第132話 【1975年】◆怒れる羊番リズと盗人チェスター◆
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【1975年】
『ふざけるな!! 人の命をなんだと思っているんだ!! そんな決定に従えるかよ!! だいたい、怪物にとって殺人は禁忌じゃなかったのか!? 何でエミリーを殺すんだ!!』
チェスターは堪らず声を荒げた。
『彼女が狩人だからだ。狩人は人間だが、彼女らに人権などない! 生まれながらの家畜さ! エミリーは奴隷以下──消耗品でしかないんだよ!!』
言ってミカは、道路脇に座り込む少女を見下ろした。エミリーはミカの冷たい眼差しに怯えたが、勇気を奮い起こして尋ねる。
『何なの……狩人って?』
『不死の怪物を殺す力を持った人間の事さ。君の父親も狩人だった。君の母親とヤルまではね』
ミカはわざと下品な物言いをして、嘲る。
『あ……そうそう、君の母親と言えば──』
『マイケル(ミカ)、止めなさい!!』
『今朝、死んだよ』
『え?』
『君の殺処分に同意した後、首を吊って自殺したんだ……可哀想にね』
『嘘よ……嘘っ……ママが……』
愕然とするエミリーに対し、ミカは溜め息を深く吐き、腕を組んだ。
『ジェシー……良い女だったのに……もうヤレなくて残念だ』
ミカの発言に全員が固まった。エミリーの母親の名前はジェシカであり、ジェシーは愛称に当たる。ミカはほんの一瞬、横目で利一を見る。
『何? どうせ記憶を消すんだ。この際、全部バラしても問題無いだろ? 僕はね……君の母親と仲良くしてたんだよ……勿論、本気じゃなかったけど』
素っ気ない口調で不貞を暴露し、死んだ母親を侮辱する。
『止めて!! もう聞きたくない!!』
エミリーがそう泣き叫んで、チェスターは反射的にミカを殴ろうした。だが、彼の拳が届くより先に、ミカの体は白い帯状の紙で包まれてしまった。ミカはまるでエジプトのミイラような姿でその場に倒れる。
紙を放ったのは利一だ。ミカの暴言に耐えかねて、彼ごと口を封じた。
チェスターが呆気に取られている隙に、ヴィヴィアンはそっとエミリーに近づいた。その手には注射器が隠されている。
チェスターはそれに気づいて、慌ててヴィヴィアンの手首を掴んだ。
『ヴィヴィー、何する気だ!?』
『エミリーを連れて帰るのよ……これ以上、騒がれる訳にはいかないわ』
帰った所で待っているのは、慈悲の欠片も無い死だ。
『止めてくれ。エミリーを連れて行くな……頼む』
チェスターは我慢ならず、ヴィヴィアンを制止する。つい先程は、自ら病院に行く事を薦めたが、ミカの盛大な暴露のせいで、街に戻る事に強い抵抗を感じていた。
『……今、自分が何を言っているか分かっているの?』
『分かっている。エミリーを死なせたくない……連れていかないでくれ』
人狼を仕留め損ねた代償は大きい。護衛の数は更に増員され、脱出は困難になる。
対して、この場にいる護衛は、チェスターとヴィヴィアン、そしてミカだけだ。ヴィヴィアンさえ説得出来れば、何とかなる気がした。利一が味方かは分からないが、ミカの暴言に怒った点を鑑みれば、情けのある人柄に思えた。それで、あわよくば、見逃して貰えないかと期待する。
(だが、メアリーはどうする? エミリーだけじゃ駄目だ。メアリーも連れて行かなければ……)
『ヴィヴィー、無茶な頼みだとは分かってる。だが協力してくれ。メアリーとエミリーを助けたいんだ!』
メアリーを連れ出すには共犯者が必要だった。もし、ヴィヴィアンが共犯者になってくれるのであれば、これ以上の味方はない。仮にミカと利一が反対してもヴィヴィアンなら、捩じ伏せる事も可能だと思った。
『駄目よ!! 馬鹿な事を言わないで!!』
『ヴィヴィーだって、2人を救おうとしたんだろ!? だったら──』
『そうじゃなくて!!』
『何だよ!?』
──突然、ヴィヴィアン達が乗ってきた車に怪物の気配を感じ、目を向けた。
『誰だ!?』
車の後部座席のドアが開き、リズがゆっくりと降りてくる。
『リズ……いたのか!? (いた気配が無かったのに!?)』
エミリーも顔を上げてリズを見た。リズは目を吊り上げ、眉間と鼻根にシワを寄せ、口元を歪ませている。その形相は、見知った友達とは思えない程に醜かった。
(あれは……本当にリズなの!? リズも……怪物?)
