第115話 【1975年】◆リーの依頼とミカを殺したい人物◆
【1975年】
利一は違和感を感じて、遠くの空を見た。
(追尾の蜻蛉が破られた?)
ミゲルを追って飛翔した紙蜻蛉の位置が、突然分からなくなったのだ。
(ミゲルが破った? いや……違う。人狼に破れる代物やない)
人狼は身体的な能力に優れているが、呪術的な能力は低い。利一の呪術──紙蜻蛉を破るだけの力は無い筈だ。ならば、考えられる可能性は──
「……どうやら、ハインツはミゲルの側におるみたいやな……」
利一の言葉に、ミカは無反応だった。
「……で、どないすんねん。それ」
足元には、震えて踞る青年がいる。ミカから恐怖の記憶を移植され、アダムは動けなくなっていた。
「分からへーん」
ミカは戯けて困ったように笑った。利一はかなりキレ気味でミカを睨む。
『おい。これ……元に戻るのか?』
チェスターがやや心配そうに尋ねる。アダムには同情出来ないが、このままにしてはおけなかった。
『戻す必要がある?』
ミカは素っ気なく言って、肩を竦めて両腕を広げた。
『お前っ……本気で言ってるのか!?』
『戻して欲しいの?』
「このド阿保! ええ加減にせぇや!」
『じゃあ、チェスター。アダムの面倒は君が見るんだな。彼の希望通り、丁重に保護してやるといい』
『はぁ!?』
『だってそうだろ? アダムの希望は、チェスターに保護してもらう事なんだから。それとも見捨てる? そしたら今度こそ、彼は殺されるかも知れないね。まぁ、そうなっても……僕には関係無いけど。なんたって、僕はもうクビだからさ』
言ってミカは微笑んで、アダムの頭上に手の平をかざす。すると──その手に、黒く小さな立方体が現れた。
立方体は風に吹かれた灰のように消え去り、次の瞬間、アダムの震えが止まる。奴隷の記憶を消したのだ。
アダムは無表情で立ち上がり、人形のように動かなくなった。
『じゃ、アダム。これからはチェスターの言う事をよく聞いて過ごすんだよ』
傀儡と化したアダムは、意思なくコクンと頷いた。
『はぁあ!? ふざけんな!!』
怒るチェスターを、側にいたリーが制止する。
『落ち着けチェット。アダムは目撃者だ。不本意だろうけど、マイケル(ミカ)の言う通り、うちで保護した方が良い。いつまた人狼の襲撃があるかも分からないし、それに……ミゲルの件はマイケルにも協力して貰うべきだと思う』
リーの発言に、チェスターと利一が目を丸くした。
『まっ……待って下さい。彼はもうクビなんです。記憶の消去も、もう不要な筈だ。そうでしょう? 違うのですか?』
『そうだ! もうマイケルは必要ないだろう! 今すぐ日本に返品するべきだ!』
抗議する2人に対し、リーは冷静に対応する。
『カシワギ(利一)さんは、早くマイケルを家に連れて帰りたいんだね。気持ちは分かるよ。だって彼は、貴方の家族も同然だ。この街は危険だから、彼を守りたいのだろ?』
『……ご指摘の通りです。私はこれ以上、彼を、ここに留まらせたくはない。……貴方は、紙を通じて聞いてらしたのでは? メアリーを殺そうとした人狼はミゲルではありません。犯人は他にいる。しかも……ミゲルの側には、私達にとって厄介な怪物がいます』
チェスターは怪訝な顔をして、ミカを見た。彼は無反応だ。何を考えているか読めない。
『厄介な怪物とは?』
リーは尋ねると、ミカが口を開いた。
『ハインリヒ。──9年に僕を処刑し損じた、元管理人だ。メアリーとエミリーの父親を殺害した罪でね』
ミカの発言に利一はギョッとした。まさかチェスターに続いて、リーにまで明かすのかと動揺する。
「おいっ!」
「ええやん。もう隠す必要無いやろ。どーせ、クビやねんから」
リーは眉を顰めたが、それ以上動じる事なく冷静に話す。
『……ややこしそうな話だな。でも……罪を許されたから護衛に選ばれたんだろ。でなければ、ここにいない筈だ。違うかい?』
ミカは得意気に『まぁね』と言ってチェスターをチラリと見た。チェスターも同時にミカを見て──2人は目が合う。
チェスターは、それだけで腹立たしい気持ちになった。リーがミカの過去について、大して気に留めない事も納得出来ない。
