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まいなすいち、ぷらすいち

作者: 調彩雨

済みません方言はエセです

 

 

 

 食堂の端のカウンター席に座って、弁当箱の蓋を開ける。見た目よりもちひろの好みを優先した弁当には、朝、やっと熟したのだと自慢していたプチトマトが入れられていた。

 ちひろは彼女が種から育てて実らせた成果を、俺にもお裾分けしてくれたらしい。


「隣、良いすか?」

「ん?良いよ」


 ラーメンの乗ったお盆を持った後輩に言われて、ちひろ特製のブレンドティーを水筒からマグカップに注ぎながら了承する。


「うわー、相変わらず美味そうですねー」


 俺の手元を覗き込んだ後輩が、羨望の眼差しを向けて来た。

 実際、お祖母ちゃん子で小さい頃からくっついて一緒に料理していたと語るちひろは料理上手だ。師匠がお祖母ちゃんなために、昭和の香りがする料理が多いけれど。

 今日の弁当もふろふき大根に青菜と油揚げのおひたし、茄子の肉味噌炒めと、全体的に茶色いメニュー。控えめに添えられたトマトと絹さやが、辛うじて彩りを与えている。


「ああ、美味いぞ。やらんけど」

「……ラブラブですねー、ほんとに」

「そう言うお前は、今日は愛妻弁当じゃないんだな」


 型崩れのないふろふき大根に端を刺せば、手応えなくあっさりと切れた。手間隙掛けたふろふき大根は芯まで味が染みていて、噛めば口中に幸せが広がった。たとえ昨日の残り物でも、冷めていても、美味いものは美味い。


「昨日喧嘩しちゃって」


 弛む頬を止められなかった俺の横で、暗い顔をした後輩が呟く。

 半年前に結婚し、いつも嬉しそうに弁当を抱えていた彼が、今日は社食のラーメンをすすっているのは、そう言う裏話があったらしい。


「すっげー言い争ってそのまま謝りもしないで寝て、起きたら朝メシも弁当も妻もいなかったんすよね。あ、いや、妻がいないのは仕事行ったからなんすけど」

「どっちが原因?」

「どっちもどっち、だと思うんすけど……きっかけは些細だったけど、言い争い始めたら半年間の鬱憤が、お互い爆発しちゃって」


 ずず、とラーメンをすする後輩の話を聞きながら、茄子を口に運ぶ。茄子と油は相性抜群と信じてやまないちひろにより油を惜しまず使われた肉味噌炒めは、口に入れるとトロリととろけて美味い。

 油って美味しいよね……と悟りを開きそうな目で呟いていたちひろを思い出して笑いそうになり、ぐっと口許を引き締める。


「何年経ってもラブラブな先輩がうらやましいっすよー。どうしたら、喧嘩せず仲良くいられるんすかねー」


 ぱり、と絹さやをかじりつつ、喧嘩せずにか……と考える。

 妻は絹さやが好きらしく、冷蔵庫に常にストックしている。同じく常備されているのはオクラと豆腐と油揚げに納豆だ。この中に嫌いな食べ物がなかったのは幸いだったのだろう。


