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異世界に歌声を  作者: くらげ
第四章[貴族]
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4-14 最初の一歩

 任命式まで残り一週間、瑞樹は忙しい日々を送っていた。まず基本中の基本である歩き方や仕草、目線の先に至るまで女性文官やオリヴィア達に叩きこまれる事となる。


 それと同時進行で式典の段取り確認やリハーサルも混じり、瑞樹は人の居ない場所で多忙っぷりに愚痴を漏らしたりもしていたが、何も多忙なのは瑞樹だけでは無い。城で働いている面々も準備に追われていて、国王陛下の無茶ぶりの被害者に少し同情した。


 こうした日々は存外早く過ぎていくもので、あっという間に当日となる。現在瑞樹は早朝から城へ出向きダールトンと最後の打ち合わせを行なっていた。


「……では瑞樹、今更だが何か質問はあるか? 」


「質問はありませんが……貴族章授与の時は気が重いですね」


「あぁ、お主は血を見るのに忌避感があるのだったな。だがもう諦めろ、そればかりはお主自身でやってもらわねばならん」


 というのも貴族章を国王陛下から授与された時、まるで血判のようにそれに血を付けなければならない。正確には貴族章に嵌め込まれた魔石だが、ともかくそれを行なって初めて瑞樹を貴族として証明出来る状態となるので、任命式の中である意味では一番重要な所となる。


 ただ瑞樹は過去の事を未だ引きずっているようで、練習の際も遂には決心が付かず、結局ぶっつけ本番となってしまった。この場にもしビリーが居れば、それが叶わぬ願いだとしても瑞樹はそう思わずにはいられなかった。


「私としてはお主の演説の方が心配だ。結局練習の際も内容を明かさなかったでは無いか。本当に大丈夫なのだろうな? 」


「はい、それは多分大丈夫です。何とかなります」


 ダールトンの言う通り、瑞樹は頑なに演説の内容を誰にも、国王陛下にすら明かさなかった。実の所、瑞樹は演説内容をほぼ決めていなかった。大まかな流れ自体は決まっているようだが、結局内容は丸暗記なら行き当たりばったりで良いやと考えたらしい。


「まぁ後は国王陛下に委ねるしかない。さて少し早いがお主は身支度を済ませて来い、念の為もう一度確認するが式は十時開始だ。従者が付くからその心配は無いと思うが、勝手に何処かへ行かないようにな」


「承知しております。そんなに人を子供扱いしないでください」


「中身は子供では無いか馬鹿者。良いからとっとと行け」


「はいはい、承知致しました」


 子供扱いされているのが少し悔しいらしく、瑞樹は顔をむっとさせながらその場を後にする。その後ろ姿を送りながら、ダールトンは「そういう所が子供だというのに」と小さく愚痴を漏らしていた。


 瑞樹は従者の案内でとある一室へ向かい、この日の為に作られた華美な衣装に着替え始める。何だかんだ言いながらも人に着替えを手伝ってもらうのは慣れたらしく、従者と息を合わせながら手際良く着替え、顔に化粧を施していく。そんな時、不意に扉が開いたと同時に聞き慣れた声が瑞樹の耳に入った。


「瑞樹よ、身支度は済んだか」


「これは国王陛下。はい、身支度は滞りなく終わりました」


 煌めく衣装を纏い、薄くも華やかな化粧を施された瑞樹はまさに聖女と呼ばれても遜色無い仕上がりとなり、国王陛下のみならず着替えや化粧を施した従者からも感嘆の声が上がった。


「ほう、いざ自分の目で見るとあの絵も強ち間違いでは無い事が理解出来るな。実に綺麗になった物だ」


「私には過大な評価でございます。そもそも私は男ですので喜んでよいのか」


「折角褒めたのだ、素直に受け取ると良い。お主がその見目通りの性であれば寄って来る男も大勢いたであろうな」


「……お戯れを、国王陛下」


 イグレインがくくくと笑みを零しながらそう言うと、瑞樹はだんだんと恥ずかしさが勝ってきたらしく頬を赤く染め始める。その後、彼は不意にとても真面目な様子で「瑞樹よ」と声をかけ、さらに続けた。


