2-11 新しい日常
女の子を愛でたい、愛でたくない?
まだ薄暗く、ようやく太陽が出始めた頃に瑞樹は違和感を感じて目が覚める。何故か見知らぬ寝息が聞こえる、ビリーが寝ぼけて部屋を間違えたのかなと、薄く目を開けて確認すると、そこには少女がすうすうと寝息を立てていた。あぁそういえばと、瑞樹は寝惚け眼を擦りながら昨日の事を漸く思い出す。
少女の名前はノルン。エレナ嬢よりも小さく少し暗い栗色の髪、可愛らしいまるっとした顔はずっと見ていても瑞樹の心を捉えて離さない。…そういえば歳はいくつ何だろうか後で聞いてみよう、心の中でそう呟きながら瑞樹は漸く少し潤いが戻ったノルンの髪に触り、優しく撫でる。親が子を持つってこんな気持ちなのかなと瑞樹は心の中で沸き立つこの子への愛おしさを噛み締める。そのまま撫でているとノルンが薄く目を開ける、どうやら起こしてしまったようだ。
「んぅ、…ご主人様…おはようございます…」
「ごめんね起こしちゃって、まだ起きるには早い
からもう少し寝てて良いよ」
「ふぁい…お休みなさい…ご主人様…」
すぅすぅと再び寝息をたてるノルン、しかし
無意識にご主人様と言ってしまう程教育されて生きてきたんだろうなと思うと、瑞樹は悲しさや怒りを混ぜた不快な気分になる。自分はそんな事しない、健やかに育ててあげたいと今一度自分の想いを確認して、瑞樹は再び瞼を閉じる。
窓から日差しが確認出来る時間に、ノルンは違和感を感じて目を覚ます。日の光なぞ入る筈の無い地下で糞尿の臭いがする藁で寝ている筈、何より自分の近くで誰かの寝息が聞こえる。恐る恐るノルンが瞼を開くと、私はこのご主人様に…いえ瑞樹姉さんに引き取って頂いたのだとノルンは漸く昨日の事を思い出す。さらさらな長い髪、綺麗なお顔、女性と見間違う程の身体。そしてとても優しい、私はこの人に拾われてとても幸運だったとノルンは心の中で瑞樹の肢体と感謝の言葉を反芻している。この人にずっとお仕えしたい、ノルンがそう思った時に、ふと一つ疑問が頭を過る。そういえばもう朝だけど起こした方が良いのか、でもまだ寝ているし無理起こして怒らせてしまってはと思うと、ノルンの身体が恐怖でぶるりと震える。もし、怒らせて捨てられてしまったらどうしようと。悶々とノルンが悩んでいると、瑞樹が漸く目を覚ます。
「んぁ…あぁ、おはようノルン。良く眠れた?」
「は、はい!おはようございます!ご主人様、
起こしてしまって申し訳ありません!」
ガバッと起きるなりいきなり頭を下げて謝りだすノルンに、瑞樹は一体何事かと呆気に取られるが、回転がまだ鈍い頭をガンガンと叩いて瑞樹は女声で優しく窘める。
「ほらノルンまだ寝惚けているの?私は怒ってないから頭を上げて?それに口調と呼び方、昨日言ったでしょ?」
瑞樹がそう言うものの、ノルンはそれでもばつが悪そうに視線を泳がせていた。瑞樹は少しだけ肩を竦めると、ノルンを抱き寄せて頭を撫でる、そうすると少しずつ落ち着いてくれる。昨日ずっと観察していた甲斐があったと瑞樹は心の中でガッツポーズを繰り出していた。
「ノルンは少し考えが悲観的過ぎるかな?大丈夫だよ、私はこんな事で怒ったりしないから。むしろ起こしてくれてありがとう…それよりも朝ご飯を食べに行こうよ。ノルン、ビリーを起こして来てくれる?」
「はい!分かりました」
命令される事に安心を感じてしまうノルンに、瑞樹は一抹の不安を覚える。今まではそう生きてきたかもしれないが、これからはそうはさせない。これでもかって甘やかしてやるからなと、瑞樹が変な事を決心しているとノルンが戻ってきた。傍らにはビリーもいたので下の酒場へ向かう。
下は冒険者や宿泊客が依頼の受注なり朝食なり各々の用事を済ませようと少し混雑していたが、瑞樹達も空いていたテーブルに座りいつもの朝食セットを頼む。それから少し経ち、朝食も半ばといった所でギルドマスターが瑞樹達の方へ近づいて来る。
「やぁおはようさん、今日はお前さん達にしては早いじゃないか」
