7-24 見届ける
「──と、言う訳で、私は当面の間一人で旅に出ます」
瑞樹は屋敷に戻った直後、メウェンから受けた罰を遂行するべく一階の客間に従者全員とエレナを呼び集め、事の顛末と今後について語った。ただ、旅の内容の根幹である魔神は国の最重要機密。特例中の特例で知らされたメウェンとは違い、瑞樹としても巻き込むのは望んでいないようなのでその辺りはぼかしていた。そのせいで一人で旅に出る理由がぼやけてしまい、当然ながら皆は口々に不満を漏らしている。
「瑞樹様、私共従者は主の命とあらば従うのみ。ですが……そのご説明では納得致しかねます」
「アンジェの言う通りですわ。それに、私にも話せない事なのですか?」
「皆さんにも、エレナお嬢様にも大変申し訳ありませんが、絶対に言えません」
「……それは、誰かから口止めをされているから、それとも何か別の理由があるからですの?」
「どちらもあります。敢えて言うなれば、もし本当の事を話せば絶対に止められるからです」
内容は殆どの者には想像し得なかったようだが、少なくとも止められるような危険な事であるという事は容易に想像がついたらしい。だがそれ以上にこうなってしまった瑞樹は止められないのも皆は痛い程理解している。
止められないのならばせめて、胸が締め付けられるような不安を抑えつつエレナは「必ず帰って来ますわよね……?」と問いかけたが、瑞樹は瞳を閉じて黙したままだった。
「瑞樹様、答えてください……! この際旅の理由も必要ありません、ですがどうか……必ず帰って来るとだけ仰ってください……」
「申し訳ありません、確約出来ません」
「つまり、帰って来ない可能性もある、と?」
「はい、否定は出来ません。ギルバート」
瑞樹の言葉に、ギルバートは諦念を滲ませるようにフルフルと首を横に振り、眉間の皺を指で解す。過去にも瑞樹は自らを危険に晒す選択をし続けていたが、それでも生きて帰って来た。だが今回確約出来ないという事は、つまり死ぬ気なのだと、皆口に出さずともこれまでの経験則で察しがついたようだ。
瑞樹の中にあった潜在的な死への渇望は、いつしか本物の呪いへと変貌していたらしい。優しき従者やエレナ、ビリーやノルンですら上書き出来ない程強く束縛されるものに。だからこそ、エレナは正真正銘最後の手段に出た。恐らく、文字通り全てを賭して瑞樹を止める為に。
「……瑞樹様の翻意が叶わぬのであれば、私はこの場で命を絶たせて頂きますわ」
どうやらエレナの覚悟は本気らしく、立ち上がりながら魔法で作った氷の短剣を首に突きつけ、止めようとする従者を無視して柔肌から鮮血を滲ませる。流石の瑞樹も驚いたらしく一瞬目を剥いたが、落ち着いた様子で立ち上がるとエレナの「近寄らないでください、私は本気ですのよ……!」との忠告を無視して歩み寄り、短剣を握っている手をそっと掴みながらゆっくりと引き離す。
最初こそ抵抗したエレナだったが、怒りや不安といった感情が瞳から溢れる度に力が抜け、遂には握る力すら失せたのか短剣を床に落とすと、そのまま短剣は霧散して消えた。それを見て僅かばかり安心した瑞樹は、癒しの歌でエレナの怪我を治した後、凛とした様子でエレナを見つめる。
「それは……お止めください。私を本当に想って頂けるのであれば、私がお救いしたその命、粗末にしないで頂ければ嬉しいです」
「私に……いつ帰られるかも、帰って来るのかも分からない貴方様を待ち続けろと、そう、仰りたいのですか……!」
「申し訳ありません。……ですが、エレナお嬢様ならばこれからも良き縁が結べると、そう信じております」
「……貴方様は翻意なさらないというのに、私に翻意しろと……本当に、ずるい御方ですわ。生涯をかけて、恨ませて頂きます」
エレナは涙を流しながらも微笑み、瑞樹を見つめた。生涯をかけて瑞樹に寄り添うと決意したエレナだったが、それすら叶わない。ならばせめて皮肉を多分に含ませて愚痴を漏らそう。そんな思いを滲ませた様子で。
もう誰にも瑞樹を縛る事は出来ない。皆にそんな諦念の意を植え付けた話し合いの場はひとまず解散となる。重苦しい雰囲気に影響されているらしく、何処か足取りの重い従者達。そんな中エレナはビリーとノルンを呼び止める。
「何か御用でしょうかエレナお嬢様」
「えぇ少しお話ししたい事があります。瑞樹様、二階の奥の部屋をお借りしてもよろしいですか?」
「え? あぁ私は別段問題ありませんけど、何かありましたか?」
「貴方様には内緒です、存分に悶々となさってくださいな。ではビリー、ノルン参りましょう」
瑞樹に素っ気なく接した事で僅かばかり溜飲が下がったらしいエレナと共に、ビリーとノルンは何だろうと不思議に思いながら防音部屋へと入室した。ノルンが部屋の扉を閉じるとエレナは途端に後ろを振り向き、非常に不満げな様子で唇を尖らせる。
