第12話 【5月1日】理子と密室での告白
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──柏木と海へ行ってから6日後。
理子は一つ、大きなミスを犯していた。濡れた靴を、柏木の家に置いてきてしまったのだ。あの靴は、1ヶ月前に買ったばかりで、正直、理子は惜しく思っていた。かと言って、柏木と顔を会わせるのは辛い。あれ以来、理子は音楽の授業を避けている。授業以外でも柏木と鉢合わせぬよう、細心の注意をはらって過ごしていた。
脱衣場での自分の行動。あれが明確に意図した行動ではなかったにせよ、詰まるところ……彼を誘惑しようとして振られたのだ。理子は思い出すだけで、恥ずかしかった。
(しばらくは彼に会いません様に)
理子はそう願う。しかし、その儚い望みは速攻で打ち砕かれる。
昼休み。廊下を歩いていた理子は、突然何かにぶつかった。余所見をしていた訳ではない。何も無い所で何かと衝突したのだ。
「痛っ!? 何?」
理子が顔をあげて見ると、ぶつかった相手は柏木だった。いつものサングラスとマスクに、フードをすっぽり被った不審者スタイル。
「鈴木さん」
(!!)
理子は驚いて声が出ない。
「今いい? 靴返したいねんけど……」
(靴!!? わざわざ学校に持って来たの?)
理子は目が泳ぐ。柏木の顔をまともに見れなかった。
(どうしよう……)
1分程迷ったが、早く受け取って彼から距離を置けば良いと考え、理子は了承する。
「…………ハイ。大丈夫です」
「ほな音楽準備室来て、靴そこやねん」
理子は言われるがまま着いて行く。音楽準備室と言っても、半分は柏木の自室の様なものだ。柏木は、準備室に大きな長いソファーやコーヒーメーカー等が持ち込んで、そこを自分の城にしていた。
その私物化された準備室に、よく他の生徒達が訪ねたりしている。だからこの時も、てっきり他に誰かいるものだと思って、理子は準備室に向かった。
「失礼します」
2人は音楽室を経由して準備室に入る。理子が先に中へ入り、柏木があとに続いた。
(あれ? 誰もいない……)
いつもは、他の生徒達が音楽室や隣接する準備室に入り浸るのだが、何故か今日は無人だ。柏木と理子、2人きりになる。
──ガチャ
理子の背後から音がした。理子が振り向くと、扉の前に素顔を晒した柏木がいて、こちらに背を向け、扉の鍵に手をかけている。彼が施錠したのだ。
途端に理子は走ります。非常事態における、彼女の判断は驚くほど早い。
準備室には出入口が二つあり、一つは今来た音楽室に通じる扉、もう一つは廊下に面した引き戸。引き戸の前にはいつも大型楽器があって、こちらの扉は常に施錠されていた。
迷っている隙は無いと判断し、理子は構わず引き戸に向かうが、柏木の方が動きが俊敏だった。猫科動物の様な素早い動きで、滑らかなに理子を捕らえ、そのままソファーに押し倒した。柏木が走り出して理子を押し倒すまでが早すぎて、理子は呆気に取られる。
「……」「……」
柏木は、自分の口元に人差し指を当てて「シッ」と僅かに声を出した。騒ぐなと言いたい様だ。理子は叫ぼうとするが……何故か叫べ無い。……まただ。また奇怪な【制限】を受ける。
海へドライブした時よりも静かな沈黙が流れ、心臓だけが煩く響いた。やがて柏木が口をきく。
「ごめん、俺ちゃんと理子と話がしたい」
「これ、話す体勢じゃないと思う!!」
「逃げたやん、お前!!」
「当然!!」
「……」「……」
「……理子」
「名前で呼ぶな!」
「……」「……」
柏木は一呼吸して気を取り直し、理子に話し始めた。
「ごめん。あの時、理子を拒絶したんは、理子のせいとかちゃう。未成年とか、立場とか、そんなんやのうて、もっと……俺自身の問題や。俺の中で処理出来てない事がぎょうさんあって、だから……理子に対して気が咎めた。悪いんは俺や」
「…………離して……痛いし、重い」
「すまんっ!」
