第116話 【1975年】◆分かり合えない吸血鬼と夢魔のキス◆
【1975年】
『どうして皆して、管理人の私に従わないのかしら?』
チェスターの家のエントランスホールにて──
ヴィヴィアンは、血溜まりに崩れる肉塊を見下ろした。
側には緊張した様子の、利一とリーがいる。
『カシワギ(利一)さん。私は、彼にクビだと言った筈ですよ? 街に滞在するのであれば、一言私にご相談頂けますか? それからリーもよ。勝手な理由をこじつけて、マイケル(ミカ)を引き留めないで頂戴』
ミカ達は、後から遅れて来たヴィヴィアンに、アダムの件と、プロム終了まで滞在をする旨を伝えた。
ヴィヴィアンは怒りを通り越し、呆れて頭を抱える。一先ず、アダムをチェスターの家に連れて行くと決め、一行はそれに従ったのだ。
病院に来た当初は、リーの運転する車にチェスターとヴィヴィアンが乗り、ミカが運転する車に利一が乗っていた。そしてアダムも車で病院に来ていた。
その為、車3台での帰宅となった。
──帰宅して、早々……
ミカは再びヴィヴィアンから蹴られ、エントランスホールに倒れた。
『相談も無しに、決めた事は謝るよ。だけど──』
『ボスは私よ。決定権は私にあるの!』
リーの言葉を遮り、ヴィヴィアンは腕を組んだ。チェスター以外の3人に対して、かなり怒っていた。取り分けリーに対してだ。
『……リー。マイケルを暫く地下室に閉じ込めておいて』
『暫くとは、いつまで?』
『私が良いと言うまでよ。それからアダムをこの屋敷に預けるわ。次からは、私の指示にキチンと従って。貴方の協力には感謝してるわ。ええ本当に。でもね、自分が人間だと言う事を忘れないで! 財力や人望だけでは人狼には勝てないのよ! いざと言う時、貴方の身を守るのは私達なの。だからこそ、主導権は私になくてはならないのよ!』
例えば──素人が登山をする場合、通常はガイドを雇う。
ガイドの助言を守り、準備を整え、入山する。勝手な行動は厳禁だ。山に慣れているガイドでさえ、不測の事態が発生すれば、大事に至ってしまう。
登る山が険しければ険しい程、危険性は増す。それ故に、登山の主導権はガイドが握る。
──リーとヴィヴィアンの関係も同様だ。だから彼女は酷く怒っていた。
リーの主張が、正しいかどうかは問題ではない。ガイドを軽んじた素人の末路を危惧していた。
肉塊と化したミカは、言わばリーに対する見せしめだ。
『すまない。僕が悪かった』
リーもそれを分かっていた。素直に謝罪し、ヴィヴィアンの出方を伺う。
『カシワギさん、ミゲルの居場所を特定する事は可能ですか?』
『残念ですか無理です。再び紙を飛ばしても、ハインツに妨害されるでしょう』
『そうですか……』
ヴィヴィアンはハインツの事を知ってる。直接会った事はないが、ミカを捕らえ損ね、処刑し損ねた元管理人だ。
『ハインツ……Heinrich (ハインリヒ)。以前はHenryと言う名前で管理人を勤めていたらしいわね。貴方の大ファンですって?』
そう言ってミカを見た。体はもう修復されている。
ミカは利一を盾にして隠れていた。
『……彼も裏側に住んでたのかしら?』
ヴィヴィアンの問い掛けに、ミカは肩を竦めて『さぁ?』と言った。
「彼も城の住人でしたか?」
ヴィヴィアンは日本語で尋ねる。
利一は驚いた反応を見せたが、ミカは一切反応を見せなかった。ただ、黙って彼女を見据える。
それで何かを察したのか、ヴィヴィアンはそれ以上何も言わなかった。
『……カシワギさん。今から、人狼捕獲用の罠を仕掛けに行って下さい。私が同行して、罠を仕掛ける場所を指示します』
『はっ……はい。分かりました』
『リーはミカを地下室に閉じ込めて。それからチェスターとアダムの面倒をお願い。今日は、もうチェスターを外出させないで』
『……分かった』
2人は大人しくヴィヴィアンに従った。これ以上、ガイドもといボスに逆らえば、それこそ大事に至ってしまう。
『ジェファーソン(ヴィヴィアン)さん。行く前に【檻】を設置させて下さい』
『檻ですか?』
『はい。地下室に檻の呪いをかけて、ミカを閉じ込めておきたいんです』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──チェスターの自室にて。
『どうぞ、召し上がって下さい』
若いメイドはそう言って、首元のボタンを外した。その表情には意思が無い。これは吸血鬼の暗示によるものだった。
チェスターは露になった首筋に牙を突き立て、ゆっくりとメイドの血を飲む。急いで吸ってしまうと、命まで奪ってしまいそうな気がして、いつも時間をかけていた。
ある程度飲んだところで、首筋から口を離す。そして、確かに傷口が塞がっている事を確認してから、メイドを退出させた。
満腹とはいかないが、それでもメイド3人分なら、何とか腹の半分は満たされる。
チェスターは、屋敷にいたメイド達1人づつに声をかけて、自室で血を頂戴した。
つい数日前までは、完全に飢餓から解放されていたが、その恩恵をもたらしてくれたミカとの関係は最悪の状態になった。
ミカはメアリーとエミリーの不幸を願っている。それは、やはり受け入れられない。
だが果たして、彼を完全な悪だと言い切れるのだろうか?
