4-25 月末
季節はすっかりと冬めいてきた。ただ、この世界では冬では無く冷期と呼ばれているが、ともかく冬特有の冷たい風に気持ちまで暗くなるようなどんよりとした空は瑞樹の知るそれと大差は無かったようで、むしろ季節の移ろいが感じられて少しだけ嬉しくさえあったらしい。
茶会から数日が過ぎたある日、その日も分厚い灰色の雲が空を覆っており、瑞樹が最後に太陽の日差しを浴びたのはそれこそ茶会当日の事。衣服もすっかり冬用の物へと変化し、動物の毛皮だろうか、薄灰色でもこもことした外套に身を包みながら、メウェンの待つ執務室へと足早に向かう。
一度執務室に入ればそこはまるで楽園のような暖かさで、メウェンへの挨拶もそこそこに瑞樹は傍らに居るギルバートに着ていた外套を渡すと、一目散に暖炉の方へと向かい冷えた身体を温める。
ひとしきり温まった後、瑞樹は自身の執務机に座るとそこにはいつも通り薄ら高く積まれた書類の山。見慣れた景色とはいえ、いくら処理しても翌日には書類の山が元通りになっているのは若干辟易しているようだったが、それは決して口にも表情にも出さず、静かに筆を走らせるのみだった。
そんな折、執務室の扉を叩く音が聞こえてくると、一人の従者がメウェンへお伺いを立てて来た。
「メウェン様、お城の文官様が瑞樹様に用があるとお見えになっておりますが如何致しましょうか」
「城の文官? はて、何かあったかな。分かった応接室へ通してくれ。我々もすぐに向かう」
「かしこまりました」
メウェンは訝しそうにしながらも、ひとまず従者へ指示を出し瑞樹と共に近くの応接室へと向かう。メウェンと瑞樹、それにギルバートが入室してから程なくして扉をノックする音が聞こえてくる。
「メウェン様、文官様をお連れ致しました」
「承知した」
従者が扉を開けて姿を見せたのは、瑞樹も見覚えのある顔で、お城で案内役を務めてくれた女性文官の一人だった。各々が挨拶を交わしギルバートがお茶を供した後、来訪の理由を聞くべくメウェンが口を開いた。
「さて文官殿、随分と急な来訪ですがもしやまた何かあったのですか? 」
「……えっ? 国王陛下から先触れの手紙が届いている筈なのですが。少なくとも私は国王陛下本人からそう伺って参ったのですが……」
二人は困惑したような表情を浮かべ始めたが、瑞樹は何となく察しが付いたらしく、恐る恐る手を上げながら言葉を口にする。
「まさか……また国王陛下の悪戯に付き合わされたのでは無いですか? 」
「いやそんな事……無いとは言い切れんのが口惜しいな」
「……確かにあり得ます。そうでなければ一文官に過ぎない私に直接言う筈がありません」
皆のリアクションは深い溜め息を吐いたり眉間に刻まれた深い皺を指で解したりと、各々違っていたがその胸中はしてやられた、その一点に集約されていたようだ。
「申し訳ありません。一介の文官では流石に対処のしようがありませんので……」
酷く申し訳無さそうに頭を下げる女性文官だが、メウェンは軽く手を上げながら「お気になさらず」と返してさらに続ける。
「以前の国王陛下であればもう少し配慮の利く御方であった筈なのだが……それも彼と会ったのが原因なのか」
そう言いながらメウェンはちらりと瑞樹に視線を送ると、彼もその視線に気付いたらしく断じて自分のせいでは無いと、両手をぶんぶんと振りながら猛烈にアピールした。
「国王陛下の悪戯はともかく、文官殿は本日何用で参ったのですか? 」
「え、あぁそうでしたね、失念しておりました。実は瑞樹様にこれを渡す為に来たのです、どうぞお受け取りください」
メウェンの発言で本来の目的を思い出したらしく、女性文官は肩掛けのバッグから小さい革袋を取り出し、瑞樹達の前に差し出した。瑞樹は一旦メウェンの方へ顔を向けると、彼はこくりと頷いたので瑞樹も頷き返し、「拝見させて頂きます」と一言述べた後その革袋をそっと手に取った。それはずっしりと重くジャラジャラと音がする、その時点で二人は大方の中身の予想が付いたようだが、それでも一応中身を確認する。中身は二人の予想通りの貨幣、それも大量の金貨だったのだが、これを貰う理由が瑞樹には分からず、文官にその旨を聞いてみる事にした。
「あの、失礼ですけど何故これを私に? これを頂く理由が私には分からないのですが」
「そうですね、申し訳ありません私も説明不足でした。メウェン様ならばご存知かと存じますが、毎年貴族諸兄方に政務資金を供出しております。故に年の半端な時期爵位を賜った場合はこうして年間費から割った金額を供出する事になっているのです」
「成る程、そういう事でしたか。ちなみに伯爵となると如何程になるのですかな? 」
流石に瑞樹よりもメウェンの方が話しの飲み込みが早く、興味はその金額へと移ったようだ。
「勿論家の規模により違いますので一概には申せませんが……瑞樹様であれば年間費二百ないし三百枚といった所ではないでしょうか」
「ふむ、妥当な所か、ちなみにこの袋の中身は如何程入っているのかね? 」
「国王陛下の命で五十枚入っております」
「ごじゅ……それはいくら何でも多すぎではありませんか? 」
「別段多い訳では無かろう。基本的には従者の給料や食費その他諸経費はここから捻出される。年が代われば再び満額支給されるであろうから年内は大丈夫だろうが、それでもそんなに余裕のある金額では無い筈だ」
