第90話 【1944年】◆◆ミカと利一と怪物の女王◆◆
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【1944年】
巨大な茸の森を抜けると、今度は巨大な渓谷が姿を現した。
尖った岩肌で挟まれた渓谷は、いくら目を凝らしても底が見えない。それが夜のせいなのか、将又、底が深すぎるせいなのか。利一には判別がつかなかった。
ただ1つ分かるのは……落ちれば、命は無いと言う事だ。
女に化けたままのミカは、渓谷で隔たれた対岸を指差した。
「あれ、俺んち」
対岸に聳える無数の棘。夜空を背景に浮かびあがる陰影は、さながら、地獄の針山のようだ。
「あれが家!?」
「家っちゅーか……城やな」
「城!? あのでっかいトゲトゲが?」
利一は驚き、目を凝らしたが、暗くて棘の陰影しか分からない。
「ほな、落ちんように掴まってるんやで」
ミカは利一を強く抱きしめると、両翼を2回羽ばたかせる。
「え゛!?」
酷く嫌な予感がして、利一は顔をしかめた。
「行こか」
ミカはそう言うと、底の見えない渓谷に、何の迷いもなく足を踏み出した。
──あ……
──落ちる……
利一がそう思った瞬間──既に2人は落下していた。
「────!!」
声にならない悲鳴をあげ、死を覚悟して、絶望する。
想像したのは、地面に叩きつけられた時の衝撃だ。願わくば、痛みを感じる間を与えないで欲しい。
そんな事を思っていると──気を失いそうな程の重力負荷が、急に下降から上昇に転じた。
利一を抱えたミカの体は、のの字を描いて飛翔する。
ミカは夜空に両翼を広げ、利一を対岸へと運んだ。
「利一……起きろ」
ミカの燕返しに耐えきれず、利一は気を失っていた。揺さぶられて、呼ばれて、やっと目を覚ます。徐に瞼を開き、眼前に聳える、無数の尖った塔を見上げた。
(うわっ……妖怪でも出てきそう──って、ここは妖怪の世界やん……)
ミカは利一を抱き上げたまま進む。いつの間にか、背中の翼は消えていた。
城の門は獣の口を象っていた。利一は門を見て、猫の口の中を思い浮かべたが、猫にしては牙が鋭く数が多かった。
(こんな口の猫おったら嫌やな……)
そんな事をボンヤリと思う。
門を通り外庭へ出ると、ミカと似た服装の者が数人いた。彼らは、人間の子供を連れて戻ったミカをジロリと睨んだ。
ミカは不敵な笑みを浮かべ『ハァイ』と軽い挨拶をして、そそくさと通り過ぎる。
「あん人らは? ミカの仲間?」
「んー……一応な。……でも、俺嫌われてんねん」
「なんで?」
ミカは優越感たっぷりの、意地悪い笑みを浮かべた。
「俺は女王様のお気に入りやから、妬まれてんねん」
「女王?」
「この城の主、マグダレーナ様や。俺はマグダレーナ様の側近やねん。まあ……女王言うても正式な女王ちゃうねんけどな。あだ名みたいなもんや」
「へぇー……」
城の裏手にまわり、細い黒塗りの扉を開けて城内へと入る。細い通路を暫く進み、また細い黒塗りの扉を開けた。
出た先は、黒と白の大理石が市松模様に敷き詰められた広く長い廊下だった。
天井付近に、青白く淡い光を放つ球体が、幾つも浮遊している。これが光源らしい。
市松模様の長い廊下を歩きながら、ミカは利一に説明した。
表側と裏側の往来は、兎などの一部の怪物を除き、自由には出来ない。
自分で往来の術を持たぬ者が、裏側から表側に行く為には、表側にいる怪物に渡航の申請をする必要があった。
だが……過去に申請が通った例は殆んど無く。仮に申請が通ったとしても、特別な呪いを受ける必要があるのだ。
ましてや……人間を表側から裏側へ送り出す事はあっても、裏側から表側に還した例は無かった。
「表側に行く為の呪いは……渡航する者の四肢などの一部を差し出して行うねん」
それを聞いて首筋が強張る。体を刻まなければ還れないのかと、戦慄した。
「この世界に来るんは簡単やけど、この世界から外に出るのは容易ではないねん」
利一は肩を落とし、黙り込んだ。もしもの時は──四肢を切り刻む事になるかもしれないと考えると、胃が痛んだ。
「ただ、ひょっとしたら……利一の場合は……何とかなるかもせん」
「えっ!? ホンマに?」
利一は明るい声を出す。
「あぁ。それには、まず──」
ミカがそう言いかけた所で、黒い柱の陰から誰かが出て来た。
『ミカ……お帰りなさい』
