第117話 【1975年】◆翻弄されるミゲルとミカを殺したい者達◆
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【1975年】
その小さな一軒家は、街の中心地から離れた場所に位置していた。
壁はくすんだ臙脂色、窓枠とポーチは白いペンキで塗られている。屋根は元の色を失い、白みがかかった灰色に変色していて、一部に雑草が根付いていた。
家の中は雑然とした様子で、壁に飾られていた筈の写真とドライフラワーが床に落ちていた。
窓際に倒れたロッキングチェアと手編みレースが散乱していて──その有り様から、何者かに荒らされた事が窺える。
小な侵入者達はブンブンと不快な羽音を立てて、家中を飛んで回った。
キッチンやリビング、2階の寝室やバスルーム、その他の部屋を確認する。
やがて、家に誰もいない事が分かると、1匹の蜂が開いた戸口から家の外に飛び出した。
蜂は1ブロック先にいた女性のもとに行き、彼女の肩に止まる。女性は現れた蜂に驚きもせず、蜂が奏でる羽音に耳をすませた。
『どうやら、家には誰もいないようね』
女性はそう言って、側にいた別の女性に話しかける。
『私はこのままミゲルの家を見張るから、貴女はヴィヴィアンに報告して』
もう1人の女性は頷き、近くに停めてあった車に乗り込み、そのまま座席の下に溶けるようにして消えた。
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ミゲルは人狼から渡された服に袖を通す。持っていた服は、二度と着る事はなく人狼に奪われてしまった。
人狼から渡された服は、体格の良い成人男性の物で、ミゲルの体には全く合っていない。
ぶかぶかの服を纏った少年を見て、人狼が言う。
『成長した姿になればいい。君はもう、何度か経験してる筈だ』
ミゲルは激昂した時、何度か成長した姿になった事がある。それを思い出し、頭の中で描いた。
すると、手足が伸び、全身の筋肉が盛り上がる。人外に変化するよりも、体の成長を操作する方がずっと楽だった。
『上出来だ。じゃあ僕も』
人狼がそう言うと、今度は人狼の背が縮んだ。顔が歪み、肌の色が濃くなる。
ミゲルはその姿を見て、目を丸くした。
『僕だ……』
人狼はミゲルと瓜二つの姿へと変わった。ミゲルそっくりに化けた人狼は、着ていた服を脱ぎ、そしてミゲルから取り上げた服に着替える。
(そうだ……初めて会った時も……彼は僕に化けていた)
ミゲルはそれを思い出し、重要な事実を失念していた事に気づく。
【誰にでも化けれる訳じゃない……条件がある。補食した人間の姿にしか、化けれない】
──人狼はそう言っていた。だが、今は補食していない──しかも怪物であるミゲルに化けている。
思わず怒りがこみ上げ、口から出た。
『僕に嘘を言ったな!!』
人狼はニヤリと笑う。
『なんだ、今更気づいたの? だけど嘘は言ってないよ』
『だったら、その姿は何だ!?』
『……人狼は補食した人間の姿にしか化けれない。但し、自分の年齢は自由に変えられる……前にも同じ説明をしただろ?』
『でも、その姿は僕だ!』
『そうだね……でも、他者に擬態する怪物は人狼以外にもいるんだよ。そう言った怪物を総じてshapeshifterと呼ぶ』
ミゲルは意味が分からず首を傾げた。
『たまには自分の脳ミソを使って考えたらどう? いつも訊いてばかりじゃ、成長出来ないだろ。だから、こんな重要な事を見逃すんだよ。これまで君が見てきた中で、ヒントはいくらでもあるんだ。間違ってもいいから、自分で答えを見つけてごらん』
腹の立つ正論だった。自分が認めていない人物から諭されれのは、受け入れ難い苦痛だ。
ここで反発するか、気持ちを切り替えて正解を探すかは、少年にとって大きな分かれ目だった。
『分かった。そうするよ……』
怒りを堪えて、そう言った。もし、あの時──ロバートの家から我武者羅に逃げたりしなければ、もっと早く気づけた筈なのに──と己を責める。
だが、自己満足で終わる後悔など無意味だ。人はそんな事では救われない。ミゲルもそれをよく分かっている。
(もっとよく観察しなければ……きっと他にも見落としがある筈だ……)
ミゲルがやらんとする事は、潜入捜査に等しい。それには努力と忍耐が必要だった。並大抵の事ではない。
(今は辛抱して、人狼と行動を共にするんだ……)
『良い子だ。Bプラスをあげるよ』
『A はくれないの?』
『自分なりの答えを見つけたらAマイナスを、正解を見つけたらAプラスをあげる』
人狼はそう言って、クックッと笑った。
『さぁ、行こうか』
人狼はバックパックを背負って歩き出す。ミゲルもその後を追って歩き、少し先で待っていたハインツと合流する。
ハインツは満面の笑みを浮かべて、ミゲルを見た。
『なかなか似合ってるよ。その服』
ミゲルはハインツを睨む。ミカを殺したい者の正体について、まだ教えてもらっていない。
『何故、彼と服を入れ替えたの?』
ミゲルは眉間にシワを寄せて尋ねる。
『何故だと思う?』
単純に考えれば、ミゲルの姿で何かをしたいのだろうが、何をするつもりなのかが分からない。
誰かに会いに行くのか? それとも──
『僕の姿で、誰かを殺すとか?』
『成る程、良いアイディアだ。それもアリだね』
ハインツは楽しそうに笑う。どうやら推理はハズレらしい。
この男の倫理観は、一体どうなっているのか?
