第137話 【1944年】◆◆理不尽な詮議と左手の紋◆◆
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【1944年】
利一は通された小部屋でいつの間にか眠っていた。──ふと目を覚ますと、こちらを見下ろす少年と目が合った。
「正二!」
利一は少年の名前を呼んで飛び起きる。正二は利一同様、生け贄になる為に生まれた子供だ。万が一、利一が生け贄になれなかったら場合、正二が生け贄に選ばれる。
「正二、久しぶり! 元気やった?」
思わぬ再会に嬉しくなり、笑みが溢れる。だが、正二の反応は冷ややかだった。
「なんでなん?」
正二は眉を顰めてそう言った。
「え? なにが?」
利一は首を傾げる。
「なんで、今更戻って来たんや」
「なんでて……」
「お前が戻らんかったら、僕が役目を果たせたんに!!」
言われて利一は愕然とする。聞き間違いではないかと思い、尋ねようとするが、動揺で上手く言葉が発せない。
「なっ……そやかて……正二は……」
「僕が生け贄になれる言うて、やっと母さんが喜んでくれたんに!! 僕を誇りやて言うてくれたんに!! 利一が戻ってきたせいで、全部台無しや!!」
「正二……それは……」
「僕をぬか喜びさせる為に家出したんか! そんなに僕が憎いんか! 僕が妾の子やからか! そんな理由で苦しめるんか!」
正二の実母は本妻ではない。彼の母親は女中として柏木家に仕えていたところ、利一の叔父に見初められ、叔父の妾になったのだ。妾に対する一族の態度は厳しく、正二は実母と引き離され、本妻に育てられた。
妾の子を本妻が育てる事は、この時代珍しくはなく、正二も例外ではなかった。
「なんで戻ってきた! なんで……!」
正二は言葉に詰まり、落涙した。利一はつられて目が潤む。
利一とは違い、彼は妾が産んだ子だ。利一以上に厳しく育てられ、苦労を重ねてきた。正二が一族に認められるには、生け贄としての役目を果たすしかなかった。
利一がいなくなり、正二の義理の母親は「義理の息子が選ばれた」と喜んだ。正二も、やっと認められたと喜んでいた。それを覆され、憤慨している。
「俺が生け贄になれば、お前は三葉と一緒にいられるやんか!!」
言って利一は立ち上がる。三葉も生け贄候補の1人で、正二と三葉は密かに互いを慕っている──その筈だった。
「三葉はもう縁談が決まったんや!! 僕らは結ばれへん!!」
「そんな……!!」
ならば、自分は何の為に帰還したのだろうか?
「……自分が生け贄になれば、僕が幸せになる思たんか? とんだ勘違いやな! 利一のそう言うところ、ホンマ大嫌いや! 僕にとっての幸せは僕が決めるんじゃ! お前が勝手に決めつけんな!」
それだけ聞けば正論だが、果たして生け贄になる事が正二の幸せなのだろうか?
(正二は叔母様に認められたいんや……)
正二は愛情に飢え──承認される事を欲していた。利一には、それが憐れに思えてならない。
「正二は生け贄になりたいんか? それがお前の幸せなんか?」
戸惑いつつ尋ねると──突然、眼前にいる正二の髪が長く伸びた。顔つきが柔らかくなり、あどけない少女へと変貌する。
(あ──もう夕暮れ……)
気がつけば、利一も同様に女体化していた。
「生け贄には僕がなる。ご当主にもそうお願いするつもりや」
正二の答えに、何か崩れた気がした。これまでの頑張りと苦悩は一体何だったのだろう、と不条理なものを感じた。
「失礼します。利一さん、ご当主がお呼びです」
襖の向こうから女中が声をかけてきた。利一は気分が晴れぬまま、正二と共に大広間に向かった。
中庭に面した長い廊下を進み、屋敷の東側に位置する大広間の前に辿り着く。襖を開けると、総勢30人程の女達が、広間の両端に並んで座っていた。彼女らの約半数は男物の着物を纏い、長い髪を一括にしている。
奥を見れば、中央の上座に2人の女が鎮座していた。1人は大おば、もう1人は滅多に会うことはない柏木家の当主だ。当主も例に洩れず、利一と同じく女体化している。
利一は、右端の上座にいた女2人に目を見張った。
「父様……」
