第121話 【1975年】◆ベンジャミンとの出会いと白い兎の夢◆
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【1975年】
──ミゲルが森にいる頃。
利一は亜空間の自室に引きこもり、ベッドで横になっていた。ミカの真意が理解出来ず、彼は深く傷ついている。
利一が腹を立てている相手はミカだけではない。チェスターにもだ。あれだけミカに憤り争った彼が、ミカとキスした事に納得がいかない。
どうせミカに挑発され、言いくるめられての行動だとは思うが、それでもチェスターのした事が許せなかった。
それは明らかな嫉妬だ。そして嫉妬している己の体たらくも許し難く、認め難い。
脳裏に過るのは──マグダレーナの言葉だ。
【ミカは私のだけの……】
かつて彼女はそう言った。きっとそれは今も変わらない。ミカの心は常にマグダレーナの所にある。それは不可侵であり、不動なのだ。
それでも近年は、マグダレーナよりも自分の方がミカに近かったと思う。
思うからこそ、ミカの心が離れて行く事が許せない。
(今なら……マグダレーナの気持ちが分かる……)
きっと彼女も許せなかったのだ。ミカの心が自分から離れて行く事が、堪らなく寂しく、許し難かったのだろう。
(……今すぐ日本に帰りたい)
心労が貯まっていた。こんな事なら、頑として日本に留まれば良かったと悔やむ。そうすれば、ミカも渡米など出来なかったのだから。
プロムが終わってから、ミカと帰国したとしても、以前のように暮らせる自信が無い。
ミカの事で、嫉妬に駆られる事は度々あったが、今回が一番キツく感じていた。
瞼を閉じれば……チェスターとキスをする彼女の姿が浮かぶ。忘れたくても、脳裏に焼き付いて離れてくれない。
(知っとったクセに……俺が近くにいると……なのに……)
苦しむ利一の耳に、今度はミカの声が響く。
【やめろ。恋人面すんなや……ウザいねん】
それを思い出して、堪らず落涙した。
──事の始まりは、去年の冬だった。
利一が縁側で兎を撫でていると、突然、ミカが座敷の方から声をかけてきた。
「利一。俺、メリケン行きたい」
利一は思わず「は?」と声を出し、利一の膝の上にいた兎も『あ゛? 馬鹿かテメェ』と渋い男の声でキレ気味に言った。
「……謝りに行きたいねん」
ミカは真顔で言って、利一を見つめる。
「誰に?」
そう訊いたが、ミカが謝罪すべき相手ならば……恐らく【彼女】だろう。
「ウォーカーの妻に謝りに行きたい」
利一は、やはりと思った。ミカが遺族に謝罪がしたいと言い出したのだ。
「なんで今更?」
「今更でも、謝りたいねん」
理解出来なかったが、ミカの表情を見ると本気のようだ。彼は迷わず、真っ直ぐに利一を見つめている。
その気迫に圧されて、利一は観念したように溜め息を吐いた。
「分かった……掛け合ってみるけど……期待すんなや。面会出来るとは限らへんで」
利一がそう言うと、ミカは頷いた。
「……頼む」
ミカは、ウォーカー殺害の罪で裁かれて利一のもとにいる。本来なら死刑になるところを、ミカの減刑を求める多数の嘆願書と、利一の証言によって、情状酌量が認められた──と、表向きはそう言う事になっている。
ウォーカーの妻に面会など、出来るものかと思っていたが、驚いた事に向こうもミカに会いたいと希望して来た。
様々な手続きを経て、2人は3ヶ月後に渡米した。空港の到着ロビーまで、管理人のヴィヴィアン・ジェファーソンに迎えに来てもらい、彼女が手配した車に乗り込んだ。
──その時は……まさかミカが、被害者遺族の護衛になるなど思いもしなかった。
(止めれば良かった……来なければ良かった……)
(最初から、ミカを日本に閉じ込めておけば良かった……)
(ずっと側に置いて……自分だけのモノにすれば……)
そう考えたところで、マグダレーナの顔が過り、やはり彼女には敵わないと悟る。ミカの意思を無視して、独占したいと考えた時点で敗北していた。
(……ハインツとなんも変わらんやん)
自分は──自分が思っていたよりも利己的で、独善的な人間だと気づかされる。
──なんて愚かで……醜いのだろうか……
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──夕刻。
チェスターは苦々しい気持ちで、自宅のテラスにいた。
自宅には、ミゲルに卑劣な行為をしたアダムと、忌々しいミカがいる。昼の一件以来、利一の姿は見ていない。ミカのお目付け役としての責務を放棄しているようだ。
チェスターは利一を無責任だとも思いつつ、その原因が自分にもある為、彼を責める気にも、謝罪する気にもなれず、悶々としていた。
(出来れば、あの男には会いたくねぇけど……一度、きちんと話をした方が……)
チェスターがそう思っていると、庭に人影が見えた──庭師だ。だが1人ではない。
この屋敷には、数人の若いメイドと、初老の庭師1人が従事している。
庭師はいつも1人で働いているのだが、今日は誰かと仕事をしていた。
チェスターは庭師の側にいた青年に目を見張り──そして思わず呼吸を止めた。
『こんにちはぁ、チェスター様。今日は遅くなってしまい、すいやせんでした』
