『可哀想』について
暇つぶしの愚痴です。
--とある古ぼけた教室の中、二人の中学生と思われる男子が、椅子に座り対面していた。一人は眼鏡をかけた背の高い少年、もう一人は最近コンタクトレンズに手を出し始めた中背の少年だ。二人の少年の手には、ゆらゆらと湯気を立てるコーヒーの入った、コーヒーカップが握られていた。何をしているのだろうか。
「なあ、『可哀想』って言葉について違和感が無いかな?」
眼鏡の少年が、唐突に口を開く。
「どうしたんだい急に。ついに血迷ったのかな? 」
何言ってんだこいつ……という視線を混ぜつつ、中背の少年が聞き返す。眼鏡の少年に対する答えにはなっていないが。何にせよ、いつものことなのか中背の少年の表情に変化はない。どうでもいいのだろう。
「そういうのはいいから、答えてみてくれ」
冷たくあしらわれるのを気にせず、眼鏡の少年は懇願する。
「……はぁ、まあいいよ。『可哀想』だっけ? 誰かへの同情心とかそういうのでしょ? 災害とか強姦とかに遭った人に対するあぁいうの。」
「ああ、辞書で調べると『弱い立場ににあるものに対して同情を寄せ、その不幸な状況から救ってやりたいと思うさま。同情をさそうさま。』の『可哀想』だ。よく使われる状況として、君がさっき言った奴だ。」
「……で、それに対して君は何を言いたいのかな。私はそのお題に対してあまり興味を惹かれないから勝手に語ってくれるかい?」
「聞いてくれるだけで有り難い、今から言うのはただの愚痴だからな。」
眼鏡の少年は聞いてくれるだけで構わないとのことで、少し笑みを浮かべる。気に障る教師の愚痴を話してスッキリするように、現在彼の持つ疑問も解消したいのであろう。
「まず俺としては、この言葉を差別的な発言になると考えている。俺は何時も言っている通り『差別自体はあって然るべき』だと言う考え方だが、俺の考えについて賛同しない人には是非ともこの『可哀想』という言葉を使わないで頂きたいのだよ。」
眼鏡の少年が言う賛同しない人というのは、『差別反対』の人々のことである。世界中の大多数の人間は、この枠組みに入るであろう。
「……ふぅん。」
「まぁそうあしらわずに少し聞いてみたまえ。いいか、辞書で調べた通りに『可哀想』という言葉は、その言葉を投げかける対象に対して『下に見ている』ということなんだ。辞書では『弱者』、『救済』などと、間違いなく言葉を発する者が投げかける対象よりも『上』に在るってことを記してるんだ。ここで矛盾が起きると考えられないかね」
眼鏡の少年の言いたいことは、実に単純明快である。『差別反対』なのに『個人を下に見る』ことを『差別反対者の中で成立』していることに矛盾が起きていると言いたいのだ。
「犬が棒に当たる。猿が木から落ちる。猫が骨折する。鳥が絞め殺される。豚が出荷される。牛が機械を付けられ乳を搾り取られる。あぁ、確かにその『行為』はまともな感性を持っている人からすると『可哀想』なことなのだろうし、俺だって同意する。何しろ、ペットや家畜は『人間よりも下位の生物』である、となんの矛盾もなく感じている訳だからね。自分より下の者……つまり『弱者』に対して『可哀想』だという心を持つことには一切の矛盾がないんだ。ノープロブレムだと言えるね。』
ペットや家畜というのはあくまでも『人間より下』であるために、『弱者』に向ける『可哀想』という感情があることに矛盾は無い、そう眼鏡の少年は言う。他の生物を嫌い、人間も嫌う眼鏡の少年ならではの視点からある考えである。
中背の少年も、興味は無いと言っていたにも関わらずその瞳は眼鏡の少年のほうへと向かっていた。なるほど一理ある、と思考しだしたのだ。
