第108話 【1944年】◆◆逃走する利一と醜悪な追跡者◆◆
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【1944年】
利一はぼんやりと目を覚ました。周囲は漆黒の闇に包まれており、踏みしめる地はあるが、天を見ても星1つ見えない。
不思議な事に、闇の中でも己の姿だけは、陽光に照らされているかのようにハッキリと見える。
(確か……俺は……ミカと一緒に罠を……)
意識を失う前の事を思い出そうとするが、思考に靄がかかっていて働かない。
『おい……昨日の娘はお前の妹か何か? 今、どこにいる?』
訊かれて利一はハッと息を飲む。途端に意識が鮮明になり、側にいた男の存在に気づく。
(そうや……俺はこいつに捕まって……)
男は、利一の胸倉を乱暴に掴んで再度尋ねる。
『答えろ。ミカと一緒にいた娘はどこにいる?』
どうやら男は、昨日見かけた少女の利一を探している様子だった。まさか眼前にいる少年が本人だとは、微塵も気づいていない。
利一は『妹か?』と訊かれて、その話に合わす事にした。
『……妹に何の用だ?』
『決まってるだろ? 遊んでやるのさ』
『どう言う意味だよ?』
利一が尋ねると、男は蟇蛙のような気味の悪い笑みを浮かべる。その顔を見て、男の目的を察した。
利一は生け贄として、ある程度の知識と教育を受けてきた。受けてきたからこそ、今、自分が置かれている状況が如何に危険な状態かを理解する。
(不味い! 不味い! 不味い! 不味い! 気ぃ失っとったから、日没までの時間が分からへん!!)
日没までに打開策を見出さなければ、少女の正体が明るみになり、考えたくは無いが……屈辱的行為を強いられるだろう。
(そうや……紙! ミカから渡された紙が残ってた!)
利一は懐に手を伸ばし、紙があるか確認した。幸い3枚残っている。だが、マグダレーナから借りた羅針盤は、幾ら探しても見つからない。どうやら、どこかで落としてしまったようだ。
『おい、小僧。妹を差し出せば、お前は助けてやってもいいぜ?』
利一はどうしようか一瞬迷う。直ぐに妹を差し出すと言えば、却って怪しまれるかも知れない。
『い……妹には手を出すな』
『ほぅ……じゃあ、お前が相手をしてくれるのか?』
訊かれて利一は石化する。
『ちょっと待ってくれ!! 俺は男だぞ?』
『構わねぇよ』
『構えよ!!』
『頭が堅いな、お前……』
『お前が緩過ぎるんだよ!!』
『お前達……ミカの奴隷なんだろ? だったら、奴の相手をしてるんじゃないのか?』
『誤解だ!! 俺と……俺達とミカはそんな関係じゃない!!』
利一は激怒して、必死に否定する。
(マグダレーナといい、この男といい……妙な誤解はかんにんしてくれ!!)
