第128話 【1944年】◆◆利一とミカと母子の再会◆◆
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【1944年】
利一はミカと共に、兎の穴へと向かった。穴に通じる壁の前には、式神に下した兎達が待ち構えている。
『なんだ小僧、来たのか。怖じ気づいて、逃げ出したんじゃなかったのか?』
兎は相変わらず、可愛らしい外見に似合わしくない渋い声で、憎まれ口を言う。
『当たり前だ』
『ふん、そうかよ。じゃあ……そこの壁に手をつけろ。これ以上、待たされるのは、ごめんだぜ』
利一がトンネルの壁に手を当てると最初に通り抜けた時と同様、何の抵抗もなく、するりとトンネルの壁を抜け、穴の内側に入った。
『問題はここからだ。この穴から、トンネルに抜けた者は呪われるんだ。俺達兎は平気だが、小僧はもう呪われている。フツーは脱出は出来ねぇよ』
言葉の表現は違ったが、兎の言う内容は、ミカが言う【檻】に間違いなかった。
利一は穴から空を見上げる。この断崖絶壁を越えられたら、すぐそこに見慣れた景色が広がっていそうな気がしたが、そうではないらしい。
『大丈夫だ。利一には無効化の加護がある。問題ない』
ミカはそう言って、利一の坊主頭を撫でる。
「覗いてみるか?」
訊かれて利一は頷いた。ミカに抱えられて飛び上がり、穴の淵にから顔を覗かせる。
目に映ったのは紺碧の海と、濃い灰色の岩、それから岩の上で寝転ぶ珍妙な生き物だった。
「どこやねん!!」
思わずツッコミを入れてしまう。
利一が見た生き物は海豹だった。明らかに家の近隣ではない。
「あ~やっぱり、利一は檻を無効化出来るんやな」
ミカが感心して言う。それに対して「へ?」っと疑問の声を出した。
ミカは、利一を抱えたまま空中で制止した。勿論、これは物理的には有り得ない。どうやら翼は飾りで、飛行や浮遊する為の力は、全て怪物の力によるものらしい。
(どう言う原理で、浮いてるんやろ?)
疑問だったが、それは利一も似たようなものだ。利一自身、どう言う原理で女体化したり、紙を操っているのか説明出来ない。ただ、出来るからやってのけてるだけなのだ。
「利一、見てみ」
ミカは穴の淵より上に手を伸ばす。すると、指先が真っ赤に弾けた。直ぐ様、手を引っ込めてみれば、指先が骨付き肉になっている。
「うわっ!?」
利一は思わず目をそむける。
「ほらな、こーゆーこっちゃ」
「ほらな、ちゃうわ!」
指先は直ぐに修復されたが、利一は今見た光景に頭痛がした。
ミカは利一を穴の底に降ろして、天を指差す。
「これが檻の力や。これがあるから、俺らは通られへん」
穴の淵より上に不可視の【檻】があった。肉体を引き裂く【檻】だ。
「お前……さっき、何の説明も無しに、俺を檻に突っ込んだな?」
ミカは爽やかな笑みを浮かべて「うん」と認めた。
「ふざけんな、ド阿呆! もし、俺が檻を無効化出来ひんかったら、どないするつもりやねん!!」
「…………あっ!」
「【あっ】てなんやねん!? 【あっ】て!!」
「あはははは。すまん、すまん、かんにんな」
「お前なぁ!!」
「うっかりしとった。許してや」
「信じられへん! あり得へんやろ!」
「油断大敵やな」
「……ったく。…………ん?」
ミカの言葉に酷く違和感を覚えた。四文字熟語の【油断大敵】が理解出来るのに、何故【夜伽】が理解出来なかったのだろう?
「……ミカ。……ホンマは【夜伽】の意味も、最初から分かっとったんか」
言われてミカはギクリとした。
「お前っ!」
利一が激怒すると、ミカは背中を向けてしゃがみ、兎達の毛並みを撫でまわし始めた。
「めっさ、もふもふやな~」
「誤魔化すなー!!」
「知っとる? 人間って兎の足を切り落として御守りにするんやて。利一もやった事ある?」
ミカは爽やかな笑みを浮かべながら、兎の足を掴んで逆さ吊りにする。
「知らんわー! そんなん聞いた事ないわ!」
「えーそうなん? 利一の国では無い風習なんかー」
逆さ吊りにされた兎は、ミカが良からぬ事を企んでいるのではと怯えていた。
『おっ……降ろしてくれー』
利一は慌ててミカから兎を救出する。兎を大事そうに抱いて、頭を撫でた。
『大丈夫か?』
『あの夢魔を何とかしてくれ!』
兎は利一の腕の中で、鼻をひくつかせて抗議する。
「こんな可愛い兎を苛めるなや」
「……それは君が言っていい台詞なんか?」
確かに、散々、兎を追い回したあげく無理やり式神に下した利一に言う権利は無い。
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「何か言うたか?」
利一が不機嫌そうに言うとミカは「別にぃぃ?」と嫌味っぽく返した。
──だが、こんな他愛ないやり取りも、ここまでだ。利一とミカは、互いに目をそらして一息吐いた。
──兎の穴に落ちてから、今日で6日目。ミカいわく、表側では既に2ヶ月以上経っている。いくら龍神が待ってくれてるとは言え、戦火までは待ってくれない。
──日本はどうなっているのか?
──戦争はどうなっているのか?
──そして……家族や友人はどうなっているのか?
