第114話 【1975年】◆ミゲルと母親のピアス◆
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【1975年】
白んだ空は、すっかり澄んだ青に変わっていた。行き交う車が徐々に増え、人々の賑わう声があちらこちらから聞こえて来る。
街は、いつもと何ら変わらぬ朝を迎えていた。
──だが、以前よりも巡回するパトカーがやたらと目につく。それは、やはり……罪の意識からなのだろうか?
それとも、本当に巡回するパトカーの数が増えたのだろうか?
どちらにせよ、警察と関わり合いたくはない。特に今は──義理の母親を人質に取られているだけに、一刻の猶予もなかった。
ミゲルは警察官の注意を引かぬよう、歩いて道を進んだ。パトカーはミゲルの横をゆっくりと通り過ぎて行く。強面の警察官がジロリと少年を睨んだ。
『おい、君』
心臓が跳ね上がり、逃げ出したい衝動に襲われる。それを全身全霊の力で堪えて、顔をパトカーの方に向けた。
運転席と助手席に2人の警察官がいて、歩道にいたミゲルを見つめている。
『どこへ、行くんだ?』
訊かれてミゲルは『友達の所です』と答えた。本当は友達などではないのに──と、内心、苦々しく思う。
それを気取ったように、警察官はミゲルをじっと見た。
『本当に、友達の所に行くのか?』
『はい』
何故に、警察官とはこうも疑り深いのか? 湧き上がる苛立ちを押さえて、極力、従順なフリをした。
『そうか。じゃあ明るい内に帰るんだな。でないと、ピニャータみたいに吊るされて、頭をかち割られるぞ。こないだの事件を知ってるだろう? 被害者はピニャータみたいに割られたんだ。そうなりたいのか?』
警察官はわざと意地悪い顔をして、少年を脅す。
『用心するんだな。ママの所に帰りたいだろう?』
ミゲルは黙って頷いた。それを見た警察官は、満足して僅かに笑い『じゃあな』と言って去って行った。
どうやら、からかわれただけのようだ。ミゲルは安堵して、また走り出した。
なるべく人目の少ない道を選び、やがて緑の多い場所に着くと、更に速度を上げて森へと向かう。
人狼に『森へ来い』と指示された時、被害者のワンピースがあった場所が視えた。人狼が念話を使い、視せたに違いない。あそこへ『来い』と言っている。
ミゲルは指定された場所を目指して、懸命に走る。その内──以前よりも、体が素早く動ける事に気づく。
力の強さも圧倒的に違う。何かが解放された気分になり、明らかに高揚していた。この感覚は、義理の父親を解体した時の感覚に似ている。
人狼の力を発揮する事に、体が喜んでいた。不謹慎だが、ミゲル自身も楽しさを感じていた。
──ふと、思う。
(もしかして……今なら……自分の意思で変身出来るんじゃないか?)
好奇心が湧き上がり、途端に試したくなる。高揚したまま、服を脱ぎ、獣の己を思い浮かべた。
あの人狼は──人の姿に戻るには【人の姿】を思い浮かべろと言った。それは実際に出来たのだ。
ミゲルは己の意思で、人狼から人の姿に戻る事が出来、そして、今朝ミカに会いに行けた。
──ならば……逆をすれば、いい。
目を閉じ、意識を集中させて、初めて変身した時の事を思い出す。
──水面に映る、あの姿……禍々しい爪と牙……強靭な肉体……
ミゲルの体に、成長痛のような、キツい痛みが全身を巡る。走った事により火照っていた体は、別種の熱を帯び始め、やがて立つ事すら儘ならず、その場に踞る。
暫くして、痛みが収まると顔を上げて、真っ先に両手を見た。
──歪な手に禍々しい爪が生えていた。
『出来た!!』
思わず感動して、奇妙な達成感を味わたった。全身を隈無く見渡し、先程よりも力が漲るのが分かると、それを試したくなった。
隣には木がある。幹の直径は20センチ程。比較的、若い木だ。それを全力で殴ってみる。
木は意図も簡単に、繊維にそって割けるようにして折れた──だがしかし、
(これは!? ……痛い!!)
