第112話 【1975年】【1950年】◆利一の愚行とアダムの告白◆
このページをひらいてくれた貴方に、心から感謝しています。
ありがとうございます。
A big THANK YOU to you for visiting this page.
【1975年】
ミカと利一は病院の駐車場で、ヴィヴィアン達を待っていた。腕時計を見ると、もう朝の9時を過ぎようとしている。
患者や見舞い客が次々に現れて、車を停めて病院に向かう。それらを何の気なしに、後部座席から眺めていると、ミカが唐突に呟いた。
「暇潰しに、ちょっと喰いたい」
利一はその発言にぎょっとして、隣に座るミカを見た。まさか、ここで行為に及びたいなど──そんな馬鹿げた事を言ったのかと、思わず耳を疑った。
ミカは意地悪そうにニヤリと笑う。
「ええやん。周りからは見えへんようにするし」
「ええ事あるか!! さっき喰ったやろ!! 第一、ジェファーソンさん達が戻って来たら、どないすんねん!!」
「見られると興奮せぇへん?」
「……しばくぞ、ド阿保」
急に迫るミカに対して、利一は冷静にツッコミを入れた。
だがミカは構わず、利一を押し倒し、シャツとズボンを外しにかかる。
「ちょ……待て!! 本気か!?」
「本気」
流石に利一も、この行き過ぎた行動を咎める。
「ええ加減にせぇ!! お前っ……最近変やぞ?」
「……りっちゃん」
「何やねん?」
「……ごめん」
「……何がやねん」
「全部」
「全部て?」
利一が言葉の意味を尋ねると、ミカは女性に化けて、押し倒した利一の上に乗っかった。
そして、潤んだ瞳で申し訳なさそうな顔をする。利一はこの顔に弱かった。
「ミカ……そんな顔せんといてくれ」
「うん」
「早よ退けや」
「うん」
ミカは了承するが、一向に利一の上から動こうとしない。その体勢のまま、暫し沈黙する。
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「利一」「何やねん?」
ミカは利一の頬に触れた。
「利一……初めて俺を抱いた時の事を覚えとる?」
「いきなり、なんやねん……忘れるわけないやろ」
利一は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あの時……随分責められたな」
言ってミカは、クスクスと笑った。
──1950年、冬の夕刻。
当時18歳だった利一は、書斎の椅子に力なく座っていた。
虚ろな眼をしてぼんやりと宙を眺めては、時折、窓の外の桜に目を向ける。
春に美しい花を咲かせていた桜も、冬になる頃には葉も落ち、寒ざむしい枝が残るのみだった。
利一の初恋も、桜のように散ってしまった。それは擬似的でもなく、虚像でもない、正真正銘の初恋だった。
目が合うだけで胸が高鳴り、言葉を交わせば幸せが満ちる。彼女と一緒にいられるだけで世界は美しく、未来に希望を見出だせた。
だが、それは悲恋に終わった。彼女──ジヒョンは日本を去り、北に行ってしまった。もう二度と触れる事も、話す事も叶わない。
利一が打ち拉がれていると、呼びかけも無しに書斎の扉が開いて、見ればそこにミカがいた。
よりによって女性に化けた状態で……
思わず火が着いたように怒りが湧いて、利一はミカを責め立てた。
「今更、何の用や!! 何しに来てん!! 二度と顔を見せるな言うた筈やろ!!」
久々の再会は最悪なものだった。利一はミカだけには会いたくなかった。特に──女性のミカに会う事は苦痛であり、屈辱だった。
利一は、女性のミカに対して擬似的な恋心を抱いていた。勿論、彼女はミカが化けた虚像でしかない。彼女は確かにミカだったが、本当のミカではないのだ。
それが、堪らなく虚しかった。
一方、ミカは事情が分からず、激怒する友人に戸惑う。ゆっくりと近づき手を伸ばすが、利一はその手を振り払い、拒絶する。
「お前がおらんくなって……やっとマトモな恋が出来るて思たんに……なのに……なのに……何で、今更来たんや!!」
言って利一は、悔しそうに涙を堪える。恋人と離別したばかりで、心に余裕など無かった。
(もう、これ以上……俺を苦しませんといてくれ……)
そう思い、眼を伏せた。彼女の姿を見るのが辛い。会えば気持ちが揺れ動き、制御を失ってしまう。