今までずっとメウェンのお世話になってきた瑞樹は、そもそも従者を雇って初めての月末を迎える為に月に如何程お金がかかるのか知らなかった。メウェンの執務補佐で若干なりとも学はある筈なのだが、あれは文字通り桁が違い全く参考にならない。そして瑞樹自身が人を雇っているという認識の甘さがこの発言に至ったと思われる。
「まぁこれ以上金の話しを文官殿の前でするのは控えるとしよう」
「そうして頂けると助かります。あまり懐の事情など知るべきでは無いですから。では瑞樹様、この羊皮紙に受領の署名と血判をお願い致します」
「あっはい承知致しました。ギルバート、血判を手伝ってください」
「かしこまりました」
瑞樹が署名をした後、ギルバートにそっと右手を差し出すと彼は慣れた手つきで差し出された親指にすっと切り傷を付け、瑞樹は血判を押した。任命式の時は一人で出来た筈だが、女性文官はそんな事を思っていたようだが決して口には出さず、署名を確認した後バッグへとしまう。
「では用が済みましたので私はこれで失礼させて頂きます」
「ご足労感謝する文官殿」
「あっ、文官様。一つ国王陛下へ言伝をお願い出来ませんか? 」
瑞樹は何かを思い出したかのように、退室する為立ち上がった文官を制止すると、若干訝しそうにしながらも「私でよろしければお伺い致します」と返答した。
「では、次また同じような事をしたら本気で怒らせて頂きます、そうお伝えください」
「はい……? 承知致しました、国王陛下にお伝えいたします」
いくら国を救った英雄とはいえそんな言葉で国王陛下がひるむとは思えない、女性文官は益々意味が分からなそうに眉を吊り上げ、そのまま退室した。ただ、それを聞いていたメウェンは酷く苦々しそうな表情を浮かべ、瑞樹の得意気な顔をじろりと睨み付ける。
「全く、あの文官殿困惑していたぞ。君の怒りに触れる本当の恐ろしさを知っている者などごく僅かだろうに」
「国王陛下が悪いのです。ただ先触れを忘れたのなら今度は忘れぬよう改めて頂ければ良いですし、万が一故意なら釘を刺しておけば少しくらいは躊躇う気が起きるでしょう」
「……くれぐれも程々にな。国王陛下を脅したなどと噂が広まれば、またあの時のように悪魔だの何だのと言われかねんぞ」
瑞樹が本気になれば自身を犠牲にして世界を滅ぼす力を持っている。それを知っているのはこの国でもごく僅かで、貴族諸兄らが知っているのはせいぜい謁見の間で六柱騎士に打ち勝ったという事実程度。そのごく僅かの内に入る数少ない人物であるメウェンは、眉間の深い皺を解しながら瑞樹と共に執務室へと戻った。
執務室に戻ったメウェンは頭を切り替え、先程のお金関係をもう少し詳しく教えるべく瑞樹と向き合った。
「瑞樹、執務に戻る前に少しお勉強をしよう」
「先程のお金云々の話しですか? 」
「あぁそうだ。まずはギルバート、今月瑞樹の家でかかった諸経費を教えてくれ」
「従者の給料も含めておよそ金貨十五枚です」
「ふむ、そんな物か。まぁこの時期は薪代がかさむだろうしな」
二人はそのまま食費やその他諸経費などで話し込むが瑞樹は完全に蚊帳の外、ただ話しを聞いているうちに瑞樹には一つ気がかりな事が生まれ、軽く手を上げながら二人の話しに割って入る。
「一つ質問なのですけど、何故ギルバートが私の屋敷のお金関係を知っているのですか? 」
「現在ギルバートが君の家の財務整理をしているからな、当然だろう」
「いや、でもそれって本来ならば私の仕事では? 」
さも当然のように話すメウェンだが、瑞樹はそれはおかしいといった様子で手を振りながら返すと、ちらりとギルバートの方へ視線を向けた。
「メウェン様の請求書の山と比べれば微々たるものですので、お気になさらないでください。ですが最終的な確認と決済はお願い致します」
ギルバートは別段問題無さそうに話すが、瑞樹にとってあまり気分の良いものでは無いらしく、顔をむぅっとさせながら口を開いた。
「分かりました。今月はもう終いなのでどうする事も出来ませんが、来月からはきちんと私がやります。よろしいですね? メウェン様」
極力自分で出来る事は自分でやりたいタイプの瑞樹。自分の家の家計簿くらい自分でつけると、強い眼差しでメウェンに訴えると、その勢いに若干気圧されたらしく少し後ろに引きながら頷く。
「あ、あぁ。君がそこまで言うのならば私は止めないが、君はお金が絡むとまるで人が変わるな」
「そんな事はありません、私は私です。が、お金は大切な物ですから、自分で管理したいだけです」
「それはギルバートを含め君の従者を信用していないという事か? 」
メウェンの眼光が鋭さを増し、瑞樹を見つめるが彼はそうではないといった様子で首をふるふると横に振った。
「ギルバートや従者の皆さんは心から信頼しておりますが、お金はまた別の話しです。とかくお金には特有の魅力があります、それが多ければ多い程人の心は魅了され、いつしかその手を伸ばすかもしれません。故に私はそのようなつまらない事で誰かを疑ったりしたくありませんので、自分で管理したいのです」
「まぁ君のやりたいようにやりなさい。ただし分からない事があれば必ず誰かを頼るように、良いか? 」
ふぅと息を吐いた後メウェンは椅子に深くもたれかかりながらそう言うと、瑞樹も「はい」と大きく頷きながら返事をした。