『チェスター……今、何て言ったの? アンタまさか……エミリーを連れて逃げる気じゃないでしょうね?』
リズの体の筋肉が膨らみ、皮膚が真っ赤に変色していく。綺麗に並んだ白い歯が、短剣のように鋭くなり、それと同時に頭部が伸びて、口が大きく裂けてゆく。
『絶対に許さないわよ!! 私の羊を奪う盗人は、誰であろうと殺す!!』
リズの顔は牙のある蜥蜴のように、禍々しい変化を遂げた。彼女はチェスターに飛び掛かり、彼の左腕に食らいつく。人狼にもがれた左腕は殆んど修復されていたが、それでも完全ではなかった。接合した箇所に鋭い痛みに走り、指先に痺れが戻る。
チェスターは咄嗟に、左腕をリズの口に押し付けながら、下腹に力を込め、両足で踏ん張った。一歩でも引けば、また腕をもがれてしまうと判断し、素早くリズの左腕を掴むと同時に、片足を払う。リズが体勢を崩すと、その勢いに任せて、彼女の頭を地面に叩きつけた。
リズは強く頭を打って気を失う。チェスターは、一瞬やり過ぎたかと心配して、彼女の顔を覗き込む。醜く変化したリズの姿は、ゆっくりと元の少女に戻った。
『……こっ……殺したの!?』
エミリーは青ざめて尋ねる。チェスターは『そんな筈はない』と答えつつ、リズがピクリとも動かないので不安になる。
(何、ビビってやがる……馬鹿か、俺は……)
エミリー達を連れて逃げると言う事は、同僚だった怪物達と戦うと言う事だ。殺す事を躊躇するべきではない。
(落ち着け……こんな事で、動揺してんじゃねぇよ!!)
チェスターが内心、焦っていると──突然、リズの口から肉塊が飛び出した。
『危ない!!』
ヴィヴィアンが叫んで、チェスターは咄嗟にエミリーを庇う。リズの口から飛び出した肉塊はチェスターの首にへばり付き、瞬く間に、首の皮膚と融合した。
『なっ……!?』
チェスターは肉塊を剥がそうとするが、腕が上がらない。それどころか、手も指も、体の制御を失い、声すらも出す事が出来ず、意識だけが鮮明な状態になった。
『リズ、止めなさい! チェスターを離して』
リズは、まんまとチェスターの体を乗っ取り、彼の顔でニヤリと笑う。次いでチェスターの口を借りて、喋りだした。
『ねぇ、チェスター……不死に近い吸血鬼でも、心臓を貫かれたら……流石に無事では済まないわよね?』
言ってリズは、チェスターのポケットに入っていたフォールディングナイフ(折り畳み式ナイフ)を取り出し、エミリーに目を向ける。
『ねぇ、エミリー。チェスターの事が好き?』
『え?』
『答えてよ』
訊かれてエミリーは困惑した。眼前にいるのは、チェスターの体を乗っ取ったリズだ。首に拳大のグロテスクな瘤がついている。
『ねぇ、答えてよ。チェスターとプロムに行きたい?』
『それは……』
つい数時間前なら、素直に好きだと、彼とプロムに行きたいと答えていた──だが正直、今は混乱していて、考えが纏まらない。
チェスターの正体はスーパーヒーローなどではなく、自分を騙していた怪物だった。
記憶の一部を取り戻し、ミカとの再会を喜んだのも束の間、知りたくもない事実を雪崩のように聞かされ、奈落に落とさた。
──冷静に答えられるわけがない。
『わ……私は……』
リズは折り畳まれていたナイフの刃を出して、チェスターの胸に突き立てた。ヴィヴィアンは止めようと反応したが、リズに睨まれる。
『リズ! 馬鹿な真似は止めて!』
『ヴィヴィアンは裏切ったりしないわよね? そんな事をすれば、貴女のご親戚がどんな目に遭うか……分かっているでしょ?』
リズに体を乗っ取られたチェスターは、意識だけの状態でそれを聞いていた。
(……ヴィヴィーの親戚?)
