130・キリエレイソン・ラプソディ①/聖王グレゴリウス
小さな頃の記憶は鮮明に残っている。
眠りから覚めて気が付いたのは、大きくて古い教会。
そして、白い布に包まれた赤ん坊。
無意識に抱き上げ、そして見た。
小さな赤ん坊は、嬉しそうに微笑んだのを。
*****《キリエ視点・エクテニア聖王堂》*****
キリエとクリスは、エクテニア聖王堂の個室に案内され、汚れ落としと着替えを半ば強制的にさせられていた。
着ていたシスター服を脱がされ、数人がかりで体と髪を洗われ、用意されていた美しい装飾の施された礼服を着せられる。
個室に戻ったキリエは、グレゴリウス聖王が謁見の準備を終えるまで、高価な紅茶を振る舞われていた。
「·········」
一口、紅茶を啜る。
だが、キリエは美味しいとは感じない。コウタに買ってもらったドライブインのパックジュースのが、何倍も美味しいと感じていた。
二口目を飲む気になれず、カップを置いて小さく息を吐くと、部屋のドアが静かにノックされた。
「失礼します。クリスティアヌス様をお連れ致しました」
「キリエねぇっ‼」
部屋に入るなり、クリスが駆け寄ってきた。
キリエは立ち上がり、可愛い妹を抱きしめる。
「ごめんなさいごめんなさい、また私余計な事を······」
キリエはクリスを連れて来たシスターに目配せし退室させると、泣きじゃくるクリスを静かにあやす。
「いいのです。予定とは少し違いますが、このまま聖王に謁見して、戦車を引かせるように説得します」
「でも私······どうすれば」
「私に任せて。貴女は私が守ります、絶対に」
「キリエねぇ······」
姉妹の時間から間もなく、謁見の準備が整った。
キリエとクリスは、謁見の間へ案内された。
「わぁ······」
クリスが驚きの声を出したのも無理はない。エクテニア聖王堂は教会としての建物でありながら、王国の城としての役割もある。
柱の一本一本に丁寧な装飾が施され、天井に吊るされたシャンデリアや窓代わりのステンドグラスなど、どこか質素さのあったエレイソン大聖堂とは雰囲気がまるで違っていた。
キリエは教会の装飾よりも、黄金で彩られた椅子に座る初老の男性を見ていた。
「久しいな、クリス」
「っ‼」
クリスの身体がビクッと跳ねる。
力強く重々しい声の主、グレゴリウス聖王だ。
「お前達姉妹がテロリストに誘拐され十六年。ようやくこの日が来た」
「あ、あの······」
「時は流れたが、父としてお前達に尽くすつもりだ。おかえり、我が娘たち」
「·········」
クリスは戸惑い、キリエの表情は全く変わらない。
「さっそく、娘達の帰還を国中に報告しよう。特にクリス、お前は次期聖王として民に姿を見せてやらねばな」
「え······」
「帰った早々で悪いが忙しくなる。キリエ、お前は姉として次期聖王であるクリスを支えてやってくれ」
「その前に、いくつかお伺いしたい事があります」
全く感情の籠もらない声で、キリエは遮った。
「なんだ? ふふふ、娘から質問されるとはな」
「まず、オーマイゴッドとの緊張状態についてです。聖王国へ来る途中、ホーリーシット軍と思われる戦車二〇〇台を確認しました。次期聖王のクリスが自らの足でここに戻った以上、オーマイゴッドとの争いは不要と思います」
「う、うむ。しかし、オーマイゴッド軍は『聖女クリス』の返還を強く望んでいる。それこそ戦争も辞さない覚悟でな」
「なるほど。ではグレゴリウス聖王のお考えをお聞かせ下さい。クリスが戻った以上、争いは必要ないと思います。時間を掛けて説得すればオーマイゴッド軍も理解して貰えるかと」
「む、いや、それは不可能だ。我がホーリーシット軍も牽制の為に軍を展開している。あちらも後には引けぬのか、『聖なる軍勢』も確認できた。こちらが引けばオーマイゴッドは好機と考えホーリーシットへ攻め込んで来るだろう」
「なるほど······では、クリス自身に宣誓をさせるのは? 『私は聖王であり、聖女ではない』と」
