4-15 慣れていきましょう
このお話しの中盤、メウェンのくだり辺りから瑞樹は基本的に全て女性声となります。理由は次回明かされますが、そのように脳内変換して頂ければ嬉しいです。
「良し、その者を儂のベッドに寝かせろ」
「宜しいのですか? 」
「構わん、話しもすぐ済ませるから外で控えて居よ」
「かしこまりました国王陛下」
イグレインの命令通り、従者は瑞樹を彼のベッドへそっと下ろし、一礼した後に退室すると、二人は人心地が付いたようにふぅと息を吐きながら、顔を合わせた。
「瑞樹よ、具合はどうだ? 」
「正直な所早く帰って横になりたい位酷いです」
瑞樹の言う通り、彼の顔はかなり青白くなっていて、嘘ではない事がイグレインも一目で理解出来る程だ。
「もう少し我慢してくれ、すぐに済ませる。今日は良く耐えたな、実の所あの時倒れるのでは無いかと心配していたぞ」
「えぇかなり危なかったですけど何というか、自分の力でやるという一心で何とか耐えました」
「うむ、良い心掛けだ。それはそうと先程は済まなかった、お主に演説内容の一切を任せる言っておきながら結局は儂の都合の良いように歪曲させてしまった」
瑞樹の側へ腰を下ろしたイグレインは目を伏せながらそう言うと、自分の予想していた事と違ったらしい瑞樹は目をしばたたかせた後、苦笑しながら口を開いた。
「あはは、正直怒られるものかと思っていました。本来謝るのは私です、イグレイン様の意図を存じておきながら、それにそぐわない内容だったのですから」
「まぁ、な。確かに驚きはしたが内容は存外悪く無かった。平民の心を失わず、それでいて貴族と聖女を受け入れる様は、民のみならず貴族諸兄らの心にも訴える物があっただろう」
「そこまでは考えていませんでしたが……もう逃げる道が無いのなら、せめて害を為そうとする者は叩き潰すという姿勢だけは示しておこうと思っただけです」
「ふっ、お主はその見目の割りに血の気が多いな」
「御冗談をイグレイン様、私は平穏に生きたいだけです」
「そうだったな。では話しは終いにしよう、早々に帰ると良い。ただ再び何かがあれば呼びつける故、その事は頭に留めて置け」
「何かが起きないよう祈っております」
二人が反省会を済ませると、イグレインは外で控えて居た先程の従者を呼びつけ、瑞樹を運ぶよう指示すると、またもやお姫様抱っこをされながら外まで運ばれ、瑞樹の顔は青白いのに頬は赤く染まっているという何とも不思議な面持ちとなっていた。
その後邸宅へと戻った瑞樹は緊張の糸がぷっつりと切れたらしく、馬車から降りるや否やその場に倒れ込んでそのまま意識を失い、目が覚めたのは翌日の朝日が差し込む頃だった。
そのままその日は大事を取って寝込む事をメウェンに勧められたのだが、夕刻にささやかな祝宴を行なうと去り際に報告を受ける。そういうのはあまり好みで無いらしく、瑞樹は少し気分が重くなるが、遠慮するなどと野暮な事を言える筈も無い、大人しく夕刻を待つ事にした。
時折訪れるエレナの相手をしながら、時間は次第に過ぎ去りいよいよ祝宴の開始時刻となる。この祝宴の
主役である瑞樹は事前に身支度をしていたのだが、オリヴィアのごり押しにより華美でひらひらとしたドレスに身を包んでいる。ただ、その胸中は諦めか慣れか定かで無いが、存外大人しくそれを受け入れ、麗しの聖女を演じていた。
祝宴の時には従者も交えて歓待を受けるらしく、さながら立食パーティーの様相を呈していて、実に和気藹々とした様子だったのだが瑞樹の顔は今一つ晴れていない。瑞樹がしきりに周りを見回しても、一番遭いたい、祝福して欲しいあの二人の姿が見えなかったからだ。