強靭な力だが、拳で殴るには向いていない事を発見する。殴るには爪が邪魔だし、殴った拳も痛い。
思わず、別の頑丈そうな木に目を向け、試しに殴ったのが若い木で良かったと思う。
ミゲルは脱いだ服を拾い、その姿のまま駆け抜けた。街からはもう大分遠い。人目はもう気にする必要はない。
それでも……もし、誰かに見られたらと不安になったが、楽しさの方が勝った。
体が自由に動くのは楽しい。素早く走り、跳躍出来る事が嬉しかった。それが不謹慎だと言う事は、頭の隅にあるのだが、どうにも止まらない。
【やるじゃないか。自分の意思で変身出来るようになったのか?】
それは、あの人狼の声だった。ミゲルも念話で返事をする。
【母さんはどこだ? 無事なのか?】
【勿論だ。早くこっちに来い】
【今、向かってる!】
ミゲルは全力で走った。そして、とうとう指定された場所に辿り着く。
そこはかつて、ミゲルがロバートに縋った場所だ。
あの時は正常な判断が出来ず、差し伸べられたロバートの手が救いだった。
(でも……今はもう違う)
ミゲルは覚悟を決めて、気配がする方へと歩み出た。
──そして、対面する。
その人物は大木の根元に腰を下ろし、朝の木漏れ日を受けながら、熱心に本を読んでいた。
料理本だ。表紙にミートパイのイラストが書かれている。
『おはようミゲル。ミートパイは好きかな? 今度ご馳走しよう。きっと君の口に合う筈だ』
その人物──彼はレシピ本を見ながら、穏やかに言って笑った。
『……貴方は誰ですか? その姿は──』
──その姿に覚えがなかった。完全に見知らぬ人物だ。
黒髪に明るい茶色の瞳をした、明るい肌の青年だった。左手には包帯が巻いてある。そこから、消毒液と血の匂いが僅かにした。間違いなく、あの人狼だった。
『これが本当の姿だよ。君に見せるのは初めてだね』
『初めて? じゃあ……僕が知ってるのは?』
人狼は、ミゲルが自分と知り合いだと言った。真実ならば、ずっと他人に化けていた事になる。
『知りたいよね。分かってる……見せてあげるよ』
言って人狼はレシピ本を膝の上に置いて、目を閉じた。髪色が変わり、頬や顎の骨が変形する。
首から上だけが、別人に変化して──ミゲルは目を見張った。
『え……?』
ミゲルは呆気に取られた。少年は、確かにその顔を知っていた。それは──
『何で……?』
人狼が化けた人物を見て、更に疑問が湧き上がり、思考を巡らせ、そして遂に確信する。
『……いつから?』
ミゲルは尋ねる。自分でも体が震えているのが分かった。鼓動が速まり、血潮のざわめきを感じた。
『これは……いつから計画されていた事なの?』
人狼は、その人物に化けたままニッコリと笑う。
『知りたい?』
そう言ったのは人狼ではない。ミゲルはハッと振り返る。そこには、ヘンリーがいて小さな紙切れを掴んでいた。
『追跡されてたようだね……まぁ無駄だけど』
ヘンリーは掴んでいた紙切れを、手の中に丸めて潰し、次にその手を平げた。
すると、紙切れは瞬間的に燃え上がり、灰となって散る。
『本当に……鬱陶しい術を使う……あの餓鬼は……』
ヘンリーは紙を燃した手の平を見つめて、顔を歪ませる。
『ヘンリー……教えてよ。一体いつから、これは計画されてたの?』
『……薄々気づいてるんだろ? 君が生まれる前からだよ。もっとも……最初から僕達は結託していた訳じゃないけどね……』
『どう言う事?』
『僕はね……9年前にミカを殺し損ねたんだ。……だから、その雪辱を果たしたいんだ』
ヘンリーがそう言うと、人狼がクックッと笑った。
『ミカを殺したい彼と、チェスターを殺したい僕が手を組んだのさ。あと……ロバートもね。彼にも役割がある。利害の一致ってヤツだ』
『そんな事させない!』
ミゲルは叫んだ。それをヘンリーは満面の笑みで見る。
『じゃあ、どうするの? 母親を人質に取られてるのに?』
それを言われ、ぐっと息を飲む。
『それは──』
一番大切なもの──それはミカだ。ミゲルの中で、それはもう決定してしまっていた。だかしかし、母親を見捨てる事も出来ない。
良き母親だったかと訊かれたら、正直そうだとは言えない。母親にはいつも、犠牲にされていた気がする。
父親が怒る時、母親から庇って貰った記憶はない。彼女はいつも、後からミゲルを慰めにかかる。
そうやって『私は貴方の味方』だと、やんわりと主張するのだ。
それが本当に慰めになった事も多々あるが、10代になってからは疎ましく感じる事が多くなった。
少年の中で、母親を恨む気持ちが芽生えていたが、それが全てではない。
──優しく包んでくれた腕。
──手を繋ぎ歩いた思い出。
──ミゲルを愛しそうに呼ぶ声。
恨みと共に愛が混在していた。
(見捨てられない……)
ミゲルがそう思った時、ヘンリーがポケットから【それ】を出した。
『……えっ?』
途端に背筋が寒くなり、全身の毛穴が窄んだ。
『はい、返すよ。君のお母さんだ』
そう言って、ヘンリーは【それ】を投げて寄越した。
ミゲルは膝を着き、震える鉤爪で【それ】に触れる。
──それは、耳だった。
根元から切り取られ耳。金色の小さなピアスが着いている。
──母親がいつも身につけていたピアスだ。
言葉が出ない──声すらも発する事が出来ない。体の内部で、何かが崩れていくのを感じた。激しい鼓動と震えだけが止まらない。
──脳裏に浮かんだのは、自分を呼ぶ母親の姿だ。
【ミゲル……】
【ミゲル……】
【ミゲル……今夜は何が食べたい?】
毎日、何気無く聞いていた──あの台詞が耳に甦る。
『良かったじゃないか。これで、君を縛るものが1つ減ったね!』
言ってヘンリーは笑う。
ミゲルの内部で、崩れたものが激しく渦巻き──爆発した。
狂暴な怒りが全身に宿り、泣き声とも、雄叫びとも、分からぬ絶叫を上げると──
全力をもって地面を蹴り、その鋭い鉤爪をヘンリーに振り下ろす。
【作中解説】
ピニャータとはメキシコや中南米でお祝い事(誕生日)に使われる【くす玉】。中にお菓子や玩具を入れ、宙吊りしたピニャータを棒で割って祝う。
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