リーは、2人の合間に小さな火花が散ったのを見て頷いた。
『マイケル。どんな経緯があったにせよ、一度は護衛の任を引き受けたのだろう? だったら最後まで責務を果たしてくれ』
チェスターは『でも、ヴィヴィーがクビだと──』と言いかけたが、リーはそれを遮る。
『ヴィヴィアンはクビだと言ったが、正式な辞令はまだ降りていない。彼女は文句を言うだろうが、僕にはマイケル達が必要だ。どうか協力して欲しい。この街の平穏の為に……ミゲルだって、マイケルを必要としている筈だろ?』
『それは──』
言って利一は、ミカを横目で見た。ミゲルの名前を聞いて、一瞬反応があったように感じた。
『ミゲルを見捨てるのかい? 厄介な怪物が側にいると知りながら? あの子を呼び出した人物は、その厄介な怪物──ハインリヒなんじゃないか? 一連の殺人事件だって、ミゲルが実行犯だとしても、裏で糸を引いてる奴がいるんじゃないか? そうだろ?』
『……僕にどうしろと言うんだ?』
ミカは先程と同じく、素っ気ない態度で尋ねた。
『ミゲルを……あの子を見つけて欲しい。それからハインリヒとやらの事も詳しく聞かせてくれ』
リーは熱意を込めて言って、ミカの肩を強く掴んだ。ミカは、一瞬痛そうに顔を歪める。
『やけに、ミゲルを気にかけるね。何故だ?』
『あの子の両親は、うちの工場の従業員だ。僕もミゲルとは何度か面識がある。……まさか人狼だとは、夢にも思わなかったけどね』
リーはミカから手を離し、酷く残念そうに視線を下げた。
『ベルナルを……ミゲルの両親をこの街に呼んだのは、僕なんだ。そして……ミゲルが今の学校に通えるように、僕が推薦した。それが彼の為になると思っていた……でも、違った』
言ってリーはアダムを睨む。他の3人も傀儡と化した青年を見る。
『つまり──君は、怒っているんだ。恩を仇で返された事に……だからミゲルを捕らえて始末しろと?』
ミカは冷淡な口調で言って、リーを見据える。リーはそれにも動じる事なく、これまた冷静な口調で返答する。
『否定はしないよ。結論としては、それを望んでいる。……ミゲルを捕らえ、街に平穏を取り戻したい。その為に協力が必要だ。……マイケル、答えを聞かせてくれないか?』
『ヴィヴィーは、もうマイケルの解雇を上に報告してるんじゃねぇか? 正式な辞令とやらも、今日明日にでも降りるだろ。リー、諦めろ。コイツを引き留めても無駄だ』
チェスターがそう言ってくれた事を、利一は内心、有り難く思う。宿敵──ハインツが、ミゲルの側にいると分かったのだ。これ以上、ここにいたくはなかった。
例えミカが、メアリーとエミリーの不幸を願い、息子の形見を取り戻したいと望んでいても、ハインツには近寄らせたくはない。
ハインツは9年前まで、この国で管理人を勤めていた。
もし、ミカに死刑判決が下されていれば、彼の処刑を担うのはハインツだった。
それを利一に覆され、恐らく恨んでいる。関わるべきではない。
──だが、リーは言う。
『ならば、僕が雇うよ。マイケル、僕の用心棒になってくれないか?』
『駄目です!』
利一は直ぐ様、拒否した。
『ミゲルを捕らえるには、マイケルの協力が必要だ。ミゲルは彼を信用しているからね。説得して出頭させる事が出来たら、裁判で有利になるだろ? 情状酌量もありうる。ミゲルの為にもなるんだ』
それは一理あった。ミカ自身も、9年前、利一に付き添われて出頭したのだ。
「……利一」
呼ばれて利一はハッした。ミカは真剣な眼差しで、利一を見つめる。
利一には分かっていた。ミカが言わんとする事を──
「ハインツがおるんに……」
「だからや……」
利一の脳裏に浮かんだのは、兎の酒場で泣いていたミゲルの顔だ。それを──思い出してしまった己が憎い。
ミカに対して、必死に謝罪していた少年。確かに罪は犯したが、彼が悪党だとは思えない。
今朝だって、あの不可解な呼び出しが無ければ、きっとミゲルは自首していた。
──だが、それを邪魔する者がいる。恐らく、それはハインツに違いない。紙蜻蛉を破ったのも彼だろう。
