1-9 増長と仲間
翌日、瑞樹は朝から意気消沈しながら王都行きの馬車に乗っていた。と言うのも魔法や自身の力、それに纏わる昔話等は語ってもらったが、肝心な『魔法の発動方法』を尋ねるのをすっぱり忘れていた。瑞樹もあの状態となれば致し方無い部分もあるにせよ、直感的なビリーの指導ではとこうして恥を忍んで再び司祭を尋ねた次第である。
「なんじゃお主、今日も来たのか。 昨日は無事に帰れたかのう?」
司祭が心配していたと加えながら告げると、瑞樹は「はいお陰様で」とばつの悪そうに苦笑しつつそそくさと本題に入る。
「ところで昨日一つ聞きそびれてしまった事があるんですが」
「ふむ? なんじゃろうか」
「魔法の使い方が良く分からないんです。歌の魔法は歌うと使えるんですけど……例の『言霊』、でしたか。こっそり練習したんですけど全く出来なかったので、何かコツとかあれば教えていただけたらなと」
「成程のう、さもありなん。儂らは子供の頃から慣れ親しんでいる故最早息をするのと同義であるが、遥か彼方の異世界から来たとなれば無理もない。まぁ前置きが少々長くなったが実際はお主が思っておる以上に簡単じゃ、術式を組まなくても良いお前さんなら尚更な」
「言霊ってその術式? をしなくても良いんですか?」
「うむ、儂の見立てが正しいならば必要無い筈じゃ。魔法における術式とは例えるなら設計図が近い。若き者なら紙に術式を起こして触媒としたり、逆に長けた者であれば手をかざすだけで自身の魔力を術式へと変え魔法を起こせる。が、お主の歌魔法は先だって話した通り歌が触媒となる。故に言霊もお主の言葉自体が触媒となり、魔法となるだろう」
「そうなると普段から言霊が発動してしまいそうな気がしますけど、大丈夫なんでしょうか」
「そうならぬように無意識に制限を掛けているやもしれぬな。まぁいくら説明したとて自身が経験せねば学とならぬ。どれ、この場で試してみい」
「大、丈夫ですかね……?」
「案ずるでない。もし不具合が起きれば儂が何としても止めてやるでな」
ふぉっふぉっと笑う司祭を信じ、瑞樹は言霊を使うべく頭を切り替える。
「要は集中力じゃ。何でも良い、真剣に心の中で念じ言葉にするのじゃ。そこに些細な疑心があってはいかん、心の底からそうなると信じるのじゃ。……あぁ一応言うておくが今は練習故些細なもので頼むぞ」
珍しい魔法だからか指導に熱の入る司祭はさておき、瑞樹は心の中で強く真剣に念じる。イメージするは小さな火、それが人差し指から蝋燭のように灯る様。心象風景に一切の曇りもなく瑞樹は唱える。
『人差し指から火が出る』
すると指の先から小さな火の球がゆらゆらと揺らめいた。まさに自身がイメージした通りだと瑞樹は静かに驚き、また静観していた司祭も「おぉ……!」と感嘆の声を漏らす。そして消えるよう念じると吹き消すようにではなく、文字通り最初から何も無かったかのように消滅し煙の一筋すら残らなかった。さらに小さな水の玉や手のひらサイズの竜巻等、瑞樹がイメージしたものは全て現実となり、存外簡単だと内心驚いていたようだ。
「ふぅむ……いざこうして目の当たりすると凄まじいのう。本来多くの属性魔法を発動するにはかなりの修練を必要とするが、お主の言霊魔法なれば全てが些事になろう。じゃが見立て通り通常よりも大量の魔力を消費しておるようじゃな」
その言葉通り今まで経験した事の無い不思議な倦怠感が瑞樹に纏わりついているらしく、フゥと大きく息を吐く。別段疲れたという訳では無いようだが、不思議と身体の動きが悪い。司祭も瑞樹の様子を見て「それもまた一つの経験じゃ」と告げ、さらに続けた。
「再三言うがその魔法の可能性は図り知れん。故にその気になれば死の運命すらねじ曲げる事が可能やも知れんが、その場合お主の身に何が起こるか皆目見当すらつかぬ。間違っても使い時を誤らぬようにな」
「はい、今日はありがとうございました。これからは日々の修練に励みたいと思います」
「うむ。何事も積み重ねじゃ、努力すると良い」