庭師はそう挨拶をした。どうやら彼は、今日仕事に来るのが遅かったらしい。
『実は、昨日手を怪我してしもぉたんですわ。そいでぇ奥様の計らいで、庭師をもう1人雇う事になったんです』
庭師は側に立つ新米庭師を紹介する。
『はじめまして、ベンジャミンです。どうか、ベンとお呼び下さい』
爽やか印象の凛々しいアフリカンの青年だった。恐らく歳は成人前だろう。眼差しはあどけなさが若干残るが、落ち着いた口調は本来の実年齢より上を思わせる。
ベンジャミンの声を聞いた瞬間──チェスターの奥底に眠っていた記憶が、色鮮やかに甦った。
小川の近くの木陰で──
泣きじゃくる幼い自分を、慰めてくれた優しい青年。
【泣かないでくれ。あれで良かったんだ。俺は、お前に鞭で打たれるより、お前が鞭で打たれる方が辛い】
そう言った青年の背中には、痛々しいみみず腫が出来ている。
【ごめんなさい……ごめんなさい。……ジョー】
幼いチェスターは、泣きながら何度も彼に謝罪した。
『ジョー……?』
チェスターはポツリと言った。
『えっ? 今、何とおっしゃいました?』
ベンジャミンは尋ねたが、チェスターからの返答は無い。彼はまるで、魂を失ったかのように唖然としている。
無理はない。ベンジャミンは、チェスターが慕っていたジョーと言う男性に生き写しだった。
(絶対に有り得ねぇ……だってジョーは……)
──この世にはいない。彼が生きていたのは今から136年も前だ。ジョーの筈がない。
動揺するチェスターを、庭師とベンジャミンは不思議に思う。
そこへ、チェスターの母親役のアビーがやって来た。
『チェット。具合はもう良いの?』
それを聞いたベンジャミンが心配して尋ねる。
『チェスター様は具合が悪かったのですか?』
具合が悪いから、妙な反応をしたのだと──ベンジャミンはそう解釈した。
『そうなのよ。だから今日はよく休むように言ったのに、この子ったらじっとしないものだから、私も気が気じゃなくてね』
『そいつぁは、いけやせん。チェスター様、どうぞお部屋にお戻り下せぇ』
チェスターはアビーと庭師に促され、大人しく室内に入り、硝子戸越しにベンジャミンを見た。彼は庭師と一緒に、帰り支度をしている。
『ベンを雇ったのはアビーなのか? どこで奴を見つけた?』
チェスターがアビーに尋ねる。
『あぁ、彼? 知人の紹介よ? 仕事を探している若い子がいるって聞いたから、雇う事にしたの。……何故?』
『いや……別に……』
(こんな時に……ジョーに似た奴と出会うなんて……)
チェスターが庭にいるベンジャミンを観察していると、噴水の近くに利一の姿が見えた。彼は門に向かっている。
チェスターは急いで追いかけて、利一に声をかけた。
『おい。どこに行くんだ?』
利一は立ち止まり、前を向いたまま答える。
『……病院に罠をしかけに行きます。人狼がいつまた来るか分かりませんし、用心に越した事はありませんから』
それは嘘だった。病院には既に罠を張ってある。利一の行き先は病院ではない。
『……ミカは? 放っておくのか? お前は奴の監視役だろ?』
『貴方にお任せしますよ。これまでの事が嘘みたいに、彼と仲良くされてましたし……』
利一は毒を込めて嫌味を吐く。
『あれは──』
チェスターは訳を話そうするが、それより先に、利一は「失礼します」と言って、その場を去ってしまった。
『俺の言い分ぐらい聞けよ……』
チェスターは愚痴を溢す。
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──エミリーは夢を見ていた。
──白い兎の夢だ。
幼いエミリーは姉のメアリーと一緒に、広い庭で兎を追いかけていた。兎は、植木や花壇など、あちこちに逃げ回って、最終的に……姉妹の父親のもとに辿り着いた。
父親は兎を抱き上げて、エミリー達に微笑みかける。顔は前回の夢同様、ぼやけていて認識出来ない。表情だけが不思議と分かる。
──父親の頭髪は黒髪ではなく、白金髪だった。
それを見たエミリーは嬉しくなって、父親のもとにかけよる。以前、交わした約束を父親はちゃんと守ってくれたのだ。
『パパ、その髪の色似合うわ』
エミリーが側に寄ると、父親はしゃがんで少女と目線の高さを合わせた。それから『ありがとう』と言って、エミリーに微笑む。
『髪の色なんて、何色でもいいだろ。何故、拘るんだ?』
そう発言したのは、父親が抱いていた兎だ。
『そうね。でも、ありのままの自分を好きでいられる事は、とっても重要なのよ。だって鏡を見た時、自分を嫌いだったら不幸でしょ。だからパパの髪はこれでいいのよ。勿論、私の髪もね』
エミリーは得意気に言って、兎を撫でた。そこへ、息を切らしたメアリーが追いついて来た。
『ミーシャ。ブラッシングを嫌がらないでよ』
メアリーは兎を【ミーシャ】と呼んだ。彼女の手には、おままごと用のブラシと、小さな髪止めがある。
『嫌だよ。メアリーは力の加減が下手なんだもん。君が僕をブラッシングする度に、ブラシが皮膚に刺さるんだ』
兎はそう言って抗議して、父親を見上げた。そして──
『このままじゃ、毛をむしられそうだ。2人を止めてよ、ミカ!』
兎は父親を【ミカ】と呼ぶ。
夢の中の幼いエミリーは、ザワザワとした違和感を覚えた。
(あれ? パパの名前はミカだった?)
