第140話 【1944年】◆◆利一とミカと儀式前夜◆◆
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【1944年】
ミカは静かに意識を取り戻した。目を開けて最初に映り込んだのは、広い竿縁天井と、そこからぶら下がるランプシェードだ。
腐食性の毒による激痛は消え去り、負傷した四肢と頭部、それから破けた軍服は元通り修復されていた。
「ミカ」
視界に少女がひょっこり現れて、ミカの顔を覗き込む。
「利一……」
利一の目元が赤く腫れている。察するに、自分が意識を失っている間、酷く泣いていたのだろう。それが意味する事は──
「ごめん。やっぱり俺、一緒に行かれへん……」
利一はそう言って寂しげに微笑んだ。
「……なんで、笑うねん」
ミカが訝しんで尋ねた。
「……しゃーないやん。泣いても解決せんやん」
「そやかて!」
ミカは急いで起き上がる。利一が人生を諦めた事に、納得出来ず怒りが湧く。
「それより、聞いてや。俺の一族にかけられた呪いが全部解けてんで。すごいやろ」
利一は「ほら」と言って、後ろに控えていた両親に目を向ける。父親にかけられた呪いは解け、男性の姿になっていた。父親は申し訳なさそうな顔をして、こちらに頭を下げる。
「……りっちゃん呪いは解けてへんやん」
利一は小さく「うん」と言って、途端に表情が暗くなる。その反応で、大方の予想はついた。己の身を引き換えに、一族にかけられた呪いを解いてもらったに違いない。
「……君だけが犠牲になるんか。それで、ええんか?」
利一はコクンと頷き、ミカは憤りを感じた。
「明日、儀式が行われるねん」
「儀式? ただの強制結婚やろが!!」
「ミカ」
「なんやねん!!」
「儀式が始まるまで、側におってくれへん?」
利一は震える手で、ミカの袖を掴む。
「……お願いやから……側におって……せやないと──」
──絶望に押し潰されてしまう気がした。今だって、利一は落涙を堪えるので精一杯だった。
「……花嫁の付き添いに夢魔を指名なんかして、今度こそ食われても知らんで」
それを聞いた利一の両親が、顔を引きつらせた。
「それは困る。市は私の贄だ」
ミカが上座に目をやると、龍神と当主夫妻が鎮座していた。その他の親戚連中は姿が見えない。ミカが倒れている間に、皆どこかに行ったようだ。
「みかとか言ったな? 市の頼みにより、体の毒を中和してやった。これに懲りて、二度と市を拐かすような真似はせぬ事だ」
「いち?」
「……俺の事や」
利一がそう言ったので、ミカは龍神が勝手につけた愛称なのかと思った。
「もう夜更けだ。明日に備えて、市を休ませてやりたい。湯浴みと寝屋の用意をしてやれ」
大おばは「かしこまりました」と立ち上がり、広間から出て行く。
利一はここでミカと離されるのではと不安になり、袖を掴む手に力が入る。ミカはそんな利一の心情を察して、その手を包むように握った。
「手を出さなければ、一緒にいるぶんには問題ないんやろ?」
ミカの問いに、龍神は無言だった。
「ええやんか。どうせ明日には、利一はお前のもんになるねんから。俺は利一の式神やで。ご主人様の側におって何が悪いねん」
龍神はミカの左手の甲に目を向けた。確かに利一の紋が印されている。
「……妙な気を起こすなよ。お前の動向は始終見張っているからな」
「言われんでも、起こさんわ。第一、俺とお前とでは、力に差があり過ぎる。能力の相性も悪い。さっきみたいに返り討ちにあうんがオチや」
ミカは加えて「俺は負け戦はせん主義やし」と言った。
「市」
「……はい」
「己の式に自重するように命じておけ」
「……かしこまりました」
言って利一は頭を下げる。
暫くして、大おばが利一達を呼びに来た。風呂と寝所の用意が出来たらしい。利一と彼の両親は、龍神に対し深々と頭を下げ、広間をあとにした。
去り際に龍神が「今宵のうちに、親との別れを惜しむがよい」と言って、ミカは眉を顰めた。
「りっちゃん……」
風呂場に向かう途中で、母親が利一に声をかける。
「ごめんね、かんにんしてな」
「やめろ。聞きたない。父様も母様も、何も言わんといて」
「利一。親に対して何て口を──」
「うるさい!!」
利一は怒鳴って、父親の言葉を遮った。
「自分らの為の謝罪なら、いらへん!! そんなもん聞きたない!! 父様と母様には、何も言う権利はあらへん!! もう、親とは思わん!! 俺の事も息子と思うな!! お前らの末子は死んだと思え!!」
「利一!」「りっちゃん!」
「黙れ!!」
利一は顔を真っ赤にして言い放つ。両親は何か言いたげだったが、結局何も反論出来ず、その場に立ち尽くしていた。
「ミカ、行くで」
利一はミカの手を引き、両親を置いて先に進んだ。その後ろ姿を、父親と母親が悲痛な眼差しで見つめていた。
大おばの案内で屋敷の東側から、北側へと移動する。外庭に面した長い廊下の硝子戸には、分厚い暗幕がかかっていた。この暗幕を持ち込んだのは、屋敷にいる軍部だ。
(……そう言えば、本家に来てから1人も見かけてへん)
あれだけ広間で騒ぎがあったにも拘わらず、1人の兵士も駆けつけて来なかった。
「兵隊さんらはどこにおるん?」
利一は不審に思い、前を歩いていた大おばに尋ねる。
「龍神様が集会の前に、皆様を眠らせてくれはりました。恐らく、明日の朝まで、目覚めへんと思います」
ミカはそれを聞いて思案する。
(あの龍神……暗示系の術も使えるんか? それとも別の能力?)