言われて柏木は手を離し、彼女を解放した。
「……なら結局、渚は私の事どう思ってるの?」
柏木の言動から察するに、彼も理子に気があるようだ。理子は柏木の口から、ハッキリと答えが聞きたかった。
「それは………」
柏木は返答に困り、結論を出す事を躊躇う。彼の意志薄弱な態度を見て、理子は怒った。
──パチン
柏木の端正な顔に理子の平手打ちが決まる。彼女は「もういいです」と立ち上がり、音楽室に通じる扉に手をかけて言う。
「もうすぐチャイムが鳴ります。この扉を出たら、今までの事は全部忘れますから。柏木先生もそうして下さい」
理子は柏木を真っ直ぐ見つめる。彼女の宣言に迷いは無い。扉を出たら、全てをリセットする気でいる。ここで引き留めなければ、2人の関係はこれっきりだ。
柏木は動揺を隠せない。理子はそれを見逃さなかった。畳み掛けて彼女は言う。
「…………それが嫌だったら……私を引き留めてよ」
「……俺は」
柏木は服の下のペンダントを握る。
「今、引き留めなきゃ絶対後悔するからね! 後で私と付き合いたいって、泣いてすがっても、絶対に無駄だから!」
理子は段々涙声になる。強がっての発言だった。
「……私は……渚が好き」
芽生えた想いをハッキリと口にした。その言葉に柏木はハッとする。
「渚は違うの?」
「……」
ここでチャイムが鳴った。理子が扉を開錠して、勢いよく出ようとした。
──バタン
開いた扉がまた閉まる。柏木の手が扉を押さえていた。
2人は見つめ合い、長い沈黙が続く。
暫くして……柏木が理子に顔を近付け、理子が背伸びをする。互いの吐息が、鼻先に触れる距離まで接近した。
柏木にはまだ迷いがあったが、もうこれ以上は堪える事は出来なかった。
やがて、どちらともなく唇を重ねた。チャイムが鳴り終えても、2人は構わず唇を重ね合う。
暫くして柏木が理子を抱き上げた。体を曲げてキスする姿勢がしんどかったのだ。柏木は理子をそのままソファーに連れて行き、再び押し倒す。
──だが、それ以上の事は出来なかった。
次第に、2人は半開きの口を閉じ、それぞれが唇を内側に軽く噛む表情をした。お互い分かっているのだ。この状況は不味い。そして今し方した行為も非常に不味い。
倫理的にも法的観点においても許されない、逸脱した行いだ。理子は16歳。対して柏木は成人。どう取り繕っても青少年保護育成条例違反。
この場合、保護者公認の真摯な恋愛関係であればまだ良い。だがそうではない。しかも生徒と先生。守るべき生徒に、みだらな行為をしたとして、処罰されても文句は言えない。無論、学校もクビだろう。
厳密に言えば仮にキスをしてなくても、押し倒した時点でアウトだが……こうなった今、2人は共犯者とも言える。しかし、明るみになった場合、法的処罰を受けるのは柏木だ。理子も頭ではそれを理解しているが、止められなかった。
2人は何も話せない。立場上、両想いだからと言ってハッピーエンドでは無いのだ。分かっている。お互い分かっている。分かっているのに一線を越えた。最低でも、理子が卒業するまでの間、この関係を知られてはいけない。
柏木は理子の上体を起こし、改めてソファーに座る。最初のキスから時間が経ち、互いに冷酷さを取り戻した。
しかし、もう後戻りは出来ない。境界線を越えたのだ。
理子が柏木の手を握り、柏木が理子の手を握り返す。長い長い間をおいて、ようやく柏木が切り出した。
「また……どっか一緒に行けへん?」
それは単なるデートの誘いでは無かった。この関係を継続させると言う意味合いだ。理子は「うん」と返事をして、手を繋いだまま柏木にもたれる。柏木は、彼女の頭に顔を寄せた。
2人には越えるべき課題が多数ある。
柏木は人間では無い。だが理子はそれを知らない。理子は、彼の正体も、過去も、苦悩も、生活も、何も知らなかった。それは柏木も同じだ。柏木は理子の過去を知らない。
互いに秘密を抱えたまま、2人の関係は親密さを増していく。