それが一番の謎だった。けれど、それは考えるだけ無駄だと悟っていた。
──少年は、既に多くの事を学んでいる。
言語が同じでも、言葉が通じない者がいる事を学んだ。
人種や種族に関わらず、価値観の合わぬ者がいる事を学んだ。
そして──自分は自分が思う程、悪人でもなければ、善人でもないと言う事を学んだ。
(人生は……人格は、何を選択するかで決まるんだ)
少年のすぐ隣に、邪悪な選択をした者達がいる。彼らから、大切な者を守りたい。その為に、彼らと行動を共にする事を決めた。
どの道、母親を人質に取られているのだから、共に行動せざる得ないが……
自分で選択する事と、選択を強いられる事は全く違う。
脅されたにせよ、ミゲルには自分で選択したと言う意識があった。
(母さんを……ミカを……助けるんだ。そして……)
青年の姿をした自分の横に、少年の姿をした人狼がいる。その状況に激しい違和感を覚えつつ、ミゲルは尋ねた。
『僕の姿で、またメアリーを襲うつもりなのか?』
内心、今度は指でなく、首を切り落とされれば良いと思う。
『いや、今は無理だね。それに──』
人狼はハインツをチラリと見た。ハインツは瞬時に人狼を睨む。ミゲルは、その一瞬のやり取りを見逃さなかった。
(ひょっとして……メアリーを襲ったのは人狼の独断だったのか?)
『そろそろ、次の駒を出す時が来た。メアリーを殺すのは無しだ』
人狼はそう言って前を向いた。
『次の駒?』
『走者……高僧だね』
ハインツはチェスの駒に例えて答える。
『それは誰の事を指してるの?』
ミゲルの知っている人物なのだろうか? それはつまり、他にも協力者がいると言う事なのか?
『チェスターへの贈り物だよ』
言ってハインツはふふっと笑う。
『……確か、問題はチェスターだと言っていたね。僕にチェスターを殺して欲しいとも言っていた……その駒とやらは、チェスターを殺す為の協力者かな? どう? 合ってる?』
『だいたいはね正解だ。良い子だね。そうやって自分で考察する子は好きだよ。職場でもそうだ。自分の考えてを持った上で質問するのと、考え無しに質問するのとでは、前者の方がずっと良い。教える側も楽だからね』
人狼はそう言ってミゲルを褒めた。
『僕は、貴方達の同僚になったつもりはない』
ミゲルは素っ気なく言って、前を向いた。
(一体、どこまで行くつもりなんだろう?)
不安に思いながらも、ついて行くしかない。何とか好機を伺って2人の凶行を止めるのだ。
メアリー襲撃の件から察して、必ずしも人狼とハインツの連携が取れている訳ではないようだ。
ならば、どこかに綻びがあり、それが好機となる。
森の奥へと進むにつれて、地鳴りのような低い音が聞こえて来る。音は次第に大きくなり、激しさを増す。それに伴って湿度が上がり、水の匂いが漂って来た。
生い茂る緑を掻き分けると、眼前に流れの激しい川が現れた。ミゲル達は斜面を下り、川岸の平たい岩の上に立った。
『ここへ何をしに来たの? キャンプをしに来た訳じゃないよね?』
ミゲルが水音に負けぬ声で尋ねると、ハインツはその場に腰かけた。
『街には、もういられない。今頃、君の家も、学校も、追っ手が回されてる筈さ』
ハインツもミゲルに聞こえる音量で話す。
『ここは安全だと?』
『そう。僕が予め呪いをかけておいた土地だからね、追っ手もここまでは来ないよ。だから、ゆっくり話が出来る』
『話?』
途端にミゲルは色めいた。
『聞きたかったんだろ? 誰がミカを殺したがってるのか?』
『……誰なの?』
息を飲んで、その名前が発せられるのを待つ。
ミカを殺そうとする者は、ハインツを含め断じて許せない。
無論、ハインツが嘘を言う可能性も十分ある。鵜呑みにするのは危険だ。だからと言って、嘘だと決めつける事も出来ない。
恐らくハインツは、ミゲルの反応を楽しんでいるのだ。ミカに関する話をする度に、動揺し、翻弄される少年の姿が、愉快で堪らないのだろう。
情報を小出しにして焦らすのも、そう言う意図があるに違いない。
それらを踏まえて、ミゲルは眼前の悪魔を見据えた。
ハインツは優しく微笑んで【彼女】の名前を告げる。
『メアリーだよ。メアリー・ウォーカー。ミカを殺したがっているのは彼女だ』
【作中解説】
高僧とはチェスの駒の一種。ドイツ語では高僧の駒をLäufer(走者)と呼ぶ。
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