110・ハートオブビースト②/ふれあう心
ヴァルナガンドがエゾという狩人と交流するようになり、一〇日ほど経過した。
傷はすっかり良くなったが、ヴァルナガンドは森から去ろうとしない。その理由がこれだ。
「おーい、いるか?」
『………ああ』
「今日は熱い汁を持ってきた、一緒に食おう」
『うむ。さっさと支度をしろ』
そう、ヴァルナガンドはエゾが持ってくる『調理』された食事が何よりも楽しみにしていた。
獲物を仕留め、血の滴り落ちる生肉が主食だったヴァルナガンドにとって、焼いて塩を振った肉や、湯を通して柔らかくした肉などは今まで感じたことのない味であり、ヴァルナガンドの中に初めて食に対するこだわりが生まれた瞬間でもあった。
「ちょっと待ってろよ」
エゾは、ヴァルナガンドの巣の近くにあるかまどに火を付ける。
もう何度も通っているので、この作業にもだいぶ慣れた。
「あちち……ほれ、気を付けろよ」
『愚か者、我の舌を人間と同列に見るな……熱ッ!?』
「ぶははははッ!! だから言っただろう」
『だ、黙れこのっ……熱ッ!?』
「あっははははっ!!」
エゾは、ヴァルナガンドに対して恐怖を全く抱かなかった。
むしろ、どこか人間味の感じられる振る舞いや仕草に温かい気持ちを抱いていた。
食事が終わり、火の始末を終える。
「お前、足の調子はどうだ?」
『…………もう少しだ』
「そうかそうか、よかったな」
『………ああ』
ウソである。
足など、エゾと出会った五日目に完治してる。
ここを立ち去らないのは食、それとエゾに対する好奇心からだ。
「じゃあ聞いてくれ、実は今日レアーラビットを見かけたんだ。アイツは動きが素早く仕留めるのは困難だが、肉は絶品だし毛皮は高く売れる。仕留めればしばらく金には困らん」
『ほう、肉は絶品……』
「ああ。どうやらこの山のどこかに潜んでるのがわかった……期待しててくれ」
『ふん。それほどの獲物、なぜ我と共有する? 貴様の村の人間にでも振る舞えば良いでは無いか』
「あー……まぁそうなんだが、オレは嫌われモンのよそ者だからなぁ……」
『そうなのか?』
「ああ。オレはオレサンジョウ王国の出身の騎士の家系でね、親父も兄貴も弟もみーんな騎士だったんだ。しかも才能に溢れていたのかどんどん出世出世……才能の無い一般騎士のオレは家族からのけ者扱い、母さんや妹にまで邪険にされて、何もかもイヤになって逃げちまったのさ。そして今はコロンゾン大陸近くの寂れた村に流れ着き、狩りをして日銭を稼いでるってわけさ……」
『………』
エゾの長い話を、ヴァルナガンドは黙って聞いていた。
親兄弟の期待に応えられず、その重圧から逃げ出した男・エゾ。
『……人間にも、いろいろあるのだな』
「まぁな。しかも村はよそ者のオレにいい顔をしないからなぁ……こうしてゆっくり話が出来るのはお前だけだ、感謝してるよ」
『……ふん』
ヴァルナガンドはそっぽ向く。
だが、エゾは満足そうに微笑んだ。
「さて、今日は帰るよ」
『ああ……』
「また明日来るよ、じゃあな」
『…………』
エゾは去って行った。
その後ろ姿を見送り、ヴァルナガンドは立ち上がる。
翌日。エゾは約束通りヴァルナガンドの元へ来た。
「な………」
そしてエゾは驚く。
目の前に、レアーラビットが横たわっていた。
驚くエゾをよそに、ヴァルナガンドは欠伸をする。
『人間、こいつは美味なのだろう? さっさと調理をしろ』
「お、お前……まさか、オレのために?」
『今の会話でなぜそうなるのかわからんが……ともかくコイツを調理しろ、肉以外の部位はくれてやる』
「は、ははは……よーし、任せておけ!!」
