4-12 感謝を込めて
瑞樹の視線の先から猛然と突っ込んでくる赤い髪の毛に、彼は既視感を感じていると、それは勢い良く彼に飛び込みそのまま押し倒す。あぁやっぱり前にもこんな事あったなと思ったのも束の間、瑞樹の身体に猛烈な圧迫感が襲い掛かる。もはや圧迫というより圧縮に近いそれを一身に受けると、瑞樹は涙目になりながら叫び始めた。
「ぐえぇ!死ぬ、死んじゃうから、落ち着いてくれハンナァッ!」
「うっさい! 大人しくしとけこの馬鹿! 」
「ちょ、ちょっとハンナ? それくらいにした方が良いよ。あの執事みたいな人が怖い顔してるし」
シーラにそう言われたハンナは「あぁん? 」と不機嫌そうにギルバートの方へ視線を移すと、確かに彼女の言う通りギルバートは眉間に皺を寄せながら笑い、静かに怒っていた。その迫力にハンナは思わず「げっ!?」と唸り、すぐさま瑞樹から飛び退いた。
「皆様方が瑞樹様と親しい間柄なのは承知しておりますが、節度を守ってくださいますようお願い致します」
本来であればハンナの行動は咎められ罰せられてもおかしくは無い。瑞樹が貴族となるというのはニィガの人間であれば周知の事実で、勿論ハンナも重々承知していたのだが、瑞樹を目にした途端感情が優先されてしまったのだろう、そのまま瑞樹に突撃してしまった。自分の落ち度を理解している様子のハンナがしゅんと落ち込んでいるのを見て、瑞樹はくすっと笑みを零しながら、今度は自分から抱き着いた。
「ハンナと逢う時はいつもこうだからな、気にするなって。そういう訳ですからギルバートさん、俺の事は心配しないでください」
「……瑞樹様に万が一の事があれば私がメウェン様からお叱りを受けてしまいますので、なるべく留意して頂きたいと存じます」
「はい、分かっています。ご迷惑をお掛けしてすみません」
「いえ、お気になさらず。では私は外でお待ちしておりますので」
ギルバートは怒りを霧散させ恭しくお辞儀をした後、部屋から離れていった。若干の悶着はあったがひとまず落ち着き、皆一様にほっと胸を撫で下ろした。
「ごめんな瑞樹、お前を見たら嬉しくてつい……」
「気にするなって、ハンナは元気が一番だからな」
「……へへ。そう言ってくれると嬉しいぜ。それはともかくもうそろそろ離してくれ、シーラの視線が痛い。……あと恥ずかしい」
「あぁ悪い悪い」
ハンナが顔を赤らめながらそう言うと、瑞樹はぱっと手を離す。それを若干名残惜しそうにしていたハンナだが、すぐさま照れ臭そうに笑っていた。そんな様子を瑞樹の後ろから羨ましそうにシーラが睨んでいて、恐る恐る瑞樹が後ろを振り向くとむすっとした表情を向けられた。
「あ、あのシーラさん? 」
「私には何も無いのかな? 」
「えぇ……というか何か口調がおかしく無いか? 」
「それは今関係無いよね? 」
「は、はい。こめんなさい、じゃあ失礼して、と。これでどうだ? 」
「う、うん。満足……」
瑞樹がぎゅうっと抱き締めると、シーラは何だかんだ恥ずかしいらしく、ハンナの時より遥かに短い時間で満足して離れた。そんな仲睦まじい様子を、オットーは眉間に皺を寄せながら静観していたのだが、甘々な空間に嫌気が差したらしく「もう良いか? 」と瑞樹に釘を刺す。
「あっはい。で、何でしたっけ? 」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎。お前、こいつを引き取りに来たんだろう? 」
より一層皺を寄せ、指で解しながらオットーが何かを手招きすると、扉の陰から白い物が見えてくる。その白く整った毛並み、瑞樹が見間違う筈も無い、シルバだった。
「おぉシルバ! 久し振りだなぁ元気にしてたか? 」
瑞樹は駆け寄って頭を撫でようとするが、シルバその手を払い除けがぶりと噛みついた。あまりの激痛に瑞樹は「痛ってぇ!」と叫び涙目になるが、シルバは良い気味だと言いたそうに鼻をふんと鳴らしていた。どうやら自分だけ忘れ去られていた事に随分とご立腹らしい。その騒ぎを聞いて何事かとギルバートが駆け付け、状況の説明を瑞樹に求める。
