7-33 雪深い山を越え
町を離れて早数時間。標高が高くなるにつれて根雪も多くなり、さながら寒期を切り取ったような風景がずっと続いている。今年の雪は平年よりも多く降り積もったらしく、根雪が多いという事はつまり山道にも未だ大量の雪が残っている事に他ならない。普通ならばさっさと諦めるか、もしくは雪処理の為だけに火属性の魔導士を雇うのが一般的だが、偶然か必然かフレイヤの魔法のお陰で支障なく移動出来ている。
「ほら終わったわよ。全く」
「……たびたび申し訳ありません」
何度目か数えるのも億劫になる程乗降を繰り返し、魔法で雪を溶かしながら道を切り開いたフレイヤ。勿論フレイヤ程の魔導士ともなれば雪を解かすなど造作も無く、魔力や体力の消費も大した事はないらしい。しかしながら、フレイヤがいまいち不愉快そうな表情を浮かべているのは別の理由があるらしい。
「しっかし、この雪深さを想定していなかったなんて、一人旅が聞いて呆れるわ。こんなの一人の力でどかそうもんなら、それこそ道半ばで死んでるわよ? 付いてきて本当に良かったわ」
いくら平年よりも雪深いとはいえ、人一人の力で除雪しながら進むのはだれがどう考えても無謀でしかない。そんな瑞樹の行き当たりばったりな計画に、フレイヤは腹正しさを覚えているようだ。結局この日は野営になるまで何度も同じような光景が繰り広げられる羽目となる。
「いやぁ、季節も変わってる筈なのに随分と冷えるわねぇ。さっさと山越えしないと寒くて堪らないわ。……ノルン、こっちおいで?」
木々が生い茂り、星の光があまり届かない深い森の中は、当然人の気配も無く獣の気配すら感じられない。まるで生物が自分達だけになったような、何処か寂しさを感じる雰囲気。そんな雰囲気が関係しているかはともかくフレイヤはすっかり味を占めたのか、あの宿での酒盛り以来度々こうしてノルンを呼びつけては湯たんぽ替わりにしている。
「フレイヤ様、あんまりノルンを困らせないでくださいね?」
「ちょっとぉ、あたしが無理強いしてるみたいな言い方は止めてよね。ノルンだってあたしにくっついていた方が温かくて気持ち良いでしょ?」
「はい、とっても温かいです」
ノルンが顔を上げながら笑顔で答えると、フレイヤはフフンと鼻を鳴らし「でしょお? 気にしないでもっとくっついて良いからね」と満足げにギュッと抱き締めた。そんな光景を何とも言えない様子で見つめている瑞樹の視線に気が付いたフレイヤは、ムフフと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なぁに、嫉妬しちゃってる訳? あんたも負けじとビリーに抱き着けば? あたし達の事は気にしないでさ」
ニヤニヤと笑いながらそう話すと、ビリーと瑞樹は揃って飲んでいたお茶を吹き出し、ゲホゲホと咳込んだ。
「そんな事する筈ないでしょう!? 冗談も程々にしてください。……私はもう横になります」
若干気恥ずかしそうにそそくさと荷台に瑞樹が消えていくと、ビリーとノルンはじっとりとした視線でフレイヤを見つめた。
「ちょっとからかい過ぎちゃったかな?」
流石に悪いと思ったのか、タハハと申し訳無さそうにフレイヤが笑みを零すと、ビリーは「……分かっていらっしゃるのであれば、あんまりからかうのは控えて頂きたいです」と苦言を呈した。
「はいはい分かったわ、悪かったわよ。……それにしても何かこう、いつも以上に反応が過敏というか何というか、変じゃなかった?」
「う~ん……確かに意識しているような、そんな風に見えました。もしかして兄さん、何かありました?」
二人に視線を向けられたビリー。そこで知らぬ存ぜぬをしれっと決め込む事が出来れば良かったのだろうがやはりビリーはビリーと言うべきか、「いや……その……」としどろもどろになってしまい、これは何かあったと付け込む隙を与えてしまう。
「何よ、はっきり言いなさい。……もしかして、もう手を出したとか……?」
「えぇ!? 本当ですか兄さん、まさか先を越されるなって……!」
二人の脳内で繰り広げられる妄想はビリーが想像している以上に突飛で過激らしく、顔を青くさせたり赤くさせたり忙しく変化させている。このままでは余計に拗れてしまう。そんな風に思ったビリーは「違います!」とハッキリ否定した後、フゥと小さく溜め息を吐いてからさらに続けた。
「実は……あいつに告白したんですよ」
「それ本当……!? い、いつ!?」
「昨日の酒盛りの時、瑞樹を探しに行きましたよね? あの時です」