「だが、だがだよ。この『可哀想』という憐憫の感情を、『同等である筈の人間』に対して、『平等を主義とする人間』が言うことは本当に適していると言えるかな? 有名な本にもある通り、『天は人の下に人を作らない』とあるように、『平等主義者』からすると『下』を作ってはいけない筈なんじゃあないのかな? 『平等』を主張する人が真っ先に『差別』をするというのは、正しいと言えるのかな? ……と、いうのが俺の主張だが、君の考えを聞かせてほしい。無いなら無いでも構わないよ」
「……ふむ。……そこは、君の捉え方違いなんじゃあないかな。例えば、『可哀想』という感情が『共感』と同じようなニュアンスで使っているとしてみよう。よく、行動を伴わない『同情』ってのはあるけど、あれは他者の苦しみ、いわゆる『悲観的な感情』に対して、『可哀想』だと思うことだよね。それのことを君が言っているのならば、君の『平等主義者は可哀想という言葉を使わないべき』という意見にまるまる同意する、言われてみれば当然のことだしね。」
真剣に尋ねられて、中背の少年が取り出した材料は『同情』と『共感』。眼鏡の少年の主張が前者ならば肯定、後者ならば否定するのである。
「続けてくれたまえ。」
眼鏡の少年は朗らかに続きを促す。愚痴を聞いてもらいスッキリしているのと、中背の少年の主張への好奇心によるものだ。
中背の少年は一口コーヒーで喉を潤……そうとしたが、猫舌で飲めなかった。
コーヒーカップを机に置き、続きを話すべく口を開く。表情は変わらず無表情であるが、眼鏡の少年から見ても雰囲気は違っていた。
「では、世の中の人民が『共感』からの『可哀想』という感情ならばどうだろう。……ああ、『可哀想』という言葉が出てる時点で……ってのはこの際置いておいてね。……『共感』というのは、人に対して『喜怒哀楽を共有しようとする生物的な本能』とかまぁ、そんな感じのそれだったと思う。」
「あぁ、そうだね。」
「でだ、仮に人の境遇を自分ごとと捉えていて、その上で『可哀想』だという感情を抱いている場合、それは『下に見ている』ことにはならないのではないかな。」
「なるほど。対等に見た上で、『相手も辛くて、自分も辛いから可哀想』という事ならば、なんらおかしな事ではないということか。」
「そういうこと……自分で言ってなんだけれども、そんなかぎられた考え方で人に対して感情を抱く人なんて極々少数だと思うけどね。君の言う、『下に見る可哀想』ならば、やっぱり使うべきではないのだろう。何か反論は?」
「ある。君の考えはある意味正しいのは認めるけれど、俺が愚痴りたいのは極々少数を除いた『大多数』の『平等主義者』を装った『差別者』のことだ。生物である以上下に見たいのは当たり前、だけど『私は平等主義者でありたい』という考えそのものが気にくわないって言えばいいかね?」
「う~ん、君はどう結論を出したいのかな? 私は君の意見に対して賛同した部分もあるから、これ以上何か言われても困る」
「……それもそうか。……というわけで、君が俺の意見を踏まえた上でどのような考えになったか、またこれからをどうするか聞かせてほしい」
結局のところ、眼鏡の少年は中背の少年に対して自らの愚痴を聞いてもらいたいだけなのだろう。今彼が求めているのは蛇足でしかなく、中背の少年が応える義理は無い。
が、こういう話し合いは、立場が逆であるときも度々存在する。故に、中背の少年はこれからについて少しだけ考える。
「……そうだね。素直な感想としては、君が変なことを考えていると知って面白いだったり、日本語って難しいなってとこかな。で、私はこれから、『可哀想』という言葉を嘲笑の意味でしか使わないようになるだろう。こんなもんで構わない?」
「ああ、ありがとう」
彼らはこうして、数分にも満たない話し合いをする。コーヒーが冷め切らない、ようやく猫舌の中背の少年が飲める程度にまで落ち着く……その程度である。
彼らにとって、そんな時間は悦な時間であった。
まぁはい、中学生時代の愚痴を書いたものです。誰の参考になるもでもありません。ただちょっと、当たり前に使ってる言葉を見直したりすると愉しいかな~なんて、ごめんなさい