ビリーとノルンに教育を施す為に暫く逢えなくなる、それはメウェンから一番最初に言われていた事なので瑞樹もそれなりに覚悟していたのだが、今この時なら一目くらい逢えるかも、そう思っていた瑞樹は冷や水を浴びせられたような気分となっていた。堪らずメウェンにその旨を問い質してみると、曰く教育が終わるまでは逢わせないとの事で、瑞樹の独り立ちを促す側面もあるようだが、当の本人にとってはむしろ迷惑だった。どうにも納得出来ない様子の瑞樹は駄々をこね始めるが、メウェンに「我慢すると言ったのは君だろう」と一蹴され、それを出された瑞樹はぐうの音も出ずに口を噤んでしまう。
そんな時、オリヴィアとエレナが瑞樹の異変に気付き駆け寄ってくると、二人は揃ってメウェンを糾弾し始めた。二人に勝てる筈も無くメウェンが謝罪すると、一通り言う事を言ってすっきりしたらしい二人の視線が今度は瑞樹の方へ向き、必ずまた逢えるようになるからと窘められ、その場は沈静化した。
従者からのお祝いの言葉を一杯貰った祝宴は滞りなく終了し、新たな貴族誕生に対して歓声と拍手でその宴は締められ、瑞樹は埋まらない寂しさに耐えながら皆に笑みで返した。
それからおよそ二週間、名実共に貴族となった瑞樹は忙しい日々を送っていた。というのは無く、忙しかったのは初めの数日間程度、他の貴族諸兄が祝いの挨拶をする為、頻繁に瑞樹の元を訪れていたのがピークだった。その挨拶に来た貴族達もなかなか癖が強く、大半は祝うつもりなど微塵も感じさせない、聖女とは如何な人物か、興味はそこだけのようだった。だが女性服に馴染んでしまった瑞樹を見た途端皆一様に言葉を失い、異国感溢れる黒い髪とその見目に目を奪われていた様子で、酷い時には瑞樹自身を男と知っていながらも愛を説く愚か者まで出る始末だったが、無論そんなものを受ける筈も無く瑞樹は丁重にお断りしていた。
紆余曲折ありながらも瑞樹は日常らしい日常に戻り、日中メウェンの執務を手伝う日々を過ごしていた。そんなある日、瑞樹は何かを思い立ったようにメウェンにこんな話しを切り出した。
「メウェン様、お家ってどれ程のお値段で建てられる物なのですか? 」
「いきなり何だね。もしやこの家に居るのが嫌になったのか? 」
あまりに瑞樹の唐突な質問に、メウェンはい訝し気に聞き返すとそんなつもりは無いといった様子で両手をぶんぶんと振りながら「違います」と否定する。
「ではどうしたというのかね、いきなりそのような事を尋ねるという事は何かしらの思惑があるのだろう? 」
「いや、あるにはあるのですが……」
「はっきりと言わなければ分からんぞ? 」
瑞樹はメウェンの方へ視線を向けては外しを何度か繰り返した後、一度呼吸を整えて漸く覚悟を決めた様子でその思惑を口にする。
「最近になってこんな事を考え始めたのです。いずれあの二人が私の専属になったら一緒に住む家が欲しいなって。そうすれば誰に見られるでも無く気兼ね無く存分に接する事が出来ますし」
その説明に漸く得心したらしいメウェンは、眉間を指で解しながらお茶を飲み込むと、じろりと瑞樹に視線を向けた。
「全く君らしいというか何というか……まだ伝えないでおこうと思っていたのだがこの際だ、君にはギルバートも付ける予定にしているからな」
「えぇ!? それは何故ですか」
「決まっているだろう。君とその二人だけにしたらそうなるだろうというのは容易に想像出来るからな、その目付け役をギルバートが担う」
全く予想外の展開らしく、瑞樹は椅子から立ち上がりながらメウェンに問いただすと、少し後ずさりながらもメウェンはさも当然のように返答し、予定が完全に狂ってしまった事に嘆いた様子で、椅子へすとんと座り頭を抱え始めると、恨めしそうな視線をメウェンに向け始めた。
「私なら節度を持って二人に接しますから、ギルバートさんは居なくても大丈夫です」
「馬鹿者、その言葉信じる者がこの場に居ると思うか? 」
