは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
代わりに、少し意地悪く微笑んで、少女の姿を凝視した。
「もう、見んな!! 顔に穴空くわ!!」
ミカは恥ずかしがる利一を、いつまでも楽しそうに眺めていた。
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