司祭から手解きを受けてから早一週間。瑞樹は暇を見つけては言霊の練習に励んでいた。恐ろしい程便利な魔法に違いないが、それ故消費する集中力も尋常では無いようで実戦で使用するには未だ至らなかった。
そして目下の課題を素早いイメージと集中力の維持と定め、この日もビリーと共に森へと出向いていた。
「おい待て、動くな」
ビリーが何か気配を感じたらしく瑞樹に静止を促す。正体を探るべくビリーは「ちょっと待ってろ」と茂みの中へ入っていくと、じきに「お~い、来ても良いぞ」と呼ぶ声が。瑞樹も呼ばれた方向へ向かってみると、そこには鮮やかな銀に近い白色の体毛が特徴的な狼がヴゥゥと小さく鳴き、憔悴しきったように伏せっている。どうやら足を怪我しているらしく動くに動けないらしい。
「何だこれ、狼? いやそれにしては大きいような……」
「まぁ狼には違いねぇが、こいつは群狼って言ってな。本来群れで動く上にここらじゃあんまり見掛けねぇちょっと珍しい種類だ。ちなみに俺らはこの見た目からシルバーなんて呼んだりしてる」
「ふぅん、群れで動く筈の魔物が何でこんなところに一匹で居るんだろ」
「そうだなぁ……考えられるのは仲間内で喧嘩して追い出されたか、それとも群れが襲われて逃げ出したってところか」
そう口にしながらビリーは腰の剣を抜く。群狼も自身の命の危機を感じ取っていただろうが、それでも動こうとしない。恐らくビリーがどうこうせずともいずれは、そう思っていたのだろう。
「なぁ殺しちゃうのか?」
「あぁん? こいつの毛皮は結構高値で売れるから当然だろ。それにどっちにしたってこのままにしときゃ野垂れ死ぬだけだ、なら止めを刺してやった方が良いだろ」
このまま放っておけば助からないのは瑞樹も重々承知しているらしく、口角をへの字に下げる。しかしみすみすここで死なせて良いものか、偽善の根源は恐らく自身に似通った何かを感じたから。だろうか。
「こいつの命……俺にくれないか?」
「……もし助けようとしてるなら止めといた方が良い。確かに群狼は他の獣っぽい魔物と比べると頭が良い、が所詮は魔物だ。治った途端にお前に襲いかかって来るかもしれないぜ?」
「そん時はそん時、そうなったらお前のような奴は生きる資格無しって神様の思し召しなんだよ」
「どうなっても知らんからな?」
ハァと溜め息を吐くビリーと入れ替わるように瑞樹は群狼へと近づく。よくよく見てみると左前足の損傷が特に酷く、血に染まった骨がチラリと見えている。痛ましい光景に顔を顰める瑞樹が「お前、生きたいか?」と尋ねるも、当然返答は無い。本来であれば顔を合わせれば殺し合う間柄、言葉どころか心すら通わせるのは難しい。
それでもなお力強く感じる群狼の瞳に望みを託し、瑞樹は言霊を発動する。
『大丈夫、助けてあげるから』
これががどう作用するかは瑞樹でさえ分からないが取り急ぎと最初に発動し、次いで治るよう祈りながら癒しの歌を歌う。実際の所ビリー以外は当然ながら魔物に対して歌うのは初めての事、効果が現れるか不安に思ったようで鼓動を早くさせるも、幸運な事に杞憂で終わった。群狼の怪我はみるみるうちに回復し、じきに立てるまでになり瑞樹も良かったとホッと胸を撫で下ろす。
「全く、魔物まで治してやるなんざお人好しもいいとこだ」
「俺もそう思うよ」
ビリーの言葉を苦笑で返していると不意にズボンをグイグイと引っ張られ、瑞樹は何事かとそちらに視線を向ける、すると元気になった群狼が瑞樹を見つめながらジッと座っていた。ずっと視線を送られ続けているのもあるようだが、いざこうして見るとやはり大きい、瑞樹の胸辺りになろうかという巨躯に少々気圧されたらしく、スッとビリーの後ろに隠れる。
「な、なんでこっちをずっと見てるんだろ」
「さぁ。案外お礼を言いたがってたりとかな」
「それにしては何かこう……何か訴えているような気がしないでも無いけど」
「ふぅ、む。……もしかして付いて来い、って事か?」
「どういう事?」
「さっきも言ったけど群狼は魔物の中でも頭の良い方だ。恩を感じるかはともかく、わざわざ待っているってのはそうなんじゃねぇかなって」