『なんだ違うのか? じゃあ……お前達はマグダレーナ様への献上の品か?』
『は? 献上の品?』
『……その様子だと……何にも知らねぇみてぇだな』
『何の話だ? 説明しろ!』
男は急に黙り込み、繁々と利一を見る。
『どうせ親に売られて裏側に来たんだろうが……まさかこんな目に遭うとは思って無かっただろう?』
『売られた?』
男の言葉に、利一は城にいたメイド達を思い出す。
『ひょっとして…城にいたメイド達は……表の世界で誰かに売られて、ここへ来たのか?』
『そうさ。知らなかったのか? 奴等は、親や、恋人や、借金取りと言った連中に、皆売られてここへ来たんだ。まあ……たまに亜空間の隙間に落ちて、こちらに流れ着く人間もいるがな……』
(マグダレーナに献上されるとどうなるんや? ……いや、それよりも……今はこの状況を何とかせなアカン)
何とか窮地を脱する手立ては無いかと、思考を巡らせるが、なかなか良い案が浮かばない。焦れば焦る程に考えが纏まらない。とりあえず……何かを喋らなければと口を開いた。
『俺が献上の品なら……手を出すのは不味いんじゃないのか? マグダレーナ様からお叱りを受けるだろう?』
『いや、お叱りを受けるのは俺じゃない……ミカだ』
男はニヤリと嬉しそうに、不気味な笑顔を見せた。
──その顔を見て、瞬時に悟る。
(あ……これはアカンやつや)
男は最初から、ミカの奴隷を横取りするつもりだった。仮に、その奴隷が女王への献上の品だったとしても、男の犯行だと分からなければ責任はミカにいく。全ては、ミカに嫌がらせをしたいがためだ。
(最初から、ミカを嵌めるつもりで………)
男の真意に気づいて、危機感が一気に増す。少年は、今、後ろ楯が無い状態だ。献上の品云々の話も、全く意味を成さない。
利一は慌てて嘘をつく。
『まっ……待て! 待ってくれ……分かった! 分かったから……妹を差し出すよ!!』
『……急な心変わりだな』
男は怪訝な顔をし、利一は誤魔化す為に続けて嘘を言う。
『……妹を差し出す代わりに、あんたに頼みたい事があるだ』
『ん?』
『俺の……奴隷契約を解除してくれ』
『あぁ??』
『俺を城から逃がして欲しいって言ってるんだ』
男は怪訝な顔をして、黙って利一を見下す。利一は、その反応を注視しながら男を説得する
『あんたにとって悪い話じゃないと思う。つまり……あんたはミカに嫌がらせをしたいんだろ? だったら……献上の品である俺が脱走すれば、ミカの信用は堕ちるじゃないか。俺は城から逃げられる。……どうだろうか? お互いに良い話だと思わないか?』
利一は話を取り繕って交渉を持ちかけた。そのついでに、奴隷契約の解除法について、聞き出せないかと目論む。
『契約を解除するには、主人の同意が要る。ミカの了承がなければ解除は出来ねぇよ……だが……』
男は、ニタニタと笑いながら利一を見据える。
『お望み通り逃がしてやろうか? お前を』
『どうやって……?』
『知りたいか? なら先に妹を差し出せ』
利一は息を飲み、男に言う。
『分かった……妹の所まで案内するから……まずはこの空間から出してくれ』
『……いいだろう』
男がそう言うと、まるで舞台の緞帳が上がるかのように、辺りの闇が消えていく。暗所から一気に明るい光に照らされ、利一は思わず目を瞑る。眩しさ故の痛みを堪えて、それから、ゆっくりと目を開けた。
(ここは……どこだ?)
気づけば辺りは、花の形に似た巨大な植物に囲まれいた。植物の葉は肉厚で、水分を多く含んでいる。ぷっくりと太い葉や、刺のように細長い葉も生えていて、その高さは各々が5メートル以上あり、多肉植物の林となっている。
地面は土ではなく、白い水晶で出来た大粒の砂利で、埋め尽くされていた。
(この砂利……逃げる時に不利になるかも……)
利一は辺りを確認しつつ、逃げる算段をする。
『おい、妹はどこにいる?』
男は後ろから利一の首根っこを掴み、乱暴に尋ねる。
『……妹はミカ部屋で留守番をしている……俺を城まで連れて行ってくれたら、妹を差し出すよ』
利一がそう言うと、男は利一の顔をじっと見てこう言った。
『……気が変わった』
『は?』
『やっぱり……お前を殺す事にした』
『はっ? なんで!? さっきは──』
利一がそう言いかけたところで、男が利一の言葉を遮る。
『うるせぇよクソ餓鬼』
言って男は、利一をそのまま地面に叩きつけた。
「……って!!!」
利一は水晶の砂利に鼻を打ち、盛大に鼻から出血する。男はその様子を恍惚と眺めた。
『あぁ……人間の子供を食べるのは久しぶりだ。堪らないな……涎が出るぜ』
(食べる!? しまった……コイツ……人間を食べる妖怪やったんか!!)
