第111話 【1944年】◆◆利一の依存と献上の品◆◆
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【1944年】
──利一が裏側に来て、3日目の朝。
ミカは、隣で眠る少年の寝顔を眺めていた。静かに寝息を洩らす稚い顔には、大きな痣と傷がついている。
ミカは利一の頭を優しく撫でながら、昨日の事を振り返る。
──利一がいなくなった瞬間の焦燥感。ミカは不安に心をかき乱され、純粋に利一の身を案じた。
幸いにも、利一が羅針盤を落としてくれた事で、直ぐに発見する事が出来たが、あれが無ければ利一を失っていただろう。
ミカは、利一が殺されそうになった時、激しい怒りを感じた。その事を奇妙に思う。
(最初に利一を殺そうとした僕が、利一を傷つけられて怒るのか……笑えないな)
認めたくない感情が、ミカの中に生まれていた。
(これ以上……この子に感情移入する前に、兎を捕まえなければ……)
ミカはそう思いながら起き上がり、壁に備え付けられているクローゼットの戸を開けた。
身支度を整え、クローゼットの中から服を一着取り出し、もう一度、利一の寝顔を覗き込む。
──利一は夢を見ていた。
見渡す限りの満天の星。足元には鏡のような水面が広がり、利一は水に沈む事なく立っていた。
その水面に映る、長い黒髪の少女。巫女装束を身に纏い、前天冠と呼ばれる髪飾りを着けている。
朧気に少女を眺め、やがてそれが自分だと気づく。
「利一」
呼ばれて顔を上げると、少し離れた場所に見知らぬ男が立っていた。
見た目は20代後半。口髭と顎髭を生やし、勾玉の首飾りを下げ、古めかしい着物を纏っている。
昨日はその顔がよく見えなかったが、今日はハッキリと見えた。
男は堂々とした態度で、利一を真っ直ぐに見つめていた。
「利一……帰っておいで」
男は利一にそう呼び掛ける。
「……無理です。帰れません。……帰り方が分からないんです」
利一はそう答えた。すると、男は利一のもとに歩んで、そっと少女を抱き寄せた。
「利一……帰っておいで……ずっと君を待っていたんだ」
「何故ですか? なんで俺を?」
「君が生まれて来るを、ずっと待っていた……」
男は利一に顔を寄せて、唇を重ねようとする──だが、利一の背後から、しなやかな手が現れて、稚い口元を覆い隠した。そして胴回りに腕をまわし、利一を男から引き剥がす。
利一が振り向き見ると、手の持ち主はミカだった。ミカは利一を素早く抱え、後ろに跳躍し、男から距離を取る。
「ミカ!」
利一は思わず彼の名前を呼んだ。白金髪の青年は、少女をしっかりと抱いたまま、眼前にいる男を睨み付けた。
「お前が噂の龍か? まさか夢を通じて会えるなんてな。思ってもみんかったわ」
「龍!? あの男が!? 嘘やろ!? 貴方が龍神!?」
「……それは私の贄だ……お返し願おうか」
龍神は、利一を寄越せと言わんばかりに手を差し出す。
ミカは利一を龍神から隠すようにして抱き上げて、挑戦的に言い放つ。
「そんなに欲しいんやったら奪いに来いや! まぁ……無理やろうけどな!」
ミカは背中から純白の両翼を出現させ、眩い 光を放つ。龍神は眩んで、反射的に袖を掲げた。光が収まり、袖を下ろすと、そこにはもう2人の姿はなかった。
夢に1人残された龍神は、忌々しそうに2人がいた場所を睨み付ける。
利一は目を覚ますと、勢い良く起き上がり、直ぐ様、辺りを見回した。
寝台の側には、翼を生やした白金髪のミカがいて、利一をじっと見下ろしている。
「……ミカ?」
ミカは利一に持っていた軍服を差し出す。
「これに着替えろ」
利一は状況が飲み込めず、やや唖然とした表情でミカを見る。まだ夢の中にいる気分で、軍服を受け取った。それから、自分が夢から覚めた事実を認識して、徐に口を開く。
「ミカ……俺……さっき変な夢見てん」