瑞樹もビリーの仮説が余程腑に落ちたのか「成程ぉ」と随分感心した様子で頷く。しかし意思疎通の上手くいかない魔物となれば、仮説を信じても本当に良いのか二人で相談し合っていると群狼が見かねたように立ち上がり、付いて来いと言わんばかりに再び瑞樹のズボンを引っ張り始める。
「やっぱり付いて来いって感じかねぇ」
「だな。……仕方ねぇ、このまま放っておいたらこっちが襲われかねないし、取り敢えず一目だけでも見に行くか」
「分かった」
結果として群狼の強引さに負けた形となった二人は、導かれるままに森の奥へと進んでいく。すると視線の先が不自然に開け、ビリーが怪訝そうに目を細めると「こりゃあ、最悪だ……!」と身体を屈め、瑞樹も無理やり屈ませる。
「ちょ……ビリー痛いって」
「っと悪い。けど静かにしろ。……あの犬っころ、俺達をとんでもない所に連れてきやがったもんだ」
ビリーがジロリと睨む視線の先には、自身も隠れるように茂みの脇で伏せる群狼の姿が。ただ状況が呑み込めない瑞樹には何故突然警戒を始めたのか理解出来ないようで「ちゃんと説明して欲しいんだけど」と小声で尋ねる。
「あそこはな、豚人の集落になっちまってるんだよ」
そう告げながらそっと指を指すビリー。瑞樹も茂みの隙間から覗いてみるとそこには顔が豚のようになった人が大欠伸をしている姿が目に映る。瑞樹の知るオークはもっと醜悪な見た目で太ましい印象が強いようだが、視線の先にいるそれは顔こそイメージ通りであるものの緑がかった色の肌以外は然程人と変わらない。だからこそ危険だとビリーは言う。
「人と同等ってまでじゃないにしろ、あいつらは考えて動く。いつもの突進するしか能のねぇ暴猪と訳が違う。一匹や二匹ならまだしも、集落にまでなってるような規模じゃ流石に分が悪すぎる。悪い事は言わん、ここまでにしてすぐ逃げた方が良い」
確かに今ほど見た豚人もかなり質素であるものの、石を研いだであろう槍を肩に担いでいた。少なくとも武装する知恵が回るのは間違いない。その為瑞樹もこれは流石にと思ったらしく、ビリーの意見に賛成しようと口を開いたその時、ふと群狼に視線が向いてしまった。
例え自分だけでもと、引く訳にはいかないと、歯を剥き出しにしながら睨む瞳が物語っている。まるで隠そうとしない憎悪は何に由来しているのか、やけに気になったらしく「なぁ、奴らをここで仕留めよう」とビリーに提案した。
「馬鹿かお前!? 数が違いすぎる、敵うと思ってんのか!」
今まで叱る事はあってもここまで激昂した事は無い。それ程瑞樹の発言は愚かしく、ビリーも本気で憤慨したのだろう。しかし瑞樹は意見を変えようとせず「俺の策が上手くいけばなんとかなるかもしれない」との一点張り。ここで言う策とは当然ながら言霊であろうが、だとしても豚人の群れを何とか出来るかは不明瞭。分の悪い賭けと言わざるを得ない。
それ故ビリーは「悪いが俺は降りるぜ、お前らで勝手にやりな」と瑞樹達の元を去ろうとする。いくら何でもそこまで命を賭けられる程お人好しでも愚かでも無い、むしろ当然の行動である。それでも瑞樹は変わらず「分かった。じゃあビリーは町に戻って状況を伝えてくれ。頼んだぞ」と何故か自信あり気に告げる。
何がそこまで根拠の無い自信を与えているのか。この状況にあって然程考えられる事は多くなく、実際ビリーも察しが付いたようにチッと不快そうに舌打ちし、そして惜しげもなく顔に出しながら「あぁもう、分かったよ。やりゃあ良いんだろやりゃあ! もし死んだら恨んでやるからな!」と瑞樹の頭を鷲掴んでグワングワンと揺らした。
「あぁ、あの世でいっぱい恨んでくれ。……あとお前も聞いていたか、っていうか理解出来たかも分からないけど精一杯フォローするから今だけは力を貸してくれ」
案の定なんの反応も帰ってこなかったが、流石に期待しても無駄だろうと早々に切り替えた。言霊を発動するには雑念は文字通り邪魔でしかない。チャンスは一度きり、さらに自身の命だけでなくビリーの命を預かるとなれば、失敗など許せる筈も無い。
そして意を決した瑞樹は自らの頬を叩き発破を掛け「良し、あとは上手い事頼む!」と告げると、茂みから勢い良く飛び出した。自ら囮を買って出た瑞樹は少しでも長く囮を演じる為に戦いの歌を歌いつつ、豚人を一匹でも誘い出すべく所構わずひたすらに走る。