「ごめん……来ん方が良かったみたいや……帰るわ」
踵を返すミカの手を、利一は掴み引き留めた。青年の中で、複雑な思いが混在していた。
──ミカが憎らしくて、愛しい……
──抱き締めたいのに、突き飛ばしたくなる……
──顔も見たくない筈なのに、会えば嬉しくて堪らない……
利一の感情は許容範囲を越え、彼は愚行を犯した。
──それから25年後、1975年。
車内でミカは、押し倒した利一の上に乗りながら、懐かしそうに話す。
「いや~あん時……まさか、りっちゃんに無理矢理押し倒されるとは思わんかったわ~」
利一は少しムッとして反論する。
「無理矢理ちゃうやろ……」
「無理矢理やん」
「お前の方が力強いねんから、抵抗しよう思えば簡単出来たやろ?」
「抵抗して欲しかったん?」
「してくれたら……俺かて、せんかったんに」
「俺のせいやと? 責任転嫁もええとこや」
利一の発言にミカは呆れた声を出し、次いで意地悪そうに笑った。
「正直に言えや……女の俺が好きやったんやろ?」
利一はそれに答えずミカを見据える。ミカの指摘は図星だった。歪んだ想いを抱いていたのだ。虚像の女性に──偽りの恋をしていた。
「ずっと俺が欲しかったんやろ? ……いつから?」
「そんな事……今更、聞いてどないすんねん」
「認めたな、利一」
「じゃかあしい……お前なんか好きとちゃうわ。誤解すんなボケ」
「へぇーあーそぉーお?」
「お前……ホンマ、ムカつくな」
「……せやろ?」
言ってミカは、利一に唇を重ねようとして、遠くにチェスターとリーの姿を見つけた。
「あっ……帰ってきた」
利一は慌ててミカを押し退け、手速く乱れた着衣を直す。押し退けられたミカは、車内の天井に頭をぶつけ、片足を上げながら、無様に転げた。
「りっちゃん、いたーい」
「……自業自得やろが」
利一は、病院の玄関から出てきたチェスター達に目を向ける。ヴィヴィアンは一緒ではないようだ──そう思って、2人を見ていたら……
誰かが病院の玄関へと走って行く。まだ、あどけなさが残る青年だった。
青年の大層な慌てぶりに、身内が事故にでも遭ったのかと思ったが──彼は脇目も振らず、チェスターのもとに駆け寄った。
ミカと利一は顔を見合わせ、素早く車から降りると、チェスター達の所に駆けつけた。
着いてみれば、チェスターがアダムと呼んだ青年を宥めている最中だった。
『落ち着けアダム! 何があったんだ!?』
『こ……殺される……きっと次は俺だ!! 俺なんだよ!! チェスター何とかしてくれ!! 俺、警察にも言ったんだぜ。でも、あいつら俺の話なんか聞きゃしない! リックもだ! ……忠告したのに、俺の頭がイカれてるって言いやがった! お前は違うよな? 同じ部の仲間だもんな?』
アダムは酷く取り乱して、支離滅裂な事を言いながら、チェスターの腕に縋り付く。
『何の話だ!? 落ち着いて説明しろ!!』
チェスターかキツく言うと、アダムはしどろもどろになりながら、震えて話し出す。
『イーサンが……不味い事をしたんだ……俺は最初……止めたんだ……でも…………リックの奴も、やれって言うから……』
アダムの口から【イーサン】の名前が出た途端、その場にいた全員の顔が険しくなった。
イーサンとは、最初にミゲル殺された11年生の名前だ。同じく【リック】も、ガールフレンドのジュディと共に、行方不明になっている11年生の名前だった。
『だから、最初から説明しろよ! 何を言いたいのか分からねぇよ!』
チェスターに怒鳴られ、アダムは完全に萎縮する。体を震わせ、頭を抱えて、その場にへたりこんだ。
チェスターがそれに苛立っていると、怯えるアダムの背後から、スッと両手が伸びて、首筋に優しく手を添えた。アダムは身動ぎもせず、一呼吸する。すると、急に顔色が良くなり、落ち着きを取り戻す。
アダムはゆっくりと振り返り、首筋に手を添えるミカを見た。
『やあ。……アダムだっけ? チェスターに話があるんだろ? 落ち着いて、もう一度話してごらん。今度は上手く話せる筈だよ』
ミカはにっこりと微笑んで、アダムの肩に軽く手を乗せた。ミカに促され、アダムはもう一度、事のあらましをチェスターに話す。
『3ヶ月前……学校の帰りに、友達のリックを車に乗せたんだ。……そしたらリックの奴、従兄弟のイーサンも乗せてくれって言うから、乗せてやったんだよ』
