第119話 【現今】眠る理子と狂気の奏
【現今】
──遡る事、少し前。
柏木は動揺していた。何故、理子がこのペンダントを身につけているのだろうか?
──有り得ない。絶対に……
──そう思うが……眼前に、対のペンダントが光る。
いくら頭で否定しても、現物がある以上、認めざる得なかった。
柏木は重い口を開き、遂に罪を告白する。
「……彼女を連れて……プロム会場から逃げた……Mary・Walker……僕が……殺した3人の内の1人だ……」
──どうして?
──何故?
──40年前にメアリーが身につけていたペンダントを、何故、理子が身につけているのだろうか?
理解が出来ず混乱する柏木の眼前で、突然、理子が意識を失った。
柏木は彼女を抱き止め、何度も名前を呼ぶ。何の前触れもなく意識を失うのは、明らかに異常だ。
(こんな事は今までなかった……いや? あれは──)
──木曜日にも、急に車内で睡魔に襲われていた。
(──あれは疲労が原因ではなかったのか?)
理子の身に、何かが起きている。柏木は焦って、再び彼女の名前を呼んだ。
「理子!? 理子!! 理子!!」
ただならぬ声を聞いて、別の部屋にいたリーと奏が駆けつけてきた。
「どないしてん!」
「理子が……」
リーは倒れた理子の顔を覗き込み、耳をすました。呼吸も、心音も、特段変わった点は見受けられない。身体から発せられる匂いにも、異常は感じられなかった。
『寝てるだけのように見えるが……』
『突然、意識を失ったんだ。理子の身に……何かが起きてる……』
『何が……?』
『そんなの僕が知るかよ!』
『落ち着けよ! らしくねぇな』
『落ち着けるわけないだろう!! 理子は──』
柏木は声を荒げて言いかけて、そのまま勢いを失った。落胆したように息を吐き、改めて言い直す。
『……彼女は僕の最愛の人だ』
こんな風に柏木が取り乱す様は、利一が死んで以来だった。リーはそれを目の当たりにして、余程、理子が大事なのだろうと感じた。
最愛の者との死別は、世界の崩壊と同等だ。リーはその辛さを知っている。だから、柏木が取り乱す気持ちも理解出来た。
──そして、ふと思い出して、彼女の名前を口にする。
『……エミリー』
柏木はハッとして、リーに目を向けた。
『……エミリーも、よく夢を見ていた……死者の夢だ』
『……理子もそうだと?』
『可能性はあるんじゃねぇか? エミリーが夢を見始めたのは丁度、理子ぐらいの歳だ』
『でも、エミリーがこんな風に倒れた事はなかった』
『理子は異端の狩人だろ。常識に当てはまるとは限らねぇよ。それに……メアリーは夢を見なかった。狩人全員が夢を見る訳じゃねぇんだ。夢の見え方だって、同じとは限らねぇだろ』
柏木はそれでも心配だった。いくらリーが宥めても、不安を払拭する事が出来ないでいる。
『……理子が見ている夢を覗けない。……僕の力が足らないせいだ』
以前に比べて、柏木の力は弱体化していた。理子の夢に潜る事はおろか、覗く事も出来ず、歯痒く思う。
リーはそんな柏木の背中を軽く叩く──否、軽く叩いたつもりだった。柏木は堪らず「いっだぁ」と叫んだ。
「っ──痛いがな!!」
「あー……すまん。かんにん。つい、力が入ってもた」
柏木が大阪弁で抗議するものだから、リーもつられて母国語を止めた。
「渚。何でも1人でしょいこむな。俺がおるやろ? 理子が目ぇ覚ましたら、本人に訊いたらええやん。何の夢見てたん? って」
柏木は頷いて、ビーズクッションに理子をそっと寝かせた。穏やかに寝息を立てる少女を見て、リーは呟く。
「利一に似とるな」