ミカに親しげに話しかけた、その人物は──ダークブラウンの髪に翠色の目をした、中性的な顔立ちの青年だった。
『ハインツ……ただいま』
ミカはやや緊張して挨拶を返す。その態度は、先程、仲間にしていたものとは明らかに違う。
『ねぇ……それ何? 新しい支給品? 独り占めしたの? 狡いなミカは』
利一はハインツと呼ばれたこの青年に、言い様の無い違和感を覚える。
ミカに親しく話しかけているようだが、ハインツからは悪意を感じた。
『そんな幼い子供を弄ぶのが趣味だった? マグダレーナが知ったら怒るんじゃないかな?』
ハインツはミカを嘲弄する。
『そんなんじゃない。この子は……僕の友人だ。彼女には今から報告する所さ』
ミカはそう言うと利一を抱えて、ハインツの横を通り過ぎる。
(……あ)
利一はミカの肩越し【それ】を見た。
醜く歪んだ憎悪の眼。ハインツは、般若の如くねじ曲がった顔をして2人を睨む。利一は、思わず寒気がして、ミカにしがみついた。
「ミカ……今の妖怪なんなん?」
「……彼はハインツ。マグダレーナ様の弟君や。この城で、俺を嫌ってる連中の1人やな」
「女王様の弟にも嫌われとんの?」
「……俺にもよう分からへんねんけど……そやな……嫌われてるんやろな……」
ミカの表情はよく見えなかったが、声に複雑な胸の内が表れていた。恐らく、ハインツに嫌われて悲しいのだろう。ハインツの事を話すミカの声は、とても沈んだものだった。
(嫌われるみたい……なんて軽いもんちゃうと思うけど……あれは……憎まれてる?)
利一はそう思ったが、ミカにそれを伝える事は出来なかった。嫌われて悲しんでいる者に対し、追い討ちはかけられない。
ミカはそれ以上、ハインツの話はしなかったし、利一もあえて訊かなかった。
やがて2人は、城の奥にある観音開きの扉に辿り着く。
それは大きく、頑丈そうな扉だった。素材が何で出来ているのかは不明だが、黒曜石のようにみえる。
不思議な事に取っ手は無く、どうやって開くのか初見では分からない。
ミカは扉に向かって話しかけた。
『マグダレーナ……開けてくれる?』
扉の向こうから返事は無い。ミカは再度、話しかける。
『実は……紹介したい友人が出来たんだ』
すると──扉が低い音を立てながら、ひとりでに動き、内側へと開いていく。
利一がその様子を眺めている間、ミカが注意事項を話す。
「あんな……絶対に下手な真似はすんなや? ここで粗相したら……君……死ぬで? 分かったか? 余計な事すんなや? 何も動くなや?」
利一はコクリと頷き、ミカはそれを見て「よしっ」と言って中へ入る。
中は、真っ白な広い半球状の空間だった。高い天井付近に、淡い光を放つ球体が、廊下と同様に浮遊している。
黒地に金の刺繍が施された長い絨毯が、入り口から奥まで一直線に敷かれていた。
利一は絨毯の行き着く奥に目を向ける。
そこにあったのは、禍々しい棘の装飾が施された長椅子だった。
──誰かが、長椅子に腰かけている。
ミカは利一を連れて、長椅子に近づいた。
(……え? ……この妖怪が……女王?)
マントを羽織り、ミカとよく似た帽子と軍服を纏った【彼女】は、性別が女性だと言われなければ男性と見間違う程、中性的な顔立ちをしていた。
おまけに背も高く、御世辞でも女性的とは言えない体つきをしていて、髪も後ろに纏め上げているものだから、短髪の男性にしか見えなかった。
(俺のオカンより……歳上やん……)
褐色の肌は比較的若々しいが、目元の小皺や鼻から口元にかけて刻まれた豊齢線が、明らかに彼女の年齢が若くない事を表していた。
人間で言う所の──初老の一歩手前と言った具合だろう。
(さっき会うた妖怪の姉ちゃんやんな? ……随分、歳の離れた姉弟やな)
利一はそう思い、マグダレーナの髪色と目を見た。
(髪は灰色やのに……目はハインツと同じ翠色……まるで翡翠みたいや……)
ふと、脳裏に──母親が好んで着けていた翡翠の指輪が浮かんだ。
『寝てた? ゴメンね? 新しい友人を紹介したくてさ』
マグダレーナはミカと利一をジロリと睨む。その威圧感は先程のハインツの非では無い。
マグダレーナは不機嫌そうに、ゆっくりとした口調で話し出す。
『ミカ……なんだい、その子犬は……どこで拾って来た?』
落ち着いた雰囲気の声。見た目の割に若く、凛々しく聞こえる。
『トンネルを巡回中に見つけたんだ』
『……で?』
『……僕のペットにしてもいい?』
『……ミカ』
『何?』
『誤魔化すな』