「一体何事ですか瑞樹様!? まさかこの魔物に襲われたのですか!? 」
「いえいえ違います、大丈夫ですから! こいつは何も悪くありません」
「……本当ですね? 」
「本当です、信じてもらえませんか? 」
「……瑞樹様がそうお仰るなら、私からは何も言う事は出来ませんが……くれぐれも変な事はしないよう重ねてお願い致します」
「はい、本当にごめんなさい」
ギルバートはやれやれと言った様子で深い溜め息を吐き、眉間に皺を蓄えたまま再び部屋から離れた。
「全く、騒々しい奴だなお前は」
「いやいや、シルバに噛まれたらそりゃ悲鳴も出ますよ。と言うかハンナとシーラもだけど、今までどこに? 俺が来た時は影も形も見えなかったけど」
「まぁ話しをする前に座れ。折角良いお茶を持ってきたんだから一服してからだ」
オットーに促され、瑞樹は元居た席へと座り、オットー達も椅子へ腰を下ろす。シルバは先程の一撃でそれなりに溜飲が下がったらしく、瑞樹の近くで伏せていた。
慣れた手つきでオットーがお茶を淹れ、瑞樹は「ありがとうございます」と会釈してからカップに口を近付けた。皆一様に静かに飲み、気持ちを落ち着かせると、オットーが話しを切り出した。
「なかなか大変な事になったな、瑞樹伯爵? 」
オットーのその一言を聞いた瑞樹は、口に含んでいたお茶を吹き零しそうになるが何とかごくりと飲み込み、咳をしながらオットーに顔を向けた。
「げほげほ、ちょっとオットーさんいきなりそれは止めてくださいよ」
「だが事実なんだから仕方ないだろう。以前と同じようにはもう接する事は出来ないからな」
「……そうなんだよな、瑞樹は貴族になっちゃうんだから、もうこうして話したり出来なくなるんだな」
「……寂しいね」
先程の元気は全く無くなり、気分が落ち込んでいく二人を見て瑞樹は慌てた様子で話しを切り替える。
「あぁもうそんなに暗くなるなって、そういえばここに居る時のシルバってどうだったんですか? 」
「そうだな、魔物にしては存外大人しかったな。まぁたまに悪戯しようとする冒険者に噛みついていたようだが」
「へぇそうなんですか。というかこいつの餌代ってどうしていたんですか? 」
「全部ビリーが工面していたぞ。まぁとは言っても森に入れば餌なんかごろごろしているしな。ビリー達がいなくなった後は勝手に森へ出入りしていたからな、手間がかからないで済んだ」
「あ~ぁ、ビリーとノルンもいなくなっちゃったしなぁ。あたしも瑞樹の所に行きたいぜ」
「う、うん。私も」
二人がどこまで本気かは本人のみしか分からないが、それなりに覚悟は決めていたらしい。そんな二人に瑞樹は笑顔を向けるが、それは嬉しさというよりも、どこか寂しさを感じさせる。
「二人の気持ちは嬉しいけど、それは駄目だ。俺の我が儘にこれ以上誰かを巻き込む訳にはいかないしさ」
「で、でもさ……」
「ハンナ、それ以上は駄目だよ。瑞樹は寂しがり屋で甘えん坊で泣き虫だけど、度を越えて優しいし頑固だから」
シーラの厳しくも優しい評価に「酷い言われようだな」と瑞樹が小声で呟くと、ハンナは何か吹っ切れたように「あ~ぁ」と声を上げ、両手を天井に伸ばしながら背伸びした。
「瑞樹がそう言うなら仕方ねぇ、お前のお守りはビリーに任せるとするか。それはそうとビリーからこれを預かっていたんだよ」
「これ? あぁこれか、俺もすっかり忘れていたな」
ハンナが手に持っていた小さい包みから出て来た物は、以前瑞樹が旅行先で買ったエレナのお土産だった。いつか渡すと瑞樹はエレナと約束していたのだが、完全に機会を失していた。どうしたものかと瑞樹は「う~ん」と唸りながら思案に耽っていると、一つの結論を出した。
「これ、二人で好きにして良いよ」
「えっでもこれ誰かにあげる物だろ? しかもこんなに上等な物、本当に良いのか? 」
「あぁ。持って帰っても今更過ぎるしな。カーシャさんとあの子にも分けてやってくれ。……そういえばカーシャさんはいないんだな」
「本当は逢いたがっていたんだけど、なんかあたしらに気を使ってくれたみたいでな。二人共今日はいないんだ」
