7-19 神との対話
「しかし、あの悪魔の言った事が本当であれば、何故魔神は瑞樹を呼びつけているのでしょう。……やはり古から伝わる魔神と歌の神との関係性が原因でしょうか」
「私もそう考えている。遥か古の魔神と神々との戦争、優勢だった筈の魔神が歌の神の力によって敗北を喫したとなれば、怨恨を抱いてもおかしくは無い。無いが……」
メウェンの考察にダールトンも同意を示すが、眉間には深い皺が刻まれていた。人間に換算すれば何十何百も前の世代の出来事、いくら歌の神の力を有しているとはいえ瑞樹はただの人間。悪魔はともかく古龍が仕組まれた事ならば、果たしてそこまでする意味があったのか甚だ疑問らしい。
「いずれにせよ、どうするかは瑞樹の目が覚めてからでないと進まぬ。メウェン卿、くれぐれも瑞樹の身辺に注意せよ」
これ幸いと瑞樹を暗殺しようと画策する者が現れるかもしれない。国王陛下の言葉にはそんな意味が多分に含まれていた。メウェンもそれを察したらしく「警護に万全を期します」と深く頷いた。
瑞樹は夢を見ていた。意識、精神、心、全てがそちらの方に集中され、傍から見ればさながら死んでいるのかと錯覚する程深く。
夢の中であるにも関わらず意識がはっきりしている。瞳に映るそれを思考出来る程度には頭が冴えている。そんな事を不思議に思いながら、何処まで見渡しても続く黒い空間を、そして眼前にふわふわと漂う小さな光を眺めていた。
壁も無ければ天井も床すらも無い。移動しようと思っても果たして動いているのか曖昧な黒い世界にただ一つある光、瑞樹は何となく触れようと手を伸ばしたその時、その小さな光は眩く煌めいた。
「眩、し……って、え……!?」
目が眩む光に耐えかねた瑞樹は手で光を遮り、光が弱まった所で目を細めながら再びそれに視線を向けたが、あり得ないと言わんばかりに自身の目を擦った。肩程の長さの茶髪は軽くウェーブがかかっており、少し垂れ目なおっとりとした顔つき。それでいて一糸纏わぬ姿なのだが、瑞樹が目にしている女性は現実ではあり得ない存在である。そんな瑞樹の動揺を汲み取ったらしく、その女性は小さく頷き徐に口を開いた。
「私は貴方の心の中を覗き、現状に相応しいであろう姿を模した、謂わば偶像です」
偶像。確かに女性が模している姿、そして声までもが瑞樹の知る偶像、元の世界でとても好きで幾度となく心を支えてくれたアイドルそのまま。ただ、瑞樹が知る限り彼女は二次元の世界の住民だった。
「貴女は……一体、誰なんですか?」
瑞樹の問いかけに一瞬視線を落とした女性は、すぐさま視線を瑞樹へと戻し瞳に姿を映し続けながら「私は人間が歌の神と呼んでいる存在です」と告げる。
「……神? 神、か。真偽は分からないけど、俺が神様って奴をどう思っているか教えようか?」
意外と瑞樹の様子は冷静に見えたが、その実は違うらしい。眼前に映るのはかつて憎んでいた存在、どんな事象を司る神であろうが、瑞樹にとっては些末事らしい。それ程憎しみに駆られていたようだ。だが、歌の神を名乗る女性は、知っていると言わんばかりにフルフルと首を横に振った。
「必要ありません。貴方はこの世界に来る前……いえ、生前と言った方が正しいでしょうか。死の間際に神という存在を酷く憎み、今でも根底は変わっていない。そうですね?」
「……あぁそうだよ、良く分かってんな。あんたがその姿でなきゃ殺したいくらいだよ」
「それも必要ありません。何故なら私が貴方の前に直接現れるのはこれが最初で最後でしょうから」
「どういう意味だ?」
「遅かれ早かれ、私という自我はじきに消滅する運命なのです」
僅かに寂しそうに微笑む女性に、瑞樹も不愉快そうに目を逸らした。憎むべき、殺したいと願った相手が今目の前に居る。だがもうじき消滅するならばこの感情は何処へ向けたら良いのか。瑞樹がそんな風に考えながら歯噛みしていると、女性は「その心配はありません。貴方自身の手で元凶を断てば良いのです」と告げる。
「だから意味が分からねぇって。そもそもあんたは何で俺の前に現れたんだ……」
「貴方自身の手で魔神を討つのです」
「……ハッ、何だよそれ、神様って奴の冗談はあんまり笑えないな」
「信じられないのも無理はありません。ですが貴方には魔神を討つ理由……いえ、恨みがある」
到底信じられないと瑞樹が乾いた笑みを漏らすが、女性は至って真面目な視線を送り続けている。事実魔神に恨みが無い訳では無く、むしろ他の神より優先して殺したい、それ程大切な仲間を喪っていた。ただ、その他にも何かを知っているらしく、瑞樹は渋々な様子で女性の言葉に耳を傾ける。
「あんたは俺の何を、何処まで知っているんだ」
「ほぼ全てです。それらも踏まえて順を追って話しましょう。まず大前提として、人間と神の関係性についてです」
「そんなの、人間は生まれる時何かしらの神の加護を受けるとかって話しだろ。それくらい知ってる」
