第138話 【1944年】◆◆ミカの嘘と現れた龍神◆◆
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【1944年】
広間は騒然とした。中央にいた少女が泣き出したかと思えば、それが宙に舞い上がり、1人の青年が現れたのだ。「あやかしだ」「祓え」と怒声が飛び交い、広間にいた親戚連中は一斉に立ち上がった。数人が懐から紙の札を取り出し、他の数人が数珠や刀を取り出す。
ミカは利一を抱き上げたまま周囲を見渡した。
「どーも、こんばんはー」
そう言って不敵に笑う。
「何者や!?」
誰かが怒鳴って尋ねる。
「さっきお話されてた妙な妖怪ですよー」
ミカは戯けて言って、利一の両親に目を向けた。
「息子を離せ!」
利一の父親が叫んで、札を投げた。札はミカ目掛けて真っ直ぐに飛翔するが、彼に辿り着く直前に失速して、畳に落下した。他の者も続いてミカに攻撃を仕掛けるが、先程と同様に、投げられた札はミカに届く事無く落下する。
「札が効かん!?」
「なんでや!?」
見かねた1人の男が刀で斬りかかるが、ミカは斬撃をひらりとかわし、彼を軽く足蹴りして撃退した。
その様子を見ていた当主が「やめい」と場を制止する。
「君が責任者なんか?」
ミカが尋ねる。
「左様。わしは柏木家当主、柏木隆盛と申す。……お前の名は?」
「俺はミカ。堅苦しい挨拶は今更要らへんで」
言ってミカは、横目で斬りかかった男を見る。
「どこから侵入した?」
当主は険しい顔で尋ねた。
「どこって……ちゃーんと玄関から入らせてもろたで」
「嘘を言うな! 誰にも気づかれず入れるわけ──」
親戚の誰かがそう言いかけて、ハッと気づいて言葉を飲み込む。眼前の青年は、誰にも気づかれず、難なく侵入出来る程の力を有しているのだ。今とて、姿を現す迄、誰一人、彼に気づかなかったのだから。
「俺と君らやったら、力に差があり過ぎんねん。りっちゃんの方がよっぽど強いで。なっ?」
ミカは利一に対し同意を求めるような物言いをした。
「……ミカ、なんで来てくれたん?」
「なんでて……そりゃ、お腹空いたし」
「え?」
「喰わせてや、利一」
言ってミカは利一の顔に口を寄せる。
「ちょっ!? まっ…待って!」
「ええやん」
「ええ事あるか! このド阿呆!」
今、そんな事をされたら、ますますミカとの仲を疑われてしまう。
「利一! やっぱりお前、その妖怪と!?」
そう叫んだのは正二だ。
「ちゃうわ!! ぼけ!!」
利一は顔を紅潮させて否定する。
「ミカ!」
「ん?」
「ミカからも、何か言うてや!」
「何を?」
「そやから、俺らの関係について、ちゃんと皆に説明してや!!」
疑いを晴らしたかった。ミカは利一の操を奪ったりなどしていないと──そう証言して欲しかった。
「あー……成る程な」
「ミカ! ほら言うてや!」
広間にいた全員がミカに注目した。利一は祈る気持ちで、ミカを見つめる。
(頼むから……皆がミカの言う事を信じてくれますように……)
ミカは上座にいる当主を見据えて、不敵に微笑んだ。
「なんやら誤解があったようで、申し訳ありません。利一は──」
純潔のままだと──そう証言してくれる事を期待したが……
「──俺が美味しく頂きました。いや、どーも、すみませんねー。かんにん、かんにん」
ミカは戯けてそう言った。
広間は一瞬で凍りつき、利一は目が点になって「え?」と声を出す。
「あんまり可愛かったんでー、ついつい食べてしまいましてん」
「は?」
利一の父親は衝撃のあまり固まって、母親は卒倒した。
