4-24 お披露目
この日オリヴィアに選ばれた貴婦人方は、全て子爵や男爵といった瑞樹より下の爵位で、恐らく瑞樹に余計な心労はかけまいと、オリヴィアの優しさからの人選だと思われる。それが功を奏したのか、極めて和やかな雰囲気が茶会の場を包み込み、皆一様に歓談を楽しんでいた。
ただ歓談の内容は大方の予想通り瑞樹に関する事ばかりで、特に多かったのは本当に男性なのかという疑問だ。勿論この場で服を脱ぐ訳にもいかないので瑞樹は地声で話してみると、貴婦人方から驚嘆の声が上がり、それから何度も声の変化をせがまれる事となる。
そんな折、瑞樹よりか若干歳を取っていそうな一人の貴婦人がもじもじとしながら瑞樹へと近付くのだが、なかなか言葉を口にする事が出来ないようだったので、瑞樹が「どうかなさいましたか? 」と助け船を出すと、彼女は頬を赤らめながら漸く意を決したように口を開く。
「あの、大変失礼な事と承知でお願いしたいのですが……瑞樹伯爵様の髪を触らせて頂きたく存じます」
全くの予想外なお願い事に、瑞樹は困ったような面持ちでオリヴィアへと顔を向ける。すると少し逡巡した後苦笑しながらこくりと頷き、瑞樹も了承を得た判断して彼女に髪を触る許可をする。お願いをした彼女は正直断られると思っていたようで、瑞樹から許可が出た途端に深くお辞儀をした後に彼の後ろへ歩を進めた。その後、胸に手を当てて気持ちを落ち着かせるように息を吐いた後、少し手を震わせながら瑞樹の髪を慈しむように触れ始め、惜しげも無く感嘆の声を漏らした。
「あぁ……素晴らしい髪の質ですわ。一体どのようなお手入れを施したらこのような煌めきを得る事が出来るのでしょう……」
うっとりした様子でその貴婦人は独り言ちると、質問されたと勘違いした瑞樹が「それは秘密です」と返答し、その貴婦人が慌てた様子で声が漏れ出た事を謝罪した。どちらにせよ教える事など何も無い、何故なら瑞樹の髪質は以前瑞樹が使用した魔法、言霊によってまるで時が止まったかのように髪質が維持されているに過ぎない。
そんな事など露知らず、未だうっとりとした様子で髪に触れる貴婦人を羨ましく思ったのか、静観していた他の貴婦人方も触りたいなどと口にし始め、瑞樹は仕方無く皆平等に触らせる事を許可した。そんな様子を、エレナはさながら浮気現場を見ているかのような嫉妬に駆られながらじろりと睨み付け、不愉快そうに焼き菓子に齧りついていた。
楽しく愉快な歓談はオリヴィアのこの一言でいったん一区切りを迎える。
「では皆様方の仲も深まったようですし、そろそろ瑞樹伯爵の歌を始めようかと存じますがよろしいでしょうか? 」
その言葉を聞いた貴婦人方は近くに居る者と目配せをしながらこくりと頷き、先程代表して挨拶をした女性が「私共は異存ありませんわ」とオリヴィアの方を向きながら答えると、彼女も了承したように頷き返し、今度は瑞樹の方へと顔を向ける。すると瑞樹も「問題ありません」と答えてピアノの方へ歩み寄る。奏者であるディアナは既に座席へと座っており、準備を万端としている。
「では瑞樹伯爵、よろしくお願い致しますわ」
「はい、皆様方のご期待に沿えるよう全力を尽くします」
オリヴィアへそう答えた後、瑞樹は一度でディアナの方へ顔を向けて互いに目配せをし、準備と覚悟が出来たとお互いこくりと頷く。今一度貴婦人方の方へ顔を向けると、ディアナの伴奏が始まり、遂に瑞樹の歌が披露される。
まず初めは牧歌。本来の意味であれば牧歌というのは農民、所謂平民向けである筈なのだが、それがあえてプログラムに組み込まれている事にも理由がある。それは瑞樹が元平民である事、そして今後も平民としての気持ちを失わない事を知らしめる為だ。ただ楽しく歌いたいだけの瑞樹にとっては、邪な事に歌を使っているような気がしたらしく、その胸中は複雑だったようだが。
