第91話 【1975年】◆無力な吸血鬼と安楽死を勧める夢魔◆
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【お詫び】
作者のミスにより、第91話を再編集した後、再投稿しました。
申し訳ありません。
【1975年】
病室の奥に設置された1台のベッド。そこにメアリーは横たわっていた。腕には点滴、顔には擦り傷がある。
チェスターは静かに近づいて彼女を見た。
とりわけ大きな外傷は見受けられないが、何故か、痛ましい程に髪が短かい。明らかに、メアリーの意思で切ったものではなかった。
チェスターは、そんな彼女の姿を見て怒りに震えた。それは襲撃者に対するものと、己に対する怒りだ。
(俺にもっと……力があれば……)
──そう考えた時……
──姉妹の祖父役と釣りに行った、あの日の会話を思い出した。
──遡ること、丁度1ヶ月前。
川沿いの岩場にて、チェスターは祖父役に詰め寄った。
『とぼけるな!! 俺はメアリーとエミリーに危害を加える可能性がある奴を、排除する必要があるんだ。マイケル……いやミカに関する事で何か知っているなら正直に話せ!! 奴じゃないのか? 9年前に……メアリーとエミリーの父親を殺したのはミカじゃないのか?』
チェスターはそう言って、祖父役に詰め寄った。
それに対して祖父役は、
『……メアリーとエミリーに危害を加える可能性があるのはミカではなく……我々だよチェスター』
言ってチェスターを見つめる。その鋭い眼差しに、チェスターは一瞬たじろいだ。
『あの2人を傷つけ、苦しめるのは他でもない……君を含めた我々、怪物だよ。可能性なんかじゃない。これは決定事項だ。分かっていただろう? 所詮、怪物にとって狩人は家畜か害獣でしかない。人権など、ありはしないのだから』
チェスターが見ないように、気づかないようにしていた現実。
メアリーとエミリーを守ると言いながら、守る事が出来ない未来。
1人の吸血鬼だけでは抗えない組織と言う枠組み。
それを指摘され言葉を失うチェスターに、祖父役は真実を告げる。
『君の言う通り……9年前に姉妹の父親を殺したのはミカだ』
チェスターは、目を見開きハッと息をのむ。
『だが、ミカは罪を許されて、護衛の任に就いたんだ』
『許された? 誰に?』
『メアリーとエミリーの母親だ』
『!?』
思わず耳を疑った。
『自分の夫を殺した男を許したってのか!? そんな馬鹿な!』
『信じられないのも無理は無い。だが現に、ミカはウォーカー夫人と直接対談し、和解している。ミカがここに派遣されたのも、夫人自ら推薦しての事だ』
『嘘だろ!? ありえない!』
明らかになったミカ派遣の裏事情に、チェスターは困惑する。
(自分の夫を殺した男に……自分の娘を任せたのか? 何故? いくら和解したからと言っても、度が過ぎている)
『理解できねぇ……』
『その内、君にもミカの事が分かる……』
『その内? 俺はもうすぐ卒業だぜ? そしたら、街から出て行くのに?』
『……エミリーを置いてか?』
『……なっ!?』
エミリーの名前を出され、チェスターは動揺した。その反応に追い討ちをかけるように、祖父役はとんでもない事を尋ねる。
『チェスター。エミリーを連れて街を出る気は無いか?』
エミリーは怪物達の監視下に置かれている家畜だ。
家畜を盗み、街を出ると言う事は、謀反以外の何ものでもない。
『馬鹿かよ!! 出来る訳ねぇだろ!! 上の連中に対抗する力もねぇのに!!』
『……力があれば、さぶさかではないのか?』
『……それは』
言葉に詰まった。仮に力があったとしても、現実は難しい。
いくらエミリーに同情していたとしても、彼女の為に命を投げ打って【全て】と戦う覚悟も、戦略も、チェスターには無い。
祖父役は、そんなチェスターの心を見透かしているかのように言った。
『すまない……私も分かっている。それが無理だと言う事も、全て無駄だと言う事も……。それでも……せめて今だけは、エミリーに幸せな思い出を作ってあげてくれないか?』
チェスターの中で複雑な思いが渦巻いた。
──姉妹を救えない無力感。
──やがて彼女達と別れる事になる寂しさ。
──現実から目を背けていた事に対する羞恥心。
──そして2人に対する罪悪感……
やりきれない気持ちを抱えたまま、チェスターは祖父役と帰宅した。
(俺にもっと……力があれば……)
(俺にもっと……力があれば……2人を守る事が出来る)
(俺にもっと……力があれば……この先の決定事項を覆す事が出来る)
(でも………………現実は……俺には何の力も無い)
──病室にて、
チェスターはベッド側の椅子に腰掛け、意識の無いメアリーの手を握った。
この4年間、護衛としてずっと彼女を見てきた。
メアリーの嫌がる人物像を無意識に演じながら、遠回しに彼女の貞操を守ってきた。
それが【護衛】に課せられた任務だからだ。
(もし……俺が【怪物】でなければ……)
(もし……彼女が【狩人】でなければ……)
(互いに……ごく普通の高校生だったら……)
(もっと……自然に……メアリーと話せてたんじゃないか?)