「……確かに似とるけど、全然似てへんトコもある」
理子と利一は似ていた。2人共、無鉄砲で気が強く、自分の事を後回しにして誰かの為に奔走する。
たがしかし、柏木への対応は理子の方が圧倒的に容赦がない。
理子は、柏木からの別れ話を断固拒否した挙げ句、自分に縋れと命令してきた。これが利一なら、柏木を責め立てて、自分の殻にこもっていただろう。
(……そんな理子やから、惹かれたんかもな…………て、マゾか俺は)
奏も後から理子の寝顔を覗き込む。奏が知る利一は、ただの爺さんでしかない。理子と似ていると言われたら、似ている気もするが、正直よく分からなかった。
「他に手掛かりとか、何か無いん?」
理子の出生に関しては、昨日の段階で、信頼出来る知人に調査を依頼していた。現在、結果待ちの状態にある。他にあるとすれば──
「志摩に利一の羅針盤を渡したのは、恐らくハインツやと思う。何故渡したのかが謎やけど……」
柏木はどこからかともなく、ルービックキューブに似た立方体を取り出した。配色は赤、青、黄、緑、白と、橙の代わりに黒が入っている。
「それから──」
柏木は、理子が首からかけていたペンダントのチェーンに、中指と人差し指を潜らせ、飾りのトップを指2本で掬い上げた。
リーは眉間にシワを寄せて、ペンダントトップを見る。
「なんでこれが?」
リーがこのペンダントを見たのは、40年前のプロムの当日だ。メアリーが首からかけていたのを、今でもよく覚えている。
時代を越え、国を越えて、理子の手に渡った経緯──それは、恐らく……
「羅針盤と同様に……ハインツの仕業やと考えるんが妥当やろな」
「整理しよう。ハインツの目的はなんや?」
「俺の死やろな」
リーの問いに、柏木は即答する。
「ほな、羅針盤とペンダントはその為の布石や。恐らく……理子の存在もそうやろ」
柏木は口を噤む。理子が狩人だと分かってから、彼女との出逢いは偶然でないと、薄々勘づいていたが──それを口にする事を避けてきた。現実を見るのが、恐ろしかったのだ。
(……真実を明かす方法は無いだろうか?)
黒幕であるハインツが生きていれば、探す事も、問い質す事も出来た。だが、彼は既に死んでいる。
にも関わらず、仕掛けられた時限爆弾は残されたままだった。仕掛けた場所が不明な上、どんな種類の爆弾なのか、それがいつ爆発するのかも不明だ。
更に厄介な事に、本来なら頼れる筈の管理人に頼れない。何かのきっかけで、理子が狩人だとバレたら、今度は管理人達を相手に戦う羽目になる。
「もし、理子の正体がバレたら……今度こそ、俺は処分される。ハインツの狙いは、それかもせん。もしくは……やっぱり俺に、理子を殺させたいんやろな……メアリー達のように……」
ペンダントはその暗示かも知れない。また【狩人】の娘を殺させると──そう宣言しているように思えた。
「そうなれば……結局、お前も処分されて、共犯者である俺も処分やな。──なら、志摩に羅針盤を渡した目的はなんやろな?」
「それが分かれば苦労はせぇへん」
「デスヨネ!」
「過去を覗けたらええねんけどなぁ……」
(あのハチワレ猫のように……)
ハチワレ猫──的井には過去を調べる術がある。
(でも……どうやって?)
猫又にそんな能力があるなど、聞いた事がない。ならば、それは的井自身の能力ではないのだ。
(誰の能力だ? それとも上に太いパイプでもあるのか? 的井はどこからジェームズの件を知った?)
現在、柏木を担当している内海ならともかく、的井は担当外だ。知る筈が無い。かと言って、頭の堅い内海が漏らすだろうか?
