第135話 【1975年】◆ミカの指摘とリーの激励◆
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【1975年】
病院に向かう車の中で、光沢のある赤茶色のシートに凭れながら、利一は黙ってミカの話を聞いていた。
ミカはエミリーの質問一つ一つに答え、彼女に真実を明かしていく。その殆んどが嘘偽りの無いものだったが、唯一疑わしい話が含まれていた。
それを指摘する事は容易いが、ミカは恐らく否定するに違いない。
──ミカはハインツに嵌められた、と認める事が出来ないでいる。
(ミカのド阿保……何で奴を庇うねん)
ミカはハインツの事となると、口数が極端に少なくなってしまう。利一にはそれが庇っているように思えてならない。
『ミ……マイケル(ミカ)は、一体何の仕事をしていたの?』
エミリーがミカに尋ねる。
『僕は9年前まで、君達一家の護衛として働いていたんだ。住み込みでね』
エミリーとチェスターは目を丸くした。
『……最初のうちは何の問題も無かったよ。僕は君達一家と仲良く暮らしていたし……君の言う通り、以前は友達だったかもね。……でも、ふとした拍子に気づいたんだ。……君達の父親が、僕の家族を殺した狩人だと』
聞いていてチェスターは、違和感を覚えた。あれだけ狩人を貶しておいて、仲良くとはどう言う意味なのか? リズのように偽りの友を演じていたのか、将又、チェスターのように真実を知らされていなかったのか、それによって話は大きく異なる。
『それで……パパを殺したの? それがバレエの発表会の日?』
ミカは冷淡にエミリーを見据える。
『エミリー、僕が憎い? 僕を殺したい?』
訊かれてエミリーは胸が苦しくなった。言葉を発しようとすると、喉の奥が圧迫され上手く声を出す事が出来ない。それでも無理に答えようとして、今度は大粒の涙が溢れる。ミカが憎いと言うよりも、今は只々悲しかった。
エミリーが両の拳を握ると、温かく稚い手が添えられた。
『チェスター……』
エミリーに呼ばれて、手を添えた幼児はハッとした。チェスターもまた、エミリーを傷つけていた加害側だ。素知らぬ顔で慰めて良い立場ではない。
『悪いっ』
恥じる気持ちで、添えた手を離す。
『チェスターって、本当に気持ち悪いね。それに大馬鹿だ』
ミカは呆れたように言う。
『は!?』
『散々、メアリーとエミリーを騙してきたのに、今更、都合良く善人面するなよ』
ミカの言葉がチェスターの胸を貫いた。彼が怯んだ隙を衝いて、ミカは更に追撃する。
『自分は無力だと嘆いて、悲劇の主人公に浸る行為は、さぞかし気分が良かったろう。自分は嫌々荷担してます、本当は彼女らに同情してます──そう思う度に、君は自分に同情していたんだ。自分が一番可愛いから、自分が一番可哀想だから、悲劇に浸る事で自分を慰めていたんだろ』
その冷淡な口調に、強い蔑みが込められていた。
チェスターは反射的に『違う』と言いかけて、その言葉を飲み込んだ。以前にも、ヴィヴィアンから同じ指摘を受けた事がある──それを思い出したのだ。
【相手を憐れに思うのと、自分を憐れに思うのは表裏一体よ。あんたは腹の子を憐れに思うと同時に、腹の子を殺さなければならない自分を憐れんだのよ】
──かつて、人狼の赤子を殺せなかったチェスターに対し、ヴィヴィアンはそう指摘した。その一言一句を覚えていた訳ではなかったが、それでも要の部分は印象に残っていた。
自分が信頼しているヴィヴィアンと、反対に憎悪しているミカ。その両者から、同じ指摘をされた事が胸に刺さった。祖父役とリズの各々が、同じ趣旨の話をした時も嫌な気分になったが、今の方がはるかに辛く、屈辱だった。
『どうせ……エミリーを助けようとしたのも、大して本気じゃなかったんだろ』
ミカは呆れたように両手の平を軽く上げ、肩を竦める。
『違う! 本気だった!!』
チェスターはそれに対し強く反論して、すかさずエミリーの方を振り向く。
『嘘じゃねぇよ。本当にお前を助けたかったんだ。メアリーが幽閉される事も、お前が殺される事も、つい昨日まで知らなかった。知っていたら、こんな仕事引き受けたりするかよ!』
自分で言って、不意に気づく。
(あ……だから、ヴィヴィーは俺に知らせなかったのか? だったら、何故俺に護衛の仕事を?)