(デートに誘う事だって……)
(プロムに誘う事だって……)
(何だって出来た筈だ……)
(卒業して街を出て行く事も、離れ離れになる事もない)
(病室で……こんな姿で横たわる事もなかった筈だ)
怒りと無力感に苛まれた。
『君の本命はエミリーだと思ってたけど、本当はメアリーの方がお気に入りだったのかな?』
そう言ったのはミカだ。チェスターは振り返り、病室の隅にいたミカを睨む。だがミカは意に介さない。
『ふふ……何、その目。もしかして二股?』
チェスターは眠るメアリーを気づかい、なるべく声を荒らげぬよう尋ねた。
『メアリーに何があった? 何故、髪を短く切られてる? そもそも、どうやって裏側への通路を開く事が出来たんだ?』
チェスターはメアリーの手を離し、ミカに詰め寄る。右手で彼の胸倉を掴み、更にきつい口調で尋ねた。
『お前っ! 本当に……メアリーの母親と……ウォーカー夫人と和解したのか!? 本当に彼女達を恨んでないのか?』
ミカは黙って右足を引き、チェスターを見下した。
『答えろ!! ミカ!!』
チェスターはミカを【マイケル】ではなく【ミカ】と呼んだ。それに対して、ミカは不快な表情を示す。
ミカは素早く左手でチェスターの右手を掴み、右手でチェスターの首を押すと同時に、自分の右脚をチェスターの右脚に引っ掛けた。
一連の動作は一瞬で、チェスターは抵抗する隙も無く、円を描くようにして倒された。
『!?』
ミカは、呆気無く制圧された彼を煽る。
『毎度、毎度、無様だね』
『ミカっ! 止めろ!』
側にいた利一が制止するが、ミカは聞く耳を持たない。
この時、病室には意識の無いメアリーを除き、チェスターとミカと利一の3人のみで、ミカを制止出来るのは利一しかいなかった。
ヴィヴィアンは他の怪物達と、今後の対応について相談している最中で席を外している。
それをいい事に、ミカは更にチェスターを煽る。
『ねぇ知ってる? メアリーは卒業と同時にどうなるか?』
言われてチェスターは怪訝な顔をした。
『……どうって?』
チェスターの予想では──メアリーは大学に進学し、そこでまた監視下に置かれ、ゆくゆくは怪物が用意した人間と結婚──仕上げに、生まれた子供を死産と偽られ奪われる──
そう言う【決定事項】を予想をしていた。
だが………彼の【予想】と、実際の【予定】は異なっていた。
ミカは意地悪い笑みを浮かべる。
『メアリーは卒業と同時に【幽閉】が決まっているんだよ』
『えっ?』『は!?』
同時に驚くチェスターと利一。
ミカはチェスターを見下ろしながら、不敵に笑い声を溢した。
ミカの暴露に病室にいた2人は固まる。やがて数秒の間を置き、硬直していたチェスターが口を開く。
『何故……?』
その短い問いに対し、ミカは得意そうな顔をして答える。
『姉妹の母親であるウォーカー夫人がメアリーを【上の連中】に売ったのさ。契約書もある』
絶句するチェスター。意味が分からず困惑する利一。
ミカは2人に構わず、非道な暴露を明るい口調で続ける。
『可哀想なメアリー……幽閉されたら、すぐに子を孕まされて…奪われて……それを限界まで繰り返されるんだよ…………こんな事なら、9年前に殺してあげるべきだったね』
『……何?』
チェスターは、半分放心状態でミカを見た。
ミカは声を低くし、今度は極めて冷淡な口調で言った。
『もう知ってるんだろ? ……僕の過去を』
その言葉に、チェスターはハッとした。対して利一は口を真一文字にする。
『ああ……お前がウォーカー氏殺害の犯人なんだろ』
ミカはニヤリと笑う。
『それにしても、あんまりじゃない? 酷すぎるよね。本当に家畜のようじゃないか……実の母親に見捨てられ……幽閉され……生涯、屈辱を味わうなんて。……それならいっそ、安楽死させてやった方がメアリーの為だと思わない? ねぇ……チェスター?』
ミカはチェスターに視線を送る。チェスターはミカの意図を察し、今度は凍りついた。
ミカは、メアリーを安楽死させる事を提案しているのだ。
利一もそれに気づく。利一自身、ミカと出会った際に安楽死させられそうになった過去がある。その為、これが冗談では無いと感じた。
『何を……言っているんだ……お前は……』
「ミカ……本気なんか……?」
チェスターと利一はそれぞれ激しく動揺した。ミカは先程と同じく冷淡な口調で言った。
『今なら絶好の好機だ。ヴィヴィアンは席を外している。……それとも、メアリーを連れて逃げ出したい? そんな勇気、君には無いだろう? だいたい、メアリーだけを連れて逃げても、エミリーはどうなる? このままじゃメアリーだけではなく、いずれエミリーもウォーカー夫人に売りに出されるよ? まぁ……メアリーだけを救ってエミリーを見捨てるって選択もあるかも知れないけど……君はどうしたい?』
チェスターは愕然としてメアリーを見た。
もしこれが、自分と姉妹の命を天秤にかけた選択なら、回答は一択だっただろう。
彼は以前にも、自分と他人の命を天秤にかけ、自分の命を放棄した過去がある。
だが、ミカの話はメアリーとエミリーを天秤にかけたものだ。姉妹に肩入れしているチェスターに、選択出来る訳がない。
ミカはそれを見越して再度、冷酷な提案をする。
『助けられないなら、殺せばいいじゃないか……それがメアリーにとって救いになる』
ミカはショックで覚束無いチェスターを、メアリーの側に誘導して、一緒に意識の無いメアリーの顔を覗き込む。
利一は、冷や、冷や、しながら2人を見ていた。
(ミカ……なんで、こんな事を?)