「もう、どうしてあなた方は何も言ってくださらなかったのですか! もしかしたらあなた方なら翻意も叶ったかもわかりませんのに」
「いや、それは多分無理でしょう。俺もそれなりに瑞樹様……あいつとは付き合いが長いですけど、自分がこうと決めたら曲げようとしません。……例え死ぬと分かっているとしても」
「……! ビリー、貴方もしかして瑞樹様の目的が何か知っているのですか?」
ビリーは困った様子で頭を掻きながら「えぇ、まぁ一応」と頷いた。というのもビリーも淫魔とメウェンが話しをしていた時、瑞樹の介抱をしながら聞き耳を立てていたので、恐らくそうだろうなとは察しがついていたようだ。それに加えて今回の不可解な一人旅、瑞樹の親しい者に対する異常な執着心となれば考えられる事はそう多くないだろう。
「非常に興味がありますが、敢えて聞きません。知ったところで私にはもうどうする事もありませんし……」
「あの、ではエレナお嬢様は何故私達を?」
「それはですねノルン、あなた方二人も瑞樹様の旅に同行して欲しいのです」
旅の終着点が何処であろうと、せめてその結末を知りたい。それくらいを知る権利は私にもある筈とエレナは付け加えた。本当は自らも同行したいようだが、いつ帰るかも分からない旅路となれば、当主としても親としてもメウェンが許可を出す筈が無い。そんな危険な度に同行させるのはエレナとしても不本意なようだが、それでも知りたいと苦渋の決断をしたらしい。
「それは御命令でしょうか」
「本当はただのお願いと言いたいところですが、私はお二人が思っている以上に性悪です。必要とあればお父様、メウェン卿から命を引き出させます」
そう言いながらもエレナの眉尻は下がっていた。どうやら命令で人を無理に動かすのは極力避けたい、そんな思いが滲んでいるらしい。自身を性悪と評する割には随分と心優しい、そんな苦笑いを浮かべながらビリーは「その必要はありません」と告げ、さらに続ける。
「どちらにせよ無理矢理付いて行くつもりでしたからね」
「兄さんの言う通りです。例え血が繋がっていなくても、身分が変わったとしても私達は心で繋がった家族なんです。例え姉さんに叩かれてでも無理に付いて行きます」
こうなる事を予期していた節のあるビリーは、事前にノルンと話し合ってそう決めていたらしい。自身を顧みず危険を冒してまで付き添うと決めたその決意に、エレナは何処か羨ましそうに微笑み「私にも家というしがらみが無ければ、進んで参りますのに」と小さく呟く。するとノルンの耳には届いたらしく、苦笑しながら「エレナお嬢様はここで待っていてください。そして瑞樹様と私達の帰りを信じてください」と耳打ちした。
「そう、ですわね。私の未来の旦那様はどんな危険な状況でも帰って来てくださいました。なれば私も信じて待ち続けましょう」
「その意気ですよエレナお嬢様」
「クスッ、ノルンは存外お強いのね。私も見習わなくてはなりません」
「いえそんな、私は泣き虫ですから、エレナお嬢様みたいに賢くも綺麗でもないですし……」
ノルンが慌てふためいた様子で手をバタバタとさせながら否定すると、エレナはノルンの手を自身の両手で包み込みながら優しく微笑む。
「自分をそこまで卑下しなくて良いですわ。貴方の可憐さは私もここ数日で良く知りました。それに、勝手ながら何処か似通った部分もあると思っておりましたのよ?」
失礼の無いようにとエレナの視線と向き合っていたノルンだったが、遂には気恥ずかしさが勝ったらしく「あぅ……光栄です」と小さく呟きながら顔を紅潮させて俯いた。もし関係性が違えば良き友になっていたかもしれない、もしかしたら出自が違えども友と思っているのかもしれない。手を離したエレナと離されたノルンは互いの手の温もりを僅かに名残惜しそうにしつつ、エレナはコホンと一つ咳払いして場の空気を改める。
「お二人の決意は重々理解しましたが、流石にお父様に黙ったままにするのはよろしくありませんので、お父様には私から話しておきます。ひとまずお二人は今後も変わらぬ様子で接してください。瑞樹様はあれでも存外心の機微に聡い時がありますので、くれぐれも気取られぬようお願い致します」
「はい、承知致しました」
こうして秘密の三者会談は終了と相成った。その後、瑞樹にしつこく付き纏われたビリーとノルンだったが、二人の閉ざされた口はある意味瑞樹の意固地さよりも固く破られる事は最後まで無かった。
この時点で季節は冷期、少なくとも半年近くは深い雪で街道の行き来もままならなくなる。瑞樹もその事は知っているので流石に無茶をするつもりは無いらしく、雪解けの時期になるまではジッと力を蓄え、一人でも旅が進められるよう勉学に励んでいた。ビリーとノルンの極秘任務が待ち受けているとも知らずに。