1-6 目覚めた力
翌日の朝、二人は朝食も程々に言い争いを繰り広げていた。事の発端は昨日の予告通りビリーが狩りに向けて準備をしていた所に、瑞樹が「俺も行きたい」と突然言い始めたからである。
「駄目だ」
「どうしても駄目ですか……?」
「駄~目~だ。お前に思う所があるのは分かっけど、流石に危険だっての」
ひとまず瑞樹の行く当てが出来るまでの間は居候しても良いと、家主から許可を頂いた事もあり瑞樹としても何か自分にも手伝える事があれば、そんな申し訳なさから来た言動なのだろう。
しかし瑞樹の意図を察せたとしても、ビリーが簡単に首を縦に触れないのには理由がある。それが先程ビリーが言った通り『危険』だからに尽きる。素人だからというのも然る事ながら、狩る対象は俗に言う魔物で、例え野生生物の延長線上だとしてもそれと比べれば賢しく強い。故に本来からすればビリーの方が道理が合っている。
「俺も自分でお金を稼がないと申し訳が……」
「そりゃ分かるがなぁ。わざわざ無理して付いてこなくたって他に食い扶持はあんだろ、例えば酒場の給仕とか」
頑として首を縦に振らないビリーに対して、瑞樹は不満そうに口をへの字にする。ビリーの言葉は悉く正論で反論の余地が無く、だからこそ瑞樹も頑なになってしまったようで、ここぞという時のとっておきを見舞うべくそっとビリーに近付いた。
「どうしても駄目ですか?」
「しつこい。駄目なものはだめって……えぇっ!?」
ちらりと瑞樹の方に視線を送ったビリーは何故か突然狼狽し、視線を泳がせる。この時瑞樹が行なっていたのは単なる上目遣い、しかし同性だからこそ分かるツボを的確に刺激する様はまさにとっておき。さらにビリーは見た目の割に癖に存外ウブな節がある、恐らくそれ理解して実践しているのは中々に性が悪い。過去の経験を踏まえつつ敢えて自身の長所で以て攻めるのは、様々な荒波に揉まれて得た一つの武器と言えるだろう。
「ぐぅぅっ、分かった、分かったよ! だからこっち見んな!」
こうしてビリーは瑞樹のとっておきにあえなく陥落、晴れて同行の許可を得たのであった。
その後ビリーは途中だった身支度を再開。簡素な革鎧を着込み腰に剣を下げ準備は完了、その足で向かったのは近くの武具屋だった。流石に丸腰はマズいと瑞樹に買い与えたのは刃渡り両手大程の短剣で、そこまで高額な物でも無いのだが「ったく。余計な出費だ」とビリーの口からブツブツ小言が滲み出ており、瑞樹は謝辞を述べつつ甘んじて小言も頂戴した。
「着いたぞ。ここが目的地の森だ」
そこは王都側へ三十分程歩いた場所でビリーの言葉通り眼前には木々が生い茂っているのだが、この世界に来て初めて見た光景のような既視感を抱いたのか、瑞樹の眉間には浅くない皺が刻まれていた。
「おい瑞樹、もう一回言っとくけど俺の言うことに絶対従うように。それと勝手な行動は絶対に無し。今日は見ているだけで良いから、もし何かあったら自分の身を一番に考えろ。良いな?」
「分かってます。迷惑は掛けません」
「なら良い。はぐれないようにちゃんと付いて来いよ? もし探し回る羽目になったら後でぶん殴るからな」
言葉こそ強いもののやはり気に掛けているらしく、端々に感じる優しさに感謝しながら瑞樹は先を行くビリーの背中をピッタリ追っていく。それからおよそ十分少々、前後左右手入れのされていない木々に囲まれた所で、瑞樹はふと「そういえば今日は何を目標に?」と問いかける。
「あぁ、暴猪だ」
曰く、ぱっと見は猪と大差無いが牙がとても発達しており、油断していると経験者でも死ぬ可能性もある危険な魔物で、危険性を物語るように毎年数名の被害者が出ている。そして目撃情報こそ少ないものの人の身長をゆうに超える大型の個体が確認されているとの事で、無理を言って付いて来たとしても恐怖が否応無しに湧いて出てくるらしく、瑞樹は震える腕を手で摩って自らを鼓舞するよう努めた。
それからさらに一時間程草木を掻き分けながら森の中を進んでいると、先行していたビリーの動きが突然止まり、屈みながら手で瑞樹にも促した。ビリーが静かにするよう唇に手を当てつつ、ある一点を指を指し瑞樹も恐る恐るそちらの方に視線を送ってみると、そこには人の膝程の雑草に紛れてしまうような大きさの暴猪が右往左往するようにガサガサ音を立てながら動き回っている。
