第94話 【現今】理子と内海の心配事
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【現今】
理子はリビングのソファーに座りながら、玄関の方を凝視した。
「まさか!? もうバレたの!?」
バレたのだとしたら、あまりにも早い。志摩のように特別な道具も無しで……一体どうやって?
──ピンポーン
緊張感の無い音が鳴った。リーがリビングの壁に設置されているインターホンのモニターを覗き込む。
「……猫?」
「えっ猫?」
理子もモニターを覗くと、モニター画面いっぱいに猫の顔面が映っていた。それがゆらりと引き下がって、女が猫を持ち上げて、カメラに近づけていた事が分かった。
「内海さん!?」
「知り合いなん?」
「はい。管理人の内海さんと的井さんです」
柏木は不在だ。居留守を使うべきか、一瞬迷ったが、理子は内海の名刺を財布に入れたままである事を思い出す。名刺には追跡の呪いが付与されている。恐らく、理子がここにいる事も把握している筈だ。
(居留守を使えば、睨まれるのは確実に渚だ……)
リーは2人を迎え入れる事に難色を示したが、無視する訳にはいかなかった。
「出ます」
そう言って、理子はインターホンに出ようとした──が、それより先に、内海と的井がリビングに跳躍して来た。
突如として、理子の影から飛び出す女性と猫。
リーは咄嗟に、理子を背後に隠す。
一方、内海は、てっきり理子が柏木に迫られてるかと思いきや、リビングに見知らぬ怪物2体がいた事に困惑した。内海は思わず叫ぶように尋ねる。
「だっ!? 誰だー!?」
「いやいやいや! こっちの台詞やー! お前こそ誰やねん! 不法侵入やろ!」
リーのもっともな指摘に、流石の内海もきまりが悪そうな顔をした。
「……私は、この地区を担当していた元管理人の内海だ。未成年の人間を拐引している怪物がいると聞いて馳せ参じたまで。貴様こそ誰だ! お嬢さんから離れろ!」
内海の背後で、的井が毛を逆立てて志摩を威嚇している。唸り声をあげて、牙を剥き出しにするハチワレ猫。それに対して、志摩の方は自分より体格の小さい猫を、鼻息を荒げて煽っていた。
「元?」
リーは怪訝な声で言ってから、理子に視線を送った。リーの意図を汲み取った理子は、促されるようにして尋ねる。
「内海さん、元ってどう言う事ですか?」
訊かれて内海は、再び、きまりが悪そうな顔をして、おずおずと答える。
「実は……お暇を貰ったんだ……」
付け足すようにして的井も答える。
「……僕達、ハインリヒを処分した件で、上司から大目玉を食らったんだよ」
「そんな……」
「お嬢さんが気にする事じゃないよ。私が、奴を処分すべきだと思ったからやったんだ。……ただそれが、正当だと認めて貰えなかっただけなんだ。……それで、そちらの御仁は何者?」
リーは、内海と的井がハインリヒを処分した元管理人だと分かり、内心、警戒を強めた。
柏木から聞いた話によると、ハインリヒを処分した管理人2名の内1人には、過去を暴く独自の調査法があるらしい。ここで、下手に怪しまれる訳にはいかなかった。
「俺はリー。リー・ガーフィールド。理子の友人です」
「……で、種族は?」
訊かれてリーは眉をひそめる。リーがいた国では余程親しい仲でなければ種族の話題はしない。それを相手に尋ねるのは、礼儀に欠く行為だ。
だが日本では違う。種族を公表しない事は、遠回しに相手を信頼していないと伝える行為に当たる。
リーも文化の違いを理解していたが、それでも根強い抵抗感があった。
「……まぁ、言いたくないなら良いさ」
それに気づいたのは内海の方だった。リーの反応を見て、彼が海外から来た事を察した。
「……ありがとう」
内海の配慮に、リーも素直に礼を言う。この些細なやり取りが、ほんの僅かに場の空気を和らげた。
その隙を狙って理子が尋ねる。
「あの……内海さん、今日はどんな要件でいらしたんですか?」
「言ったろ? 奴の魔の手から、お嬢さんを助けに来た」
「魔の手と言われても……特に危険はありませんが……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……内海さん」
「…………うむ」
「……うむ、じゃありません!!」
内海は慌てた様子で弁解する。
「心配だったんだ! インターホンを鳴らしても、なかなか出てこないし……てっきり……奴が、お嬢さんに何かにしてるのではと思って……」
段々と口調が弱くなり、下を向いた。
「……すまない。無礼かつ軽率な行為だったと反省している」
しおらしい内海を、的井が物珍しげに見る。
(珍しい……内海さんが素直に謝ってる……)
理子はリーと目を合わせてから、もう一度、項垂れてる内海に目をやる。そして、やれやれと軽く溜め息を吐いた。
「もう、いいですよ。但し、二度とこんな事しないで下さいね」
理子にそう言われて、内海の顔が明るくなった。
「ああ、約束する」
一同に安堵の空気が流れた。
すると、すかさずリーが、
「ほな、誤解も解けたし、お帰り頂こうか」
それに対して内海は虚を衝かれて「えっ」と声を出した。
「今、家主がおらん状態で、よそさん家にあげる訳にもいかんし。今日のところはお帰り頂いてもええですか?」
「あっいやっ……でも……」
内海はチラリと理子を見た。
「待ってくれ。帰る前に、お嬢さんと話がしたい」
