第89話 【1975年】◆チェスターと発見されたメアリー◆
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【1975年】
ミカとの【食事】を終えて、利一は客室に備え付けられていたシャワールームに入った。
湯で汗を流しつつ、己の腕や脚を見る。鍛練を重ねた体は、同年代に比べ若々しく見えるが、やはり老いを感じずにはいられない。
──一体、いつまでミカに【食事】を提供出来るのだろう?
遅かれ早かれ、いずれ、今の関係は終わる。
ミカは、利一以外の誰かを抱いて──そして抱かれるのだ……
それを思うと心苦しかった。
一通り清めて、シャワールームを出る。バスローブに身を包み、髪をふきながら部屋に戻ると、そこにいる筈のミカの姿が見えなった。
(……やられた)
ここで大人しく謹慎を受けるような男ではなかった事を思い出し、油断した己を殴りたく思う。
急いで服を着つつ、どこからともなくルービックキューブに似た立方体を取り出した。
それを暫く見つめたが、何の変化も起こらなかった。
(ミカの奴……裏側に行ったのか?)
立方体に変化がないと言う事は、ミカが表側にいない事を示している。
こうなると、彼の居所を特定するのは容易ではない。
(喰ったら教えるって言うたんに……)
ミカは利一との約束を破って姿を消した。
友人としてはミカの帰りを待ちたいが、お目付け役としてはヴィヴィアンに報告せねばならない。
苛立ちながら、どうしようかと迷っていると、突然、立方体が淡く光った。
利一はハッとして、背後の扉に目を向ける。すると──ノックも無しに扉が開いた。
「あれー? りっちゃん、どないしたーん?」
いけしゃあしゃあと、青年のミカが現れた。
「このド阿保!!」
「あだっ!!」
利一は再会早々、ミカを殴りつける。
「どこ行っとってん!!」
「ははっ……ごめん、りっちゃん……俺がおらんで寂しかった?」
怒る利一に対し、まるで恋人に接するかのように、ミカは戯けて返す。
「そうやのうて……俺はっ……!!」
利一は辛そうに口ごもる。もし、ミカが帰らなければ、お目付け役としての責務を果たさなければならない。利一はその事を恐れていた。
ミカも利一の様子を見て、彼が危惧する事を察し、今度は真面目に利一の目を見て言う。
「ごめん……心配させて」
「ミ──」
利一がミカの名前を言いきる前に、ミカは利一と唇を重ねた。
(………………あれ?)
ミカは、利一から怒りの一撃が来る事を期待していたが、利一は拒絶する事無く唇を重ねる。
少し離れて見れば、利一はいつの間にか女性の姿に変わっていた。
長い黒髪の女は、悲しそうな顔をしてミカを見つめた。
「……りっちゃん」
「嘘つき……相棒に隠し事は無しや……言うたやんか……」
ミカは彼女を抱きしめながら、再度、謝罪する。
「うん……せなや……かんにん」
「……この……ド阿保」
利一は泣きたいのを堪えて、ミカの胸に顔を埋める。
その姿は紀州犬ではなく、やはり子犬のようだとミカは感じた。
──ミカの言動に振り回される子犬。
ミカは、利一が自分の事で傷ついてくれるのが嬉しかった。利一が自分の事で泣く度に、彼を愛おしく思った。
それが歪んでいるとは自覚していたが、なかなか止める事が出来ない。
ミカが利一の額にキスをして、もう一度、唇を重ねようとした時──
『扉を閉めた方が良いかい?』
不意に、廊下から声がして、利一は反射的に全力でミカを突き飛ばす。その瞬間、利一の性別が元の男に変わった。
『いえ!』
利一は慌てて否定する。
その人物は開けっ放しの扉から、2人を見ていた。
『いちゃつきたいなら、僕は止めないけど……露出プレイは止めてくれよ』
そう言ったのはチェスターの父親役だった。
『リー、どうしたの?』
突き飛ばされたミカが訊くと、父親役のリーは神妙な面持ちで告げた。
『ヴィヴィアンから連絡があった。メアリーが無事見つかったそうだよ』
利一は直ぐにミカの顔を見た。ミカは冷淡な表情を浮かべている。メアリーが見つかって喜んでいるようには、とても見えない。それが不気味だった。
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そこは陽の光が存在しない闇の中だった。
チェスターは手元のランタンの蝋燭を頼りに、途方もない瓦礫の山を登り進んでいた。
瓦礫の殆どは、ブロック型の黒い岩と、大きな棘のような岩で、その一つ一つがチェスターの背丈よりも大きい。
チェスターの近くには、同じようにランタンを持った怪物が数人いた。
『もっと明るい光源があれば良いのに……』
誰かが、ぼやく。チェスターもそれに共感した。
本来であれば、吸血鬼は夜目が利く。知覚も非常に優れていて、どんな暗闇でも活動出来る。
──だが、それは表側での話だ。ここ裏側では、吸血鬼の知覚は無に等しい。
光源も特別な呪いを施した蝋燭でなければ、周囲を照らす事が出来ない。
『本当に、メアリーはこんなところにいるの?』
また、誰かが言う。
手元の時計を見れば、時刻は午前3時を過ぎている。