親しい者の安否が、何よりも気掛かりだった。
利一は再びミカに目を向け、ミカも利一に目を向けた。数秒の間を置き、2人は同時に頷く。「やるか」と声を合わせ、天を仰いだ。
『そろそろ行こう。俺の家に、出口の座標を合わしてくれ』
利一は抱いている兎に話しかける。
『前も言ったが、出口に誤差があるからな! 陸地に出られる保証も無いからな!』
『構わん。僕がいる。利一の家に辿り着いたら、そこに座標を固定しろ』
兎は渋々承諾して、利一の腕から跳んで降りた。鼻をひくつかせ、地面を数回スタンピングする。すると──空の色合いが濃くなって、一面星空に変わり、直ぐにまた青空に変わった。早送りで天を見ているかのような光景が暫く続き、それが急にピタリと止まって、橙色の夕方に変わる。
『ここだ』
兎はそう言って、利一の周りをぴょんぴょんと跳ねた。
ミカは利一を抱えて舞い上がり、天に向かって手を伸ばした。
「利一」
ミカに呼ばれて、利一は彼の首にしがみつき、目を閉じた。
利一は紙に己の力を浸透させて、様々な術を使う。力を浸透させる時は、いつも水を思い浮かべた。紙が水を吸い、紙と言う依り代を得た水──力が術となって現れるのだ。
ミカに無効化の加護を纏わせる時も、同様に水を思い浮かべた。心の中で、ミカと言う器に加護の水を注ぐ。
──注がれた加護がミカを包み──ミカの指先が、穴の淵より上に出た。
「利一」
ミカがまた利一を呼ぶ。利一は……恐る……恐る、ゆっくりと目を開けた。
「ここ……どこだか分かるか?」
2人の眼前には巨大な松の木があった。利一はその木を見て愕然とする。
「……嘘や」
利一はミカの腕から、すとんと地面に降りて、松の木に手を添えた。その間、ミカは辺りを見回す。
周囲は、手入れの行き届いた樹木しか生えておらず、立派な瓦屋根がついた、漆喰塗りの土塀に囲まれいる。
石橋のかかった池の側に、六角の石灯籠があり、躑躅の木で隔たれた向こうに、洋風が混じる大きな日本家屋があった。
その家の小窓には色彩鮮やかな、舶来品のステンドグラスがはめ込まれている。
日本について何も知らないミカでさえ、一目でここが裕福な家だと分かった。
利一は松の木から離れ、次に池を眺め、その次に桜の木の側にある大きな長方形の石に駆け寄る。
「残念石……」
先程から驚いた表情のまま、そう呟いて、今度は母屋に駆け出した。
「利一?」
ミカがあとを追うと、母屋の方から軍服を着た男達が飛び出して来る。
「動くな!!」「米兵か!?」
ミカは男達の問いを無視して、怪物の力を行使した。途端に男達は、無表情になり、人形のように停止した。
利一は慌てて引き返し、ミカに駆け寄る。
「なんやねん、この人間達は」
ミカは怪訝な顔をして言う。
「ここに駐留しとる日本の兵隊や。ミカを米兵やと間違えて、飛び出して来たんやな」
「米兵?」
「米国の兵隊の事や。日本は今、米国と戦争してんねん」
ミカは「ああ」と思い出したかのような声を出した。表側の戦争については、支給品された新聞を読んで知っていたが、ミカの知る最新の情報は、表側にすれば古い。裏側で新聞を呼んだのは4ヶ月程前、表側にすれば3年程前になる。その間に戦況はガラリと変わっていた。
「坊っちゃん!?」
悲鳴に近い声がして、利一とミカは声の方に目を向けた。中年の女が1人、血の気が引いた顔で利一を見ている。
「前川さん……」
利一は女を見て、その名前を呼んだ。ミカはそれが何を意味するか察した。
「利一、ここが君の家なのか!?」
「……そうや。疎開先の別荘や」
兎は誤差が生じると言っていたが、それは無いも同然だった。利一が落ちた穴から、今し方、出てきた穴の距離は25メートル程しか離れていない。
『嘘だろ、有り得ない……』
そう言ったのは、いつの間にか足元にいた兎だ。ミカは兎を掴み上げる。
『おい、有り得ないと言ったな……絶対に有り得ないのか? 本当は座標を固定していて、それを忘れてただけなんじゃないのか?』
『いや、絶対に有り得ない。前も言ったが、逃げるのに必死で、座標なんか固定する暇も無かったよ』
ミカと兎が話してる間に、また別の女がやって来る。今度の女は明らかに身なりが良い。口元を押さえ、涙を浮かべて利一を見つめている。
それだけで……ミカには分かった。
(そうか……この人が利一の……)
親にとっての不幸は、子を失う事だ。それが不幸ではない者は、親に非ず──ただ、他人を生み出したに等しい……
「りっちゃん!!」
女がそう叫んで、利一に駆け寄る。
「母様!!」
利一も叫んで駆け寄った。しっかりとその手に母親を掴んで、離れていた時間を埋めるように抱き締める。
ミカは、眼前の母子の再会を見て、胸に騒がしいものを感じた。
──最後に息子を抱いたのは、いつだっただろうか?
──息子の為と言いながら……結局は自分の為に手離した気がしてならない。
──自分は確かに親なのだが、果たして良い親だったのだろうか?
(もし……再会出来たなら……今度こそ、良い親になりたい)
そう思い、利一達を見つめた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
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