第九話 冷たく輝く月
水浴びを終え、再び褥代わりに蜂比礼を身に着ける。何代もこうして使い続けられて来たのにも関わらず、まるでおろし立てのように清浄なまま保たれているのは、やはり特別な妖術の力を感じずにはいられない。
乳母や侍女たちの手により、桜色の直垂、薄緑色の袴を身に着ける。
(水干も、羅睺の名もこれで最後か……)
そう思うとほんの少し寂しくもあった。
(母上様……)
立場上、気丈に振る舞ってはいるが、涙を堪えている様子が伝わる。それは父も同じであろうと羅睺は感じた。
(なるほど、人柱として生まれ、育てられたのか……だから、民の目にも他の一族の目にも触れずにここまで……)
再び今朝方の夢を振り返る。
『……薄々疑問に感じてはいたでしょう? 特別に守られて育てられてきた理由を。あなたは人柱として捧げられる為に生まれ、育てられて来たのです』
悲し気に告げる夕星。けれでも羅睺は、
……あぁ、そうか。やはり……
そう感じ、今までの謎が全て解けたような気がした。不思議と、穏やかな気もちだった。夕星によると、人柱としての仕事は、贄として捧げられた後に先代の贄である「炎帝」から引継ぎがあるという。彼が直接夢枕に立たなかった訳は、今も人柱としての役目を果たしている為だそうだ。代々、二つ前の人柱がこうして枕元に立ち、宿世を告げるのだという。完全に役目を終えた人柱は、神ととして祀られ、崇められていく内に、本当の神として昇格していくのだと繰り返し両親から聞かせられてきた。今にして思えば、父も母も必死で己自身に言い聞かせていたように思う。具体的に、どの贄がどのような神になったかまでは聞かされていない。
(しかし、夕星様のお話は……)
その後、彼が語った話を呑み込み、どう対処すべきかはさすがに今すぐに結論は出せなかった。
(いや、今考える時ではない。今は儀式に集中しよう)
そう思い直した。
儀式の場に付いた。部屋は多くの陰陽師達に囲まれ、保護の結界をはっているようだ。禍津日神の像を前に、一心に祈りを捧げる有恒。それぞれの役目を担った家臣達と漆黒の烏帽子を持った父親が部屋の中央に控えている。母親乳母、そして侍女たちが見守る中、羅睺はスッと背筋を伸ばし、堂々と父親の前に向かって足を進めた。
羅睺は静かに腰をおろす。これから髪を結い上げるのだ。それぞれの役目を担った家臣たちが後ろにやってきた。羅睺は心を無にし、彼らに委ねた。
髪を結い上げた彼は幼さと甘さが影を潜め、りりしくそして少し大人びて見えた。
有恒が祈りを止め、静かに目を開いた。神から、諱を授かったようだ。ゆっくりと佳月の左隣に並んだ。羅睺は臆する事なく、父親の目の前に立ち真っすぐに佳月の目を見つめた。厳かなる静けさが訪れた。
やがて有恒が沈黙を破るべく大きく息を吸い込んだ。シャン、と右手に持った錫杖を鳴らす。清浄と厳正な空気が場を支配した。いよいよ、真の名を授かるのだ。
「禍津日神により賜りました真の御名前は……」
一瞬、誰もが息を潜め、その時待った。
「これより羅睺改め『氷輪と名乗るが良い、との事!』
シャン、と再び錫杖を鳴らした。そして佳月は、両手で掲げていた漆黒の烏帽子を息子に差し出す。羅睺、いや、氷輪はお辞儀をするように頭を下げた。佳月は息子に、丁寧に烏帽子を被せる。
白銀の髪に漆黒の烏帽子は美しく映え、紫色の瞳は紫水晶のように神秘的に輝いた。氷輪……冷たく輝く月。その名の通り、凛として美しかった。