第126話 【1975年】◆人狼の襲撃、ベンジャミンの視点◆
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【1975年】
彼は不思議な夢を見ていた。ぼんやりとした背景の前に1人の少年がいる。
彼が近寄って声をかけると、少年は必死に何かを謝罪していた。その姿は稚く愛らしい。
『ごめんなさい……ごめんなさい……』
少年は、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
『泣かないでくれ。あれで良かったんだ。俺は、お前に鞭で打たれるより、お前が鞭で打たれる方が辛い』
彼はそう言って少年を慰めた。本当は、鞭で打たれた背中が酷く痛んだが、それを顔に出せば、少年が余計に悲しむと思って、無理をして笑顔を作った。
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──夕刻。
ベンジャミンは街の食料品店に来ていた。棚から砂糖の入った箱を取り出し、会計を済ませて店を出た。
この買い物は、ベンジャミンの雇い主であるアビーに頼まれたものだ。
【ベン。帰り際に悪いのだけど、買い物をお願い出来ないかしら?】
アビーにそう頼まれ、快く引き受けた。
アビーは街の有力者リーの妻で、2人の間にはチェスターと言う息子がいた。
チェスターの噂はあまり良いものではなかったが、リーとアビーは人格者として知られている。
彼らは移民や貧しい者を積極的に雇い、居場所を提供していた。決して不当に扱う事なく、真っ当な賃金を支払い、時には支援する事もあった。
ベンジャミンはアビーに雇われた事を幸運に思っていた。何故なら、彼には行く当てがないからだ。家族がいるのかさえ分からない。
──ベンジャミンには1ヶ月より前の記憶が無かった。
読み書きや日常生活に支障はないが、己が何者か分からない。気がついた時には、病院の前で倒れていた。どこも怪我などはなかったが、所持金は持ち合わせておらず、身分証もなかった。
警察に問い合わせてみたが、自分を探している人も見つからず、困り果てていたところをアビーに救われたのだ。
──本当に、幸運だった。心から、そう思っていた。
己の事は分からないが、とりあえず生きている事に感謝した。記憶の喪失は仕方無いが、助けてくれる人がいる。
──きっと、何とかなる。何とかしていけばいい。
そう前向きに捉え、己を憐れむ事は絶対にしなかった。
アビーに頼まれた買い物を終え、彼女の待つ屋敷に戻ろうかとした時──
ベンジャミンは向こうからやって来る男女に目を見張った。
(あれは……チェスター様?)
そこにいたのはアビーの息子チェスターだ。彼は赤毛の少女を連れて歩いていた。
チェスターの方もベンジャミンに気づき、目を丸くする。それで思わず、チェスターに駆け寄って声をかけた。
『チェスター様、偶然ですね。お買い物ですか?』
『……まぁな』
声をかけられたチェスターは、やや戸惑っているようだった。不思議な事に、この青年は初めて会った時から、妙に戸惑った節を見せる。
チェスターの粗暴な噂を耳にした事もあるが、本人を目の前にしてみれば、噂はデマにも思えた。
ベンジャミンは赤毛の少女をに目を向けた。
──ああ、うっかりデートの邪魔をしてしまった。
そう思って、小さく後悔した。
チェスターはベンジャミンの視線に気づいて、思い出したかのように紹介する。
『彼女はエミリーだ。……エミリー、彼はうちの庭師のベンジャミンだ』
『はじめまして。エミリーです』
溌剌とした挨拶にベンジャミンも快く返す。
『ベンジャミンです。どうかベンと呼んで下さい』
エミリーと握手を交わした──その時だった。急にチェスターの顔が険しくなり、彼は食料品店の角に目を向けた。
ベンジャミンとエミリーもつられて目を向ける。すると──どうしたのかと尋ねるよりも先に、けたたましい女の悲鳴が響いた。
チェスターは、直ぐ様、ベンジャミンとエミリーの腕を引っ張り、食料品店とは逆の方向に走り出した。
有無を言わさず2人を連れ、自分の車の後部座席に押し込むようにして乗せる。
『何事ですか!?』
そう言ったがチェスターは何も答えない。素早くエンジンをかけ、車を走らせる。
そうこうしてる間にも、周囲の人々は叫び声をあげて逃げ惑う。
ベンジャミンには状況が全く分からなかったが、危険が迫っている事だけは察した。
──何かが、人々を襲撃している!?
遠くの方で、赤色が噴き出すのが見えた。その近くにいた人も赤色に染まって倒れる。
何か黒い影を見た気がしたが、影が素早くて目で捉える事が出来ない。
右往左往する人々が口々に何かを言っている。それを聞き取る事は出来ないが、命の危険を感じるには十分だった。
恐怖に耐えかねてエミリーが叫ぶ。ベンジャミンは、衝動的に彼女を守らねばと思い、伏せるように促した。
次第に人々の叫び声が遠ざかり……阿鼻叫喚の嵐から、逃げるようにして車は去って行く。
『チェスター様、何処へ行くんです!?』
『病院だ!』
ベンジャミンは首を傾げる。
(何故、病院に?)