こうして、エゾとヴァルナガンドは、奇妙な生活を続けていった。
狩人として生計を立てていたエゾは、肉を欲しがるヴァルナガンドのおかげで獲物に不自由しなくなった。それもそのはず、獲物は肉目当てのヴァルナガンドが狩ってくるのだから。
そんな生活が数ヶ月過ぎ、次第にヴァルナガンドはコロンゾン大陸に帰ることを忘れ、エゾと共に暮らしていた。
ヴァルナガンドは、楽しかった。
エゾという人間との暮らしは、ヴァルナガンドにとって全てが新鮮だった。
こんなにも長く、オセロトルと一緒に居るより楽しいのは初めてだった。
だが、その生活も終わりが来る。
ヴァルナガンドが獲物を仕留め、エゾが調理をするという生活から暫く経った頃、それは突然やってきた。
『………何だと?』
エゾはヴァルナガンドに、ある告白をした。
「悪いな……暫くここに来れなくなりそうだ」
『………』
エゾは、申し訳なさそうに顔を伏せる。
「実は、戦争が始まりそうでな……村に徴兵の知らせが届いた」
『戦争……ふん、人間は愚かだ。同族同士で殺し合うとは』
「ははは、確かにな。しかも理由が笑えるんだ、宗教間の言い争いでな、聖王国ホーリーシットと神聖都市オーマイゴットの宗教戦争なんだ」
『ふん、この世に神など居ない』
「はっはっは、確かにそうだな。もし神が居るなら、こんな人間同士の争いなんてさせるはずがない」
『そう思うなら、徴兵に応じなければ良い。お前には我のメシを作る仕事があるからな』
「おいおい、オレはお前の食事係か?」
エゾは笑う。
ヴァルナガンドも口の端を歪めた。
「だが、行かねばならん。オレは嫌われ者だが、あの村には恩がある。オレだけ逃げ出すなんて事があれば、村には迷惑が掛かるだろう」
『…………』
「なぁに、オレは強いからな。戦争なんてすぐに終わらせて帰って来るさ」
『……ふん』
それから、時間の許す限りエゾはヴァルナガンドの元へ来た。
エゾの決意は変わらず、ヴァルナガンドも引き留めることはしない。
所詮、人間とモンスター。そこに情は無い。
そして、エゾが出兵する前日。
「明日にはオーマイゴットに向けて出発する。暫くは美味いメシを食わせてやれんが我慢してくれ」
『馬鹿者。貴様が居なくなればここにいる意味が無い。我もコロンゾン大陸に帰るに決まっておろう』
「ははは、そうか……」
会話は、そこで途切れた。
静寂な時間が流れ、エゾは立ち上がる。
「では、元気でな」
『………』
ヴァルナガンドは何も言わなかった。
この奇妙な生活は、終わりを告げようとしていた。
振り返り、去りゆく背中を見送り、ヴァルナガンドは言った。
『ヴァルナガンドだ』
「………え?」
『我は《臥狼ヴァルナガンド》だ。人間に名乗るのはこれが最初、光栄に思え』
「あ………」
エゾは驚いたようにヴァルナガンドを見つる。
「は、ははは……そうか、そうか。では、また会おう……ヴァルナガンド」
『ふん、精々死なぬようにな』
「ああ。また美味い肉を食おうな!!」
こうして、エゾは去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、ヴァルナガンドは思った。
『くくく、この我が人間に名を名乗るとは……』
不思議と、悪い気はしなかった。
何だろうと、エゾとの共同生活が楽しかったのは事実。そこを否定はしない。
『人間……面白く、興味深い』
オセロトルの事は頭から消えていた。
何故か、エゾを森で待とうと決めていた。
また、エゾの作った料理を食べたいと思っていた。
だが、エゾが帰って来る事は……なかった。