進めど、進めど、果てしなく続く瓦礫と闇。それを目の当たりにして、皆、段々と懐疑的になった。
(確かに……マイケルが本当の事を言ってるとは限らない)
体が回復して直ぐに捜索に加わったが、初めて訪れる裏側の世界は、怪物のチェスターから見ても、酷く不気味な印象だった。
無機質で、生き物の気配が一切ない虚無の世界。メアリーを捜索する一行以外、音をたてるものも無く、風も無い。
『裏側って……こんな所だったのか……』
チェスターがそう言うと、近くにいた誰かが、それを否定する。
『いや、以前はもっと違ったらしいよ。噂じゃ、城や森や海なんかがあったって……そう聞いた事がある』
『へぇー。詳しいんだね』
『あくまで噂だけど……』
『他にはどんな噂があるの?』
『僕が聞いた話では……』
自分以外の怪物が話し始めたところで、チェスターはキレた。無駄話を咎めようと『おい!』と声をかけた。
すると、その瞬間──腰を引っ張られる感覚がして、もと来た方向を振り返る。振り返ったのはチェスターだけではなかった。全員が同じ方向を見た。
『表側の仲間が呼んでるみたい……』
『何かしら?』
チェスターは、腰に巻かれていた極細い糸を掴んだ。この糸は表側へと繋がっている。仮に裏側で迷う事があっても、この糸を手繰って行けば表側に帰れる──言わば命綱のようなもだ。
『……戻るぞ』
チェスターの一言に、全員が頷いた。それぞれが、自分の腰に巻かれた糸を掴み、それを手繰って、もと来た方向に走り出した。
暫く行くと、別の方角から複数の灯りが見え始め、また別の方角からも灯りが近づいてきた。次第に、それが1ヶ所に集まって、捜索に当たっていた怪物全員が顔を合わせる。
『何で呼ばれたんだ?』
『分からない』
『一先ず表側に帰ろう』
『そうだな』
怪物達はそう言って、一際大きい瓦礫の隙間に、1人づつ入って行った。
酷く狭い隙間を抜けると、突然、天地が横に変わる。チェスターは隙間の奥に落下して、受け身を取る暇も無く地面に叩きつけられた。
『おかえりチェスター』
聞き慣れた声がして、直ぐ様見上げれば、アフリカンの美しい女性がいた。ヴィヴィアンだ。
表側に帰ってきたのだ。
『メアリーが見つかったわ』
そう告げられて、チェスターは飛び起きた。
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エミリーを護衛しているリズのもとにも、メアリー発見の一報が入った。
エミリーは昨日の出来事を一切知らないし、リズ達も、メアリーの状態が分からないままでは動きようがなかった。
どう話の辻褄を合わせるのか──リズはヴィヴィアンからの指示を待つしかなかった。
表側に帰還したチェスターは、ヴィヴィアンと共に車で街の病院に向かっていた。
ヴィヴィアンによれば、メアリーは病院に運ばれたらしい。怪我は無いとの話だが、この目で確かめて見るまでは、気が気じゃなかった。
『メアリーはどこにいたんだよ』
運転しながら尋ねる。
『自宅のポーチに倒れていたそうよ』
自宅──つまり表側だ。やはりミカの言った事は嘘だったのか……そう思うと、途端にミカ(マイケル)への殺意が湧いた。
『クソが! マイケルの奴……』
苛立ちながら車を走らせ、やがて病院に辿りついた。
ごく普通の一般的な病院だったが、ここは怪物の息がかかってある。
仮にメアリーの身体に不審な傷があったとしても、誤魔化しが利く。
狩人の怪我が治療出来て、尚且つ、警察に通報されないのであれば、これ以上の場所は無い。
足早に廊下を渡り、急いでエレベーターに乗り込んだ。病棟に辿り着くまでの数分が、永遠に終わらない気がして、余計に苛立つ。
『……チェスター。病室に【彼】がいても怒鳴らないでね』
言われて首を傾げたが、病室に辿り着いてみれば、その意味はすぐに分かった。
──病室の入り口にミカいたのだ。勿論、利一も一緒だった。
『随分、遅かったね。三輪車に乗って来たの?』
言ってミカは不適に笑う。確かにヴィヴィアンの危惧する通り、怒鳴りたい衝動に駆られたが、それを必死で堪えて尋ねる。
『何で、お前がいる?』
『私が呼んだのよ。メアリーから、襲撃に関する記憶を取り除く為にね』
それを聞いてチェスターは思い出した。
(そうだ……マイケルには強力な暗示の力があった……)
人間を精神操作出来る怪物は少ない。隠蔽工作の為に謹慎中のミカが呼ばれるのも、仕方の無い事だった。
『既に昨日の記憶は消してある。メアリーが思い出す事もないよ』
プロムの約束をしたのは一昨日だ。ミカの言う事が正しければ、約束した記憶は消されていない。
『……彼女は無事なんだな?』
チェスターはミカを睨む。人狼の襲撃はミカのせいではなかったが、メアリーを危険な目に遭わせた責任は、間違いなくミカにある。
──絶対に許せなかった。
『……疑うの? なら、自分で確かめみれば?』
病室を指し示され、チェスターはミカを睨みながら、足を踏み入れた。
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