すると豚人達は目論見通り餌に食いつき、一心不乱に追い掛け回し始める。どんな意図を持って追い掛け回すのかは不明だが、少なくとも好意的な意思が見受けられないのは手に持っている武器から容易に想像出来る。一身に剥き出しの感情を受け続ける瑞樹も当然理解しているらしく、表情も疲れから来ているもの以上に険しく、恐怖でいつ吐いてもおかしくない状況にあったようだが、それでも自ら始めた以上もはや逃げる選択肢など何処にも無いと、無理矢理にでも足を動かし続ける。
そして遂に周囲を囲まれ一切の逃げ場を無くしてしまったが、これこそ瑞樹の狙い。敢えて敵を一挙に集めてこそ作戦は次へと進める。その次とは、当然言霊である。
『ここにいるオークは全て動けなくなる!』
瑞樹が全力で叫ぶと周囲に居る豚人達は突然動きを止め、次々にドサドサと音を立てながら倒れ込んでいく。
「やった……! 上手くいぃ……!?」
上手くいったと思ったのも束の間、瑞樹は突然凄まじい虚脱感に襲われその場に膝をついてしまう。今生体験した事の無い感覚に、瑞樹も魔力切れかと瞬時に察したらしくフゥと小さく溜め息を吐いた。
「まぁ終わった後だから良いか」
しかし得てして悪い事は起きてしまうもので、突如瑞樹の近くにある茂みからガサガサと激しい音が鳴り響く。最初こそビリーの気配かと名前を呼ぶが反応は無く、しかもよくよく視線を向ければ原因が隙間から見えている。豚人の残党だった。
どうやら哨戒中だった三匹が騒ぎを聞き戻ってきたようである。初めこそ倒れ込んでいる同胞達に何事かと困惑していた様子だったが、その中央に居る瑞樹を見た途端顔に大きな青筋を立てて激昂、「オオォォォ!」と雄叫びを上げながら距離を一気に詰めていく。
「これは……マズったかな」
逃げようと頭で思っても身体が言う事を聞かない、諦念が瑞樹の表情に色濃く表れる。しかし豚人達もここに犯人が居るとなれば動きを緩める筈も無く、棍棒を手に持っている一匹が瑞樹を叩き砕かんと高々と振り上げる。
これまでかと瑞樹はギュッと瞼を閉じる。が、何故かいくら待っても振り下ろされる事は無く、チラッと瞼を開けて見るとそこには胸から剣先が飛び出し、腕をだらりとさせる豚人の姿が。背後から突き刺された剣が抜かれると豚人はその場に倒れ、その陰からビリーが登場、やれやれと嘆息を吐きながら剣を鞘に戻す。
「ったく、間に合って良かったな瑞樹。まさか俺らがぶっ叩いた集団とは別に居やがるとは、せいぜい鼻の利く犬っころに感謝でもしとけよ?」
首をクイクイと動かす先には、残りの二匹の喉元を食い千切り、口周りを鮮血に染める群狼が無表情で座っていた。もし仮に別動隊として周囲の警戒及び撃破をしていたビリー達が間に合わなければ、こうして会話する事も無かっただろう。瑞樹もそれを重々理解しているようで、ズリズリ這いながら移動し「ありがとう、助かったよ」と頭を下げる。
「とは言っても本当は俺らって巻き込まれただけだかな」
「まぁそれはそうだけどさ、言わないのがお約束ってもんだろ」
「ったく、ギルド発注の依頼じゃねぇから殆どただ働きみたいなもんだっての。取り敢えず止め刺しと盗伐の証に豚人の耳回収すんぞ、せめて少しでも金に替えねぇと。瑞樹も手伝いな」
「分かった。けどもう少し待ってくれ、まだちょっと動けそうにないし」
「あ~……まぁ無理しない程度に手伝ってくれりゃそれで良い」
その後、少しずつ調子を取り戻した瑞樹も協力し
少しずつ動けるようになった瑞樹も協力してオークに止めを刺していく。抵抗も出来ずに喉元を一突きされ、死んでいく様というのは流石に堪えるらしく途中からビリーが専ら行ない、瑞樹は討伐の証となる耳の回収に専念する。
「そういやさぁ、お前何で今日は変にやる気というか前のめりだったんだ? いつもならもっと慎重な癖によ」
作業をしていたビリーがふと瑞樹に問いかけると、何とも言いにくそうに間を空け「……ちょっといい気になってたのはあるかなって。折角あんな魔法があるんだから、少しでもビリーに良いとこ見せようとしたら……このザマって感じ」とポツリポツリと答えた。