「おはようございます、今日はノルンが起こしてくれましてね、お陰で規則正しい生活が送れそうですよ」
「ははっ、良い子じゃないか」
そう言ってギルドマスターはワシャワシャと少し乱暴気味にノルンの頭を撫でる、力加減が強いらしく頭がグワングワンと揺れてアワアワしている。可愛いけどもっと優しく扱ってほしいものだと思う瑞樹をよそに、ギルドマスターは本題に入る。
「実はあんた達に頼みがあって来たんだよ」
「頼みって事は何かしらの依頼ですか?」
「察しが良いね、あんた達が休暇でここに来ているのは分かっているんだけど、ね」
悪いと自身でも思っているらしく、ギルドマスターにしては歯切れが悪い。瑞樹が固い黒パンを口に咥えながらビリーに目配せすると、瑞樹の胸中が伝わったようで、ビリーはこくりと頷いてくれた。依頼を受ける受けないは別にして、まずは話しを聞いてみる事にする。
「ちなみにその依頼ってのはなんなんだ?」
「ゴブリンの討伐さ、本来はこういうのは頼まないんだけど、今回依頼を受注したのはまだ新米でね。ゴブリンの戦闘に慣れていない奴らだけで無駄死にさせる訳には行かないのさ」
「話しは分かるけど俺達もゴブリンに慣れている訳じゃないぞ?俺はともかく、瑞樹なんかはここに来る道中に初めて出くわしたんだからな」
「それは承知の上さ、それにあたしが借りたいのは実の所…そっちさ」
そう言ってギルドマスターが指を指したのは、我関せずといった表情でご飯を食べているシルバだった。曰く、シルバーウルフはゴブリンにとって天敵らしい。何故ならばゴブリンは待ち伏せや罠を主として狩りを行なうのだが、シルバーウルフの嗅覚や聴覚にかかっては何の意味を成さない。故にゴブリン討伐のお供には最適という訳だ。
「そんな訳で最悪その子だけでも良いんだけどねぇ」
「俺は今日は駄目だ、この子の着替えやら何やらを買ってやらなきゃならないし」
「つってもなぁ、どっちかいないとコイツ言う事聞かないだろ。…仕方ねぇ、俺が行くわ」
ビリーも瑞樹に負けず劣らずの面倒事を避けて通りたいタイプだが、その珍しい対応に思わず瑞樹も目を丸くする。
「良いのか?」
「良いのかって、お前行く気無いなら仕方ないだろ。それに少し身体が鈍ってきた気がするしな、運動には丁度良いさ。でも俺武器は自前のがあるけど、防具は何も持ってきてないぞ?」
その目付きは紛れも無く狩りをする時の目で、ビリーの本気具合が伺える。瑞樹もこれ以上は言うまいと、黙々と口の中で黒パンを咀嚼する。
「それならあたしが防具一式用意しておくよう
武具屋に話しをしておくよ。それで良いかい?」
「あぁ良いぜ、後詳しい事はメシ食ってからだな」
「そうだね、あたしも準備しておくよ」
依頼を受けたビリーとお供のシルバは早々と朝食を終え、準備に向かおうと席を立つが、瑞樹がちょっと待てと止める。
「じゃあビリー、俺達はこのまま買い物に出掛けるから後は頼むな、無茶はするなよ。シルバもしっかりみんなを守ってあげてね」
「お前じゃあるまいし無茶なんかするかよ。せいぜいそいつを構ってやれば良いさ」
そう言ってビリーとシルバは自室の方へ向かい準備を始める。それを見送った後、瑞樹とノルンも外へ買い物に出かける。一番の目的は服だ。
今日も快晴で日差しが眩しい、ノルンはというと辺りを見回してオドオドしていた。初めて見るであろう景色に落ち着かないのも無理は無いと、瑞樹は思っていたが少しばかり違うようて、ふと周りを見ると何となく視線を感じる。その視線の先は十中八九ノルンで、少女が大人の肌着を一枚着て出歩けば嫌でも見てしまう。視線に敏感なノルンがオドオドしているのはそれが原因かと、瑞樹は悪い事したなと心の中で謝りつつ、ノルンの気分を伺う。
「ノルン大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です。こんなに日の高い時に外にいるのは随分と久し振りで、初めて見るのもいっぱいありますしなんというか、驚きで胸がいっぱいです」