そこにいたのは、女体化した利一の父親だった。隣にいるのは母親だ。2人は険しい顔で利一を見つめていた。広間には、柏木一族の大人達が集結していた。男装している女達の正体は、龍神の呪いにより女体化した親戚連中だ。
「利一と正二。2人とも入んなさい」
大おばに言われて、2人は敷居を跨ぐ。広間は酷く陰鬱な空気に包まれていた。大人達の視線が一斉に注がれ、利一は不快な気持ちになる。
「利一、今までどこに行っとったんか説明しなさい」
大おばがそう言った。利一はやっと申し開きが出来る機会を得て、僅かに安堵した。一呼吸して、徐に口を開く。
「庭を眺めていたら、兎の妖怪が現れたんです。それを捕らえようと追いかけて、兎が空けた穴に落ちました。その穴は、妖怪が住まう世界に繋がっていたんです」
利一の説明に広間がざわついた。隣にいた正二も眉を顰める。
「そないな話、信じられるか!」
大人の1人がそう言うと、他の大人も同調した。
「そうや、その通りや! お前は生け贄になるのが嫌で、逃げ出したんやろ。嘘をつくな!」
親戚連中は口々に利一を罵倒する。
「嘘ちゃいます! 兎はホンマにいたんです。俺はあちらの世界で、その兎を捕まえて式に下しました。兎の力を借りて、元の世界帰って来れたんです!」
「ほな、その兎はどこにおんねん!」
「それは──」
兎は分家の別荘に置いて来た。恐らく、庭に隠れている筈だ。利一がそう説明すると、親戚連中は顔を歪めた。
「ほらみい。やっぱり嘘やないか!」
「ちゃいます! 兎は庭におる筈です!」
「つくならマシな嘘を言わんか!」
利一は兎を連れて来るべきだったと思ったが、実際は帰還してから本家に来るまでの間、母親と大おばに振り回され、そんな余裕は無かった。
暫く無意味な応酬が続き、利一の腸が煮えくり返った頃に──パシッと叩いた音がして、全員の視線が上座に向く。当主は右手に持っていた扇子で、左手の平を軽く何度も叩いていた。
騒がしかった広間は静まり、当主は利一を見据えて口を開いた。
「お前がどこほっつき歩いとったか、そんな事はどうでもええ。肝心なんはそこやない」
利一は内心、困惑する。家を出た事が重要でないならば、一体何が問題なのか? これは何の尋問なのか?
「利一……お前、妙な妖怪を連れ帰ったらしいな……あれは何や」
「妙とは……?」
「庭にいた西洋人や」
──ミカの事だ。どうやって知ったのか分からないが、当主は分家で起こった騒ぎを把握していた。大おばは眉間にシワを寄せ、利一を真っ直ぐ指差した。
「あんたの体から、嗅いだことのない妖怪の匂いがします」
利一は意味が理解出来ず、キョトンとして「はぁ」と言う。
(匂い……内海の事やろか?)
大おばが、妖怪の気配に優れて敏感なのは知っていた。恐らく、その気配を匂いと称しているのだろうが、詰まる所、何が言いたいのか分からない。
もしかしたら、これはただ単に、家を出た利一に対して、怒りをぶつける為に設けた場なのだろうか?
──利一がそう疑った時だ。
「利一、あの妖怪と何があったんや」
当主に言われて、利一は「ミカは──」と言いかける──が、周りの大人達の顔を見て、言葉を止めた。皆、一様に嫌悪の表情を浮かべ、利一を睨んでいる。父親に至っては憤怒の眼で利一を睨み、母親は必死に泣くのを堪えていた。
(なんなん、これは? 俺は、今、何を責められてる?)
利一が更に困惑していると──
「お前……あの妖怪とまぐわったんとちゃうんか?」
当主はそう言った。利一は思わず絶句する。頭が真っ白になり、酷い頭痛がした。
「汚れたもんを龍神様に捧げる訳にはいかん。正直に話せ。お前、あの妖怪と──」
「何もありません! 息子は清いままです!」
当主の言葉を遮り母親が叫ぶ。すると、父親は妻である利一の母親を打ち、上座に向かって平伏した。
「申し訳ありません。家内は息子がいなくなって以来、情緒が安定せんのです。どうか平にご容赦下さい」
利一は愕然として、そのやり取りを眺める。
(これは……俺とミカとの仲を詮議する為の集まりやったんか……)
大おばが言ってた【身の潔白】とはこの事だった。
(もしかして……帰って早々に体を洗わせたのも?)
