4-9 続・悪魔と魔神
「演説の内容はお主に一切を任せる。存分に自らの想いを述べると良い」
「えっ本当によろしいのですか? 何を話すか分かりませんよ? 」
瑞樹がそう苦言を呈すと、自分でそれを言うかと言わんばかりに苦笑するイグレインだが、それを口にすることは無く、その理由を話し始める。
「お主が己の想いや在り方を民に知らしめる貴重な機会だ、自身でその使い方を決めた方が良いと思ってな。まぁお主が国に絶対的な忠誠を誓いたいと申すのであれば、喜んで原稿を用意してやるが、どうする? 」
「イグレイン様がそう仰るのであれば有効に使わせて頂きたく存じます。ですので原稿は丁重にお断りさせて頂きます。」
「ふっ、お主ならそう申すだろうと思っていた」
初回の打ち合わせは一通り終了し、皆一様にお茶で一服する。ただ三人を覆う空気は何処か重く、息苦しさを感じるようだった。その後イグレインは覚悟を決めるように、カップに残っていたお茶を一気に飲み干し、再び瑞樹へと視線を向けた。
「さぁて、良い加減先程中断した話しをするか」
「是非お願いします、イグレイン様」
先程の打ち合わせはまだ和やかな雰囲気だったが、今のイグレインの様子はかなり張りつめているようで、真剣な眼差しを瑞樹に向けていた。
「その前に瑞樹よ、その話しは今まで誰かにした事はあるか? 」
「いえ、ありません。今日が初めてです」
「それなら良い。……これからお主に話す事は国の中でもごく僅かしか知らぬ。故に誰にも漏らさぬ事を誓うか? 」
「そ、それはメウェン様もですか? 」
「無論、メウェン侯爵どころか他の貴族諸兄ですら存ぜぬ事だ。ただお主の返答はどうあれ無理矢理にでも聞かせるがな」
「えぇ……分かりました、神でも何でも誓います」
またもや選択肢の無い選択に瑞樹は若干辟易しつつも一応誓いを立てると、イグレインは満足気に「うむ」と一言発しながらこくりと頷き、さらに続けた。
「お主の今後に関わる事だ、故にどうしても知っておいてもらわねば困るのでな。……お主は神の存在を信じているか? 」
その突飛な質問に、瑞樹は思わず「は?」と素っ頓狂な声を上げる。それもそのはず、一番最初にビリーとそんな会話をしていたし、何より魔法が存在している。瑞樹は神の存在は懐疑的な方だが、神がいるから魔法が使える、そんな事を言われれば信じざるを得ず、半信半疑ながらも今まで過ごしてきた。そこへ国王陛下がそんな疑問を投げかけられれば困惑するのも無理は無い。
「だって、神は実在すると聞いていますが……」
「だが今まで自身の目で確認した事はあるか? 」
瑞樹はうっと唸りながら口を噤む。見た事があるかと問われれば、そんなのある訳が無い。
「儂も未だかつて自身の目で確認した事は無い。……一柱を除いてな」
その衝撃的な発言に瑞樹は絶句した。本当に存在している事に。固まったままの瑞樹を見ながらも、イグレインは説明を止める事無くさらに続けた。
「遥か北に聖都カトリアがあるのは知っているか? 」
瑞樹ははっと我に返り、首をふるふると振り正気を取り戻し「名前だけなら」と返す。
「そこの地中深くには……かつて最強と評された、魔神が今でも存在している」
「は、あはは、御冗談を……。そんなもの存在する訳が―」
「残念だが事実だ。実際儂もこの目で確認した」
あり得ないといった様子で瑞樹は苦笑しながらイグレインに反論するが逆に一蹴されてしまい、口をきゅっと閉じる。ただ瑞樹の脳裏に一つ疑問が浮かんだようで、再び疑問をぶつけた。
「ですが何故それが神だと、魔神だと断定出来るのですか? 」
「確かにその疑問は尤もだ。口では説明し辛いのだが……そう、声だ。あれはどういう理屈か分からぬが一定以上神力を有する者にのみ感じ取れる声を発している」
「声、ですか。それはイグレイン様も実際に体験なさったのですか? 」
