7-22 理由などそれで充分
明朝、瑞樹はメウェン経由で国王陛下への謁見依頼を行なった。エレナは大層渋々な様子だったが、瑞樹に大丈夫だからと窘められてはそれ以上不服を口にするのを憚ったらしい。さておき、謁見依頼は窓口で即座に受理、その日のうちに謁見が決定される。本来であれば数日を要する筈だが、余程待ちかねていたのだろう。
昼下がりの午後、瑞樹とメウェンは城に向かっていた。瑞樹が意識を失っていたおよそ一週間のうちに景色はガラリと変わり、所々に雪が積もっている。瑞樹はまるで時間旅行をしたような、そんな不思議な感覚に浸りながら外を眺めていると、メウェンに呼ばれた。
「どうか致しましたか? メウェン様」
「あぁ、これからの謁見に際して少しな。何故国王陛下が君との謁見を望んでいるか分かるか?」
「例の淫魔が言っていた事に関してでしょうか」
「何だ、聞こえていたのか」
メウェンと淫魔が話していた時、瑞樹は意識の殆どを手放しており、事実その話していた事自体はほぼ覚えていなかったらしい。では何故察しが付くかと言えば、あの夢のような空間での出来事が大きな要因だと思われる。
「聞こえていた、と言うよりかはその……多分、色々あったんだと思います」
「……? 何とも歯切れが悪いようだが、まぁ理解しているなら良いか。ではその件、君はどうするつもりでいる?」
「はい。私の中では既に決めています」
決めているとは、選択肢という意味ではなく覚悟だろう。一部の曇りを感じない言葉からそのように汲み取ったメウェンは「……そうか」と頷き、瑞樹も黙して頷く。二人を乗せた馬車は、城へと着くまでの間重い沈黙が続いた。
城に到着したメウェンと瑞樹は、足早に文官から案内されていた。案内された場所はまたもや謁見の間では無いが、国王陛下の私室でも無い。城の一角にある会議室だった。瑞樹は古龍討伐に関する会議に出席した事がある為然程感じ入る部分は無かったようだが、平生国の舵を決めるであろう場所に立ち入る事はそうそう無い。メウェンも多分に漏れずその一人のようで、表情は何処か緊張しているように固かった。
文官に促され室内に足を踏み入れた二人。中には国王陛下とダールトンを含む側近方、そして何とも場をかき乱しそうな雰囲気のフレイヤの姿があった。
「久しいな瑞樹卿」
「ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした、国王陛下」
「良い。ひとまず座れ」
「はい、承知致しました」
瑞樹はメウェンと共に椅子へと腰を下ろした。するとフレイヤと目が合ったようで彼女は微笑みながら手を振る。瑞樹も小さく会釈で返したのだが、ダールトンに気を緩めるなと言わんばかりに大きく咳払いをされた。その後、ダールトンは傍らに居る国王陛下に目配せし、頷き合ってから瑞樹へと視線を向けた。
「此度の淫魔討伐見事であった。ただ、犠牲者の中にお主と親しい者が居た事は、我々も哀悼の意を表する」
忘れていた訳では無い、ただ考えたく無かった。それはどんどん青ざめていく瑞樹の顔が雄弁に物語っていた。
「ねぇ瑞樹、大丈夫!?」
「……はい、大丈夫ですフレイヤ様……」
「でも、あんたって確か昨日目を覚ましたばかりなんでしょ? やっぱり無理しない方が……」
「いえ、大丈夫です。ただその……あまりその話題に触れないで頂けると幸いです」
心配そうに瑞樹を見つめていたフレイヤは一度ダールトンに視線を向けた。するとダールトンも瑞樹の心の脆弱さを失念していたと申し訳無さそうに頷き、フレイヤが「それなら別に良いけど……じゃあさっさと本題に移りましょうか」と話題を逸らす。
「そうだな。では国王イグレインが問おう。瑞樹卿、お主は魔神の元へ向かうのか?」
「はい」
「恐れながら国王陛下、やはり瑞樹卿の噂は本当ではありませんか? 瑞樹卿がこの世界に来てからというもの、あまりに不可解かつ重大な事が発生し過ぎている。それもこれも瑞樹卿が魔神の手先ならば納得出来ましょう」
さも当然のように瑞樹が返事をすると、一人の老いた側近が国王陛下に上申した。噂の真偽は未だ明らかになっていない。にも関わらず国王陛下の側近という立場がそのような噂を持ち出し、まるで決めつけるような物言いは特にフレイヤの逆鱗を刺激したようで、机を思い切り叩きつけた。
「その発言、冗談で済ませるには度を過ぎているわよ! たかだか噂に踊らされる程、側近連中は愚かになった訳!?」
「これは異な事を仰いますな。たかだか噂と切り捨てるのは容易ですが、出現した淫魔、ひいてはその上の魔神までもが瑞樹卿を目当てとしていたのなら、何らおかしい事ではありませんな。むしろあれ程瑞樹卿を嫌っていたフレイヤ様が彼の者を庇うなど、よもや篭絡された訳ではあるまい?」
「な……!? この六柱が一人にその不遜な物言い、覚悟は出来ているんでしょうね!」
「そちらこそ、たかだか噂如きの為に側近を一人切り捨てたとなれば、口封じと見られてもおかしくありませんぞ? 今や真偽を疑う者は貴族平民問わず多い故一層猜疑心が膨らみ、最悪暴動が起きるでしょうな」