戸惑いながら話す利一に、ミカは冷淡な態度を取る。
「ただの夢や。早く着替えろ」
ミカの翼は淡い光となって溶けるように消え、同時に白金髪が黒く染まった。
「分かった……着替える」
利一は、ミカの冷淡な態度に戸惑う。内心、何かあったのか、或いは自分が何かしたのかと不安になった。
これまで、ミカが戯けた言動をとり、利一がそれに反発してきた。その関係が心地好かったが、それが今朝になって急に消えた。
(昨夜はあんなに優しかったんに……)
ミカは利一の側にいると約束したのだ。だから今日も、優しく接してくれると期待していた。なのに──それが外れて悲しい。
無自覚だったが、利一はミカにすっかり依存してしまっていた。
心境に変化があった2人だが、決定的に違う点がある。ミカは己の変化を自覚し、利一は無自覚なままと言う事だ。
ミカは、利一に情を移す己を律しようとしていたが、利一は自覚が無いので、心が無防備な状態だった。
今のように、ミカの些細な言動で傷ついてしまう。まるで飼い主に無視され、しょんぼりしている子犬のようだった。
利一はミカに渡された服に袖を通す。すると服は利一のサイズに縮み、その形状とデザインを変化させる。
元は白と黒を基調としたデザインだったが、そこに青緑色が混じり、金糸の紐で施された装飾が両肩についた。
「すごい……」
ミカの軍服同様に、この服にも術がかかっていた。利一は感心して、身に纏った軍服を見つめ──そして気づく。
(俺自身にかけられた術でなければ、無効化は出来へんのか……意識を集中すれば、無効化出来るやろか?)
利一は自分の能力について考察する。無効化を応用出来れば、昨日のような危機的状況において役に立つかもしれない。
そう考えて──ふと……昨日、自分を殺そうとした男の発言を思い出す。
【──お前達はマグダレーナ様への献上の品か?】
(献上の品……アイツはそう言うた)
あれは、どう言う意味なのか? 結局、あの男は答えてくれなかった。
「……ミカ」
「なんや?」
「……あんな」
利一はミカに【献上の品】について尋ねようとしたが、ミカの顔を見た瞬間、それを躊躇した。
依存している相手の、都合の悪い部分に目を瞑るのは、よくある話で──利一も例外ではなかった。
もし【献上の品】の話がミカにとって不都合なモノだった場合、利一は依存相手を失う可能性がある。
この世界でミカを失う事は、死に直結している。勿論、利一はそこまで考慮していない。
ただ──尋ねてはいけない気がして、口から出す言葉を咄嗟に変えた。
「昨日は……おおきに。ミカがおらんかったら……死んどった」
素直に感謝を述べる利一。ミカはそれを愛らしく感じて、思わず頭を撫でてやりたくなる。
──だが、それをグッと堪え、
「へー……なんや、しおらしいやん? 何企んでんねん?」
と、茶化す。利一はムッとした顔する。
「なんやねん! もうっ! 人が折角、お礼言うてんのに!」
「そんな事はえぇから、兎が罠にかかってへんか、見に行くで」
ミカはそう言うと、利一を連れて部屋を出る。
今日は地下の奴隷用の食堂には寄らず、真っ直ぐと城の門へと向かう。
城のエントランスホールを通り抜けようとしていた時、円形に並んだ柱の影から、ハインツが音も無く現れた。
『ミカ。巡回に行くの?』
ハインツはそう言って、ミカに微笑んだ。
『ああ……そうだよ』
『昨日は大変だったみたいだね』
ハインツは、ミカに抱えられている利一に視線を送る。
『何の話か分からないな……』
ミカはとぼける。昨日の一件について、ミカは公言していない。だが、ミカが仲間を殺した事は周知の事実となっていた。
ハインツはミカをじっと見ながら微笑み、更に話しかける。
『まぁいいや。それで? 今日もその奴隷を連れて行くの?』
『……何か問題でも?』
『……別に。ただ……ジェームズが恋しいのかと思って』
