第92話 【1944年】◆◆夢魔の呪いと龍神の加護◆◆
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【1944年】
ミカは利一を抱き上げたまま、マグダレーナの部屋を出た。
白と黒の市松模様の廊下を暫く進み、途中にあった階段を上がる。そこから、また市松模様の廊下を進み、また別の階段を上がった。
ミカは複雑に入組んだ城内を迷いなく進み、やがて1つ扉の前で歩みを止め、鍵を取り出した。
「ここが俺の部屋」
そう言って、鍵を差し込み扉を開ける。
白を基調とした部屋には寝台と、机と、箪笥があり、壁一面が本棚になっていた。部屋の奥にはバスルームある。
部屋に入ってすぐに、ミカは性別を元の男性へと戻した。
「傷の手当てをしようか」
ミカがそう言うと、利一は少し恥ずかしそうにして「……憚り(トイレ)行きたいねんけど」と言った。
ミカはすかさず「お嬢さん、お手伝いしましょうか?」とからかうが、段々とミカの性格を掴めてきた利一は意に介さず、ミカを無視して用を済ました。
それからミカは利一を寝台に座らせると、彼の擦り傷だらけの足に、粘り気のある半透明の薬を塗り手当てをする。
「……あれ?」
薬を塗ったミカが首を捻る。
「なん?」
利一が訊くと、ミカは薬を塗った利一の足を繁々と見た。
「……この軟膏には治癒の呪いが込められてんねんけど……利一はこれも無効化するみたいやな」
言ってミカ何かを閃いた顔をする。
(ひょっとしたら……)
利一の足を見つめながら、考え込んだ。
「ミカ?」
利一はミカの様子がおかしい事を心配して、彼に声をかける。
するとミカは我に返り、少し間を置いてから、利一に尋ねた。
「……利一は……俺ら怪物の呪いを無効化するんやな?」
「せやな……龍神の呪いのせいや」
「無効化は呪いやのうて寧ろ加護やろ。龍神の呪いは底無しの持久力……つまり活力があんねんな?」
「まぁ、確かに……それがどないしたん?」
ミカは少しばかり考えると、利一にこう切り出す。
「試したい事があんねんけど……えぇかな?」
「試すて、何を?」
「利一に口づけさして? ほら、さっきみたいに」
「はぁ!? 阿保か!! ふざけんな!!」
利一は顔を真っ赤にして起こる。
「ふざけてへん、真面目や」
「どこがやねん!!」
「まあ、聞けや。夢魔の食事方法は二通りあるねん。いっこは前にも言うた【夜伽】や。もういっこは【口づけ】や。口から食べるんは簡単やねんけど、副作用があんねん。夢魔の呪いや」
「夢魔の呪?」
利一は訝しんでミカを睨む。
「せや。口づけで活力を喰われた人間は、本人の意思とは無関係に欲情してまうねん」
「はあ……」
半ば呆れたように相槌をうつ。
「でも、利一ならそれを無効化出来るやろ? しかも底無しの活力やん?」
「……う……うん」
ここまで説明されると、流石にミカのやりたい事が分かってしまう。
ミカは呪いを無効化でき、尚且つ、活力の尽きない利一を食べたがっているのだ。
利一は、もの凄く嫌そうな顔をする。
「利一を喰わせて?」
「嫌や!」
「試しに!」
「無理!」
「俺は命の恩人やろ?」
「ほざけ! 最初に殺そうとしたクセに!」
「和解したやん!」
「それでも嫌や!」
「何で?」
「だって……」
利一は適当に理由をこじつける。
「だって……髭とか地味に痛いし、こそばいし!」
「髭?」
「髭!」
「なーんや、そんな事か」
「え……?」
利一は目を丸くする。いつの間にか眼前にあった筈のミカの髭は消え去り、彼の髪は白に近い金色──白金髪に変わっていた。
たったそれだけでも、随分印象が変わる。
「これで、えぇやろ?」
ミカはそう言いながら帽子を脱ぐ。
「……え?」
利一は呆気に取られ、固まった。ミカはその隙に利一の手を取り、その甲に口づけする。それは時間にして僅か数秒の出来事だった。
「ご馳走様」
ミカは利一の手を解放し、ペロリと唇を舐める。
「何すんねん!!」
「何って……食事やん」
「ふざけんな!! いつ、誰が喰ってええ言うた!!」
声を荒らげて猛抗議する。
「許せ、食事は死活問題や」
「嫌や!! 絶対許さへん!! 勝手に俺を喰うな!!」
「ほな、別に許さんくてもええよ。それより……利一こそ、俺に謝らんとアカン事……あるやんな?」