ともかく歌っている最中はそれだけに集中し、ディアナのピアノに合わせて歌い続ける瑞樹。肥沃な大地や豊穣の実りを神に感謝する、そんな内容の歌の途中に実はごく僅かながらも海に関する詞が含まれている。そんなまだ見ぬこの世界の海に想いを馳せ、その情景を妄想しながら感情豊かに瑞樹は歌い続けた。
滞りなく一曲目が終了すると、貴婦人方から惜しみない拍手が送られて来た。掴みは上々、瑞樹はそんな事を考えながら再びディアナへ視線を飛ばし、次の恋歌の伴奏が始まる。
その歌は昔著名だった吟遊詩人の詩に曲が付けられ楽曲として世に誕生した物で、その詩はとにかく甘々な恋慕を題材になっている。ちなみにどれくらいの甘さかというと、歌っている本人が練習中胸やけをしているのかと錯覚する程度には甘々な代物なのだが、とかくそのようなお話しが大好物な貴婦人方にとっては最上のおやつらしく、オリヴィアやエレナ達も含め、貴婦人方は皆各々の仕草で情景を頭に思い描きながら妄想に耽っていた。
一つ目の恋歌を歌い終わった後、瑞樹は一度喉を休ませる為にお茶を少しずつ飲みながら休憩を始める。その途中瑞樹はちらりと貴婦人方の方へ視線を向けたのだが、目を潤ませながら感嘆の声を漏らしている姿には流石に引く物があったらしく、すぐさま目を逸らして次の歌の準備を始めた。ただ次も恋歌なので、これ以上酷い様相にならなければと、瑞樹は心の中で祈るほか無かったようだ。
見事瑞樹の予想通り二つ目の恋歌が終わった頃には皆頬を赤らめ、より深い妄想の世界へと踏み込んでいる始末で、酷い者は何を考えているのか瑞樹には到底知り得ないが、その身をくねくねと捩らせていた。勿論瑞樹は見て見ぬ振りを決め込み、四曲目を歌い始める。
四曲目は先程とは全く逆の悲恋慕が題材となっている。とある平民と貴族の娘の叶わぬ恋、割りとありきたりな題材なのだがこの歌はその二人の切ない最期まで描写されており、どうにも影響されやすい瑞樹は少しだけ涙を浮かべながら歌い上げた。
歌い終わった後、今度は貴婦人方の方からすすり泣くような音が聞こえてくる。瑞樹の涙でもらい泣きしたのかは定かで無いが、その感受性の高さは目を見張るものがあるだろう。
そして最後の楽曲、瑞樹は今一度喉を休ませた後に伴奏に合わせながら歌い始める。それは過去を乗り越えたあのアイドルに、未だその域に達していないと知りながらも瑞樹は自身を投影しているかのように感情豊かに歌い続ける。以前アートゥミで歌った時のような高揚感を今まさに瑞樹は感じており、遠き日に抱いた夢の背中にまた一歩近づいたような気持ちになっていたようだ。
最後の歌が終わり、瑞樹が深く礼をすると惜しみない拍手と歓声が送られた。皆が喜んでくれたようで、瑞樹は心底ほっとしたように胸を撫で下ろすと、先程の女性が瑞樹に歩み寄って来る。
「素晴らしい歌でしたわ瑞樹伯爵様。流石は聖女と称される美しき歌声、民の間で語り草となるのも大いに納得する事が出来ました」
「お褒めに預かり光栄でございます」
「世の紳士諸氏が何を思って瑞樹伯爵を蔑むような物言いをするのかは存じませんが、少なとくと私は……私共は伯爵様の事をお慕いしております故、何かお困りの事があれば存分に申し付けてくださいませ」
「過分な評価、私には勿体無いです。ですが大変嬉しく存じます」
再び深くお辞儀をする瑞樹を見た女性は少しだけくすっと笑みを零し、苦笑しながらさらに続けた。