「俺も、結婚した当初はよくギスギスしてたぞ?喧嘩とかしょっちゅうだったし」

「え、そうなんすか!?」


 驚いた顔の後輩に、頷きを返す。


「俺がなんか言って、それに嫁が怒って、しばらく不機嫌とか、日常茶飯事だった」

「でも、今はそんな喧嘩とかしてないですよね?落ち着いたからとか?」

「いや、嫁に言われて-1(マイナスイチ)+1(プラスイチ)運動を始めたら、喧嘩ががっつり減ったんだよな」

「それ、どんなことするんすか?」


 ラーメンをすすることも忘れて身を乗り出した後輩に、昔の自分を思い出しながら苦笑した。


「大したことない、ちょっとした心掛けだよ」




 ちひろが泣いたのが、きっかけだった。

 どんなに喧嘩しても、ちひろは不機嫌顔で黙り込むばかりで、泣くと言うことがない。不機嫌が落ち着くまで放っておいて、お互いに謝って。

 そんなことが日常茶飯事だったから、ぼろぼろと涙をこぼすちひろを見て、俺はすごく動揺した。

 しかも、なにか前兆があったわけじゃなかった。不意に振り向いた、と思ったら、顔を歪め、大粒の涙をこぼし出したのだ。


「ち、ちひろ……?」

「もお、いやや……」


 ぐずぐずと鼻を鳴らして、ちひろは涙声をもらした。


「なにが嫌だ?なんだ?どうした?」


 狼狽える俺を、失敗したもんじゃ焼きの土手のように涙を溢れさせながら、ちひろが見詰める。


「喧嘩すんの、嫌やねん」


 それだけ言って俯くと、べそべそ泣いた。

 滅多に泣かないのは、それだけプライドが高いからだ。そのちひろがこんなにもみっともない姿をさらしていると言うことが、信じられなかった。


 それも、些細な喧嘩なんて、日常茶飯事なことで。


「あ、の、ごめん、な?」

「なん、それ。なにが悪いか、わかってへんやろ」


 どうして良いかわからなくてとっさに謝罪が口を突けば、泣いていても鋭い突っ込みが繰り出された。


「なんもわからんで謝っても、意味ないやん」

「そうだな。ごめん。なんで、喧嘩するのが嫌なんだ?」

「喧嘩したら、不機嫌にならんと、あかんやろ?」


 それが義務かは置いておいて、喧嘩したらギスギスするのは自然だ。


 だから頷けば、ようやく涙が収まって来たらしいちひろが、口を尖らせた。


「不機嫌やったら、楽しぃも、嬉しぃも、一緒、出来ひん、やん」


 言いながら、ちひろの目に涙が振り返す。


「そんなん、嫌や」


 ちひろが泣いた理由に思い当たって、慌ててその身体に手を伸ばし、抱き寄せる。


「なにが、楽しかった?教えて」

「……ん」


 ちひろが一点を指差す。見れば、鉢植えのサボテンに、花が咲いていた。


「す、げぇ……咲いた」


 驚いて、まじまじと見詰める。じいっと見て、この美しいものを生み出した最大の功労者の肩を叩いた。


「すっげえ!やばい、やったじゃん、ちひ、」


 興奮に満ちた言葉の途中で、むっつりしたちひろが目に入って、勢いをなくす。


 ああ、これは、嫌だ。


 心の底から思って、どんな犠牲を払っても、喧嘩を阻止しなければと痛感した。


「……ごめん」


 喧嘩はだいたい、俺が発端だ。俺がちひろを怒らせて、喧嘩になる。


「どうしたら、喧嘩をなくせるかな」

「なくすのは無理や。無理矢理不満なん飲み込んでも、そんなん身体に毒なだけやもん」

「でも、減らすことは出来る?」


 訊ねれば、ちひろはこくりと頷いた。


「どうすれば良い?」


 問うた俺に、ちひろが返した答えは……。




「一言余計で、一言足りなかったんだ」


『あんなぁ、一言多くて、一言足りひんの、いつも』


 ちひろの言葉を思い返しながら、後輩に教える。


『言わんとあかんことまで飲み込む必要はないんや。でも、言わんで良いことで、言ったら相手が嫌な思いすることは言わん方が良いし、言わんで良いことでも、言ったら相手が喜ぶことなら、言わんとあかんの』


「言わなくても良いことなら、相手を傷付けたり不快にさせる言葉は、言ってはいけない。言わなくても良いことでも、相手を喜ばせたり幸せにする言葉は、言わないといけない」


 最初はよく、失敗した。余計なことを言って、必要な言葉を惜しんだ。

 でも、気を付けているうちに、自然と余計な言葉は飲み込むように、必要な言葉は口を突くようになった。そうすれば、喧嘩はめっきり減って、ちひろの笑顔を見る機会が増えた。

 そんなことで幸せになれるなら、もっと早く気付いていれば良かったと、本気で後悔した。


「余計な言葉を一言引いて、足りない言葉を一言足す。引くのは、下らない文句とかな。八つ当たりとか最悪だろ?それでお互い機嫌悪くなってたら不幸だ。だから、言わなきゃいけないことじゃないなら、文句とか不満とかは飲み込む」


 後輩は、ひどく真面目な顔で俺の言葉を聞いている。


「逆に、足すのは、ちょっとしたことへのお礼とか、誉め言葉とか。たとえ夫婦でも、なにかやって貰えんのは当たり前のことじゃないし、言葉にしなきゃなんだって伝わらないんだよ。弁当ありがとうとか、新しい髪型が似合ってるとか。それで嫁さんの機嫌が良くなったら、こっちも嬉しいだろ?だから、照れ臭くても良いところは指摘する」