『……それで、何があったんだ?』
チェスターが尋ねる。
『……そのまま3人で遊びに行く途中で、9年生の餓鬼を見かけたんだ。そしたら……イーサンがそいつを乗せようって言い出して……。リックが、イーサンにどうするつもりなんだって訊いたら、イーサンは森に連れて行って、からかってやろうって言うもんだから、俺も賛成したんだ。……てっきり……森に置き去りにするもんだと思って……だけど……違ったんだ……イーサンは──』
──その後の内容は……聞くに耐え難いものだった。
3人は9年生の少年を森へ連れて行き、そこで彼を虐げた。
それは魂の殺人とも言うべき所業で、決して擁護する事は出来ない行為だ。
動機も残虐的かつ稚拙なもので、これは明らかな憎悪犯罪だった。
『俺は……最初止めたんだ。……でもイーサンが……なら、お前が代わるかって言うから……』
アダムは、結局、その行為に加担した。抵抗する少年の手を押さえたのだ。
『それで……何故、加害者の君が助けを求めてるの?』
ミカは冷淡な口調でアダムに尋ねる。
『……見たんだ』
ミカが『何を?』と尋ねると、アダムは震えながら声を絞り出す。
『……9年生を連れて行った時……俺、あの森でライターを落としたんだ。それは父さんのジッポで……黙って持ち出したのがバレるのが怖くて……あれから、何度も探しに行ったんだ…………そこで見たんだ』
チェスターはアダムを睨みながら『何を見たんだ?』と尋ねた。
森には歴とした所有者が存在し、私有地となっていたが、森は金網のフェンスで囲われているだけで、地元の人間も明確な所有者を把握してはいなかった。
森の入り口には開けた場所があり、今にも崩れそうな古い納屋が立っていた。以前はここに一軒家があったのだが、火事で全焼した為、納屋だけが取り残されたのだ。
アダムは納屋の近くに車を停めようとして──気づく。納屋の陰に隠れて、もう1台車が停めてあった。
見たところ、車は埃も錆も無く、ボンネットは僅かに熱を持っている。つまり、近くに車の所有者がいる事を示していた。
森の地主が来たのかと思い、森に入るのを躊躇うが、誰が森を訪れたのか──と言う好奇心が僅かに勝り、アダムは森に足を踏み入れた。
金網のフェンスは一部が破れ、ひん曲がっていた。アダムはその穴を潜り、森に入る。
暫く進むと、大木の陰から話し声が聞こえて来た。だが何を話しているかは、よく分からない。
アダムは極力、気づかれないように近づき、彼らの会話に耳を傾ける──が、やはり会話の内容は把握出来ない。
辛うじて聞き取れ言葉は──
【カップルを殺したのは、ミゲルだ】
イーサンとリックと一緒に辱しめた、あの9年生の名前を聞いて、アダムは愕然とした。
『ミゲルだって……確かにそう言ったんだ……そいつは……』
アダムは、ようやく少年の名前を口にした。全員、予想はしていたが、ミゲルの名前が出た事で、誰もがより険しい顔をした。だが、ミカだけは冷淡な顔のまま、アダムを見つめ続ける。
『……誰が言ったのか気になって……確認したんだ……そしたら……』
アダムはまたガタガタと震えだした。血の気が引いた顔をして、必死に話す。
『化け物だ……化け物がいて……そいつらが話していたんだ!』
ミカはアダムにそっと触れて、彼の記憶を覗いた。
アダムが見た怪物は──
上半身は人だが、その下半身は蜘蛛に酷似している。手足が4本づつ生えており、全身、黒い鱗で覆われていた。
顔の上半分は普通の人間だが、鼻は潰れていて、大きな口が胸の所まで裂けていた。その口に無数の牙が生えている。
アダムはその口を見て、ウミヤツメと呼ばれる寄生性の魚を思い浮かべた。
ウミヤツメは吸盤状の口に生えた、無数の棘のような歯と、棘の舌で、他の魚に寄生する。
怪物は、その醜い口を縦に裂いたような顔をしていた。
『もう1人は普通の人間に見えたけど……化け物と会話してる時点で、普通じゃない……あれは……あれも化け物だ……』
アダムは思い出して、また震える。
『……ハインツ』
唐突に──ミカがそう呟いて、利一はハッとした。
(……彼がここに?)
ミカは表情を一切変えずに、拳だけを強く握る。それを、利一だけが気づいていた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.