この場合、逃げ込むなら警察ではなかろうかと疑問に思う。だが、チェスターの様子を見る限り、混乱の末、病院を選んだようには見えない。彼は、何か確信があって、病院に向かっている──そう思えた。
『チェスター様……一体何が起こったのでしょうか?』
ベンジャミンが不安げに訊くと、チェスターは苛ついて声を荒げた。
『その鬱陶しい使用人口調をやめろ! Sirを使うな!』
その気迫は、彼の噂が本物だと思わせた。ベンジャミンはチェスターの言う通り、使用人口調を止めた。
『……じゃあ、チェスター。何が起こってるのか説明してくれ。あれは何だ? 何故、騒ぎが起こる前に気がついた? 何の為に病院へ行くんだ?』
チェスターは黙り込む。
『……答えないのか? それとも……答えられないのか?』
『……両方だ』
『チェスター!』
エミリーはチェスターの名前を呼んで、心配そうな顔をした。
『説明は出来ねぇ……だけど、これだけは言える。俺が必ず守るから、信じてついて来て欲しい……頼む』
言われてベンジャミンとエミリーは顔を見合わせた。
『メアリーも、チェスターも、私に説明も無しに信じろだなんて……都合が良すぎるわ!! 説明してくれなきゃ何も分からないじゃない!!』
続けてベンも言う。
『彼女の言う通りだ。何も分からなければ、何も信じられない。君が話せないのは、俺達を信じていないからだ。俺達を信じてくれない奴を、どうやって信じろって言うんだ?』
『俺がいなきゃ、さっきの騒動に巻き込まれて死んでたかも知れないんだぞ? それでも信じられないか? 俺が味方である事には間違いないだろ。正直、今は説明してる余裕がねぇんだよ!!』
エミリーは震えながら溜め息を吐く。
『……分かったわ。いいわよ、信じてあげても。プロムのパートナーだもん。でも、後で必ず説明してよ。でないとプロムに行ってあげないから!』
恐怖を堪えて、そう言った。チェスターは苦笑して『ありがとう』と返事をする。
『ベンはどうする? 俺を信じてついて来るか?』
ベンジャミンは、後部座席からチェスターの後ろ姿を見据えた。
『本音を言えば嫌だね……でも、だからと言って悠長に家まで送ってはくれないんだろ? 俺に選択肢が無い状態で訊くのは、卑怯じゃないか?』
『じゃあ、決まりだな』
言った直後、チェスターの顔が険しくなる。
──!!!!
大きな音と共に衝撃が響き、天井が大きくへこんだ。
エミリーは思わず叫び声をあげ、ベンジャミンは咄嗟にエミリーを庇う。
襲撃者は太く鋭い鉤爪で車体を引っ掻き、タイヤをパンクさせた。
次第に車は速度を落とし、遂には街路樹にぶつかって停止する。
襲撃者は車がぶつかる前に、天井から飛び降りて、その様子をうかがっていた。
毛の無いグリズリーのような怪物は、ゆっくりと車に近づき、鉤爪を振り上げる。
標的は後部座席にいる人物だ。ニヤリと笑い、その人物目掛けて強靭な鉤爪を振り下ろした。
──だが、鉤爪は届かない。振り下ろした腕を、掴んで止める者がいた。
それは一見、極普通の人間だった。青色の目に明るい茶色の髪をした、20代半ばの青年。
その青色の目が赤色に輝き──次の瞬間、怪物の体は弾かれた。
苦しそうにもがいて道路に転がり、自分を攻撃した青年を睨む。
ベンジャミンとエミリーは閉じ込められた車内から、その様子を見ていた。
──今のは一体なんなのだろうか……
2人して呆然する。
『……チェスター?』
呼ばれて振り返った青年は、見知った顔よりやや大人びて見えた。取り分け違うのは目の色だ。青色だった目が、赤色に輝いている。
『無事か?』
聞かれて2人は震えながら頷いた。
『今すぐ、車から出ろ。走れ。近くの建物に隠れるんだ』
ベンジャミンはエミリーを抱えるようにして車から出る。
『チェスターは!?』
『先に行け!!』
言われるがまま、逃げるしかなかった。
ベンジャミンはエミリーの手を引く。
『エミリー、しっかりしてくれ! ここから逃げるんだ!』
エミリーは眼前の光景が信じられず、愕然としながらチェスターの姿を見つめていた。
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