記憶に靄がかかって上手く思い出せない。父親の名前を、確かに知っている筈なのに……
──頭の中にある記憶の本棚を、探せば探す程に、棚から本が落ちてくる。
気づけば、何の本を探していたのか……分からなくなって、探していた理由さえも曖昧になった。
──終いには【ミカ】と言う名前に、違和感が無くなっている。
『もう、大袈裟ね。私は優しくブラッシングしてるわ!』
隣では、メアリーが兎の主張に反論している。
『パパはどっちの味方なの? 当然、私よね?』
父親は『勿論だよ』とメアリー言って──直ぐ様、何かに気がついて、遠くに目を向けた。
エミリーとメアリーも、つられて見てみると……木の側に白金髪男性がいた。父親同様に顔がぼやけているが、酷く怒っているのが分かった。
『……そんな顔で睨まないでくれ。怖いじゃないか』
父親がそう言うと、男性は忌々しそうに口を開く。
『妻の次は、娘達を誑かすつもりか? さぞ気分が良いだろう。全部分かっているんだぞ! お前が何を企んでいるのか!』
父親は男性の発言に戸惑いながら、兎をエミリーに預けて、彼に近寄った。
『落ち着いてくれ、一体どうしたんだ?』
『僕から家族を奪って、僕の人生を乗っ取って、それで満足か!!』
彼が何を怒っているのか、エミリー達には分からない。父親も困惑していた。
『ミカ……向こうで話をしないか?』
父親は彼を【ミカ】と呼び、エミリーの記憶は更に混乱する。必死に辻褄の合う記憶を探してみるものの、何が正しくて、何が間違っているのか判断がつかない。
父親の名前は【ミカ】だった──それは正しい記憶として認識している──にも関わらず、父親と話す男性の名前も【ミカ】で間違いないと思える。
それと同時に【ミカ】と言う名前の人物は、身近に1人しかいなかった事を確かに覚えていた。
──記憶の本棚が倒れ、膨大な本が散乱し、混乱が恐怖に変わった。
怯えるエミリーを見て、男性は口を噤む。父親は彼の背中に手を添え、一緒に向こうへ行くよう促した。
父親と男性が、並んで背を向けた瞬間──エミリーは目を見開いた。
父親と男性の背格好は全くと言って良い程、同じだった。
(後ろから見たら……どっちがパパが分からないわ)
エミリーがそう思っていると、メアリーが父親を呼んだ。
『パパ!』
2人の内1人が振り向いて、エミリーは思わず【彼】の名前を呼ぶ。
『ミカ!』
すると、もう1人も振り向く。
『直ぐに戻るから、ミーシャにブラッシングして待ってて』
彼はそう言って微笑んだ。
──夢はここで終わる。
エミリーはハッと目が覚めて、辺りを見渡した。無機質な部屋に、真っ白なベッド──病室に1人取り残され、いつの間にか居眠りをしていたらしい。
暫く、ぼんやりと空っぽのベッドを見つめ、姉が検査の為に病室を出ていた事を思い出す。
(嫌だわ……こんな時に居眠りなんて……)
目を擦ろうとして、手が頬に触れ──そして気づく。
(あれ? 私……いつの間にか泣いている?)
自然と両目から涙が溢れてくる。とても懐かしく、とても悲しい夢を見ていた気がするが、目覚めた途端、酷く曖昧な記憶にすり変わってしまっていた。
──覚えているのは、ミーシャと言う名前の白い兎と、父親が約束通り、髪を染めるのを止めてくれた事だけだった。
イラストを描くと投稿が遅くなりますが……やっぱり描きたいです。
(´・ω・`)スミマセン
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.