「うむ、随分と昔だが一度だけそれを目にする機会があってな。声とは申したが実際何と言っていたのかは遂には分からず終いだが、まぁ再び機会が訪れたとしても二度と御免だがな。あれが魔神では無いとすれば、むしろそちらの方が驚きだ」
忌々しそうに吐き捨てると、イグレインはダールトンにお代わり命じ、暫しの間口を閉ざす。瑞樹にはその時の心情は推し量る事は出来なかったようだが、その表情は酷く苦々しく、雄弁に語っているのが見えた。
「国王陛下、少々休憩をなさってください。私が代わります」
「任せる」
「御意。さて瑞樹卿、続きだ。ここからが肝となるのでしかと聞くが良い」
「はい、承知致しました」
若干高圧的な感も否めないが前と比べれば敵意は出していない、瑞樹もいちいち突っかかると精神的に辛いものがあるらしく、素直に聞く態勢に移る。
「この謎の声、未だ仮説の域を出ないが度々出現する悪魔と関係していると言われている。というのも悪魔が出現する前に決まって失踪者が現れる。それも神力の高い者ばかりが、だ」
「それと謎の声に一体どのような関係性があるのですか? 」
「察しが悪いな。つまりその謎の声が聖都地下に眠る魔神から発せられているとすれば、その声が届いた者を操り、何かしらの力で操った者を悪魔と変えている、という訳だ」
「つまり悪魔と呼ばれているのは……元人間? 」
「あくまで仮説だがな。ただ国が独自に取っている統計を見ると、仮説を否定出来ないのもまた事実なのだ。お主の神力が高いと分かった時点で城に連れて来れば良かったのだが……こればかりは後悔しても致し方無い」
その言葉に瑞樹は思わずぞっとする。万が一そのような事があれば訳も分からず城の中で飼い殺しにされていたのかもしれない、そう思うだけで背筋に冷たい物が走った。
「そうならなくて本当に良かったです。つまり私も魔神に操られて悪魔になるかもしれない……そういう訳ですか。どうします? 首でも刎ねますか? 」
瑞樹の突飛な提案に二人は苦々しい表情で深い溜め息を吐くと、ダールトンは忌々しそうに睨み付けながら瑞樹の提案を両断する。
「お主はどうしてそう考え無しに発言するのだ」
「別に考えていない訳ではありません。自分の存在自体が危険物なら処理した方が良いでしょう? その方が被害が出なくて済みますし」
「お主が普通の平民ならそうしたかもしれんが、今は状況が違い過ぎる。聖女と噂されている者を悪魔かもしれないと言って処刑などすれば、それこそ神へ不義を働いたと暴動が起きかねんのだぞ」
「はぁ……面倒ですね。そもそも何故そうまでして魔神を隠し通す必要があるのですか? それを国民に周知すれば失踪を防げるかは別にしても、出現の兆候程度なら知る事が出来る筈。そうすれば被害だって抑えられるのでは? 」
現状悪魔というのは神出鬼没という事になっているが、これを国民が知る事が出来れば注意する旨のお触れくらい出せる筈だというのが瑞樹の見解だ。だが事はそう簡単では無く、ダールトンのみならずイグレインすら呆れたように肩を竦めた。
「お主は今まで話しを聞いていなかったのか」
ダールトンが瑞樹に対して吐き捨てるように言うと、瑞樹は少し顔をむっとさせながら「聞いていましたよ」と語気を強めながら答えた。
「いや、何も理解しておらん。良いか、神という存在は在るだけで良い、むしろ居てもらっては困るのだ。これまでの話しを理解しているのなら、その意味が分かる筈だ」
ダールトンの小馬鹿にしたような物言いに、瑞樹の怒りはさらに募る。ただ言われっぱなしも面白くないらしく、最初は見返してやろう程度に考えていた瑞樹だったが、今までの話しを反芻していく内にダールトンの意図が分かり、怒っていたのが恥ずかしくなる程冷静さを取り戻していた。