『この子は息子の代わりじゃない。ただの奴隷だ。妙な勘違いは止めてくれないか?』
『そうだね……ごめん。……巡回、行ってらっしゃい』
ハインツはそう言って笑顔で手を振り、ミカと利一を送り出す。
利一はミカの肩越しにハインツの表情を確認する。初日に見た、あの憎悪に満ちた顔をまたするのかと思ったが、今日のハインツは嫌になる位、爽やかな笑顔だった。それが逆に不気味だった。
城を出てから、利一はミカに尋ねた。
「昨日……ミカがあの男を殺した事は……内緒なん?」
「せやな」
「何でなん?」
「報告書を書くのが面倒やねん」
「それだけ?」
「それだけや」
「そんな理由で?」
「そんな理由や」
命を軽く扱う裏側の流儀に、利一はかなり引き気味になる。ミカはその様子に気づき、利一に尋ねた。
「俺が怖いんか?」
利一は首を横に振り、ミカに抱きついた。
「怖ないよ……ミカやもん」
それは強がりで、本心ではミカ達怪物を恐れていた。
──だが、それでもミカを頼らざる得ない……
ミカに見捨てられたくはなかったし、今朝のように冷淡な態度を取られるのは辛かった。
優しく言葉をかけて欲しい。……でなければ不安で堪らない。
──それを、どう言葉にしたら良いのか分からず、ミカに抱きつくしかなかった。
ミカは利一を宥めるように抱き締め、純白の翼で飛翔する。
「兎……かかっとるとええな」
ミカはそう言い、利一も「うん」と小さく頷く。
──結局この日、兎は罠にかかってはいなかった。
肩を落とす利一を連れて、ミカは元来た道を引き返す。
長いトンネルから扉を抜けて、マグダレーナの城を目指す。
その帰路の途中で利一は言う。
「3日も帰らんかったら、父様にどやされるわ」
すると、ミカは歩みをピタリと止めて、急に気まずそうな顔をした。
「ミカ……どないしたん?」
「……いや……なんも無いよ……帰って飯にしよう」
「……うん?」
利一は不思議に思いながらも【献上の品】と同様に、それを尋ねる事をしなかった。
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──ミカと利一が、トンネルに仕掛けた罠を確認していた頃。
ハインツは、軍服を身に纏ったお供を2人連れて、地下へ続く狭い階段を下りていた。
やがて一行は城の奥深くにある、巨大な水路に辿り着く。
水路の脇にはいくつもの細い歩道があり、所々、階段や大きな段差があった。この水路全体が、広大な立体迷路のような作りになっているのだ。
天井には淡い光を放つ球体が浮かび、広いを水路を照らしている。
一行は、水路脇の歩道を歩き、階段を乗り降りしながら、更に奥へと進む。着いた先は水路の中心部にある、開けた場所だった。
そこは大きな円形の高台になっていて、床の中央に幾何学模様の陣が描かれている。
ハインツ達は模様の描かれている床の前で、暫く何かを待っていた。
『そろそろかな?』
ハインツがそう言うと、幾何学模様の床が光だし、空中に巨大な光る球体が出現した。
球体は光から液体へと変化し、液状の球体の中に、数人の人影が見え始める。
すると突然、球体が弾けて、中から5人の人間が水と共に投げ出された。
5人は飲み込んだ水を、激しく咳き込みながら吐き出し、ハインツ達を見る。
『……ゴホッ……ゴホッ……あっ……貴方は誰?』
5人の内の1人がハインツに尋ね、あとの4人も訝しみながらハインツを見る。
『僕はハインリヒ。遠路遥々(えんろはるばる)、ニューヨークからようこそ諸君』
ハインツは満面の笑みを浮かべて、彼らに告げる。
『君達は選ばれたんだよ。女王様への献上の品としてね』
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
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