ミカの首筋に、タラリと一筋の汗が伝う。
『何がペットだ。……既にそいつと契約を結んでいるじゃないか。……まぁ、仮初めの契約のようだが……』
『えっ!? 仮初め?』
驚くミカに、マグダレーナは呆れた顔をして言う。
『なんだ……気づいてなかったのか? 恐らく……その印……』
マグダレーナはミカの右手の甲に印された【式神の紋】を指差す。
『見たところ、それは仮契約だ。正式なものでないな』
ミカは抱えている利一を睨む。利一に対する怒りがふつふつと湧いた。
一方、利一はミカ達の言語が分からず、ミカが何故怒っているのかがハッキリと分からない。
だが、何となく【式神の紋】について話している気がした。
(あ……ハッタリがバレたんやろか? ……それやったら不味いな……)
利一の首筋に、タラリと一筋の汗が伝う。
『……普通の人間じゃないようだな……何者だ?』
マグダレーナは利一を見据えた。人間にしては怪物臭く、怪物にしては人間臭い。半端な臭気を漂わせる子供。
マグダレーナの眼には、少年と少女の姿が二重に映った。
種族も、性別も、あやふやな子供は、緊張した面持ちでマグダレーナを見つめ返す。
『リュージンとか言う怪物と人間との交配種らしいよ。ソイツから加護や呪いを受けた一族の子供なんだと……それで、見た事も無い珍しい術を使うんだ。しかも僕らの呪いを無効化する力を持ってる…………殺すには惜しいだろ?』
マグダレーナは手を差し出した。
『契約書を見せろ』
言われてミカは利一を降ろし、立方体の契約書をマグダレーナに渡した。
マグダレーナは6色に彩られた立方体を、興味深そうに眺める。
『こんなに多彩な物は見た事が無いな……』
『それがさ……最初は赤、青、黄の3色だったんだ。それが、新しく契約……仮初めらしいけど……それを結んだら6色に変化したんだ』
ミカは右手の甲をマグダレーナに見せながら言った。
『なるほどね……それもリュージンとやらの加護持ちのせいか……』
『どう、この子? 面白くない? 僕のペットにしちゃ駄目? ちゃんと世話するし』
ミカはマグダレーナの足元で跪き、潤んだ瞳で懇願する。
利一は少し離れた位置でそれを見ていた。
威圧感を放つ男性的なマグダレーナと、可愛らしくねだる女性のミカ。
(ホンマは性別が逆なんに……ミカの方がホンマもんの女みたいや……綺麗やし……)
『全く……しょうがない子だよ。お前は……』
マグダレーナはそう言うと、ミカの長い白金髪を引き寄せて、彼女と唇を重ねた。
(はっ!?)
利一は驚き、赤面した。2人から目をそらして、無意識に拳を握る。
(なんやねん……ミカの奴……)
ミカの甘く掠れた声や、口を吸う度に漏れる唾液の音。それらを聞いている内に、奇妙な苛立ちと胸の痛みを覚えた。
(……あ)
突き刺すような気配に気づき、つい、その方に目を向ける。その瞬間──マグダレーナと目が合った。
彼女はミカの唇を貪りながら、利一を睨みつける。
利一は敵意を感じて、困惑した。
『……はぁ……マグダレーナ?』
ミカが甘えた声で呼びかける。マグダレーナはミカの髪を優しく口元に引き寄せて、次いで愛おしそうに頬を撫でた。
『いいだろう……ソイツを殺すなり、弄ぶなり、好きにすればいいさ……ただし、後で報告書を必ず提出しろ。分かったな?』
ミカはマグダレーナに礼を言って、利一のもとに戻る。
「利一、お許しが出たで」
ミカは利一の顔を覗き込むが、利一はふいっと顔をそむけた。
「利一?」
利一は黙って、拗ねた態度を取る。正直、ミカとマグダレーナが唇を重ねる様など見たくはなかった。それを見せられ不快だったし、マグダレーナから理不尽な敵意を向けられた事も納得出来なかった。
(何、拗ねてるんだか……)
ミカは利一の前髪を指で優しく分けながら、稚い少女の額にキスをした。
「なっ……!?」
利一は咄嗟に後退りし、両手で額を覆い隠す。
「なにすんねん!」
ミカは利一の初心な反応を見て、したり顔をする。
「良かったな。お許しが出て。ほな、行こうか」
ミカはそう言うと、利一の抗議を遮るようにして、素早く少女を抱き上げた。
『では失礼します』
絨毯の上を足早に渡り、2人は部屋をあとにする。
マグダレーナは、ミカと利一が去ったあとも、閉じられた扉を見つめ続けた。
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