ヴィヴィアンの言動に疑問が湧いた。彼女は何かを隠している気がする。
『エミリーを本気で助けたいなら、君の行動は失敗だったね。どんなに正しい事を主張しても、やり方を間違えれば子供の駄々と何ら変わり無い。単なる恥さらしだ』
ミカは挑発的に言った。
『だったら、お前は何だ!! 偉そうに言える立場なのかよ!! いつでも被害者遺族に付きまといやがって!! 人の不幸で自分を満たそうとするんじゃねぇよ!!』
『自分を不幸にした連中を憎むのは当然だろ。復讐を望んで何が悪い?』
『復讐ならとうに済んでるだろ!! メアリーとエミリーが憎まれる筋合いはねぇよ!! それこそ餓鬼の駄々じゃねぇか!!』
『そうだね。これは僕の駄々──我が儘だよ。自分でも正しくない事は重々承知さ。それでも憎まずにはいられない。メアリーとエミリーが不幸に堕ちる事が、僕にとっての幸福なんだ』
エミリーの傷ついた表情を、チェスターは見逃さなかった。平然と暴言を吐くミカに、激しい怒りが湧いた。
『他人の不幸と自分の幸福を履き違えるな!! そんな事も分からねぇのか!!』
『何とでも言えよ。僕は痛くも痒くもない。既に君は詰んでる状態だし……最後ぐらい、多少の文句は許してあげるよ』
チェスターはエミリーを逃がそうとして、ヴィヴィアンに反対され、リズに負かされ、利一に制圧され、終いにはエミリー共々連行された。ミカの言う通り、チェスターは完全に詰んでいる。
(……俺はどうなる?)
通常であれば即刻処分だろう。だが、今は生かされていた。
(病院に着いてから殺す気か……?)
エミリーを街に連れ帰る事に対して、反対すべきではなかった。いくら動揺していたとしても、あの場は堪えて好機を窺うのが最善だった。
『残念だよ、チェスター。君がいなくなるなんて。遺言があるなら、今のうちに聞いて上げるよ? 何でも言って。ベッド下に隠してる雑誌を処分して欲しいとか?』
ミカはそう言って、せせら笑う。それに対してエミリーは怪訝な顔をした。
『待って、どう言う事なの?』
『チェスターはベッドのマットレスの下に、ポルノ雑誌を隠しているんだ』
ミカの言葉にエミリーは『え゛!?』と声を出した。
『隠してねぇよ!!』
チェスターは顔を赤らめ激怒する。
『でも、当然見た事はあるよね?』
『そんなのお前に関係ねぇだろ!』
『それは肯定と見なしていいのかな』
『ちょっと! そんな事はどうでもいいわ! 私が聞きたいのは、チェスターがどうなるかって事よ!』
ミカとチェスターの下らないやり取りに、エミリーが割って入る。車内の空気は一気に暗くなり、ほんの僅かな間、静寂に包まれた。
『狩人の娘を逃がそうとしたんだ。罰を受けて当然だろ』
ミカが吐き捨てるように言って、エミリーは青ざめる。
『それって、つまり……チェスターは殺されてしまうの?』
『……チェスターの処罰を決めるのは上よ。それまで身柄を拘束するわ。……いいわね?』
ヴィヴィアンはそう言って、バックミラーをちらりと見た。
『うわぁー、お優しいボスだこと。不祥事を起こした部下に、慈悲を下さるなんてねー。……それとも個人的に、チェスターを殺したくない事情でもあるのかなー?』
ミカは大袈裟に演技がかた口調で茶化す。
『何が言いたいの?』
『とぼけるなよ、ボス。チェスターが君のお気に入りだって事は、皆気づいてるよ』
『聞き捨てならないわね。私は特別誰かを贔屓したりしないわ。部下は全員公平に扱っているつもりよ』
『よく言うよ。僕に対して、人一倍辛辣な態度を取るくせに』
『貴方は私の直属の部下ではないし、人一倍問題を起こしているわ。少しは厳しくもなるわよ』
ミカとチェスターと利一の脳裏に浮かんだのは──ミカが股間を粉砕された瞬間だった。
(((あれが……少し!?)))