「今日はお主の晴れ舞台であり、運命を決める日だ。失敗は許されぬぞ」


「承知しております。私も立派に聖女を務めてみせます」


「期待している。では始まるまで心を落ち着かせると良い」


「はい」


 そう瑞樹に声をかけながらイグレインは退室し、瑞樹は深くお辞儀をしながら彼を見送る。開始時刻まで後一時間弱、瑞樹は自身を落ち着かせようと必死に深呼吸をしたり、手に人の字を書いて飲んでみたりと試せる物は何でも試し、遂にその時が迫った。




 既に正面門は民衆で埋め尽くされ、どこを見回しても人がいるほど混雑していた。お目当ては勿論聖女と噂された人物をその目で見る事だ。ちなみに貴族諸兄らには貴賓席が用意され、彼等はどちらかと言えば瑞樹の事を値踏みに来ているような感じだった。


 その時を民衆は今か今かと待ちわび騒いでいると、その喧騒を掻き消すように楽士隊のファンファーレが鳴り響く。


「瑞樹よ、もう後戻りは出来ぬぞ。覚悟は良いな? 」


「はい、大丈夫です。もし倒れそうになったら助けてください」


「ふっ、それ程軽口を叩けるなら上等だ。では行くぞ」


「はい、承知致しました」


 その音楽を合図に瑞樹達は正面門のさらに上、城下町を一望出来るテラスへと姿を現す。平生なら絶景に心躍らせるであろうが今は違う、どこを見ても人の目がこちらを見ている事に瑞樹は胃が締め付けられるような思いだった。


 ファンファーレが終わると、ダールトンがとある魔道具に近付きながら声を発する。その見た目はまるで音叉で風の魔法がかけられていてそれに音、つまり声を響かせると魔法がその声の振動を増幅させ、城内や城下町に設置された音叉が反応して声が響く仕組みとなっている。いわばこの世界におけるマイクとスピーカーのような物で、科学のかの字も存在しないのに良く考えられていると瑞樹も関心していた。


「これより橘瑞樹の伯爵任命式を開始する。まず初めに国王陛下がお言葉を述べられる、皆は静粛にして耳を傾けるように。では国王陛下、宜しくお願い致します」


「うむ」


 開会宣言をしたダールトンは国王陛下へお辞儀しその場を明け渡すと、イグレインはこくりと軽く頷き、マイクの前に立つ。


「先日、この地に赤き凶星が落下してきた事は皆の記憶にも新しいだろう。それはこの国のみならず、この世界全土を滅ぼさんとし、皆を恐怖へ陥れた。だがそのような窮地にも神は我々を見捨てる事は無く、この地に一人の聖女をもたらした。この者は平民ながらもその身に聖女を宿し、世界に祝福を与えた。故に余はこの未曽有の危機を救ったこの者に最大級の敬意を表し、伯爵に任命する事をここに宣言する。異論があれば大いに申すと良い、余自ら聞き入れよう。余からは以上だ」


 再びダールトンとイグレインが入れ替わり、声を響かせる。


「ではこれより貴族章の授与を行なう」


 遂に来た、瑞樹はそう思いながら心臓の鼓動を大きくしながら、イグレインと共に最前へ歩み出る。二人が前に出た後、一瞬だけ目配せしてこくりと頷くと、イグレインは文官から貴族章を受取り、それを瑞樹の前に出す。一方の瑞樹は、また別の文官から豪奢な装飾が施された短刀を受け取る。瑞樹はそれを受け取った時、見た目以上の重さを感じた。それは恐らく精神的な所から来ているようで、手を震わせながら鞘から引き抜く。手の震えは徐々に全身へ広がり、身体の言う事が効かず、呼吸も荒くなっていく。どうしよう、恐怖に満ちているような瞳でちらりとイグレインの方を見ると、その視線は真っすぐ瑞樹を捉えていた。


 その視線は自身を応援しているのか、それとも脅しているのかは今の瑞樹には分からないようだったが、ともかく発破をかけられている事だけは何となく伝わったらしく、遂に意を決した瑞樹は自身の親指に傷を付けた。ジンジンと痛む指からぷっくりと浮き上がってくる血を見た瑞樹は、どんどんと気分が悪くなり顔を青くさせるが、奥歯を強く噛みしめ、何とか踏ん張りながら貴族章の魔石に血を一滴垂らす。