ミカはアダムに対して、怒りを露にし、彼に制裁を加えた。
(ウォーカー氏殺害の時もそうだ……ミカは……)
親しい誰かを傷つけられた時──ミカは怒りを露にする。
その結果がウォーカー氏殺害であり、アダムへの制裁だ。
(救いようのない悪党って訳じゃねぇのか……?)
仮にそうだとしてもチェスターにとって、ミカの言動は許せる範囲を越えている。
ミカはメアリーにちょっかいをかけ、彼女を裏側へ落とし、挙げ句の果てに安楽死を推奨した。
おまけに連続殺人犯である人狼の少年を口説く始末。
──到底、許せる筈が無い。
──それなのに……
──ミカを憎む心に迷いが生じていた。
(……何故、メアリーはあんな頼み事を……)
病室で彼女が言った事も、チェスターを悩ませる原因の1つだ。
メアリーの沈黙のジェスチャーがなければ、理由を尋ねていた筈だが──そうすれば、他の護衛に聞かれていただろう。
(……聞かれると不味いのか? 誰に?)
エミリー達が来て、態度を一変させた事も不可解だった。
(やっぱり……あれは誰かに聞かれたくない話だったのか……)
その答えが知りたかったが、ヴィヴィアンはチェスターに外出禁止令を出した。今日は諦めるしかない。例え会いに行けたとしても、また帰れと言われそうな気がした。
(メアリーが無理なら……マイケルに話を……)
それが出来れば、メアリーの言った意味が分かるかも知れない。
チェスターはそんな期待を胸に、マイケルのいる地下室へと降りて行った。
家の地下室にはボイラーがあり、不要品が所々に点在している。
天井近くにある横長の小窓から、庭の草木が僅かに覗く。日中はそこから光源を得ていたが、夜になれば頼り無い裸電球だけで凌がねばならない。
そんな場所に、ミカはいた。古い机に腰掛けて、退屈そうに小窓の外を眺めている。
チェスターが『おい』と声をかけると、ミカは振り向いて笑みを溢す。
『やぁチェスター。わざわざ何の用?』
『……お前と話がしたい』
『へぇー? 君が? どう言う心境の変化?』
チェスターは黙って近くにあった椅子を動かし、背凭れの方をミカに向け、座面を跨いで座った。
『何故……ウォーカー氏を殺したんだ?』
『……なんだ、そんな話か……知ってるんじゃないのか? ボスから聞いてないの?』
『聞いたさ……家族を殺されたってな』
『……そうだよ。だから復讐したんだ』
『俺は、お前の口から聞きたいんだ』
途端にミカは冷淡な表情で、チェスターを睨んだ。
『9年前……何があったんだ?』
『そんな事を聞いて、どうする?』
『お前の事が知りたいんだよ』
『君には理解出来ないよ』
『話してもいないのに、勝手に決めるなよ』
『話さなくても分かるよ。だって君は……吸血鬼でありながら、カビールの軍に組みしたんだから』
チェスターは『それがどうした』と言いかけて、ハッと気がつく。
『お前……まさか……』
ミカは机から降りると、背中から翼を出現させた。
チェスターは思わず椅子から立ち上がり、目を見開く。
──夢魔の背中に純白の両翼があった。
だが、夢魔の翼は通常──漆黒もしくは蝙蝠に似た形状をしている。
髪色も濃いものが殆どで、ミカは異例中の異例だった。
──そして気づく……
『……どうやら君は【僕】を知ってるみたいだね』
『お前……まさか……マグダレーナ軍の【ミカ】なのか?』
『そうだよ。僕があの【ミカ】だ』
チェスターはミカの両翼を凝視する。両翼は淡い光を放ち、溶けるように消えた。
『……マグダレーナ軍の【ミカ】は裏側で死んだんじゃなかったのか?』
『まぁ、そう言う事になってるね』
チェスターは、ミカに挑んで負けた事を振り返る。
