第105話 【1975年】【1839年】◆ヴィヴィアンの懺悔と吸血鬼になった青年◆
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【シェイプシフター】
自らの形状を、様々なものに変化させる怪物の総称。幅広く定義するなら、日本の化け狸や化け狐、捕食した人間に化ける人狼も、シェイプシフターに分類される。
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【1975年】
──遡る事、少し。
ヴィヴィアンは、足元に広がる血溜まりと、散乱している肉片を見下ろしていた。これらは、生前、メアリーとエミリーの祖母役を勤めていた怪物だった。人狼に襲撃され、果敢に応戦したが、敗北を喫したらしい。
部屋は戦闘で荒らされ、調度品は破壊されていた。それらをヴィヴィアン以外の怪物がせっせと片付け、なんとか原状の回復を図っていた。
その現場に1匹の犬が入り込んでくる。警察犬などに採用されるジャーマンシェパードドッグ。尻尾を僅かに振って、ヴィヴィアンに近づいてきた。
『これよ。頼むわね』
ヴィヴィアンは犬に向かって、肉塊を指差した。犬は鼻をひくつかせて、肉塊を嗅ぐ。
『こりゃひでぇ。人狼の仕業ですかい?』
どこからか、声が聞こえた。それにヴィヴィアンが『ええ』と短く答えた。
『なんで人狼が……ここ数年、連中は大人しくしてた筈じゃあ……』
また声が聞こえる。だが部屋にいる怪物達は誰も口を動かしていない。
『いいから、やって頂戴。人狼の調査は私がやるわ』
ヴィヴィアンがそう言うと『……承知しやした、ボス』と、また聞こえて──犬の姿が溶けた。犬は粘り気のある黒いタールのような液状になり、血溜まりと肉塊を吸収していく。床に染み込んでいた血のシミまで、綺麗に吸収し終わると、黒いタールは人型に変わり、やがて死んだ筈の祖母役に変化した。
『これで、いいのかしら?』
元・犬は、姿だけではなく声や口調までも祖母役を真似て、得意気な表情をした。
『ええ。暫く新しい祖母役として働いて貰うわ』
ヴィヴィアンはそう言って、姉妹の家を出た。家の外では、ミカが近隣住民を集めて、記憶を消却していた。
ミカが手を翳すと、手の平に小さな黒い立方体が現れ、風に吹かれた砂のように崩れて、宙に消えた。あれが住民達の記憶だ。彼はああやって、人間の記憶を操作する事が出来た。
暫くして、今度はチェスターが現場に到着した。ミカがチェスターを挑発し、2人は揉めた。結果、チェスターが倒されてしまい、ヴィヴィアンはチェスターを屋敷まで、運ぶ羽目なる。
相手の挑発に直ぐ乗るのは、チェスターの悪い癖だ。彼は能力的には優秀だが、正直、この仕事に不向きだった。根が純粋過ぎるし、優し過ぎる。だが、そんな彼だからこそ……ヴィヴィアンはチェスターを殺せなかったのだ。
──2人の出逢いは遡る事、1839年。
当時、ヴィヴィアンは2人組の吸血鬼を追いかけていた。目当ては吸血鬼達が所有する、とある【杯】の模造品だ。それは不完全な代物だったが、吸血鬼のような、血で人間を汚染出来る種族が持てば、十分に効力を発揮した。
2人組はそれを使い、人間を次々に吸血鬼に変えた。吸血鬼になった者達は、喉の渇きに耐えきれず人間を襲う。ある者は罪悪感に苛まれ、己の首を切り落とした。また、ある者は不老の肉体を得たと喜び、2人組に感謝した。吸血鬼になった者の反応は、人それぞれ違ったが、数は確実に増していった。
その結果──吸血鬼の勢力が拡大し、怪物と人間との均衡は崩れようとしていた。
当時は模造品である【杯】の存在が、まだ明らかではなかった。2人組の仕業だと目星は着いていたが、人間を吸血鬼に変える手段を解明出来なければ、また同じ事が起きる可能性がある。
だから、ヴィヴィアンは人間のフリをして、2人組が人間を吸血鬼に変える瞬間を待った。
そうして、犠牲になったのがチェスターだ。
──あれは、ヴィヴィアンが自らを囮に、夜道を歩いていた時の事。
ヴィヴィアンは幼い少女の姿をして、綿畑沿いの道を歩いていた。入手した情報によると、この地域に住まう子供が数名、数日前から行方不明になっているらしい。子供達は親が農作業をしている間に姿を消した。
親は其々の主人に訴えたが──主人は親が子供を逃がしたのかと疑い。親は主人が子供を売った、或いは殺したのかと疑った。
当然、まともな捜索など有りはしない。綿畑で働く親の子を、真剣に探してくれる者などいなかった。
道を歩く途中、ヴィヴィアンは僅かに気配を感じて、後ろを振り向いた。見れば背後に女が立っている。流行りの服装と香水を身につけ、髪型を綺麗に纏め上げていた。月明かりに真っ赤な唇が照らされ、白い牙がチラリと見える。