「お前はここで静かにしてろよ」
「はい。気を付けてください」
視線の先に居るそれを獲物と定めたビリーは、腰に下げていた剣を抜きながらゆっくりと近付きつつ背後へ回る。そして暴猪が一瞬首を下げて動きを止めた瞬間、ビリーが好機と一気に飛び出しのしかかるような形で首と胴体の付け根に深々と剣を刺す。恐らく致命傷となっただろうがそこは魔物、辺りに血を撒き散らしながらも抵抗する様は野生生物と比べても激しく、最期はブキィィッッ!!と断末魔を響き渡らせた。
「……ふぅ、まぁこんなもんか」
チョイチョイとビリーに手招きされた瑞樹は、恐る恐るやけに周囲を気にしながら近付き、ほんのつい先程まで生きていたそれと対面する。
「話に聞いていたよりは小さいですね」
「あぁ、多分子供だろうな。もうちょっと成長すれば食い応えがあるんだろうが……ってさっきからお前何そんなにキョロキョロしてんだ?」
怪訝そうに問いかけるビリーだが瑞樹からの返答は無い。しかし聞こえていない訳でも無くわざとでも無い、それを物語るように瑞樹の表情から余裕の無さが見て取れた。先だっての件もあり、もしや血を見たからかと「調子悪いならそこらに座ってたらどうだ?」と身を案じたのも束の間、瑞樹が先程から感じていたであろう嫌な気配の正体が突如姿を現した。
「……っ! 危ない!」
「なっ!? ぐあぁっ!」
ドタドタと地響きを上げながら草木を踏みつぶし、二人に向かって突撃してきたのはビリーも触れていた大型の個体そのもので、明らかに怒り狂っている様を見るに恐らく小さな個体の親だろう。辛くも瑞樹の機転によって倒れ込むように回避、ビリー共々直撃は免れたものの避ける際に大きく発達した牙がビリーの右足に引っかかったらしく、ふくらはぎが裂け苦悶の表情を浮かべている。
出血は最早応急処置でどうにか出来る状態では無く一刻も早く医者に見せる必要性があるが、ビリーを抱えて森を出るにはまず時間が掛かるし、何より激昂している親個体を何とかしなければ逃げる事すらままならない。
「ぉい……早く俺を置いて逃げろ…どのみちもう俺は助からねぇ……」
「……いや……嫌です! そんな事出来る筈無い!」
「俺の言うことに従うって言ったろ……! 良いから早く奴が戻ってくる前に……」
「それでも……俺はもう誰かを喪うなんて耐えられない! 今度こそ……絶対に──」
『──死なせない! 助けるんだ!』
もう二度とあんな思いは御免だと力強い決意とは裏腹に、どうしようもない現状に不安と恐怖が心の奥底から吹き上がっているらしく、瑞樹は吐き気に苛まれる。もしいよいよとなればこの身を盾にして、そんな風に考えたのかビリーと親個体との間に割って入ったまさにその時──
──ウタエ
その声は瑞樹とビリーが初めて出逢った時にも聞こえたものと同じだったようだが、今何の意味があるのかと不快そうに顔を顰める。しかし現状まるで手がないのも事実。意味を考える時間を秤に乗せる手間すら惜しく、事実親個体は二人まとめて息の根を止めるべく鼻息を荒くしながら迫っているとなれば、頭に響く声に従わざるを得なかった。
すると声の主の仕業なのか頭の中に詞がどんどんと浮かんで来たらしく、怪訝そうにしながらも詞を声に乗せた。詞に込められた想いは雄々しく雄大、さながら天父神に背中を押されているかのよう。初めこそ細々としていた瑞樹の歌声はかつてない程勇ましく、そこに居るのは一人の男である。
心の底から湧き上がる勇気はいつしか瑞樹の身体にも影響を与えており、身体は羽のように軽く思考も冴え渡る。初めこそ瑞樹も困惑した様子だったものの即座に切り替えると、ビリーが落とした剣を拾い親個体に相対する。
「……来い、化け物!」
激昂しているとはいえやはりここまで大きくなった個体となればそれなりに賢しいらしく、つい先程まで単なる獲物だった存在が異常とも言える変質を遂げれば相応に警戒していたが、瑞樹の掛け声によっていよいよ火蓋が切られる。
──ブオォォォッッ!
