第120話 【1944年】◆◆利一と兎と白い籠玉◆◆
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【1944年】
利一が疎開した別荘から、3キロ程離れた先に、柏木一族の当主が住まう本家があった。利一の父親は当主の甥にあたる。
軍部に占拠された分家の別荘同様に、本家にも軍部が駐留していた。一般庶民の家ならば、こんな苦労は無かっただろう──と、当主は嘆く。
軍部は屋敷の窓と言う窓全てに、分厚く重たいカーテンを取り付け、夜間の灯りが漏れぬよう工夫した。
庭にはあったコンクリート製の防空壕も軍部に奪われ、当主はかなり憤慨していたが、それでも軍幹部の前では平静を装い、やり過ごす。
幹部達は極めて珍しいコンクリート製の防空壕をいたく気に入り、そこに様々な機密文書を運び入れた。
この防空壕は当主と深い繋がりのある、大手の建築会社が作ったもので、非常に頑丈な作りになっている。これを奪われた事に関しても、当主は「何の為に作ったのやら」と愚痴を溢した。
問題は他にもあった。柏木家の男子は龍神の呪いにより、日暮れから明け方にかけて性別が女に変わる。その重大な秘密を軍部に知られる訳にはいかない。
呪術を用いて、召集令状の受け取りを免れたとしても、住居を占拠されている状態で、秘密を隠すのは至難である。
柏木一族は、神経を尖らせながら暮らしていた。
そしてもう1つの問題。戦火が迫る最中、柏木家では重大な行事を控えていた。30年毎に行われてきた、龍神に生け贄を捧げる儀式だ。
今回の生け贄である利一は、ずば抜けた才能を秘めている。他の者には無い特別な加護も授かっていた。
過去の例から見て、こう言う子供は龍神の寵愛を受け、龍神の子を孕む可能性が高い。
そうなれば、また柏木家に流れる龍の血が濃くなり、一族の繁栄に繋がるのだ。
それだけに利一に対する期待度は、他の生け贄候補よりも取り分け高かった。
──だがしかし……
あと1ヶ月で儀式という日に、肝心の利一が姿を消した。
柏木一族は混乱を極め、当主は絶望と怒りに震えながら、利一の両親を激しく叱責した。
利一を諦め、代わりに正二か三葉を生け贄に出そうかと話し合われていた時──突如、当主は白昼夢を見た。
満天の星空の下、水鏡と化した水上に、蜷局を巻いた龍がいた。龍は当主に命じる。
──利一の帰還を只管に待て……
これを受けて、当主は代わりの生け贄を用意する事を止めた。
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──帰っておいで利一。
──皆がお前を待っている。
──私は利一を所望する。
──他の生け贄はありえない
龍神は夢を通じて利一に語りかける。だがその声は、利一には届かない。
漆黒に塗り潰された闇の中、月のような眼球が2つ浮かんでいる。眼球は爬虫類特有の二重の瞬きをして、地響きのような唸り声をあげた。闇と同化した龍神が見据える先に、青年がいた。
純白の両翼を持つ白金髪の青年は、巫女姿の少女を、大層大事に抱き上げていた。少女は深い眠りについたまま、ピクリとも動かない。
青年は龍神に対し、不敵な笑みを見せる。
「利一が欲しいんか……残念やったな。コイツは俺の奴隷や。手離す訳にはいかん」
言って青年は少女を抱えたまま、淡い光と共に消えた。龍神は怨めしそうな眼をして、2人が消えた場所を睨む。
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利一が目を覚ますと、眼前にミカの寝顔があった。ミカは利一を抱えた状態で眠っている。
彼の吐息や匂いを、否応なしに感じさせられ、少女の利一は妙に焦る。
辺りはまだ薄暗く、夜はまだ明けてない。利一だけが早くに目覚めてしまったようだ。
2人は直径5メートル程の、半球型の白いドームの中にいた。これは昨晩、ミカが野宿の為に張った術だ。どうやらテントの代わりらしい。
ミカはどからともなく、絨毯や、毛布や、枕などの寝具を取り出して、ドームの中の地面に敷いた。
利一はミカが篭や毛布を一体どこにしまっていたのか不思議に思うが……ミカに尋ねても、はぐらかすばかりで、カラクリを明かしてはくれなかった。
昨晩は、2人で沢山語り合った。
──家族の事……
──戦争の事……
──そして龍神の事……
話している内に、利一は自然と瞼が重くなり、気がつくと夜明け前だった。活力は尽きないが、脳に休息──睡眠は必要だった。
利一はミカの寝顔を眺めながら、昨晩【夢】を見なかった事を不思議に思う。
(てっきり、また龍神の夢を見るもんかと予想しとったのに……)
マグダレーナとミカの言う事が正しければ、兎は今日中に捕まえる事が出来る。そうなれば、後は式に下してしまえば良い。
利一は今更ながら、ミカに対して僅かな罪悪感を感じていた。それは式神の契約に関するものだ。利一がミカに明かした契約のやり方は1つだけだが、実は他にも正式契約を結ぶ方法が存在する。