龍神はミカと違い、物理的な攻撃に優れていた。人間に対して、強力な加護や呪いを付与する事も出来る。その上、暗示まで使えるのであれば、どう考えてもミカに勝ち目は無い。
ミカは不死だが、その反面、物理的な攻撃に弱く、扱う呪いも脆弱なものが殆どだ。唯一、暗示を含む精神系の術には優れていたが、それはあくまで対人間用だ。
利一は龍神の加護により、ミカの暗示を無効化出来る。ならば、龍神本人も無効化の力を扱えるだろう。
ミカは唯一の十八番を封じられたも同然だった。
先程のように、親戚連中を傀儡する事はもう通用しないと考えた方が良い。
「脱衣所とお風呂場は、突き当たりを右に行った先にあります。必要な物があれば、近くにいる女中に言いつけなさい」
言って大おばは奥を指差す。
「分かりました。ありがとうございます」
利一は冷たく礼を言って去ろうしたが、大おばに呼び止められて、怪訝な顔で振り返った。
「ありがとう」
大おばは、そう言って深々と一礼した。利一はそれを一瞥して、足早に奥へ行く。
謝罪も感謝も、今は聞く余裕が無かった。どんな言葉も今の利一には効きはしない。少女の胸中には恨みが渦巻いている。柏木の名がつく者全てが憎かった。
だが、その憎い者達を救うと決め、人生を諦めたのは他でもない己だ。その事も自覚していた。
憎いと思いながらも見捨てる事が出来ず、見捨てられない己も憎い。
2人は脱衣所に着き、引き戸を開けた。
「……ほな、出て来るまで待ってるから、ゆっくり入っといで」
ミカはそう言って、戸の前で背を向ける。
──すると、
背後から服を引っ張られ、思わず立ち止まった。
「……利一?」
利一がミカの腰辺りの服を掴んでいた。
「利一」
再度呼び掛けるが返事は無い。そうこうしているうちに、すすり泣く声が聞こえてくる。
ミカは利一の手を掴んで振り返り、そのまま脱衣所に入って戸を閉めた。
2人はその場に座り込み、利一はミカに抱かれて泣き出した。
「泣くぐらいなら、何もかも捨てて一緒に逃げへん?」
「無理やもん」
利一はミカが気を失っている間の詳細を話した。逃げたところで利一にかけられた呪いは解けないと──死ぬか、生け贄になるしかないと話す。
「それに……逃げたら、今度こそミカが殺されてまう」
「俺は死なへんよ。不死の怪物やで。夢に還る事はあっても、死ぬ事はない」
──海に向かう途中の岩場にて……
ミカは還る事と死ぬ事が、同義だとは言っていない。彼の夢魔に関する知識は君主マグダレーナから授かったものだ。ミカ自身の経験から得たものではない為か、彼は確言を避けていた。
「ほな……還ってしまっても、またこの世に戻ってこれるんか?」
「還った事ないし、何とも言われへんけど……利一が望むなら、例えこの身が夢に還ったとしても、必ず戻ってみせる」
その言葉が本心なのか分からなかったが、それでも多少、利一の心は安らいだ。
入浴を終えた利一は、ミカと共に屋敷の離れに案内された。2人を案内した女中は、ミカの事をかなり訝しんでいたが、ミカの方は全く気にも留めなかった。
本宅と渡り廊下で繋がった離れは、8畳の和室と押し入れと床の間があり、南側の広縁にゆったりとしたソファーが2脚と小さなテーブルが置かれていた。
和室には暖かな布団が1人分敷かれている。利一は布団を見つめて黙り込む。
「俺の分無いやん」
隣にいたミカが布団を見てそう言った。
「……当たり前やろ」
婚前の夜に、花嫁と他の男を隣で寝かせる方がおかしい。女中が不審がるのも無理はない。
「俺はどこで寝ろと?」
「部屋の前の廊下とか?」
「寒いやん! 風邪ひいちゃうで、俺!!」
「嘘こけ!! 妖怪のクセに!!」
利一はふと緊張が和らぐのを感じた。ミカとの下らない会話が、ウザくもあり、有り難くも思えた。
「そう言えば、利一が城に来た日の晩も、よう似たやり取りをしたな」
「……あん時は、ホンマに貞操の危機かと思っとった」
「失礼な。俺は餓鬼に興味は無いで」
「……」
「なんやねん。その目は」
「大広間であんだけ大嘘こいとった奴が、よう言うわ」
ミカがついた嘘は、結局直ぐに見破られた。龍神は利一が生まれてから今に至るまで、ずっと彼を見張っていたのだ。勿論、ミカが利一を殺そうとした事も、救って帰還に手を貸した事も、ミカが小児性愛者ではない事もお見通しだった。
だからこうして、ミカの滞在を許したのだ。もし、ミカが利一に手を出したり、2人が本気で逃げ出そうとすれば、直ぐ様、龍神が現れるに違いない。
「……ミカ」
利一はミカの服を引っ張って、屈むように促した。
「なん?」
ミカが顔を寄せると、利一は彼の首にしがみつく。
「ありがとう、ミカ」
「何がやねん」
「何もかも全部や」
利一にとってミカはこの世で甘えられる唯一の存在になっていた。ミカが自分の事で怒ってくれた事がとても嬉しく、負け戦はしないと言った時は、勝手ながらも残念だと思った。
だが実際、ミカに負け戦をさせる訳にはいかない。ミカはこれから実の息子を探しに行くのだから、こちらの事情に巻き込む事は出来ない。
「俺の我が儘に付き合ってくれて、ありがとう」
明日でミカと別れる──恐らく、もう2度と会えはしないだろう、と覚悟する。
「……利一、何もしてやれへんくて……ごめん」
言ってミカは利一を抱き締めた。
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