ムスッとした様子で瑞樹が遮ると、女性はこくりと頷き「確か人間の間ではそうなっています。ですが、そうであるならば何故異世界の人間である貴方、ひいては過去の異世界人が神の加護を受けていたと思いますか?」と質問され、瑞樹もそういえばと顎を手で撫でる。生まれた時、つまりこの世界で再び生を得たとなれば間違いでも無いだろうが、ならば転生という事象自体必要が無い。そのような回りくどい事をせずともこの世界の赤子に加護を送れば良い筈である。瑞樹のそんな思考に反応したようで、女性は小さく頷いた。
「そう。人間の認識ではそうなっていますが、実は根本から違います」
「……ちょっと待ってくれ。あんた俺の心を読んでないか?」
「神ですので概ね思考は読み取れます。それはさておき、ではどういう事かと言うと人間はその悉くが神の生まれ変わりなのです。少なくともこの世界では」
瑞樹はさておかれた事が気になったようだが、それ以上の事実に衝撃を受けたらしく言葉を失った。そんな状態を目の当たりにしながらも女性はさらに淡々と話しを続けた。
「古の戦争で力のほぼ全てを失った神々は、自身の力を後世に遺す為にある生物の姿へと変え、事実上の転生を果たしました」
「それが……人間か」
「はい。目論見通り神々の力は加護として形を変え今の世に遺す事は出来ましたが、私のような自我はいつしかすり減り悠久の彼方へと旅立ってしまいました」
では自分は? 過去に居た他の異世界人はどうなのかという疑問が瑞樹に生まれたらしいが、質問をぶつける前に心を読んだ様子の女性が先んじて「申し訳ありません」と頭を下げる。
「それは何に対しての謝罪なんだ」
「貴方の疑問、そして今に至る発端を生んでしまった事に関してです」
「……って事は、あんたが俺の死を仕組んだのか……!」
折角冷えていた筈の瑞樹の頭は、怒りによって一気に沸騰したらしく肩をワナワナと震わせていた。そして女性は言い訳する事無く「発端はほぼ間違いなく私にあります。ただ、このような捻じ曲げられた運命になったのは、恐らく別です」と告げる。
「その別の原因を話す前に一つ。本来異世界の人間にこの世界の神の力が発現する事はありませんが、時として神の力は世界の境界を歪め、別の世界の人間の赤子に反応する事があるのです」
「……迷惑な話しだ。そのせいで何人もの異世界人が不幸な目に遭ったてのか、身勝手も良い所だ。クソッ」
「確かに異世界人を巻き込む事に関してはいささか罪悪感を覚えますが、ただ一人の例外を除いて異世界人は天寿を全うしていますので、不幸かどうかは人によって判断が分かれます」
「本当に不愉快だな神って奴は……もしかしてその例外ってのは……」
頭を抱える瑞樹があまりしたくない様子で予想を思い浮かべる。出来れば外れて欲しい、そんな瑞樹の切なる願いは女性の「貴方です、橘瑞樹」とはっきりと告げられた事によって脆くも崩れ去った。
「本来貴方はあの世界で数十余年生き、老衰で死ぬ筈でした」
「何であんたにそんな事が分かるんだ」
「神ですから。モう少し詳しく説明すると神の力が宿った人間であれば、その神は人間の運命を覗く事が出来ます。そして改ざんする事も」
「その改ざんした結果、俺はあんたに殺されたのか」
「結果としてはそうなってしまいましたが、あれは貴方を助ける為に行なった事です」
「ざけんな! あんな目に遭わせておいて良くそんな馬鹿な事言えたな!」
「事実です。何故ならば貴方の運命は幼少から他の者の手によって捻じ曲げられ、私の手が届かなくなる寸前だったのですから」
「幼少……?」
「貴方の懇意にしていた人間が死んだのはそのせいです。心当たりは無論ある筈」
女性の話す心当たりとは、瑞樹のトラウマそのもの。今の瑞樹を形作ったと言っても過言では無い強烈な過去。大切な親友との死別だった。瑞樹の目の前で事故に遭い、死んでいく様は今でも脳裏に焼き付いているらしく吐き気を催す程不愉快な気持ちになり、顔を顰める。だがその事故が仕組まれていたとしたら、瑞樹は吹き出す憎悪を隠そうともせず「そのクソ野郎は誰なんだ……!」と睨みながら女性に迫ると、女性は一拍空けて諸悪の根源の名を告げた。
「それが、魔神です。かの者は貴方の運命を捻じ曲げ、私の手元から離そうとしました。そこで私は致し方なく強引な手に出たのです」
「……そもそも何で俺なんだ。何で魔神もあんたも俺に固執するんだ!」
「私もこの世界で力を継ぐ者を求め、他の神々と同じように人間へと姿を変えましたが、魔神は余程私を恨んでいるのでしょう。力を継いだ者の悉くが運命を捻じ曲げられ命を落としてしまいました」
そこで目を付けたのが異世界の人間に力を移す、という事だと女性は付け加えた。瑞樹も魔神と歌の神との関係は以前にも聞いた事があったが、その時はお伽噺の裏側、諸説ある中の一つ程度にしか感じていなかった。ただその真偽はともかく、むしろ真偽などどうでも良い、そんな様子の瑞樹を察し女性は答えた。
「何故私が貴方を選んだのかと言うと、それこそ運命というより他無い。故に発端は私なのです」