「そうなのか。って、すっかり忘れてたけどお前ら俺が来た時何処に隠れてたんだ? 」
瑞樹が思い出したかのようなはっとした面持ちで先程の質問をすると、ハンナとシーラは目を合わせくすくすと笑う。その様子に何だか疎外感を感じたらしい瑞樹は唇を少し尖らせながらじっと視線を送ると、ハンナが「ごめんごめん」と謝り、シーラが説明を始めた。
「私達は更衣室で隠れていたの、シルバと一緒にね」
「なんだ、そういう事か。でも別に隠れなくても良かっただろ」
「いやぁ瑞樹を驚かせようと思ってな」
「思ってな、じゃないよ全く。……じゃあ下に冒険者がいないのも単に俺を驚かせたかっただけなのか? 」
はぁと溜め息を吐きながら問いかける瑞樹へ、今度はオットーが「それは俺から言おう」と話しかけ、さらに続けた。
「瑞樹が貴族となる以上、荒くれ者が集まるこの場所での会合は難しいとメウェン様が言ってな、それで急遽ギルドを臨時休業にした訳だ」
勿論メウェンは瑞樹の安全を思っての行動だったのだろうが、当の本人にとっては正直ありがた迷惑だったようで、不機嫌そうに顔を顰めた。
「折角あの連中と会えると思っていたのに、いざ会えないとなると少し物足りない感じがしますね」
「ふっ、まさかお前の口からそんな言葉が出てくるとはな」
「何だかんだあの喧しさも、今では懐かしい思い出ですからね」
瑞樹の瞳は何処か遠い場所を見ているような感じで、もう戻れないような寂しさを滲ませていた。その後、彼等は談笑を楽しみ他愛の無い話しで笑い合う。いつか夢の続きを見ているような楽しい時間は瞬く間に過ぎ、滞在の刻限が迫っていた。
不意にこんこんと扉を叩く音がすると、ギルバートがその姿を現して瑞樹に顔を向けた。
「瑞樹様、お戻りになる時間となりましたので馬車の方へご足労願います」
「もう、ですか。早いですね」
「私は外でお待ちしておりますので、では」
「分かりました。という訳だから俺帰らなくちゃいけないし、それじゃあな」
「あ、あぁ」
「う、うん」
瑞樹にしては随分と素っ気ない挨拶に、少しばかり憮然した様子で返事をする二人。それを尻目に扉の前まで進んだ瑞樹だったがそこで立ち止まり、突如踵を返してハンナに抱き着く。突然の事で慌てふためくハンナ達だったが、瑞樹のすすり泣くのを聞いて漸く得心したらしく、二人は瑞樹を挟み込むように抱き締めた。
「全く、瑞樹はいつまで経っても瑞樹のままだよな」
「う、うん。そうだね、これじゃ本当に貴族になれるか心配だよ」
「……本当は、貴族になんか、なりたくなかったのに……!」
瑞樹の本心を聞いた二人は、今までが増していた感情を溢れさせる。それでも気丈に接し、瑞樹を優しく窘める。
「あたしらだって一緒に居たいけど、それはもう出来ないんだ。でもずっとお前の事は想っているからな」
「うん、あたし達は仲間だから。離れ離れになってもそれはずっと変わらないよ。だから大丈夫」
「……今度はこっそり来るから」
「ちょっと待て瑞樹、それはまずいだろ」
静観を決め込んでいたオットーだったが、瑞樹のとんでもない発言に思わず吹き出しながら口を挟む。すると三人はあははと笑いながら、ゆっくりと離れた。
「立派な貴族になれよ瑞樹、応援してるぜ」
「う、うん。瑞樹が立派にならないと心配で夜も眠れないんだからね」
「分かってるよ……それじゃあね。行こうシルバ」
瑞樹がそう言うと、シルバはすくっと立ち上がりワン!と元気良く返事をする。そのままシルバを連れ、後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。彼の姿が見えなくなった後、二人は名残惜しそうに虚空を見つめ、抱き合いながら嗚咽を漏らしていた。
「お待たせしましたギルバートさん」
「では邸宅へ戻りましょう瑞樹様」
「はい」
瑞樹は今一度振り返り、ギルドへ向かって深々と頭を下げる。その地面は彼の涙で濡れていた。
幾度の別れを経て、瑞樹の周りには漸く以前の面々が揃う事となる。ただ、自ら手放した物はもう帰って来ない。やり場の無い怒りと悲しみを、彼は我慢するしか無かった