「元平民なればその腰の低さも納得出来るのですが、伯爵様は我々の家よりも爵位が上なのです。故にそこまで頭を下げられてばかりでは私共も申し訳が立ちませんので、程々にするのが良いかと存じますわ」
その言葉に瑞樹は再び頭を下げようとするが、はっと思い返してすぐさま顔を上げた。その様子を貴婦人方が微笑ましく見つめていると、オリヴィアが手をパンと鳴らし場を静寂に戻す。
「瑞樹伯爵の素晴らしい歌も終わった所で、今暫く時間に猶予がある事ですし再び存分に歓談に華を咲かせてくださいな」
オリヴィアの発言で、瑞樹の周りはこれでもかという程に貴婦人方が詰め寄せ、きゃいきゃいと歌の感想を述べ始める。頭に思い浮かぶ褒め言葉を思い付くだけ言い続ける貴婦人方に、流石の瑞樹も面映ゆそうに頬を紅潮させていた。そんな様子をエレナは再び不愉快そうに睨み付けてはいたが、歌の素晴らしさは他の貴婦人方の感想と全く同意見で、度々目を閉じては感嘆の声を漏らし、頭の中で彼の歌声をずっと反芻させていた。
そんな楽しい時間、瑞樹にとってはひたすらに気恥ずかしさに耐える時間だったが終わりを告げ、瑞樹達四人は貴婦人方と共に馬車がある玄関へと向かう。外へ出た後貴婦人方はとても名残惜しそうに別れの挨拶を告げ、各々の馬車へと乗車する。そんな中一人の女性がオリヴィアと言葉を交わしていた。
「オリヴィア様、本日お招き頂いた事本当に感謝致します。またいつか同じような茶会が催される時は是非ともお声をかけて頂きたく存じます」
「えぇ、私としても同じような会を催す事は非常に有意義であると存じますので、いつかまた催せればと存じます。ただ、人選は不公平の無いよう厳正に選ばせて頂きますので、確約は出来かねますわ」
ぴしゃりとオリヴィアに両断されたその女性はとても残念そうな面持ちでその場を後にし、自分の馬車へと姿を消した。全員が乗り込みゆるゆると進む馬車の列を見送った後、エレナは溜まった不満を瑞樹にぶつけるべく、じろりと視線を向けた。
「もう瑞樹様ったら、お父様やお母様に貴婦人方に色目を使わないよう注意を受けていた筈では無かったのですか? 」
唇を尖らせながら詰め寄るエレナを可愛く思いながらも、瑞樹にとってあれは不本意、むしろ被害者だと説明をしてみたのがまるで効果が無く、逆に反撃をもらうはめとなる。
「確かに瑞樹様の髪は美しく触れたくなる気持ちも理解出来ますが、そこはやはり断るべきですわ」
「いえ、ですがオリヴィア様に確認したら了承して頂けましたし……」
「あら、私は一言も良いとは言っておりませんわ。瑞樹の勘違いでは無くて? 」
「えぇ!? それは無いですよオリヴィア様……」
まさかオリヴィアがエレナ側に付くと思ってもみなかったようで、瑞樹は仰天しながら力無く彼女の方へと視線を向けると、当の本人は実に愉悦そうに笑顔を浮かべていた。そんな事は露知らず、エレナはさらに瑞樹へと詰め寄り彼にとんでも無い要求をする。
「もう我慢なりませんわ。今日の湯浴みは私とご一緒してください、異論はありませんわよね? 」
「いや、流石にそれはちょっと……」
「ありませんわよね? 」
エレナの攻撃的な笑顔に負けた瑞樹は、しゅんと縮こまりながら「……はい」と返事をする。すると先程の怒りはどこへやら、エレナはうふふと笑みを零しながら瑞樹に抱き着き「約束致しましたからね」と上目遣いで念を押すと、まるでヘタレの治らない瑞樹は「承知しております」と溜め息交じりで返答せざるを得なかった。
そんな彼らの甘ったるいいちゃつきはさておき、瑞樹にとって初めての茶会は無事終了する事と相成った。日付は十一月の末、迫る年末に僅かばかりの焦燥感を感じながらも、瑞樹は茶会での高揚感で胸が一杯の様子で、その日の残りを過ごす事になった。