ミカは左手で利一を抱き寄せながら、右手の甲を利一に見せつけ尋ねた。
「正直に話せ……これは正式な契約とちゃうんか?」
利一はミカに詰め寄られ、胸を貫かれる思いがした。
一旦、ミカから目をそらして、改めてチラリとミカに目を向けた。ミカは、真顔で利一をじっと見つめ続けている。
それを見て、利一は渋々観念した。
「その式神の契約は一時的なもんや……時間が経てば、自然と解消されてまう……」
「時間って……どれぐらいなん?」
「……7日」
「ふーん」
「騙してて、ごめん……かんにん」
「……ほな、7日後には式神の契約は切れて、利一は完全な俺の奴隷になるねんな」
利一はハッとしてミカを見た。間近で見る彼の表情は、とても冷淡で、思わず背筋が寒くなった。
利一は本能的に危険を察知し、ミカから離れようとしたが、それより先にミカが利一の額に口づけをした。
利一は咄嗟にミカを殴る。
「……やっぱり、夢魔の呪いにはかからんのやな」
殴られたミカは、冷静に感心する。
「このド阿保!! 離せ変態!!」
「変態?」
「そやろ?」
利一に指摘され、ミカは利一と出会ってから、今に至る迄を振り返る。
(トンネル巡回中に人間の子供を拾って……奴隷にして……連れ帰って……自室に連れ込んで……キスをして……)
「まるで俺、変態やん!!」
「変態とちゃうかったんか?」
利一がすかさずツッコミを入れ、2人は暫し沈黙する。
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「誤解や」「近寄るな」
2人は、ほぼ同時に言い放つ。
ふと──ミカは、利一の袴の汚れに目を留めた。
「風呂に入った方がええ……君、だいぶ汚れとるし」
「確かに……」
ミカに指摘され、利一も自分の袴を見た。髪も着物も土埃と汗で汚れている。
ミカは利一をバスルームへと案内した。部屋の奥にある、白く丸いタイル貼りのバスルームには、猫足のバスタブと、回転式の蛇口、壁の上部にシャワーが取り付けられていた。
「使い方分かる?」
利一は「うん」と短く答えた。
昭和19年(1944)まだ一般家庭の水道管の普及率が半分にも満たない時代に、
利一の家は独自の水道設備を所有していた。
当時の大手建築会社と深い繋がりがあった利一の家は、本家や別荘の近くに柏木家専用の貯水槽を作り、そこから水を引いていたのだ。
余所の家々がわざわざ井戸まで水を汲みに行く中、利一の家──柏木家だけは蛇口から水を汲み、当時でかなり珍しい水洗トイレまで完備していた。
利一にとって、このバスルームは、多少の違いあるものの見慣れた風呂場と相違無かった。
「ほな、洗おうか」
ミカはそう言うと、袴の紐に手をかけた。利一はギョッとして、すかさず平手打ちをする。
「このド阿保!!」
「ひどっ! いきなり打つなんて」
出会っていきなり殺しにかかった男が言って良い台詞ではない。
「風呂ぐらい自分で入れるわ!!」
「介助は?」
「いらんわ!!」
「俺がおらんで寂しない?」
「なんでやねん!! 寂しないわ!! 頭わいとんのか!?」
「あはははははははは!!」
「笑うな!!!」
ミカは利一をからかい、楽しそうに笑う。
「ほな、ちゃんと洗いや」
ミカはそう言うと、利一の頭を撫でてバスルームを出て行った。
「覗くなよ」
利一が釘を刺す。
「覗かへんよ。餓鬼の体に興味は無い」
ミカは部屋からそう返事をした。
利一は警戒しながら、着物を脱ぎ、シャワーを浴び始める。
ミカは、バスルームから聞こえる水音を聞きながら思う。
(餓鬼の体に興味は無いけど……その力には、大いに興味があるよ……)
【作中解説】
利一の家の水道設備は、当時、実在したものです。
学校の教育などで学ぶ戦争体験談は、衣食住に困窮したものが殆どですが、実際には利一のような富裕層も確かに存在していました。
ただし、そう言った方の戦争体験談は、調べない限り知る機会がありません。
何故ならば、反戦教育で語られる戦争は必ず悲劇である必要があるからです。
当時の富裕層も、一般庶民が困窮していた最中、恵まれた暮らしをしていた事実を語る事はほぼありません。
現代の反戦教育と当時の富裕層にとって、利一のような暮らしぶりはある種の不都合な真実と言えるでしょう。
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