『カシワギさん、お願いします』
「利一、頼む」
利一は2人に言われて頭痛がした。己の内側で、理性と感情が鬩ぎ合う。了承したいが、したくない。
「当初の約束通り……メアリーの卒業まででええから」
利一はまだ悩む。
「ほな、プロムが終わるまで」
「プロム?」
ミカは頷く。プロムは今から26日後だ。──約1ヶ月。
「そしたら、素直に帰るんか? 目的が何一つ達成出来んかったとしても……ミゲルに逃げられたとしても? 息子の形見を手にできんくても?」
「約束する」
ミカの約束は信用ならない。それは長年の経験で理解していた。だが、それでも……毎度、毎度、その言葉を信じたい己がいる。
一体、どれだけミカに甘いのか? 懲りないのだ。利一も、ミカも、互いに甘え──依存していた。
「プロムが終わったら、首に縄かけて帰国する」
利一は諦めたように言って、顔をそむけた。ミカは微笑んで穏やかに彼を抱き締める。
その様子を見て、リーは利一が了承してくれた事を察した。
『プロムが終わったら、ミカを連れて日本に帰ります』
利一はそう宣言する。チェスターは『はぁっ!?』と声を荒げ、ミカを睨む。
『ありがとう。改めて、よろしくお願いします』
リーは手を差し出し、利一は渋々握手した。
絶対にヴィヴィアンは激怒する筈だ。3人まとめて、お叱りを受けるのを覚悟する。
『……また、ヴィヴィーに蹴られるんじゃね?』
チェスターがポソリと呟いて、3人は一気に凍りついた。
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ミゲルは土の匂いを嗅いで、目を開けた。片目は地面に埋もれていて、視界が半分しかない。
冷たく湿った土と落ち葉に体を押し付けられ、身動きが取れなかった。
雄叫びを上げながら、何とか必死にもがくが、人狼に腕を押さえつけられ、梃子の原理で地面に突っ伏していた。
人狼はいつの間にか人外に変化して、ヘンリーに襲い掛かったミゲルを制圧したのだ。
人狼の変化は素早かった。ロバートの家でゆっくり変化して見せたのは──変化するには時間がかかると、ミゲルに思わせる為だ。
現にミゲルは、人外に変化するのに時間がかかった。それで、人狼は素早く変化出来ないと、完全に思い込んだのだ。
『よくもっ!!』
視界の半分にヘンリー──ハインツが映る。
『ああ……そうそう。君のお母さんだけどね。残りを返して欲しければ、抵抗しない事だ』
言ってハインツは、満面の笑みを浮かべる。
『……残り?』
『僕は一言も、君のお母さんを殺したなんて言ってないよ』
ミゲルは愕然として力が抜ける。
『抵抗すれば、次は耳ではなく腕を切り落とすよ』
『やめて! お願いだから!』
ミゲルはゆっくりと変身を解き、抵抗の意思が無い事を示す。ハインツはそれを満足そうに眺めていた。
『良い子だ』
そう言って、人狼も変身を解き、木の裏に隠していたバックパックから服一式を取り出す。
『ほらっ』
ミゲルは差し出された服を、素直に受け取り、項垂れた。
『……下衆が』
悔しくて堪らない。人質さえいなければと思ったが、彼らは狡猾だ。母親がいなければ、きっと別の手段でミゲルを脅したに違いない。母親を取り戻したところで、次の手が用意されている可能性がある。
『本気で僕にミカを殺させる気なの?』
それは疑問だった。いくら母親の為でも、ミカは殺せない。それは、きっとハインツ達も分かっている筈なのに……
『そうだよ。でも、まぁ……ミカを殺したい者は僕以外にもいるからね。仮に君が失敗しても、問題は無いよ。きっと上手く。問題はチェスターだな、彼は──』
『待って! 今なんて言ったの!?』
『問題はチェスターだよ』
『違う! その前だ。貴方以外にもミカを殺したい人がいるの!?』
ハインツはキョトンとして、それから破顔する。
『知りたい?』
『……知りたい。教えて』
ハインツは至極嬉しそうな眼をして、ミゲルを見つめた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.