──ああ、コイツがそうかと思い、わざと抵抗せずに捕まった。
連れられた先は、民家だった。恐らく、どこかの畑の所有者の家だろう。外に面した扉から、地下室に押し込まれてみれば、隅で怯える2人の子供がいた。2人は身を寄せ合い震えている。
ヴィヴィアンは子供達がいる地下室で、吸血鬼達が動き出すのを只管待った。1日経って、2日経って、3日目にまた別の子供が、地下室に放り込まれた。その間、子供が飢えないようにと、簡単な食事と水が与えられたが、誰かが吸血鬼に変えられるような事はなかった。
子供を仲間にする気はないようだ。恐らく……捕らえられた子供達は吸血鬼の餌として喰うつもりなのだろう。
吸血鬼は人間の生き血を飲まなければ生きていけない。だから【生きている餌】が必要だった。
3人目の子供が捕まった晩、2人組の吸血鬼は地下室からヴィヴィアン達を連れ出して、風呂に入れた。入念に体を洗い、清潔な服に着替えさせて、今度は鍵のかかった部屋に閉じ込めた。部屋の窓は頑丈な鉄格子で覆われている。家具などは一切なく、逃げ出すのに使えそうな道具もなかった。
よく見れば、扉や窓に引っ掻いたような小さな傷がある。以前にも、誰かが閉じ込められ逃げだそうとした跡だと、容易に想像がついた。
『ここで大人しく待っててね。私達の、お友達を連れて来るわ』
メイドに扮した吸血鬼がそう告げて、もう1人の吸血鬼と共に家を出た。近くに潜む吸血鬼の仲間を呼びに行ったのか──だと、すれば……やはり子供達を晩餐にするつもりだ。
そうなれば、潜入しているヴィヴィアンの正体がばれる。怪物と人間の血の味は、全く違う。いくら、うまく人間のフリをしても血の味までは変えられない。口に含んだ瞬間、敵だと悟られるだろう。
この隙に逃げ出すか、間際まで粘ろうか、どちらを選択しようか迷っていると、家の中に、怪物ではない人間の気配を感じた。
何者かと不審に思っていたら、それは誰かの名前を小声で呼び、家の中を探すような素振りを見せた。
その内に、部屋に閉じ込められていた幼い少年が、呼ぶ声に反応して扉を軽く叩き出す。
『ここだよ! ここにいるよ!』
そう小声で言って、声の主を呼んだ。相手も少年に気づき、扉に駆け寄る。
『無事か? 怪我は?』
訊かれて少年は安堵の息を吐く。
『怪我はないよ、大丈夫。僕の他にも、3人閉じ込められてるんだ』
声の主に無事を伝えて、確認するようにヴィヴィアン達を見た。
──もしかしたら、この子の親が助けに来たのだろうか? ヴィヴィアンはそう思って、様子を窺う事にした。
『分かった。扉を壊すから、下がってろ』
ヴィヴィアンが子供達を下がらせた直後、扉に硬い物がぶつかる音がした。それが何度か響くうちに、扉の一部が裂けるように壊され、何度も斧の刃が見えた。斧は比較的脆い箇所を壊して、何とか子供1人が通れる隙間を作った。
『さあ、早く』
大きく裂けた隙間の向こうから、手が差し伸べられた。幼い少年は迷わず、その手を取り隙間を潜る。他の2人もあとに続いて潜り、最後にヴィヴィアンが隙間を潜った。
『お前で最後か?』
ヴィヴィアンは頷いて、彼を見上げた。
青色の目に明るい茶色の髪をした、20代半ばの青年。扉で隔たれていた時は、幼い少年の親かと思ったが──どうやら違うらしい。
──ならば、何故助けに来たのだろうか? ヴィヴィアンが訝しんでいると、青年は少しぎこちない笑みを浮かべた。
『よし。急いでここから逃げるぞ』
青年は幼い少年を抱き上げ、ヴィヴィアンの手を引いた。他の2人にも『行こう』と声をかけ、表に飛び出し、全員で綿畑の中を走り出した。
──月夜の晩の事だ。
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【1975年】
ヴィヴィアンは、病室のベッドで横たわるチェスターを見つめていた。
こうなった原因は恐らくミカだ。ヴィヴィアンが席を外していた隙に、またしても2人は揉めたらしい。
半ば呆れつつ、ヴィヴィアンはベッドに腰を下ろした。
『ヴィヴィー?』
不意に声がして振り向くと、チェスターがまだ眠たそうな目をして、こちらを見つめていた。
『気がついた? 気分はどう?』
『メアリーは……?』
『……他の護衛達が見ているから大丈夫よ。安心して休んでなさい』
『ヴィヴィー……何故、マイケル……いや……ミカを護衛に派遣したんだ? 知ってたんだろ? 奴が……ウォーカーを殺した犯人だって……』
訊かれて胸を貫かれた気がした。察するに……ミカが教えたのだろう。自分が姉妹の父親を殺した犯人だと──そして……恐らく……
『ええ……知ってたわ』
あっさりと認めるヴィヴィアンに、チェスターは声を荒げた。
『だったら何故だ!?』