(考えるより、確かめた方がいい……)
「なぁ、リー。頼まれてくれへん?」
「あ゛?」
リーは怪訝な顔をした。
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柏木は、理子を2階の自室に運んて、自分のベッドに寝かせた。愛しい理子の髪を撫で、眠る彼女にキスをする。
「暫く留守にするけど……かんにんな」
柏木は部屋を出て、廊下にいたリーに目を向ける。
「……ほな、頼むわ」
リーは頷いて、柏木の背に片腕を回し「気ぃつけて」と背中をポンポン叩いた。柏木も同じようにリーを叩き返す。
ハグしたリーの肩越しに、奏と目が合い、瞬間的に睨んだ。奏は怯まず、柏木を睨み返す。
「行ってくる」
言って柏木は理子をリーに任せ、家を出た。車のロックを開け、乗り込んだ所で──やはり彼女が気になった。
(……やっぱり、奏には帰ってもろた方が……)
奏はトラブルメーカーだ。悪気があっても無くても揉め事を起こす。
今日は、奏がリーと一緒にいたいと望み、リーもそれを了承したから家に居させたが……車に乗り込んだ途端、不安が過った。
柏木は思い直して、奏を呼びに戻る。玄関の扉を開けて、真っ先に奏がいそうなキッチンへ向かう。
もし奏がいれば、キッチンの中央にある大きな調理台を占拠して、好きな菓子でも広げている筈だ。
だが、そこに彼女はいなかった。ならばきっと2階でリーの側にいるのだろう──そう思い、移動しようとして……調理台に目を見張る。
柏木の視線の先には、斜めに傾いたデザインの包丁スタンドがあった。それは包丁3本とセットになっていて、普段はあまり使用していないのだが……
そのスタンドから、包丁が1本無くなっていた。
柏木は、背筋に突き刺すような悪寒を感じて、キッチンを飛び出した。
廊下を駆け抜け、階段を使わず、吹き抜けを一気に跳躍して上がる。2階の角を曲がり、自室の扉が開いているのが見えて、部屋に飛び込んだ。
特徴的な赤紫の髪と、振り上げられた銀の刃が見えて、迷わず彼女の首に右手を伸ばす。後、数センチで細い首に指が掛かると言うところで、柏木は手首を掴まれた。
理子の胸目掛けて振り下ろされた刃は、横から割り込んだ手の平に深々と刺さり──奏は血の気が失せた顔で、己が刺した老人の手を凝視する。
『邪魔をするな』
柏木は、低く威圧的な声で言う。
『よせ、渚』
リーは冷静に制止する。奏は震えながら包丁から手を離して、背後にいた柏木に目を向ける。
柏木は掴まれていない方の左手で、再び奏を捕らえようするが、リーは素早く奏を抱えて後ろに跳んだ。
『奏を渡せ! 庇うな!』
『……落ち着いてくれ。奏に訳を聞こう』
『無理だ! 渡せ!』
『渚!』
『やっぱり、4年前に切り捨てるべきだったんだ!! ソイツを!!』
『やめろ。その件は済んだ事だ。今更──』
『そうしていれば……利一と喧嘩などしなかった!!』
柏木は顔を歪めて、噛み締めた歯を見せる。握り締めた両の拳から、奏に対する強い殺意が溢れていた。
「私を殺したい?」
奏の一言に、2人はハッとする。
「じゃあ殺せよ!」
「ああ、そうするよ!」
「よせ!!」
リーは右手で奏を隠すように抱き、包丁が刺さったままの左手を柏木に向け、制止の手振りをする。
「止めるな!!」「止めるな!!」
柏木と奏が同時に叫んで、場に妙な空気が漂う。男2人は怪訝な顔をした。
「奏……なんでなん?」
リーの問いに奏は固く口を閉ざす。一向に喋る様子が無い。それで、柏木の苛立ちが限界に達した。
「今すぐ、この家から出ていけ」
柏木は冷淡に吐き捨てた。奏が弁解しないので、リーも擁護しようがない。だが、仮に彼女が弁解しても、柏木は絶対に聞き入れないだろう。
最早こうなっては、奏を連れて出るしかなかった。
「……家まで送るわ」
リーは柏木の説得を諦めて、奏にそう声をかけた。すると──奏はそれを無視して、柏木に近づいて行く。
直ぐに引き留めようと手を伸ばすが、奏はリーの手を振り払い「帰る」と一言呟いた。柏木は早く帰れと言わんばかりに、彼女を睨む。
「……送って」
リーは内心「最初から素直にそう言え」と呆れつつ、自分以外の負傷者が出なかった事に安堵した。
「柏木」
奏は柏木を真っ直ぐに見つめて、名前を呼んだ。呼ばれた柏木は目を丸くして、聞いていたリーは口をぽかんと開けた。
「送ってよ、柏木」
彼女は正気なのかと──2人して疑った。