『ちょ……ちょっと待て! さっきと話が違うじゃないか? なんで急に!?』
『……当たり前だろ? だってお前は嘘をついているんだからな。妹は部屋にはいない……そうだろ?』
『嘘じゃない! 本当だ! 妹は部屋にいる!』
『いや、いる筈がない。ミカが城から外出する際に、部屋に奴隷を置いて出かける訳がない……あんな事があったんだからな』
『どう言う事だ?』
『以前ミカが城から出ている間に、奴の部屋にいた奴隷を、天井から吊るしてやったんだ……』
『え……吊るし?』
利一は意味が分からず困惑した。男は両手で口元を覆い隠しながら、肩を上下に揺らして笑う。
『あの時のミカの顔ったら……思い出すだけで、笑えてくる……』
利一は気色の悪い笑みにゾッとした。口元を隠していても、男が醜悪に笑っているのが分かる。
『ミカは変わった野郎だよ。腹を喰い千切られて……腸が飛び出た奴隷の死骸を、ご丁寧に埋葬して……墓まで作ってやって……』
その台詞を聞いて、男が何をしたのか、ようやく理解する。男はミカと親しかった奴隷を殺し、その遺体をミカの部屋に吊るしたのだ。
『笑えるだろ? 奴は俺を疑ってたが、証拠が無いから何も出来ずに、俺を睨む事しか出来なかったんだぜ?』
男は嬉々として更に語る。
『悔しそうに俺を睨むミカに、本当は教えてやりたかったぜ……どんな風にあの奴隷が死んだか。……助けてぇ……助けてぇ……って泣いて命乞いする姿が、無様で、無様で……』
『お前っ!!』
利一は激昂して、思わず声を荒らげた。その反抗的な態度に、男の表情がガラリと変わる。
『あぁん? なんだ? 文句があるのかよ』
「この塵屑が!! 絶対許せへん!!」
利一は懐から紙を1枚出し、男に投げつける。投げつけられた紙は勢い良く男の顔に張りつき、強力な酸を放って皮膚を溶かした。
『ギャアアアアアア』
痛みに絶叫する男を尻目に、利一は巨大な多肉植物の林を走り出す。大粒の砂利が少年の足を遅らせるが、利一は近くにあった多肉植物を素早く登り、そこから隣の多肉植物に飛び移って逃げた。
『餓鬼が!! よくもやってくれたな!!』
激怒した男は、羽織っていた軍服のコートを脱ぎ天を仰ぐ。すると彼の体は、鈍い音を立てながら、どんどんと大きくなり、まるで毛の無いヒグマのような姿へと変貌する。
不思議な事に、体格が大幅に変化したにも関わらず、男が着ていた服は破れずに、今の体の大きさに合わせて大きくなっていた。
だが、利一に攻撃され、半分溶けた顔面は、獣の姿になっても回復されないままだった。
『殺してやる!!』
男は利一を追いかけ始める。一方、利一は植物から植物へ跳躍しながら逃げていた。尽きない活力のお陰で、全力を維持したまま逃走する。
だがしかし、獣の本性を表した男の脚力は、利一の予想を遥かに上回る速度で、彼を追跡した。
(なんちゅー速さ!!)
利一は跳ぶと同時に、2枚目の紙を後方に向かって投げる。投げられた紙は、紙吹雪状になって、男の頭周辺をぐるぐると飛び回り、視界を遮った。
『クソっ! さっきから何だ!?』
利一がただの奴隷ではない事を確信した男は、益々利一への殺意を強める。
男の顔面半分は酷く爛れて骨が見えている。利一はそれを見て、男がミカのように修復しない事に気づいた。
(ミカとはちゃう種類の妖怪なんや……紙もミカみたく払われへんようやし……)
ミカのように修復もせず、紙を払う事が出来ないなら、利一の術は男に対して有効だ。
(逃げれるかもせん!)
少年はそう希望を抱き、全力で逃走する。
──だが
──次の瞬間……
その希望は奪われる。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.