『ウォーカー夫人から直接の推薦があったからよ』
『納得がいかねぇ! 何でそうなる!? ……それに』
『……それに?』
チェスターはミカが言った、メアリー幽閉の件を思い出す。
ヴィヴィアンは姉妹の護衛の責任者だ。彼女がその件を知らない筈はない。だとすれば、ミカの嘘か──もしくはヴィヴィアンが隠していた事になる。
だが、悔しい事に……吸血鬼の直感が告げている──ミカは嘘を述べていないと──ならば……答えは1つしかない。
裏切られたような──悲しくて、苛立たしくて、叫びたくなる気持ちが腹の中で渦巻いた。──それを必死に押さえながら、静かに尋ねた。
『ミカが言っていた……メアリーは卒業と同時に幽閉されると……その話は……本当か?』
──ヴィヴィアンの予想は的中する。やはり、チェスターは幽閉の件を知らされていた。覚悟はしていたが、いざその時になってみると……罪悪感に押し潰されそうになる。もう誤魔化す事も、逃げ出す事も叶わない。事実を認める他なかった。
『……そうよ。メアリーは卒業と同時に幽閉されるわ』
──幽閉され、子を孕まされる。家畜のように、繁殖の為に、その身を使われる。悍しい決定事項は、真実の一部に過ぎない。全容はもっと残酷だ。
極一部の護衛達はその事実を知っていたが、ヴィヴィアンが箝口令を敷いた為、チェスターの耳に届く事はなかった。
チェスターは心のどこかで、ヴィヴィアンが幽閉を否定してくれるのを期待していたが、その希望は一瞬にして打ち砕かれてしまう。
『どうして!? 何故なんだヴィヴィー!! 嘘だと言ってくれ!!』
体の不調を堪えて起き上がり、悲痛な思いで責めるように尋ねた。
『……ウォーカー夫人が、上の連中と契約を交わしてしまったの。上の連中は……ウォーカー夫人の精神状態が一番不安定な時期を狙って……彼女を脅したのよ……メアリーとエミリーのどちらかを生け贄に差し出せってね……』
ヴィヴィアンは苦悶の表情でそう言って、ベッドの端を強く握った。彼女の握力に耐えきれず、握った金属部分が大きく歪む。
『どうして……俺に教えてくれなかったんだ』
ヴィヴィアンは、ベッドから降りて、チェスターを見据えた。
『言ってどうなるの!? 貴方に何か出来た!? 私に何か出来た!? 何も出来ないわ!! 無力なのよ!! 貴方も!! 私も!! どうしようもない、救えないのよ!! どんなに努力しても無駄だったの!!』
それは、チェスターが初めて見る表情だった。ヴィヴィアンは今にも泣き出しそうな眼をして、唇を震わせていた。握った拳から血が滴り落ちる。
彼女は『無駄だった』と言った。『無駄だ』とは言っていない。努力をしたのだ。チェスターの知らぬところで……姉妹が救われるように……既に奮闘していた。その結果が『無駄だった』と言っている。
(無力なのは俺だけじゃない……ヴィヴィーだって……)
それに気づいて、思わずベッドから降りた。固く握られた拳を開いて、労るようにして手を包んだ。
『……幽閉はヴィヴィーのせいじゃない……ただ……打ち明けて欲しかったんだ。信頼していたから……裏切られたように感じたんだ』
チェスターの言葉に、ヴィヴィアンの眼から涙が溢れた。
『ごめんなさい……ごめんなさい……』
そう何度も謝罪する。その謝罪には、長年溜め込んできた罪悪感が含まれていた。
136年前、ヴィヴィアンはチェスターを見捨てた。目的を達成する為に、彼が吸血鬼に変えられるのを黙って見ていたのだ。お陰で模造品の杯を入手し、破壊する事が出来たが、その代償として……チェスターは生涯、血の渇望に苦しむ事となった。
怪物社会における食人種の風当たりは厳しい。生きている限り、偏見や差別に晒される。
その最たるものが人狼だ。現存している人狼はもう100人にも満たない。その殆んどが、繁殖せぬよう手術を施されている。彼らは生かされている状態で、既に淘汰されたも同然だった。
歯向かう者や、隠れて繁殖する者は討伐される。
以前、その討伐にチェスターを差し向けた事があった。ヴィヴィアンは、その件に関しても良心の呵責を感じていた。
『ごめんなさい……』
無力なのはチェスターだけではなった。寧ろ、板挟みになっているヴィヴィアンの方が無力感に苛まれていたのだ。
チェスターは、泣いているヴィヴィアンをそっと抱き締めた。己の無力を棚上げして、ヴィヴィアンをだけを責める事は出来ない。
『すまない……お前だけを責めたりして……』
そう言って、彼女の涙が止まるまで抱き締め続けた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
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