手合わせしたミカは、明らかに戦いに慣れていた。力では、チェスターの方が上だったにも関わらず、彼に二度敗北を喫したのだ。
(負けて当然だ……マイケルが……あの【ミカ】だったなんて)
『これで分かったろ? 僕らは敵同士だ。分かり合うなんて、最初から無理なんだよ』
『お前が敵なら……何故、護衛に選ばれたんだ?』
『あれ? 知ってるんじゃないの? ウォーカー夫人の推薦があったからさ』
『だから……何故だ?』
『知りたい?』
ミカは意地悪そうに微笑んだ。
『ああ、知りたい! 教えろ! 9年前、一体何があった? 何故、推薦された?』
チェスターはミカに詰め寄って、彼の胸倉を掴む。
『何故……メアリーは──』
それを口にしかけて──沈黙のジェスチャーをするメアリーの姿を思い出した。
(クソっ!)
チェスターは寸前の所で言葉を飲み込んだ。
ミカはその様子を訝しみ、それから地下室の階段をチラリと見た。
『いいよ……教えてあげる。……条件つきでね』
『なんだよ?』
『重要な情報を渡すんだ……それなりの対価を貰おうか』
言ってミカは、冷たい眼で睨み付ける。当然、チェスターは警戒した。
ミカは悪党ではないのかと疑問に思い、直接会いに来たが……
ミカの正体を知って、正直、混乱していた。
こんな冷たい眼で睨まれたら、やはり彼は悪党なのかと、思ってしまう。
『一体、何が望みだ?』
『君さ』
『は?』
チェスターは虚を衝かれて、目が点になる。
『君が欲しい……喰わせろよ』
ミカにそう言われ、活力を喰われた事を思い出す。
『……またキスしろと?』
『いや』
突然、ミカの髪が長く伸び、背が縮んだ。掴んでいた胸倉から、豊満な胸が覗き見える。気がつけば、眼前にいつぞやの美女がいた。
『抱いてくれ』
途端にチェスターは赤面し、ミカから手を離す。慌てて後退しようとした拍子に、バランスを崩し転倒した。
動揺するチェスターの様子に、ミカは呆れて尋ねる。
『まさかとは思うけど……女を抱いた経験が無い……何て事は……』
チェスターは上体を起こし、俯き沈黙する。ミカはその仕草から事情を察した。
『今年159歳だろ? 約160年の間、一体何やってたんだよ?』
『うるせぇよ!! お前に関係無いだろ!! てか何で俺の歳を知ってるんだ!?』
『食事の為にガールハントしてたよね? 何で、ついでにしなかったの?』
『はぁ!? お前みたいな下衆と一緒にするな!!』
今度はチェスターが呆れて怒る。
ミカはそんなチェスターにそっと近づき、彼の口元に人差し指を当て『シー』と掠れた声を出す。
『無理にとは言わない……どうせ、真実を知った所で何も出来やしないよ……潔くメアリー達の事は諦めるんだ。……半端な気持ちで関わるのはよせ』
そう言ってミカはせせら笑う。
チェスターはやや怖じ気づいた様子で立ち上がると、黙って階段へと向かった。
──そのまま上に戻るのかと思いきや、彼は踵を返してミカのもとへと歩んだ。
『さっき言った事は本当か? 本当に真実を明かすんだな?』
『君が僕に純潔を捧げてくれるならね』
チェスターはミカから視線を外して、苦悶の表情を浮かべた。
いくら真実が知りたいからと言って、こればかりは素直に『はい』と差し出せない。
決心が着かぬ様子の彼を見て、ミカはチェスターの肩を乱暴に押す。
『抱く気が無いなら、ボスの元へ戻れよ。こんな所に突っ立っていられたら目障りだ』
チェスターは咄嗟にミカの手を掴み、彼女の体を引き寄せた。──だが、それ以上は何も出来ず、困り果てて固まってしまう。
『……仕方無い。キスだけで良いよ』