3人は、少し厳いヴィヴィアンの制裁を思い出して、一斉に血の気が引いた。女性のヴィヴィアンには、あの恐怖は到底理解出来ないだろう。
『今回、問題を起こしたのは僕じゃない。チェスターだ。しかも、未遂とは言え狩人を逃がそうとしたんだよ。相応の罰を受けて然るべきでは?』
ミカの抗議にヴィヴィアンは眉を顰める。
『彼の処罰に関して、貴方に発言権は無いわ』
彼女は、そう一蹴した。
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──夜
病院に到着したリーは、個室のベッドに腰掛ける寝間着姿の幼児を見て、口をぽかんと開けた。5歳前後の幼児は酷く不機嫌な顔をして、視線を合わせまいと俯いている。
『……チェット(チェスター)なのか?』
戸惑いながら声をかけると、幼児と思えぬ鋭い目つきで睨んできた。
『……命令に背いたと聞いたけど……その姿は……?』
リーは恐る恐る、幼児の左隣に腰掛けた。病室の入り口には、軍服を纏った利一が、まるで門番のように佇んでいる。リーは利一とチェスターを見比べた。
『カシワギさんの仕業なのか?』
『ああ、そうだよ』
チェスターは声を荒げて返答する。
『一体何があったんだ?』
リーが落ち着いた口調で尋ねると、チェスターは表情を暗くして再び俯いた。
『……エミリーを街から連れ出そうとしたんだ』
『何故そんな事を?』
『それは…………』
チェスターが言葉に詰まると、リーは彼の背に右手を優しく添えた。
『君が理由も無く、そんな行動をするとは思えない。話してくれないか。何があったんだ?』
リーはいつになく真剣な眼差しで、隣に座る幼児を真っ直ぐ見つめた。その真摯な態度に絆されて、チェスターは重い口を開く。胸に渦巻く憤りを堪えながら、リーに真実を打ち明けた。
リーも自分と同様に、ウォーカー姉妹の行く末を知らされてはいなかった。リーは途中何度も眉を顰め、明かされた真実に嫌悪を示しつつ、静かに耳を傾ける。そして全てを聞き終えてから、徐に尋ねた。
『それで……チェットはこれからどうするんだい?』
『どうも、こうもねぇよ。俺は処分されて、エミリーは殺される。メアリーは一生奴隷として暮らすんだ』
絶望的な発言をしたが、内心は諦めてはいなかった。何とか逃げ出して、2人を救出しようと考えていた。それを悟られまいと、諦めたふりをする。
『……もう、行けよ』
チェスターがぶっきらぼうに言うと、リーは再び眉を顰めた。
『このままチェットを置いては行けないよ。偽りとは言え、僕らは家族じゃないか』
『家族ごっこはもう終わりだ。……リー、アビーを連れて街を離れろ。二度とここへは戻るな』
『……チェットの事を忘れて、どこか他所で暮らせと?』
『そうだ。もう怪物と関わるのはよせ。もし上の連中が、協力を依頼してきても必ず断れ。……いいな?』
また今日のような襲撃があれば、次に犠牲になるのはリーとアビーかも知れない。これ以上、身近な人間を危険に晒したくはなかった。
リーが『でも』と反論しかけると、チェスターはベッドから飛び降りて彼の腕を引っ張る。
『もう、いいから行け!』
チェスターはリーを立ち上がらせようと懸命に引くが、幼児の力では90kg以上ある体を起こす事は叶わない。それでも無理に引っ張ると、手を滑らせて尻餅をついた。
『って!』
リーは急いで駆け寄って、倒れた幼児を抱き起こす。格好のつかない立ち振舞いに、チェスターが苛立っているとリーは神妙な顔をした。
『僕の身を案じてくれたんだね。ありがとう。でも、僕はこの街に残るよ。多分、アビーもそう言うと思う』
『さっきの話を聞いてたのかよ!? また人狼が襲って来ても、上の連中はお前達を守っちゃくれねぇぜ!!』
リーは首を横に振る。
『街に住む友人や従業員達を見捨てて、僕らだけ逃げる訳にはいかないよ』
『馬鹿かお前は!!』
『馬鹿は君の方だ。どうせメアリーとエミリーの事も諦めてはいないんだろ?』
リーはチェスターの耳元でそっと囁いて、得意気に微笑んだ。チェスターは見透かされて、僅かに動揺してしまう。
『チェットは嘘をつくのがとことん下手だな』
チェスターが反論出来ないでいると、リーは愛しそうに稚いけな頭を撫でた。
『……止めろ』
撫でる手を退けて、チェスターは悔しげに顔を歪める。実年齢はチェスターの方が上なのに、リーは構わずチェスターを子供扱いする。それが居心地悪くて仕方がない。
『チェット……君に、どんな決定が下されても僕にはどうする事も出来ないし、君が何をしようとも、僕は手助けする事が出来ない』
それは言われなくとも分かりきった事だった。リーは何の権限もない極普通の人間だ。彼に期待する方が間違っている。
『でも……それでも、僕は君の味方だ』
言ってリーはチェスターを抱き締めた。チェスターはリーの腕の中もがく。
『離せよ!』
『なぁチェット。君の最初の名前は何て言うんだ?』
『はぁ?』
『長寿の怪物は、時代毎に改名すると聞いたよ。【チェスター】は最初の名前じゃないんだろ?』
『なんで、こんな時に訊くんだよ。名前なんかどうだっていいだろが!』
『……こんな時だからだ』
その言葉にチェスターは、ハッとさせられた。リーはチェスターとの今生の別れを覚悟しているのだ。
『たった1人で正義を訴える事は、本当に勇気のいる事だよ。全員が反対する中で、エミリーの為によく立ち向かったね。僕は君を誇りに思う』
それに対して、チェスターは直ぐ様『違う』と言って否定した。
──自分の言動は単なる駄々に過ぎない。称賛とは程遠く、幼稚な正義でしかないのだ。
(今日程、自分を憎んだ事はない)
(無力を嘆く度に、無力な自分に酔って……)
(幸せになる努力を怠っていた……)
(ミカの言う通り……俺は馬鹿だ……)
落涙しそうになって必死に止める。泣く資格などない。泣いていいのはメアリーとエミリーの2人だ。自分じゃない──なのに、
『チェット、よく頑張ったな』
リーにそう言われ、チェスターは堪えきれず肩を震わせた。
『本当によく頑張った』
何度もそう言って、稚い少年を優しく抱き締めた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
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Thank You for reading so far.
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