「あっ、生け贄って純潔やないとアカンのでした? いやー、すみませんでした」
「ミカ!」
「なんやねん」
「お前っよくも!!」
とんでもない嘘を言ってくれた、と怒りが一気に湧き上がる。利一はミカに抱き上げられたまま、何度も彼を殴りつけた。
「嘘つき!! このド阿呆!!」
ミカは暴れる利一を一先ず下ろすと、今度は手首を掴みキツく抱いた。
「離せ、変態!!」
「そやかて、りっちゃん。寝所で俺の指咥えて喜んでたやん」
「あれは──!!」
確かに指は咥えた。それは、ミカの血──言語を得る為にやむを得なかった事だ。だが、親戚連中は事情を知らない。彼らには、利一が「あれは」と言った瞬間、事実を認めたように聞こえた。
「りっちゃんの湯浴みかて、俺がしてあげたやん。それも嘘やと言うの?」
「それは──!」
残念ながら、それは事実だ。怪我をして、血で汚れた利一をミカが介助して洗った。
「毎晩、俺に抱かれて寝てたクセに」
「ちゃうわ!!」
「ホンマの事やん」
「意味合いがちゃうやろが!!」
「利一!!」
父親に呼ばれて利一はハッとする。
「お前と言う奴は、なんちゅうフシダラな事を……!!」
父親は顔を真っ赤にして、怒りに震えている。
「父様、ちゃいます!!」
利一がそう言った時だ。ミカは利一の口元を隠すように手を添えて、唇を重ねるフリをした。
「なっ!?」
それを見ていた利一の父親は、顔色が赤から蒼白になる。
「ご覧の通り、利一は俺のものなんで、生け贄は諦めてもろてええですか?」
そう言って、また利一を抱き締めた。
「ミカァ!!」
利一の目に先程とは違う涙が溢れてきた。この男は助けてくれたかと思えば、簡単に期待を裏切ってくれる。
「この痴れ者が!」
当主は声を荒げて、分厚い折り本を取り出した。扇子に似た蛇腹折りの折り本は、風に吹かれたようにページがバラけて舞い上がり、その先端がミカ目掛けて伸びてゆく。
だが例によって、折り本のページもミカに届く前に勢いを失い落下した。折り本の端を持っていた当主は、落下したもう一方の端に目を向ける。
長く伸びた折り本は、畳の上でピクピクと微動していた。よく見れば、先程、落下した札も同じく微動している。
(僅かに動いとるっちゅう事は、術は打ち消されたやのうて、弱められたと見るべきか……)
当主がそう思ったのを見透かしたように、人外の青年は笑みを浮かべる。
「さっきも言うたけど、君らじゃ俺に敵わへんで? それでも、戦う?」
「当たり前や! うちの子を返して!」
意識を取り戻した母親がそう叫んで、ミカに向かって駆け出した。それを近くにいた数人が引き止め、母親を羽交い締めにした。
ミカは笑うのを止めて、母親を冷淡に睨む。
「断る。利一は返さへん」
「ミカ、悪ふざけも大概にせぇ!」
「ふざけてへん。ふざけとるんは、君の親や。年端もいかん子供を生け贄にして、そうまでして怪物の力が欲しいんか!! それが親のやる事か!!」
言われて利一は目を見開く。ミカは続けて言う。
「なんで子供を守らへん? なんで子供を犠牲にする? なんで子供の幸せを考えへんねん!! それが出来ひんのやったら、親なんぞやめてしまえ!!」
「部外者のお前に何が分かる!!」
当主が叫んだ。
「分かるわ! 君らは子供を犠牲にするクソの集まりやろ!」
「何も知らんと偉そうにほざくな!」
誰かがそう言って、他の親戚連中も次々に叫ぶ。
──だが、ミカが『うるさい。黙れよ』と言った途端に、ピタリとその口を閉じた。
利一は呆気にとられて、周囲を見渡す。親戚連中は虚ろな眼をして人形のように停止している。
(これは……ミカの力?)