事情は分からないが、リズの脅すような物言いから察するに、それはヴィヴィアンの弱味に思われる。
(もしかして……弱味を握られていたから……だから、メアリーとエミリーを救えなかったのか?)
それならば得心が行く。ヴィヴィアンは、身内とウォーカー姉妹の命を天秤にかけた結果、身内を選んだ。彼女はチェスターが思っていた以上に、板挟みに苦しんでいたのだ。
リズの突き立てたナイフは、更に胸に刺さっていく。先端が肋骨の間を抜け、肺に到達した。
『『止めて!!』』
堪り兼ねてエミリーとヴィヴィアンが同時に叫んだ。利一は見るに見かねて、ミカを包んでいた紙を解き、チェスターの体に放つ。紙はナイフを持った腕に巻き付き、リズを拘束した。
『そこの日本人……これは何の真似かしら?』
『リズさん、彼の体を傷つけるのは止めて下さい』
冷静に言って、首の瘤を観察する。
(あれが彼女の本体か……寄生型の怪物……祓うのは造作無いが……)
利一はリズを祓うか、祓うまいか迷う。心情的にはチェスターとエミリーを逃がしてやりたいが、それは上層部に対する敵対行為に他ならない。
単独であれば、己の理念に基づき行動するのは容易い。だが、利一には蓮托生のミカがいる。己の行動で生じた責めは、全てミカに直結する。
子供のような単純な思考で、青臭い正義を執行するにはリスクがあった。利一にとって、優先すべきはミカでありエミリーではない。
──だがしかし、怪物達がやらんとする事は残忍極まりなく、人権侵害も甚だしい。
(もしここで、俺がチェスターとエミリーを助けたら、ミカは……)
きっと彼は怒るに違いない。余計な事をしたと言って利一を責める。
それでもミカなら、利一のやる事に渋々従ってくれる気がした。そう言う局面は、これまで何度かあったのだから、今回も──ミカは賛同せずとも、利一に従ってくれる……
──そう、期待したが……
──突然、リズを拘束していた紙が弛んだ。
振り向けば、隣に軍服を纏ったミカがいる。利一は愕然としてミカを見つめた。
「……なんで?」
「当然やろ。俺はエミリーの味方とちゃうで」
紙が弛んだ事で、リズは再びエミリーに尋ねる。
『エミリー……チェスターを助けたい?』
エミリーは恐怖に震えている。リズは胸からナイフを抜いて、今度はチェスターの首に突き立てた。
『だったら、車に乗りなさい。街に戻るのよ。さもないと──』
ナイフの先端が喉の皮膚に刺さり血が流れる。
『止めて!』
『止めなさい、リズ!』
『街に戻らないなら、チェスターを殺すわよ!』
ナイフがゆっくりと首に刺さっていき、チェスターの顔が苦痛に歪む。
『止めて!! 分かったわ!! 車に乗るわ!! 街に戻ればいいんでしょ!? 戻るわよ!!』
気づけば、そう叫んでいた。内心は酷く混乱していて、マトモな判断が下せる状態ではなかった。ただ、チェスターに死んで欲しくない──その気持ちだけで、街に戻る事を了承した。
『……ごめんなさい。エミリー』
ヴィヴィアンそう言って、エミリーの背に手を添えた。泣いている彼女を優しく立たせ、車まで誘導する。エミリーは抵抗する事無く、大人しく後部座席にに乗り込んだ。
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