「うむ、実はそう考えている。クリスに前線まで出向いて貰い、オーマイゴッド軍に宣誓するのだ。クリスこそが聖王であると」
「そうすればオーマイゴッド軍は戦う理由を失うと、そうお考えなのですね?」
「うむ」
クリスは、難しい話に思考を放棄した。
ぼんやりとキリエと聖王の話を聞いていると、聖王が言う。
「クリスにはホーリーシットに伝わる伝説の神話魔術を詠唱して貰う」
「え? しんわ、魔術?」
「うむ。代々聖王に受け継がれて来た伝説の魔術だ。効果は不明だが、伝承によると『母なる神パナギア』を召喚する事が可能らしい」
「······つまり?」
「そう、クリスこそが聖王だと見せつけてやるのよ。そうすればオーマイゴッド軍はクリスを諦め、引かざるをえないだろう」
「·········」
キリエは、確認のため聞く。
「伝説の魔術、効果が不明というのは?」
「簡単だ、誰も使う事が出来なかったから不明なのだ。発動には莫大な魔力が必要であり、才能と魔力両方を兼ね備えたクリスなら使用が可能と考えている。勇者パーティーとスゲーダロの技術部から提供されたクリスのデータから、使用は可能と判断した」
「つまり、クリスを聖王として民に見せつけ、圧倒的な力を持ってオーマイゴッド軍を撤退させる······なるほど、新たな聖王誕生として、これまでにない宣伝になりますね」
「む······まぁ、そうだな」
グレゴリウスはキリエの言い方に不満を覚えたが、眉をやや潜めるだけで流した。それもそうだ、グレゴリウスもそう考えているから。
「話はここまでだ。クリス、キリエ、今日は休みなさい」
「いいえ、まだお願いしたい事があります。勇者パーティーに会いたいのですが」
「勇者パーティー? 彼らは『ミギの集落』へ向かったぞ。災害級危険種を倒しにな」
「······チ、やられましたね。グレゴリウス聖王、災害級危険種はミギではなくヒダリの集落に現れます。直ちに伝令を走らせ勇者パーティーに報告を」
「なんだと? それは何故だ?」
キリエはここまで来る途中の話を、嘘を交えて報告した。
災害級に出逢い護衛達がなんとか退けたこと、災害級自らヒダリの集落を襲うと言ったことなど、詳細を説明する。
「わかった」
それだけ言うと、近くに居た兵士を呼びボソボソ告げる。
「さて、今日はここまでだ」
こうして、キリエとクリス、グレゴリウス聖王の謁見は終了した。
それから数日、キリエとクリスは会うことすら出来なかった。
キリエは個室に軟禁され、クリスは聖王として最初の仕事······つまり、オーマイゴッド軍の撤退のため、神話魔術の詠唱文を読んでいる。
聖王国に伝わりし国宝と呼べる文献であり、普段はエクテニア大聖堂の地下墓地にあるヨシュアの墓に安置されていた。
持ち出し厳禁であり、国王ですら閲覧には五名以上の監視役を連れて行かねばならないほどの重要文献である。
クリスは、地下墓地に設置された文献を閲覧するためだけの部屋で、擦り切れて読みにくくなっている文献とにらめっこしていた。
「はぁ······」
言葉は何とか読めるが、意味がさっぱり理解できない。
意味のない文章を暗記し、魔力を乗せて読むことで魔術を発動させることが出来ると伝えられていた。
「まぁ、暗記はしたけど······」
暗記はした、けど意味はさっぱりだ。
魔力を込めて詠唱しても、発動するとは考えられない。
「キリエねぇ······」
キリエは自分に任せろと言ったが、この数日間会うことすら許されていない。
あと数日後、クリスは前線に出発する。
ホーリーシットに伝わりし神話魔術を使い、オーマイゴッド軍を撤退させるという作戦のためだ。
クリスは知らなかったが、ホーリーシット軍はこの時既に宣戦布告を済ませていた。
クリスの帰還、そして宣戦布告。全てはグレゴリオ聖王の……聖王国ホーリーシットの狙い通りだった。
ただ一つの誤算を除いて。