見かねた彼女がそう言って、チェスターと唇を重ねた。
チェスターは悔しそうな顔をして、ミカを壁に押し付ける。
穏やかにゆっくりと活力を喰われながら、互いの舌を絡ませた。
鼻で息を吸うと、ふわりと良い香りがする。とても好みの香りだった。それがミカの香りだと言う事が腹立たしい。
今、キスしている彼女が、ミカでなければ──このまま体を重ねても良いだろう。
だが、これはミカだ。この姿も、香りも、全部、男を釣る為の疑似餌だ。それを強く意識しないと、うっかり忘れてしまいそうになる。
それ程までに、彼女とのキスは心地良かった。流石に欲情はしないが、夢魔──夢魔はこうやって人間を喰うのだと思った。
──こんな事で、本当に真実を教えてくれるのか疑問だったが、この程度で教えてくれるなら、易いものかも知れない。
──その時……
チェスターは、ふと視線を感じ、振り返って階段の方を見る。
階段の下段には、いつの間にか利一がいた。彼は信じられない程ショックを受けた様子で、2人を見つめている。
チェスターは即座にミカから離れた。そして何故、気配を察知出来なかったのかと困惑する。
一方、ミカは一切取り乱す事無く、冷淡な態度で利一を見つめ返した。
チェスターは不倫現場に踏み込まれた浮気相手のような気分で、ミカと利一の顔を交互に見る。
利一はおずおずとミカの側まで来て、彼女に尋ねた。
「ミカ……何をして……?」
「チェスターと遊んどっただけや……邪魔すんなや」
詫びの一つも無いミカの言動に、利一は思わずミカの頬を叩く。
「何で……何でいつも……そうやって……」
利一は傷つき怒りに震え、そんな彼にミカは追い討ちをかける。
「やめろ。恋人面すんなや……ウザいねん」
「名前を……今朝は名前を欲しがったクセに……!! 約束かてしたんに!! 俺が最後やって言ったクセに!! たった半日で裏切るんか!?」
ミカは答えず冷たい目で利一を睨む。
利一はそんなミカに辛抱堪らず、階段を登り地下室から出て行ってしまう。
突然の修羅場にチェスターは何も出来ず、また、彼らの言語が分からなかった為、ただ傍観するしかなかった。
チェスターは利一が出て行く様を見てから、ゆっくりと気まずそうにミカの顔を見る。
『!?』
見て彼はギョッとした。
ミカは目から大粒の涙を流し、静かに泣いていたのだ。
『……おい……大丈夫かよ』
思わず声をかけるも、ミカの涙は止まらない。
チェスターはどうしたもねかと困惑する。
直接戦場で会った事は無いが、マグダレーナ軍の【ミカ】は勇猛果敢だと聞いていた。
だがしかし──噂に聞く【ミカ】のイメージと、儚げに涙している美女が合致しない。
言動もそうだがミカ自身に一貫性が無く、殺したい程憎らしい時もあれば、今のように、慰めてやりたい程可愛らしい時もある。
とは言え、やはりミカはミカだ。チェスターは気を取り直して、ミカに尋ねる。
『……俺に、真実を言う気はあるか?』
ミカは短く『ない』とだけ答え、チェスターは腹立たしい気持ちでミカを睨んだ。
『ふざけるな!! だったら、今した事はなんだ!!』
それに対して、ミカは答えない。
チェスターは、内心、殴ってやりたい気持ちでいっぱいだったが、泣いている彼女を眼前にして、それを躊躇する。
チェスターはミカの代わりに壁を殴った。
壁は大きな音を立てて、殴られた一部が剥がれ、ヒビが入る。
(コイツと関わるんじゃなかった……)
一時でも、ミカと分かり合えるかも、と──そう希望を抱いた己を恨み、激しく悔やんだ。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.