 すると魔石は金色に輝き始め、その光が徐々に強くなっていくと、最終的に空高くまで光の筋が伸びてすっと消え失せる。さそれはさながら瑞樹が祝福の歌を発動させたあの時を彷彿とさせたようで、民衆は聖女の力の一旦を垣間見たように、しいんと静まり返った。


 予想外の出来事らしく少し呆気に取られていたダールトンは、はっと我に返りプログラムを進める。


「で、では最後に橘瑞樹がお言葉を述べるので皆は静粛に耳を傾けよ」


 言われずとも静まり返っている民衆に、居心地の悪さを感じながらも、瑞樹はマイクの前に立つ。本当はすぐにでも横になりたい程気分が悪かったが、足腰に気合を入れて踏み止まり、マイクへと声を響かせた。


「ご紹介に預かりました橘瑞樹です。お話しする前に一つ訂正があります」


 瑞樹はそう言いながらんんっと喉を整えると「聞いての通り俺は男です」と言い放つ。その一言にダールトンはぶっと吹き出し、酷く苦々しい顔をしたが、イグレインは何か考えがあるようで不敵な笑みを浮かべていた。その様子など微塵も知らない瑞樹は再び声を整え、ざわつく民衆に向けて女声で語り始める。


「私の心は常に平民のままであり、聖女にも、ましてや貴族にも染まる事は無いでしょう。故に私自身の事をどう思うかは皆様の好きですが、それが度を過ぎ、他者へ暴力で訴えようとする者が居た場合、私は容赦出来ません。それだけは留意してください」


 言っておきたい事が概ね終わり、最後の締めに入ろうとした所で瑞樹はある者達を見つけてしまった。それは瑞樹が一番大切にしている二人、ビリーとノルンだった。どんなに小さくてもそれが二人だと瞬時に理解し、瑞樹は色々な想いが頭を過り、声を詰まらせる。それでも泣く訳にはいかない、その思いだけ何とか踏み止まりながらも声を震わせながら、無理矢理振り絞った。


「私は皆を、貴方を想い続け、力を尽くしたいと思います。私からは以上です、ご清聴ありがとうございました」


 瑞樹は深くお辞儀し、少しふらつきながら元居た場所へ戻ると、イグレインが小声で「良く頑張った」と

珍しく褒め、少し面映ゆい気がしながらも瑞樹は笑顔で返す。その後イグレインは再びマイクの前に立ち口を開き始めた。


「この者、瑞樹は男ながらもその身に聖女を宿して居る。それは声色を自在に操る所から事実だと皆も察する事が出来るであろう。しかしながら彼は異常な程謙虚でそれを認めたがらぬが、貴族であり聖女である事、そして世界を救ったのは紛れもない事実だ。その事は胸に刻みつけておくようにせよ。ではこれで任命式を終了とする、貴族諸兄と民衆の皆が集まってくれた事、感謝する」


 そう言うとイグレインは踵を返し、そのまま瑞樹を連れてその場を後にする。本来の予定では再びファンファーレに合わせて退場する予定だったのだが、イグレインが勝手に締めてしまった。当然楽士隊の面々も驚き騒めくが、こうなってしまった以上どうしようも無く、ダールトンが深い溜め息を吐いた後にその場の収拾に努めた。


 そんな彼の苦労を知ってか知らずか、取り敢えずテラスから離れた瑞樹はふらふらとその場に座り込む。


「もう少し我慢せよ瑞樹。おい、この者を余の私室へ連れて行け。大分衰弱しておるから慎重にな」


「かしこまりました。では瑞樹様、失礼致します」


 彼らの傍らに居た体格の良い男性文官が瑞樹に近付くと、何とお姫様抱っこをしながらそのまま歩き始めた。流石にそんな経験は無く、初めての事で瑞樹は「降ろしてください」と慌てた様子で暴れ始めるが、その文官に「危ないですから大人しくしてください」と窘められ、顔から火を噴きそうな思いに耐えながら、その者に抱き着いていた。




 この日瑞樹は貴族となった。それは過去と決別し、本当の意味で自ら一歩を踏み出した瞬間でもあったのかもしれない。


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