「おおぉらあぁぁ!」
親個体の突進を躱した瑞樹はその力を利用するように剣を突き立てる。すると回避も減速も間に合わなかった親個体の前足に深々と突き刺さり、転がるように倒れた巨体は轟音を伴いながら草木を薙ぎ倒す。それでも親個体は立とうと踏ん張るが、力を入れれば入れる程傷口から血が噴き出し思うように立てないようだ。
しかし瑞樹も無傷とはいかなかった。突進を避けつつ剣を突き立てたとはいえ、人体を簡単に抉ってしまう程の破壊力は瑞樹の両手の皮を完全にずる剥けさせ、血が滴り落ちていた。だが不思議と痛みは感じ無かったらしく再び剣を握ると、止めを刺す為に歩み寄る。親個体も必死に巨体を暴れさせて抵抗するが──
『──死ね』
おぞましさすら覚える不気味な笑みを浮かべる瑞樹が一言そう発した瞬間、激しく暴れていた巨体が石のように固まり、ピクリとも動かなくなった。何が起きたのか瑞樹も疑問に思ったようだが、そんな事はどうでも良いと身体をユラユラ揺れ動かしながら近付き、物言わぬ親個体の喉元を抜いた剣で何度も突き刺した。
噴き出す鮮血に自身も赤く染まった瑞樹はひとしきり突き刺した後親個体を一瞥、余韻に浸ることも無くフラフラとビリーの元へ駆けだそうとしたが、突如両手に激痛が走り「いぃってぇぇっ!」と大声で悲鳴を上げる。
気を抜けば転げ回りそうになるほど激痛だったようだが、それでもと涙を流し歯を食いしばって耐えビリーの方へ向かったものの、一目見て分かる程衰弱しており意識も朦朧としていた。
「ビリー! なぁ大丈夫か!? 返事してくれよ、おい!」
「……ぅ、ぁ」
早く何とかしなければと思考をフルに使っても、痛みや焦りで濁る脳内ではまともな考えすら出来ない。刻一刻と迫る死に対し瑞樹の出した答えは、最早神頼みしか残されていなかった。平生ならば自身が死に瀕したとしても到底あり得ない、それ程瑞樹にとってビリーという存在は何を以てしても助けたい。そういう存在になっていたようである。
「お願いします神様……! 俺が出来る事なら、何だってするから!」
恐らく瑞樹も愚かな事だと理解はしている。それでも瑞樹は祈り続ける、神に。そして──
──ウタエ
祈りが届いたのか、再び瑞樹にあの声が聞こえた。今ばかりは瑞樹も迷う素振りすら見せず、これ以上ない程素直に受け入れると『絶対に死なせないから』とビリーに微笑む。
頭の中に浮かぶ詞を歌に変えて、願うは救済の福音ただ一つ。優しく包み込み慈しむ歌は何処となく温かさを感じさせ、さながら地母神に抱擁をされているかのようだった。
すると夥しい血を流していた傷口が立ち所に癒えていき、蒼白な顔も少しずつ赤みを帯びていく。さらには瑞樹の両手の傷も治っており、瑞樹はまるで魔法だと訝しそうに自身の手を見つめた。
「な、何で俺こんな事……? いやそんな事よりビリーは!?」
瑞樹がハッとした様子でビリーの顔に視線を戻すと、先程まで完全に閉じていた瞼が薄く開き「……うぅん、あれ、なんで俺……?」とぼんやりした口調で囁いた。
「あは……良かった……生きてた……」
思わずビリーを抱きしめる瑞樹だが、黒く変色した血に染まった姿ですすり泣く様は意識を戻したビリーにとって刺激が強かったらしく、肩をビクリ跳ね上げて驚いていた。
「お前……逃げろって言わなかったか?」
「それでも……俺は置いて逃げるなんて出来なかった」
かつて多くの命を奪ったであろう大型の暴猪は物言わぬ躯と化し、瑞樹は血濡れた姿で一抹の恐怖を覚える程不気味な雰囲気を出している。ビリーもこれらの状況からそう時間を掛けず推論を出したようだが、命令を無視した瑞樹とどう接したものか。ひとまず泣き止ませる為に暫く瑞樹の頭を撫で続けた。
「なぁ。一応聞いとくがあれは……お前がやったのか?」
「……多分」
「多分ってなぁ……お前が覚えてないでどうすんだよ。それとも何だ? 誰かが助けてくれたってか」
「いや、何と言うか……俺がやったのは間違い無いんだろうけど、とにかく助けなきゃって一心だったからどうやったのかあんまり覚えてなくて……」
「何だそりゃ……」
要領の得ない答えに嘆息を漏らすビリーは、今問い詰めても仕方無いかと視線をチラリと親個体の方に視線を向け「あれ、どうすっかなぁ……」とどうにも困った様子で呟く。
「あれ? あぁ~……置いていくしか無いんじゃ?」
「いやぁ流石に勿体無いねぇよ。……仕方ねぇ、取り分は減るけどギルドに戻って運搬の依頼でも出すか」
そう言いながら立ち上がろうとするビリーだが流石に万全とはいかないらしく、立ち眩みのようにガクッと膝を折ると瑞樹は心配そうに身体を抑える。
「まだ休んでいた方が良いんじゃ……」
「いや大丈夫だ。……けどまぁそうだな、肩は貸してもらうとするか」
チラリと視線を送りビリーの瞳には喜色満面な笑みを浮かべる瑞樹の顔が映っていた。こうして二人は互いに肩を掛け合いながら帰路へと着いたのだがその道中──
「なぁ瑞樹」
「うん?」
「その、何だ……まぁあれだ。今日は助かった、本当に感謝してる。ありがとな」
「……! あぁ、こっちこそありがとう」
「へっ、何だそりゃ。意味分かんねぇよ」
──と、かなり危険な状況に遭遇したものの二人の距離が近づいたのは怪我の功名だろう。