嘘をついた訳では無いが、万が一に備えて隠していたのは事実だ。あの時は、まだ何かを疑っていた。心のどこかで、ミカが敵になる気がしていたのだ。
だが今は……ミカを頼りにしている。
利一は何気無く、寝ているミカの頬に触れた。何故触れたのかは利一自身よく分からない。ただ何と無く……もうすぐミカと離れるのだと思うと寂しい気持ちになり、彼に触れずにはおれなかった。
するとミカは触れた利一の手を取り、穏やかに目を覚ます。ミカは勝ち誇ったような眼差しで利一を見ると、少女の手に口づけをした。
「何? この手は? 朝飯?」
利一は血が沸騰しそうな程、熱を発するのを感じた。
ミカは目を閉じて、利一の手の平から活力を食す。それが終わると目を開け、鋭く利一を見た。
利一はミカと目が合った瞬間、心臓を鷲掴みされた気がして、胸の痛みと息苦しさを覚える。
「おはよう……利一」
ミカは甘い声でそう言って、利一の髪を撫で額に口づけをする。
利一はその行為を気恥ずかしく思うが、当のミカは愛玩動物を愛でる感覚だった。
「お……おはよ……」
照れながら返事を返す。
「行こうか……兎を見に……」
ミカはそう言い、利一は頷く。
ミカが指をパチンと鳴らすと、ドームは空気中に溶けて消えた。それを見ていた利一は、マグダレーナの部屋を思い出す。あの部屋も白いドーム型の空間だった。
城自体は中世ヨーロッパ風の作りだが、あの部屋──玉座の間だけが今までの時代とは異なる、近未来的な作りになっていた。
今思い返せば、あれは近未来的ではなく、ミカが作った白いドームによく似ていただけなのかも知れない。
2人が寝ていたドームは、雨風を凌ぐ為のテント代わりでもあり、2人を守護する為の結界だ。
(ほな……マグダレーナの部屋は何の為に?)
ミカは守護の呪いは、活力を大量に消費すると言っていた。ドームも同じではないだろうか?
女王を守る為の半球形の結界は、一体何から女王を守っているのだろう?
それは些細な疑問だった。少なくとも現時点では、気に止める必要も無い事だ。
場所が玉座の間なのだから、女王を守る為には当然であり、何も不自然な話ではない。
だが、利一は何故かこれが気になった。それは所謂【勘】或いは【予感】だったのかも知れない。
引っ掛かりを胸に秘め、利一はミカと共に、群青色の空に飛び立った。
途中、朝日が地平線から顔を出し、少女は少年の姿に戻る。
海から罠を仕掛けたトンネルまでは、かなりの距離があり、途中、何度か休憩を取った事もあって、到着した時には既に昼を過ぎていた。
仕掛けた罠は2種類。利一の紙とミカの鉄線だ。
それぞれの罠に兎が1羽づつ掛かっていた。
利一の罠に掛かった兎は頭部だけを残し、見事な簀巻きにされていた。
一方、ミカの鉄線は兎を雁字搦めにしている。
利一は簀巻きの胴部分を持ち、身動きの取れない兎に話しかける。
『言葉が分かるか?』
すると、白い兎が答えた。
『分かると言えば、離してくれるのかよ?』
その声は──白くてふわふわしした可愛らしい外見には、全く似つかわしくない──中年男性を思わせる、渋く低い声だった。
『悪いが離してはやれない。お前達に協力して欲しい事がある』
『俺達にも拒否権はあるだろう? 人間に従う道理はねぇよ。クソ餓鬼』
ふてぶてしい態度の白い毛玉を前に、利一は交渉を諦める。
「ほんなら……力ずくで式に下ってもらうまでや」
利一がそう言った途端、紙の簀巻きに横縞模様の切れ目が入り、細長い短冊状になってバラバラに解けた。
解けた紙は、海蛇のよう宙を泳いで兎を囲んだ。やがてそれが、六芒星の籠目紋描き、白い籠玉になって兎を閉じ込める。
ミカはその様子を黙って眺めていた。彼は利一が何をするつもりなのか、もう既に分かっていたのだろう。特に驚く素振りも無く、問いかける事も無く、ただ利一のやる事を観察していた。
籠玉は段々と収束し、兎が自由に動ける隙間をじわじわと奪ってゆく。
兎は焦り、何度も『やめろ!』と金切り声をあげる。だが利一は聞く耳を持たない。集中しなければ、籠が破れてしまう。収束を続ける白い籠は、隙間が見えない程に縮こまり、遂には空気が入る余地すらも無くなる。兎はもがく事も、声を発する事さえ出来ない。
──終わりだ。兎は完全に捕まったのだ。秘めたる力の差は、圧倒的に利一の方が上だった。この紙の籠は人ならざる者を封じる必殺の法であり、これこそが式神の正式契約を結ばせる、もう1つのやり方だった。
捕らえた妖怪が自分より強ければ籠は壊されるが、弱ければ殺す──或いは下僕にする事が出来る。
利一はこの術を、今まで殺す事に使用してきた。それを初めて式神に下す事に使った。
──やがて、兎を包んでいた紙は雪解けのように消え、中から先程の兎が姿を現す。
【作中に関する雑話】
意外かも知れませんが、昭和初期のコンクリート技術は結構優れてました。(勿論、ピンきりはあります)
昭和初期に作られたコンクリートの土台を現代の重機で破壊しようとした結果、重機が数台壊れてしまったなんて話もあります。
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