瑞樹が居るこの執務室には、瑞樹とメウェン、それにギルバートの三人しか居らず、その二人に瑞樹が視線を送っても首をふるふると横に振るだけで、完全に計画が破綻したと思ったらしく、顔をしゅんとさせながら「うぅ……」と小声で唸った。
「まぁそう気を落とすな。君の発言には驚きもしたが、確かにいずれは君も自身の家を持たねばならないからな……さてどうした物か」
メウェンはそう言いながら頬杖を突き、暫く思案に耽っていたが遂には良い案が浮かばなかったらしく、気分を変えようと後ろの窓を開け、外の景色を眺め始める。時折室内に吹いてくる風は季節の移ろいを十分に感じる程ひんやりとしていた。それもその筈で既に十月も半ばを過ぎている、時の流れる速さに瑞樹が少し感傷に浸っていると、メウェンは何か思いついた様子で「おぉ」おぉと声を上げた。
「そう言えばあれがあったな。瑞樹、こちらへ来なさい」
不思議そうに首を傾げながらも瑞樹はメウェンの言う通り窓の近くへ向かうと、彼はにやりとしながら「あれを見なさい」とある物に指を指した。
「あれって確か、以前ビリー達が幽閉されていた所ですよね? 」
「そうだ、あれを君に格安で譲ろう」
「えっ、お金を取るのですか!? 」
「当然だ、いくら未来の婿殿とはいえタダで家を明け渡す訳が無かろう」
メウェンの正論に対して瑞樹は反論する事が出来ず、黙り込んでしまった。というのも瑞樹は貯蓄など殆ど無く、以前ファルダンとの契約で稼いだお金は未だにニィガに置きっ放しでかなり長い間放置状態となれば、まだあるのか疑わしくさえある。この家にいれば衣食住の心配はしなくて済んでいるのだが、お金を稼ぐ事は出来ない、そこが瑞樹の一番のネックとなっていた。
「あの、私お金なんて全然持っていないのですが……」
「むん? ……あぁそういえば君に言うのをすっかり忘れていたな。先日城から書状が届いてな、内容は君への報奨金に関する事だ」
「報奨金? 私そんなの貰うような事していましたか? 」
「馬鹿者、自身の偉業を忘れてどうする。赤き凶星の件だ」
「あぁ、そうでしたね」
瑞樹は今思い出したと言わんばかりに手をぱちんと合わせながら目を丸くすると、メウェンは呆れた様子で深い溜め息を吐く。その後ギルバートに書状を持ってくるよう指示し、それを受取った後さらに続けた。
「その功績を国王陛下は高く評価し、国庫の約半分である金貨二万枚を君に進呈するそうだ。良かったな」
さも当然のようにさらりと話すメウェンに対して、瑞樹は非常に驚愕した様子で目を見開きながら、恐る恐る彼に聞き返す。
「二万……えっと二千枚の間違いでは無くてですか? 」
「私が桁を間違えるような愚か者に見えるのかね君は」
「いえ、とんでもありません。ですが一万枚って……しかも国庫という事は国民の血税という事ですよね? そんな物貰って本当に良いのですか? 」
庶民思考が全く抜ける事の無い瑞樹は、メウェンを押し倒しそうになる程詰め寄ると、彼は「とりあえず落ち着け」と瑞樹の肩に手を掛けながら遠ざける。
「君の功績に文句を言う民が居る筈が無かろう、それに国王陛下が決めた事だ。誰が、それこそ君自身が直訴しても覆らぬだろう」
「ですが、そんなに貰って使える筈が無いですよ」
「馬鹿者、誰が全部使えと言った。確かに報奨金は全額支給されるだろうが、金額が金額だ。必要分をその都度城へ受け取る形となると記載されている」
「そうなのですか。ならばそれを先に言ってもらわないと分かりませんよ」
「む、それは済まない。ともかく君は任命式の時に心は平民で在り続けると宣言しただろう? それが豪遊などしてみろ、余計な反感を買うぞ」
無論瑞樹はそんな事をするつもりはさらさら無いようだが、人の目は何処にあるか分からない。それを良く知っているからこそ、瑞樹はこくこくとしきりに首を振り続けた。