「……そういえば、随分と還って来るのが遅いなぁとは思っていましたけど……まさか兄さんにそんな根性があっただなんて……」
絶対に無いだろうという確信を持っていた筈の選択肢がまさかの正解である事に、ノルンは驚愕の表情を浮かべながら肩をわなわなと震わせた。流石にビリーもムッとしたらしく「引っ叩くぞノルン」と眉間に皺を寄せると、フレイヤは「そんな事より、結果は!? ねぇ結果は!?」と語気を強めながら問いただす。
「断られましたよ。これ以上無いくらいバッサリと」
「……何で? 見ている感じだと瑞樹も満更じゃないような気がしたけど」
「俺には、いずれちゃんと女性を好きになって、家庭を築いて欲しいんだそうです」
達観しながらも何処か寂し気に話すビリーの言葉に、ノルンは思う所があるらしく小さくあっと声を上げた。ノルンの頭にはどうやら瑞樹と出逢った時の事が浮かんでいるらしい。あの時の瑞樹も、ノルンの何故私を抱かないのかという質問に対し、同じように答えている。その時の光景と重なったのだろう。
「それで、ビリーは簡単に諦めちゃったって訳?」
「フッ、誰も諦めたなんて言ってませんよ。俺も結構独占欲が強い方みたいですから、一生付き纏ってやるって宣言してやりました」
ビリーの顔は先程とは違い、覚悟を決めたようなすっきりとした面持ちとなっていた。その様子にフレイヤは「何よそれ、本当にあんた達って変ね」と肩を竦めた後、「まっ、それも良いんじゃない?」と微笑みをビリーに向ける。二人にしか分からない繋がり方があるのなら、それでも良いだろう。フレイヤの気持ちがノルンにも伝わったらしく「そうですね、フレイヤ様」と告げながらこくりと頷いた。
流石に雪の残る寒空の下でテントを張って眠るのはよろしくないと、フレイヤ達は荷台の木箱をなるべく平らに並べ、その上にクッション代わりの布を敷いて横になった。四人で眠るには随分と手狭だが、体調を崩すよりはマシだろうと我慢して過ごす。
そんな窮屈な夜を数日過ごし、瑞樹達は漸く山を越えた。遠目には以前調査した時からまるで復興の兆しを感じられない町が見える。馬車の小窓から顔を出し、町の様子を伺う瑞樹とフレイヤは特に残念そうにじっと見つめ、眉尻を下げた。
「あれから一年以上経っている筈なのに……まるで変化がありませんね」
「……そうね。ここは山越えの要衝だから多少なりとも人が居るかなって思ったけど。……? 瑞樹、馬車を停めさせて」
何かに感づいたのか、フレイヤは瑞樹にそう指示すると荷台にある自身の荷物を漁り始めた。疑問に思いながらも瑞樹は馬車の壁を叩き、停車を促した。
「フレイヤ様、馬車は停めてもらいましたけど一体何が? そもそも今は何をしているのですか?」
瑞樹の問いかけに「ん~? ちょっと待って。確かここに……」と荷物を漁り続け、それから程無くして目的の物を見つけたらしく「あったあった、やっと見つけたわ」と何かを手にした。
「それは、望遠鏡ですか?」
「あら、良く知ってるわね。国王陛下の私物をこっそり拝借して来たのよ、何かに役立つと思ってね」
献上品らしい華美な装飾が施された筒状のそれは、未だ平民や貴族にすら普及していない望遠鏡だった。そんな物をくすねて来て良いのか、瑞樹も甚だ疑問に思ったようだが、それはさておきとフレイヤは側面の幌を開け、上半身ごと外へ出しながら望遠鏡ごしに町を覗く。
「それで、何か見えましたか?」
瑞樹が声を掛けると、フレイヤは面倒くさそうに小さく溜め息を吐いた後「うん、ばっちり。あれはゴブリンね、それも結構な数だわ」と告げた。どうやら廃墟となった町にゴブリンが住み着いてしまったらしく、それはつまり復興どころか人通りすら無い事を示している。
「ゴブリン!? いくら復興されていないとはいえ多少なりとも人の往来がある筈では?」
「普通ならね。本来ここを通るような商隊は護衛として冒険者やら何やらを雇うのよ。その時にああいう魔物を掃除するんだけど、偶然あたし達がいの一番に訪れちゃったって訳」
世の為人の為という崇高な精神では無く、あくまで自分達の安全を確保する為、または他の商人に対する互助精神的な意味合いが強いらしい。ただ、今年の雪は平年よりも深く他の誰かが山越えをした形跡も無かった為に、その役目を瑞樹達が負う羽目になったのである。
「それで、どうしますフレイヤ様?」
「愚問よ瑞樹、目の前の障害は全て叩き潰すわ」
「……やっぱり、そうなりますよね」
ハァと溜め息を吐く瑞樹と裏腹に、フレイヤは久し振りに身体を動かせるのが余程嬉しいのか、とても上機嫌な様子で身体を解し始めた。