龍神の加護が無ければ、利一も同じく停止していたに違いない。それを目の当たりにして、背筋が寒くなった。
ミカは利一を抱き上げて踵を返し、広間を出ようとする。
「待ってや! どこ行くねん?」
「んー、そやな。どこがええ?」
「ふざけるなミカ!」
「俺は大真面目やで。ここに留まる理由は無いやろ」
ミカの言う通りだ。利一の想いとは裏腹に、正二は生け贄になる事を望んでいた。利一が救える者はここにはいなかったのだ。
「でも──」
心の中で、何かが引っ掛かる。何かが、利一を引き留めている。それが何かは分からないが、酷く離れ難い。
「利一、ここに君の幸せは無いよ。何でか分かる? ここにいる全員は利一の幸せなんて、これっぽっちも考えてへんからや。利一の幸せを考えて行動出来るんは、利一本人しかおらんのやで」
「俺の幸せ?」
「せや。利一は今の環境におりたいんやろ? 当然や。生また土地、育ててくれた親、どちらも離れ難いもんな。それらが利一を幸せにしてくれるんやったら、ここにおったらええよ。でも違うなら、切り捨てなアカン。離れる決断をせなアカンねん」
利一は停止している両親に目を向ける。
「離れて……どうなる? どう生きていけばええ?」
戦争の真っ只中、子供1人で生きる事は不可能だ。穏やかな世であれば、孤児院なり行政の支援があるだろうが、仮にそうであっても親との別離は難しい。
利一は心をかき乱される。今の環境は確かに劣悪だが、全てがそう言う訳ではない。厄介な事に、楽しい思い出も、家族に対する深い情もある。だからこそ、離れ難く苦しかった。容易く決断など出来はしない。
「……俺がおるやん」
ミカは静かに言った。
「家を捨てて……お前と逃げろ言うんか?」
「ええやろ? 一緒に行こうや」
その言葉に利一の心は揺らいだ。戦乱の世でも、ミカがいれば何とかなる気がした。ミカの力を駆使すれば、最低限の衣食住は得られるだろうし、一緒に彼の息子を探す事も、兎の穴を使い裏側に戻る事も出来るのだから。
「嫌なら、今度こそお別れやなー。サヨナラー」
ミカは素っ気なく言って、利一を下ろした。
「おいっ!」
「何? 嫌やったんちゃうの?」
「嫌なんか一言も言うへんやろ!」
「そうなん? へーあーそーお?」
「ホンマ、お前腹立つ!!」
ミカはニッコリ微笑んで手を差し出し、利一は拗ねた顔をした。
「ほら、りっちゃん。どうすんねーん。はよ決めんと俺行っちゃうでー」
不安が無いと言えば嘘になる。今いる環境を変えるのは勇気のいる事だ。
(でも……ミカがおってくれるなら……)
利一は徐に差し出された手を取った。ミカは満足そうに、その手を確と握る。
「ならぬ」
突然、誰かの声が広間に響いた。ミカと利一はハッとして周囲を見渡すが、親戚連中は停止したままだ。
「誰やねん!?」
利一がそう言った瞬間──床に落ちていた札が一斉に飛翔して、ミカの顔に貼り付いた。札から強力な酸が出て、ミカの顔は焼け爛れる。
「ミカ!!」
ミカは瞬時に両翼を出現させる。翼から眩い光が放たれると、札は細切れに裂けて消えた。傷ついた顔は、直ぐ様、修復されて、利一は安堵の息を吐く。
「これまた随分なご挨拶やな……」
ミカは上座の奥を睨んだ。利一はその視線を追って、上座の奥──床の間に目を見張る。
「なんや?」
床の間には、古びた掛け軸が飾られていた。墨で描かれているのは【龍】だ。風が吹いて、掛け軸がふわりと揺れると、絵の中の龍も揺れて動く。突如として黒い靄が立ち込め、気がつけば床の間に人影が立っていた。
ミカは利一を背に隠す。
「触れるな」
また声が響いた。
「それは私の贄……お返し頂こうか」
聞き覚えのある声だ。
靄が晴れて、床の間に1人の男が現れた。古めかしい着物を羽織り、勾玉の首飾りをしている。
夢で逢った龍神がそこにいた。
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