 それだけで、喧嘩はめっきり減ったよ。


 言って、白飯を口に運んだ。

 土鍋炊きのちひろのご飯は、その日によって仕上がりにムラがある。今日はやわらかめ。


「もちろん、お互いに言わなきゃ気がすまないようなことがあったら言うから、全く言い争いをしないってわけじゃないけどな。でも、必要で言ったことなら喧嘩って言うより討論になるから、そんなにギスギスしない」


 ま、これはあくまで俺の話で、お前でも通用するかはわからないけどな。


 言うだけ言って食事に戻ると、後輩は神妙な顔でラーメンをすすっていた。

 なにか、思うところがあったようだ。


 なにか聞きたきゃ話し掛けて来るだろうと、気にせず食事を続ける。

 せっかくなので、トマトは最後にとっておいて、


「……すっぱ」


 そして口に入れた真っ赤な実の酸味に、おもいっきり顔をしかめた。




「ただいまー」

「おかえりー」


 迎えに出てくれたちひろに、弁当箱を渡す。


「今日の、」

「トマトめっちゃすっぱかったやろ!?」


 弁当の感想を言う前に、ちひろが勢い込んで言う。

 ちひろが自分の失敗を勢い良く話すときは、反省しているから責めても良いと言う意思表示だと気付いたのは、ちひろを泣かせた喧嘩からしばらく経ってからだった。


「あー、すっぱかった。びっくりした」


 だから遠慮なく、言うつもりのなかった忌憚ない感想を伝える。


「やんなあ!ごめんな、あれな、水やり過ぎやったらしいねん」


 ちひろは機嫌を損ねることなく、恥ずかしそうにはにかんだ。


「トマトってな、水やり過ぎると甘くならんのやって。ベンキョー不足やったわー」

「へー。知らなかった」

「やろ?ウチも知らんくて、枯れたらあかん思て、ぎょーさん水あげてしもうたわー」


 失敗失敗ーと笑うちひろの、頭を撫でる。


「じゃあ、来年リベンジだな。きっちり調べて、甘いトマト育てないと」


 俺を見上げたちひろが、にぱっと笑う。


「やんなぁ!でな、今年のトマトはすっぱいし、ジャムかケチャップにしてまおうかと思うんやけど、どお?」

「んー、でも、俺結構あのすっぱさも好きだな」

「うそやん」

「いやマジで。予想してなかったからびっくりしたけど、ほら、たまーにすっぱいもん、欲しくなるだろ。特に夏」


 そうは言うてもなーと呟くちひろの頭をぐりぐり。


「せっかくちひろが作ったしさー、もったいないだろ、ジャムとかケチャップとか。有り余って困ってるんなら別だけど」

「んー……じゃあジャムとケチャップはやめる」

「よっしゃ。なー、今日の大根と茄子、まだあるか?美味かった」

「大根はあるで。茄子はない」


 えー、とブーイングを上げれば、まんざらでもない顔でちひろは笑った。


「また今度な。ばあちゃん家で茄子いっぱい出来そうやし、今年も夏野菜ぎょーさん送られて来るで?」

「楽しみだな」

「やんなぁ。ばあちゃんの野菜、美味いし楽しみやわー」

「もぎに行くか?」

「ええのん?」


 ちひろの目が輝けば、俺の頬も弛むと言うもので。


「もぎたて即茹で以上に美味い、とうもろこしの食い方がありますか」

「ない!」

「お祖母ちゃんととうもろこしの予定聞いといて。休み取る」

「まかせとき!」


 ちひろが笑うから、俺も笑う。ちひろが喜ぶから、俺もちひろのお祖母ちゃんが好きになった。


 小さい心掛けとは言え続けられたのは、俺が幸せに気付いたからだろう。


「どないしたん?」


 黙って頬笑む俺を見上げて、ちひろが首を傾げた。


「いや、なんかさ」


 この運動のなかで、いちばん重要な+1を、そっと唇に乗せる。


「やっぱ好きだなあって、思って」


 ちひろは幸せそうに顔をとろけさせて、うちも好きやで、と答えた。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございました

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