「聖女と噂されているような者ですら反逆の道具にされるかもという懸念が生まれる……なら本物の神ならばその比では無く、むしろ魔神の軍勢になりかねない……」
瑞樹の回答は概ねダールトンの意に沿ったものらしく、彼は少しだけ口角を上げながら瑞樹に話す。
「ふん、理解しているではないか。故に聖都は隔絶された遥か北の地にある、そこはまさしく魔神の存在を封じる為の最前線であり、最終防衛戦でもあるのだ。……これに関しては結果論に過ぎないが」
聖都は名目上聖なる地を守護する為として存在している。それは魔神という神がその地に存在する以上、ある意味では正しい。だが本当の目的は猛獣を出さない為の一種の檻であり、その事実を知る者はごく少数。瑞樹は国の闇に触れたような気がして、酷く気分が悪くなっていた。その様子を知ってか知らずか、イグレインは場の空気を切り替えようと、話題を提供してくれた。
「ふむ、辛気臭い話しばかりで少々疲れたな。それにしてもこの絵は素晴らしい出来だな。ダールトン、お主未だに独り身であろう? 瑞樹を娶れば良いのでは無いか? 」
その言葉にダールトンのみならず瑞樹もぶっと吹き出す。その後ダールトンは忌々しそうな視線をイグレインに向けるが、瑞樹はどう返せば良いか判断出来ずあわあわとしていた。
「お戯れを国王陛下、あれは男ですぞ」
「そ、そうですイグレイン様。男同士で成り立つ筈が無いでしょう!?」
「はっはっは冗談だ、そう目くじらをたてるな。ただまぁ、もし見目通りの性別だったなら儂がお主を娶ったかもしれぬな」
それを聞いた途端、瑞樹は胸を締め付けられるような気がした。自分が男だったから良かったものの、イグレインの言う通りだったらそれを断る事すら出来ず、望まぬ婚姻を結んでいたのかなと思うだけで気分が落ち込み、表情が暗くなっていく。その様子の変わりように流石にイグレインも気付いたらしく、苦笑しながら瑞樹を宥め始めた。
「むん? 瑞樹よ冗談だと言ったであろう? そう深く考え込むな。それよりもお主は誰か好いておる者はおらぬのか? 」
「え、えぇっ!?好きな人ですか、そうですね……今はおりません」
急に始まった詮索に最初は困惑していた瑞樹だがとある事を思い出し、まるで遠い場所を見るような目で彼の疑問に返答する。その様子を訝しく思いつつもイグレインは本題に入った。
「何だそうなのか。てっきり儂はメウェン侯爵の娘やお主のお気に入りあの童女のような者がそうだと思っていたのだがな」
「いやいやお戯れをイグレイン様。私に童女趣味はありません」
「まぁそれはどうでも良い。お主も良い歳だ、さっさと誰か娶って子を生せ」
「は、はいぃ!?それはいくらなんでも気が早すぎるのでは……」
結婚しろならともかく、さっさと子作りしろなどと面と向かって言われた瑞樹は頬を真っ赤にしながら苦言を呈する。どうやらヘタレの瑞樹には刺激が強かったらしい。ただイグレインの表情は存外真面目で、真剣な眼差しを向けていた。
「早すぎでは無い。お主の血はとても貴重だ、その血を絶やす事は許されるものでは無い。お主が好いた者ならこの際誰でも良いし何人でも良い、それこそメウェン侯爵の娘でもお主の童女でも、だ。故に可及的速やかに達成する事をここに命じる、良いな? 」
「ぜ、善処致します」
はい頑張りますとは口が裂けても言えなかったようで、瑞樹は顔を火照らせながら言葉を絞り出す。ただお咎めも無く、今回の会談はそのまま終了となり、まさか人の結婚に口出しされて終わるとはと、瑞樹は何とも言えない気疲れに襲われながら帰路に着くのであった。
実は一つだけ瑞樹には聞かなかった事がある。それは魔神と思しき声とはまた違った、透き通った女性の声の事だ。何故か他人とは思えない親しみを感じたあの声に一つの仮説が瑞樹の脳裏を過るが、まさかあり得ないと自身でも思ったらしく、自身の胸中に閉まっておこうと固く誓っていた。