どちらかと言えば先に手が出るタイプのフレイヤにとって、言葉を武器にする交渉巧者はかなり分が悪かったらしく、フレイヤは怒り心頭な様子で腰の剣に手を掛ける。一方の側近達もフレイヤに力では到底叶わないが、ならば数で補わんとダールトン以外の側近達が一斉に立ち上がった。
一触即発、誰かが躯となってもおかしくない状況に、国王陛下が「黙れぃ!」今までに無いような怒気を孕んだ声を上げると、流石に驚いたのかフレイヤと側近達はバッと顔を向けた。
「この場は噂を審議する場であったか申してみよ!」
「……違うわ。今後の指針を決める為」
「なればくだらぬ言い争いなどするで無いわ、愚か者! お主らも噂如きで場を乱しおって、我が側近にそのような愚か者は要らぬ。次は無いと心せよ!」
「……はっ。しかと刻んでおきます故、何卒ご容赦を」
ひとまず最悪の事態は免れた事で、国王陛下は不愉快そうにフンと鼻を鳴らしながらもホッとした様子で瑞樹をちらりと見やり、再び本題へと移った。
「瑞樹卿、お主は魔神の元へと向かい何を為すつもりだ」
国王陛下も噂を信じるつもりは微塵も無いようだが、万が一瑞樹が魔神に取り込まれたとなれば大失態で済めばまだマシな事態になりかねない。だからこそ魔神の元へ赴く理由をはっきりとさせておきたいらしい。そして瑞樹の口から出た答えは「殺す為です」のただ一言のみだった。
神を殺す。いくら相手が忌むべき魔神だとしても、考える事すら憚られるべき事だった。それを事も無げに話す瑞樹を、皆は唖然とした様子で見つめた。
「お……お主は自分が何を口走ったか理解しておるのか!?」
ワナワナと身体を震わせながら指差してそう告げる老いた側近を、瑞樹はじっと見つめながら「はい、重々」と答えた。
「恐れながら国王陛下……! やはりこの者は危険過ぎます。いくら魔神とはいえ神を殺そうなどと口にするだけでも大罪に値しましょうぞ!」
「少し、落ち着け」
「しかし!」
「聞こえなかったのか?」
国王陛下にジロリと睨まれた側近は、ウッと小さく唸りながら「申し訳ありません」と深々と頭を下げた。ただ、国王陛下も実際には困惑していたようで小さく溜め息を吐きながら、再び瑞樹に視線を向ける。
「瑞樹卿、何故そのような結論に至ったのだ?」
「信じてもらえないでしょうが……私は恐らく、神に会い、言葉を交わしました」
「神、だと……!? よもや魔神か!?」
「いえ、違います。私ももう姿かたちや声が思い出せないのですが、言うなれば夢の中のような場所で神にそう言われた気がするのです。魔神を討て、と」
瑞樹の言葉を受け、皆は驚愕の一言に尽きる様子だった。国王陛下の予知魔法すら成し得ない神との対話、もしそれが真実であれば正真正銘の天啓を受けた事になる。ただ、瑞樹が微妙に自信が無さそうなのは、自身が言っている通り自分でも夢の中での出来事だと思っている節があるからだろう。
あれ程感情を揺れ動かし、剥き出しにしたとしても一度目を覚ませば夢幻的だと忘却に至り、そこへ凄まじい激痛に襲われたとなれば痛みに上書きされても不思議では無い。それでもなお魔神を殺す事を覚えているのは、それだけ魔神への恨みが募っているからだろうか。
「神、か。もしかしたらお主ならばあり得るのかもしれぬな」
「国王陛下!? よもやそのような妄言を信じなさるのですか? それこそ出回っている噂、いやそれ以上に信に値しませんぞ!?」
「確かに只の妄言と一笑に付すのは極めて簡単だ。だがな、この者であればもしかしたら、そう思ってしまうのだ。瑞樹卿、その言葉を裏付ける材料はあるのか?」
「ありません、先程申し上げた通り自身でも夢の中の出来事だと思っていますから。ですが神の言葉なんて、正直な所私はどうでも良いんです」
神へのあまりに不遜な物言いに側近方は非常に何かを言いたげな様子だったが、国王陛下に一睨みされて不本意ながらも口を閉ざしていた。
「ふむ、その意図は?」
「あれは……魔神は私の、大切な友人を巻き込み、殺しました……! その恨みだけで動機は十分、私は……絶対に魔神を殺す……!」
瑞樹の顔は修羅のようになっており、歯が砕けんばかりに噛みしめ、握られた拳は肉に爪が深々と刺さり血の涙のような様相となっている。
「……お主の考えは良く分かった。だが、国として魔神云々を公表する訳にもいかぬ。故に何があったとしても瑞樹卿の独断となるが、良いのか?」
「問題ありません」
「後世に神を討った大罪人として名を刻む事になるやもしれんぞ? そうなればお主一人の問題では無くなる。他人を巻き込む覚悟、本当にあるのか」
「……その時は、私一人を悪人に仕立て上げてください。国王陛下であれば容易な筈です」
「あくまで、全てを一人で背負う、か。本当にお主は、愚か者だ」
国王陛下はどうやら、瑞樹に翻意してもらいたかったのかもしれない。神を討つ、恐らく後にも先にも実行出来るのは、歌の神の力を持つ最後の人間、瑞樹ただ一人。だが、その結果はどうあれ代償は恐らく瑞樹そのもの。文字通り死への旅路となるのは疑いの余地すら無かった。
全てを背負ってでも、命を落とそうとも。瑞樹の瞳に覚悟を見たからこそ、馬車の時も現在もメウェンは黙して行く末を見守るのみだった。