「ハァ……思った以上に馬鹿だなお前。死んだらそれこそ意味ねぇだろっての。そんなくだらねぇ事考える位ならもう少し周りを見る努力をしろってんだ。……今お前がくたばった所で目覚めが悪くなるだけだろうが」
「うん……本当ごめん」
ビリーから叱責された瑞樹が考えを改めたかはともかく、その後は非常にしおらしく作業に努めた。それから暫くして作業も全て終了、後は帰路に着くばかりとなったが瑞樹がそういえばと周りをキョロキョロと見始める。
「あの群狼って何処に行ったんだろ。というかそもそも何で俺達をここに誘導したんだろうな?」
するとビリーは「あぁ……」と呟くと集落の端に顔を向けた。ただ表情は何処か思わしくなく、瑞樹は怪訝そうにしながらもそちらに歩を進める。
「あ、居た。って……うわ、何だよこれ……」
瑞樹の瞳に映ったのは、惨殺されたであろう群狼の死体で築かれた山と、そんな見るも無残な仲間の前でジッと座り続ける群狼の姿だった。恐らく仲間だったのだろう。そして瑞樹も何故ここまでこの個体が気に掛かるのか腑に落ちたらしくポツリと呟いた。
「そうか。お前も……仲間を喪ったんだな」
瑞樹の脳裏に浮かんでいるのは、恐らく過去の忌まわしき出来事。唯一の仲間、唯一の友人が目の前で逝ってしまったあの日の事だろう。そんな面影が自身と重なり、無意識に助ける選択肢を選んだようだがそれもここまで、瑞樹は「じゃあな。その内お前も良い仲間と出会えるさ」と告げ、群狼の後ろ姿を名残惜しそうに眺めながら、その場を後にした。
それから暫くして二人の後方から何か気配を感じたらしく、ビリーが腰の剣を抜くと瑞樹も呼応するように近くに木に隠れ援護の準備をとる。ガサガサと音を立てている何かは明らかに近付いて来ており、それもやけに速い。豚人の残党が怒り狂って追って来たのかと二人に緊張が走るなか、茂みから顔を出したのはあの群狼だった。
「なぁんだ、脅かすんじゃねぇよ」
ビリーがフゥゥと大きく息と緊張を吐き出すと、瑞樹も木の陰から姿を現す。
「さっきの奴だよなこいつ。何しに来たんだろ」
「さぁな。偶然通り掛かっただけなんじゃねぇの」
群狼の真意は不明なれど、少なくとも敵意は見せていない。少々怪訝そうにしながらも二人は再び歩き出す。「放っておきゃその内どっか行くだろ」とビリーは言ったが、それにしては後ろをピッタリと付いてくる為、堪らず瑞樹が「……何か、ずっと付いて来てるけど」と訝しそうに呟く。
「あぁ~……もしかしてお前、懐かれたかもな」
「魔物が人に懐く事ってあるのか?」
「俺も話でしか知らないけど、ごく稀にあるとか無いとかってさ。……あぁ、だからあんなのがギルドにあるのか」
突如何かが腑に落ちたらしくビリーが頷くも、瑞樹は何の事やらと眉を顰めた。
「多分ギルドもそういう事を知っているから、魔物用の登録証もあるんだよ。いくら懐こうが魔物だしな、何かあった時は飼い主に責任が行くようにって感じか」
「へぇ~……じゃあ連れ帰っても良いんだ」
「俺は正直気が進まんけどな」
「な、何でさ?」
「一つは登録料が高い、人のそれよりも数倍な。それともう一つ──」
瑞樹がゴクリと固唾を呑むと、ビリーは「──うちが余計に狭くなんだろ」と告げ唇を尖らせた。余程思う所があるのかと身構えていた瑞樹も、想定より細やかな不満に「何だそりゃ……」と小さく呟く。結果としていくら何処かに行くよう促しても群狼には全く効果が無く、致し方無しと津連れ帰る事に決まった。
「付いてきて良いってさ、良かったね」
「そういや登録時は確か名前が居るんじゃなかったっけか。どんなのにするんだ?」
うぅむと思案する瑞樹の脳裏にふと『冒険者はその毛色からシルバーと呼んだりする』というビリーの言葉が過ったらしく、転じて『シルバ』と命名した。良くも悪くも安直なセンスにビリーが「だっせ」と忌憚のない感想を述べたものの、案外気に入ったのか群狼改め『シルバ』は仏頂面な顔つきはそのままに、尻尾をパタパタと振っていた。