理子は指名されて、やや戸惑った。出会った当初から、内海は理子に対して妙にお節介なところがあった。
──あんな男とは別れた方が身の為だと……
そう散々言っていたのは、理子の為ではなく、柏木を嫌っての事だと……そう思っていた。
だが、今の内海の様子を見る限りでは、純粋に理子の身を案じているように見える。
「お話って?」
「奴の前科は聞いたのか?」
「はい」
「別れる気になったか?」
「いいえ」
「……何故?」
「内海さん、こそ何故、そこまで渚を嫌うんですか?」
理子はこれまで喧嘩の度に柏木を罵ってきた。なのに、内海が柏木を悪く言うのは不快だった。俗に言う、身内贔屓かも知れない。
柏木を悪く言われると、思わず反発したくなった。
「それは──」
──それは、誰も知らない柏木の過去を知っているからだ。
そう言ってしまえば、己の後ろ暗い過去まで曝してしまう。だから内海は言えなかった。
親友の的井でさえ知らない、内海の後ろ暗い過去。
もし……的井の相棒である九十九里の能力に制限がなければ、とうに暴露されていただろう。
内海は己の過去を隠したい。理子になんと説明すれば最良なのか──一瞬の内に自問自答を繰り返し、それで、ようやく口を開いた。
「──女子高生に手を出すような奴は、信用出来ないからだ」
理子は「え」と小さく声を出した。
「せやな。その点は同意しますわ」
リーは顎を触りながら頷く。
「えぇっ!? リーさんまで」
「だろ! こんな幼気なお嬢さんを惑わして、危険な事に巻き込んで、許してはおけないだろ?」
「せやな、許してはおけませんわ」
「だろ! さっさと別れるべきだ。ロリコンの夢魔なんぞと一緒にいても不幸になるだけだ!」
「ちょっと内海さん!」
理子は怒って反論しようとする。
「でも、そう言う話は当人同士の問題でしょう。どうするかは本人の意思やし、外野があれこれ言うべきやないんとちゃいます?」
「なっ……」
リーの反論に内海は頬を紅潮させた。
「大人ならな! お嬢さんはまだ子供だ! 口を出すべき時もある!」
「理子はまだ大人ではないけど、小さな子供でもない。仮に子供であっても、考える力は十分にあるのだから、本人に決断さしたらどうです? それでもし、その決断が間違っていて、結果、理子が苦しむような事があれば、そこで手を差し伸べたらええですやん」
「だが……」
「大人が子供の思考を奪う事は、悪やと思います。違いますか?」
内海はまだ何かを言いたげだったが、歯痒そうに口をつぐんだ。
内海自身、出過ぎた真似だと分かっていたが、何故か歯止めが利かなかった。
リーにそれを指摘され、堪らず胸が苦しくなる。
「内海さんは……理子が心配なんですね?」
訊かれて内海は「ああ」と答え、理子をチラリと見た。内海の目に映る愛らしい少女、邪な柏木に汚されたくはなかった。
「内海さん、私は大丈夫です」
──大丈夫なものか、相手はあの柏木なのだ。遅かれ早かれ深く傷つくに決まっている。結局は泣かされるのだ。柏木に散々傷つけられ、泣かされ、苦労した者を知っている。
内海は、そう言いたかったが言葉が出ない。
「でも、もし渚に泣かされるような事があれば、その時は内海さんにご連絡させて下さい」
言って理子は微笑んだ。それは柔らかな拒絶だった。社交辞令と言っても言いだろう。
一見、譲歩しているかのように見えて、その実は「早く帰れ」と言ってるに等しい。
リーにはそれが分からなかったが、内海には十分伝わった。
「……分かった。いつでも待っている。すぐに駆けつけるよ」
話は終わった。内海は帰らねばならない。だが、帰り難かった。このまま理子を柏木の家から連れ出したかったが──それこそ出過ぎた真似と言うものだ。
帰り際、玄関先で、内海は理子に尋ねる。
「それにしても、お嬢さんは人間なのに怪物の友人が多いんだな。皆、柏木の紹介か?」
「そうですね。内海さんと的井さんも渚の紹介ですし」
「……境界線を完全に越えたな」
「え?」
「怪物と人間の世界には、目に見えない境界線がある。それを越えると、厄介事に巻き込まれやすくなるんだ」
「それなら、もう十分に巻き込まれてますね」
理子は苦笑して、つられて内海も苦笑した。
「そうだな」
(出来れば、これ以上、お嬢さんの身に不幸が無いように……)
内海はそう願いつつ、理子とリーに見送られて門を出た。
(ハインリヒは死んだ……亡骸は私が食った……これ以上はある筈がない……あって堪るか……)
そう思ったところで、内海は歩みを止めた。背筋を舐めまわされたような、悍ましく寒いものが過る。
(もし……あったら? 奴が死んで終わりではなかったら?)
それを考えた途端、後ろを振り返らずにはおれなかった。真っ先に浮かんだのは理子の顔だ。
「内海さん? どうかしましたか?」
的井が心配そうに内海を見上げた。内海は柏木宅を見つめたまま固まっている。理子達は既に家の中に入っていた。
誰もいない玄関扉を見つめながら、内海の脳裏に、理子ではない別の少女が浮かんだ。
──巫女の衣装に、軍帽を被り、軍服を羽織った、凛々しい顔立ちの少女。
彼女の顔が、何故だか理子と重なって見えた。
(似ている……)
──そんな筈はないと、内海は頭を横に振って、足早に立ち去る。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
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