ミカの真意が分からなかった。本気なのか、チェスターをからかっているのか、それとも幽閉の話自体が嘘なのか。どれも違う気がしたが、全部真実のようにも感じた。
チェスターはメアリーの寝顔を見ながら、動揺で震えていた。
(幽閉? ……何故そんな)
(実の娘を怪物に売るなんて……信じられない)
(……安楽死?)
(……させる?)
(……メアリーの為に?)
(嫌だ……そんな事は出来ない)
(じゃあ、どうする?)
(姉妹を連れて逃げる?)
(どうやって?)
(アテも無いのに……)
(助けも無いのに……)
(全ての怪物を敵に回して、戦い切れるか?)
(安全な場所なんて……何処にも無いのに……)
(……だったら)
(……ミカの言う通り)
(……いっそ殺して…………)
チェスターの目から、不意に涙が一粒溢れる。
──次の瞬間、チェスターはミカを全力で床に叩きつけた。病室の床が鮮血で染まり、少し離れた位置にいた利一にも血飛沫が届く。
『そんな事、出来る訳ねぇだろ!!』
チェスターは血塗れのミカに対して声を荒らげ、怒りを顕にした。
ミカは血反吐を吹きながら嘲笑う。
『チェスター……君はいい怪物だね……でも……無力だ。メアリーを殺せないなら……もう諦めろ……決定事項は覆らない!』
また爆発的な怒りが込み上げ、咄嗟にミカの胸倉を掴んだ──が、直ぐに意気消沈して、手の力が抜けた。
【あの2人を傷つけ、苦しめるのは他でもない……君を含めた我々、怪物だよ】
祖父役の言葉が頭を過る。絶望感が胸に広がり、また落涙しそうになった。
ミカはその隙を狙って、またもチェスターと唇を重ねた。瞬時に活力をごっそり奪い、彼を床に押し倒す。いつの間にか、体は完全に修復され、形勢は逆転していた。
チェスターは息が絶え絶えの状態で言葉が出ない。その場にグッタリと倒れ込み、その様子をミカが見下ろす。
『人間が夢魔に口から活力を喰われると、夢魔の呪いがかかって、強制的に欲情するんだ』
そう言ってミカはチェスターの髪を撫でる。
『良かったね……チェスター……人間じゃなくてさ』
ミカはチェスターを置いて病室を出て行く。利一もその後に続いた。
ヴィヴィアンに見つからぬように、裏口を通り、表に出たところで、利一が口を開いた。
「さっき言うてた話はホンマか? あのお嬢さんが幽閉されて……無理やり子を産まされるっちゅー話……」
「ホンマや……ウォーカー夫人から直接聞いた」
「……それ、いつ聞いたんや?」
「……さぁ?」
「ミカ!! はぐらかすな!!」
利一は曖昧な返事をするミカに怒る。
「お前……いっつもそうやって……肝心な事を話せへん!! いっつも秘密して、自分だけで何とかしようとする!! 何で言えへんねん!! ホンマの事言えや!! 何でアメリカに来た? 何が目的や!!」
利一の必死の問いに、ミカは暗く沈んだ声で答えた。
「あの姉妹が辿る……結末を見届ける為に来たんや」
ミカは利一を真っ直ぐ見つめた。
「9年前に殺しそびれた姉妹が、地獄に堕ちる様を見たかった……ただ、それだけや。そのついでに、ジェームズの形見を取り戻したかったんや」
「……復讐の……完遂? それが目的?」
利一の心臓が早鐘を打つ。鼓動が耳に煩く響いた。
「……ミカ?」
まるで、悪夢を見ているような気分で、目の前にいる夢魔を見つめた。
ミカはそんな利一の様子を見て、至極幸せそうに微笑んだ。
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