その目はオドオドしながらも、力強く輝いていた。自分の目で見て感じる、その様子を心配は杞憂だったと瑞樹は目を細めながら見守っていた。ノルンに合わせてゆっくりと目的の場所へ向かう。そこは大通りを少し歩いた所にある服屋で、ギルドマスターからオススメされたお店だ。
「いらっしゃいませ」
当前の事だが見渡す限り服だらけで、瑞樹は自身の服は徹底して選別するが他人の服となるといまいちセンスが悪い。折角だから似合っている物を買ってあげたい、という訳でその道のプロである店員さんに瑞樹は丸投げにする。
「すみません、この子に似合う服と肌着を五着、予算はこれくらいでお願いします」
「はいかしこまりました、ではこちらへどうぞ」
ノルンは店員に連れられて試着室の方へと向かう。瑞樹はその間何もする事が無いので、様々な服に妄想を膨らませながら暫く待つ。
待つ事一時間程、自分が選んでいる時は全然苦にならないが、待つだけというのはなかなか疲労する。瑞樹が暇を持て余していると、漸く二人が試着室から出てくる。
「お待たせしましたお客様」
「すみません瑞樹姉さん、随分と待たせてしまいました」
「良いよ大丈夫、それよりも良い服は見つかった?」
「はい、私には良く分かりませんがこの方が選んでくれた物は全て素敵でした」
「そっか、それは良かったね」
瑞樹が頭を撫でるとノルンはニヘラと笑みを返す。青を基調としたチェック柄の新しい服に身を包み、くるくるひらひらと回りながら喜ぶ様ノルンはとても可愛らしい。ただ、時折ノルンの視線は別の方向へ向いていた。視線の先には真っ白でスカート部にワンポイントの刺繍が入っている、それはもう素晴らしいワンピースがそこにはあった。気付いた瑞樹はノルンに問いかけていると、店員も気付いたのか目をキラリと輝かせて瞬時に近づいてくる。
「ノルン、それも欲しい?買おうか?」
「あら、お客様お目が高いですね。それも人気商品なんですけど少しお値段が高いので除外していたのですが如何ですか?」
「い、いえこんなにいっぱい買っていただいただけでも心苦しいのに、これ以上は申し訳が無いです…」
「ノルン?そういうの気にしちゃ駄目って言ったでしょ?貴方はもう少しワガママを言った方が良いよ?」
瑞樹はしゅんと俯くノルンの視線に合わせてしゃがむ。子供と話す時は視線を合わせた方が良いという雑な知識からそう行動し、じっと目を見つめる。ノルンは目を泳がせていたが、ついに観念して瑞樹の方を見る。
「あの、瑞樹姉さん…」
「うん、なぁに?」
「私はあの服が欲しいです…」
顔を真っ赤にして申し訳無さそうに言うノルンを、瑞樹は再び頭を撫でてあげる。漸く子供らしく我が儘を言ってくれた、それだけで瑞樹は胸が一杯になる程嬉しかった。
「そっか、じゃあ買おうね。よしよし、良く言えたね、偉い偉い。じゃあ店員さん、それもお願いします」
「はいかしこまりました、それにしても随分と仲良しなのですね。失礼ですけど余り似ていませんけどご兄弟なのですか?」
「えぇ、血は繋がってはいませんけど私の大切な家族です」
万感の想いが込められた言葉に、思わず店員も目を細める。
「そうですか、素敵なご家族ですね。ではお代をお願いします、ところで商品はどうしますか?もしよろしければ宿の方へ配達致しますよ」
「それはありがたいです、ぜひお願いします」
願ってもない提案に、瑞樹は即座に快諾する。配達料は多く買ってくれたからサービスしてくれるそうで、なおありがたい。
「お節介ついでですが、その子の靴も新しい物にしては如何ですか?もし必要であれば良い靴屋を紹介しますよ?」
「そう、ですね。お願い出来ますか?」
店員に指摘され、瑞樹はちらりと視線を移すと確かにノルンの履いている靴はかなりくたびれていて、所々に穴が空いてしまっている。折角服を新調したのだから靴も新しい物にしよう。という訳で二人は予定には無かったが、次は靴屋に向かう事にした。