第七話 暁
業火のように咲き乱れる曼珠沙華の群れに、漁火のような紅い髪の男が向かい側の夜空を見上げている。炎帝である。彼は右手に生玉を天に掲げるように持ち、どこか反発的に男を見上げていた。生玉の内部中心部には陽光のような炎が燃え上がる。だが、その澄んだ緑色の瞳は、白く輝く望月に照らし出されて鮮やかな翠色に煌めく。
更に、その双眸に映し出されるのは、闇色の狩衣、紫紺色の袴に身を包み右手に銀色の錫杖を持ち、藍色の布を頭から被った男の姿だった。男は月を背に夜空に浮いている。蝋のように透き通る肌、長い漆黒の睫毛にくまどわれた切れ長の瞳は、漆黒の闇夜のようだ。整った薄い唇は幽鬼のように青い。氷柱のようにスッと通った高い鼻、面長の顔立ち、思わず背筋がゾッとするほどの氷のような美貌の持ち主である。冷たく炎帝を見下ろし、男はおもむろに口を開いた。
「そろそろ世代交代の時を迎える。現世ではあと、数年と言ったところか……。こちらではあっと言う間であるがな。準備は整っているか?」
冷たく澄み渡る声が紡ぎ出される。その声質までもが氷のようだ。反して、炎帝の瞳は心の奥の怒りを映し出しギラギラと輝く。
「……何が、言いたい?」
怒りを抑えた声が、低く響き渡る。
「そう構えるな。私はお前と争うつもりも、上層部に密告する気もサラサラない。ただ、少々この人柱という仕組みも古めかしくなって来ていると思うてな」
男の唇が、緩やかな弧を描いた。だが、漆黒の瞳は何の感情も映し出さず、底知れぬ闇を湛えている。
「……何でもお見通し、という訳か。それで、俺に何を言わせたい? 月黄泉命(※①)よ」
炎帝はやや気色ばんで応じ、油断無く構えて男を見据えた。男は月黄泉命、そう、夜と海を司ると言われているが、謎の多い闇の神であった。
「……ヤレヤレ、どうやら私は全く信頼されていないようだな」
月黄泉命は寂しげに笑った。いつも氷の彫刻のように冷たく無表情な彼しか、ついぞ見たことのない炎帝は意外そうに目を見開く。そして、
「……信頼も何も、ろくに会話を交わした事もないだろう。それに俺は人柱だ。そもそも俺を監視しする役割ではないか」
と半ば呆れたように答えた。
「そうだな。だが、私はあくまで監視役に過ぎぬ」
「だから、先ほどから何が言いたい?」
あくまで遠まわしの物言い、炎帝は焦れたように言った。
「では、はっきりと言おう」
月黄泉命はそう答えたあと、そのまま口をつぐむ。そして炎帝を見つめたまま、彼の脳内に直接語り掛けた。
『これより先は、伝心でそなただけに直接語ることとしよう』
「な、なにをいきなり……」
『静かに! そなた自身も、心で思うだけで私に通じる。安心せよ』
脳に直接響く声は冷たく冴えた中にも、何故か不思議と清らかな水のような透明感と爽やかさがあった。炎帝は半ば諦めたようにフッと軽く笑うと、穏やかに月黄泉命を見つめた。
『なるほどな。妖魔を始め、他の神々に聞こえたら拙い話をしようって訳か』
心の中でそう応じる。
『察しが良くて話が早いな。……では本題に入ろう。そもそも人間と我々の契約から人柱と妖魔の役割など、その全てを監視し、目を光らせているのは禍津日神だ。私はただ傍観しているだけに過ぎぬ』
『つまり、お飾りの存在……とでも言いたい訳か?』
月黄泉命の真意を図りかね、鋭く彼を見据えた。
『そう警戒するな……まぁ、無理もないか、いきなりそのような事を言われても』
『そりゃそうさ。禍津日神は災厄の神だろ? でもそれ以上に格上の得体の知れない恐ろしき神、てのが月黄泉命様……と聞いて育ったからな』
フッフッフ、ハッハッハ……
『な、なんだよいきなり……』
堪えきれずに笑い声を漏らす月黄泉命。彼が声をあげて笑える事に文字通り仰天して目を見開き、呆気に取られている炎帝。
『すまんすまん、そのように人間に伝わっているのかと再確認したら何やら可笑しゅうてな』
笑いすぎて滲んだ涙を左の袖で拭うと、突如として真顔に戻り炎帝を見つめた。
ドキリ、あまりにも真剣な彼の視線に鼓動が跳ねた。しばらく無言で炎帝を見つめる月黄泉命。
『……そなたの前の代の贄の事は、覚えておるな?』
やがて彼は、ゆっくりと問いかけた。
カキーン、カーン、キーン……
城内の稽古場にて、金属音が響く。後ろに一つに束ねた漆黒の髪と、白銀色の髪が靡き、時に交差し合う。陽光を反射し、刀がギラリと光る。剣がかち合う度に、細かい火花が散るように思えるほど、彼らが真剣に斬り合って見える。
「お二人とも、お時間でございます」
従者の声で、刀を腰におさめ笑顔で見つめ合う二人。
「父上、有難うございました!」
凛と突き抜けるように澄んだ声は、まだ甘さが残る。羅睺は礼を述べると、丁寧に頭を下げた。
「また、腕を上げたな」
佳月は満足そうな笑みを浮かべ、息子を見つめた。
「それは、信濃国一の剣豪と名高い父上から直々に稽古をつけて頂いているお陰です」
羅睺は誇らし気に父親を見つめた。
「おやおや、これは腕を鈍らせる訳にはいかないな」
佳月は照れたように答えた。息子が四つの時より、知識教養以外にも剣術を始め弓道、体術、泳ぎなどを教え、鍛え、腕を磨かせてきた。人柱として生まれた者は皆、代々そのようにして文武両道に育て、贄として神に捧げる。そういった習わしも勿論であったが、密かに思う事があった。
『もし万が一隙が出来て逃げおおせる事が出来たなら、文武両道であるなら逃げ切れる可能性が高い』
と。そして内密に従者達に探させているものがあった。十種神宝の一つ、あらゆる全ての願いを叶えるという足玉である。これが手に入れば、最愛の息子を人柱から解放し、そして代々続いてきた悪しきしきたりをも終わらせる事が出来るからである。
だが、未だにその所在は不明のままであった。それは有恒に卜わせても同じだった。故に、あらゆる階層のモノたちも血眼になって探しているだろう事は想像に難くない。
(……唐突にそんな事を言われてもなぁ……)
時を同じくして、炎帝は月黄泉命から聞いた話を思い返していた。
(※ツキヨミとも読む。月読、月夜見とも書かれ、未だに謎の多い神。神話や文献にもその登場は少ない。諸説あり)