母親にミカを紹介した時点で、利一は疑われていたのだ。それに気づいて、軽く吐き気が込み上げた。
夜に女体化する子が、長らく行方不明になり、怪しげな男を連れて帰って来たのだ。その身が犯されてはいないかと、邪推するのも当然かも知れない。
だがしかし、当の利一にすれば、そんな発想をする大人達が汚れた存在に思えた。
「おじ様!! 利一がアカンのなら、正二を生け贄にして下さい。正二はその為の保険やないですか!」
そう発言したのは正二の義理の母親だ。聞いて正二も頷く。
「母さんの言う通りです。利一やのうて、僕を生け贄にして下さい」
「正二!」
利一が正二の名前を呼んだ瞬間、何かが勢い良く正二の顔にぶつかった。
「っ──!?」
正二は痛みに喘ぐ。顔にぶつかり、畳の上に落ちたのは、当主が愛用している扇子だ。術を使い、離れた上座から正二の顔目掛けて投げたのだろう。
「正二、前にも言うた筈や。龍神様が欲しとるんはお前やのうて、利一や!」
「でも──」
「口答えすな!」
言われて正二は項垂れる。
「利一、ここで身の潔白を証明しなさい」
大おばに言われて、利一はハッとした。
「証明て……どうすれば」
利一が戸惑っていると、隅にいた女が立ち上がり、二畳程の広さの白い布を、広間の中央に敷いた。当主は布を指差す。
「そこに立つんや」
利一は訝しみながら、布の中央に立つ。それを見て、周囲の大人達がざわついた。
「あの……これはなんですか?」
「脱げ」
「え?」
「着ているもんを全部脱いで、そこで脚開き。生け贄の資格があると、この場で証明せえ」
──思考が停止した。
──息が詰まり、首筋が強張る。
──全身を巡る血潮がざわついて、毛穴が窄んだ。
今、言われた事が現実と思えず、当主の顔を凝視した。当主は眉ひとつ微動だにしていない。
「出来ひんのか? やっぱりお前、あの妖怪に汚されたんとちゃうんか?」
「ちゃいます!!」
激しい怒りが込み上げ、全力で叫ぶ。
「ほな、脱げ!! この場で証明しろ!!」
当主の言葉に、親戚連中も同調して「脱げ」と「早くしろ」「逆らうな」と声を荒げた。耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言が、中央にいる少女に浴びせられる。利一は助けを求めて両親に目を向けた。
父親は利一を見据えて頷き、母親は泣き崩れている。
(……脱げと?)
そう言われた気がした。脱いで脚を開けと……
利一は震える手で袴の紐に指をかけた。胸が苦しく、呼吸が乱れる。泣きそうになるのを堪えて、口元に力を入れた。
齢12の子供に対して、この仕打ちはあまりにも惨い。否、年齢は関係無いだろう。これは虐待と何ら変わらない。当主を始め親戚連中は、胸が痛まないのだろうか?
──人の皮を被った鬼だ。そう思った。
ここに利一の味方はいない。
(逃げ出したい……でも……)
逃げたところで、すぐに捕まるのは目に見えていた。諦めるしかない……理不尽を受け入れるしかなかった。
(……嫌や)
助けて欲しい。誰でもいいから、今すぐ救って欲しい。こんな仕打ちは耐えられない。許せない。許していい筈がない。
「……ミカ」
──不意にミカの顔が浮かんだ。
(会いたい……今すぐ来て欲しい……でも)
来るわけがない。ミカはきっと息子に会いに行った筈だ。ここに留まる理由はないのだから……
利一は絶望して目を閉じた。周囲の声に怯えながら、袴の紐の結び目をほどこうとする。
──その時。
背後から両手を包まれる感触がして、利一は目を開けた。下を見ると、紐をほどこうとする少女の手を制止するように、青年の手が添えられていた。
その左手の甲に、雪の結晶に似た紋が印されている。
それを見た瞬間──視界が涙で歪む。背中を丸めて泣き出すと、今度は背後から確と抱き締められた。利一は彼の名を呼ぼうとするが、嗚咽で声にならなかった。
「りっちゃん」
ミカは利一の名を呼んで、少女を抱き上げた。途端に、悲鳴と怒鳴り声が上がり、大広間は混乱に陥る。
だが、利一にはそんな事、最早どうでも良かった。
(来てくれた……ミカが助けに来てくれた……)
利一は安堵して、ミカの首にしがみついた。
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