7-13 終わりの始まり
水面に落ちる雫は波紋を生み、一つ、また一つと落ちる度に波紋は大きく振れ動く。
自宅謹慎も解け、その日も平生通りメウェンと共に執務室にて書類と向き合っていた瑞樹。そんな彼の元に一通の封筒が届いた。従者と会釈を交わして封筒を受取ると、まず差出人の名前を見て少し驚いていた。
「瑞樹、一体誰からだ?」
「ニィガのオットーさんからです。珍しい事もあるものですね」
「まぁそういう事もあろう。ところで中にはなんと?」
瑞樹は「少々お待ちください」と封を開けて中に入っている手紙に目を通していく。すると徐々に瑞樹の顔色が悪くなり、小刻みに手を震わせた。その異様さはメウェンが見ても明らかだったようで、これはただ事では無いと察知したらしく「おい、大丈夫か!?」と尋ねた。
「は……はい。……大丈夫です」
「どう見ても大丈夫な訳無いだろう。それには一体何が書かれていたのだ」
瑞樹の瞳は明らかに動揺を隠せず焦点が定まっていなかったが、ゴクリと固唾を呑んだ後「……シーラが行方不明になった、と」小さく呟いた。瑞樹の現状から察するに余程大切な者だろうとメウェンも察しはしたようだが、どういった人物かは面識も無く「シーラと君はどのような関係なんだ?」とさらに問いかける。
「シーラはニィガに住んでいた頃の数少ない友人です。色々とお世話になっていたんです……」
「ふむ。しかし何故その一報が瑞樹に? 友人だからオットーが気を利かせたのか?」
「恐らくそれもあると思いますが、手紙には私に心当たりがあれば教えて欲しい……そう書かれている所を見る辺り、もしかしたらここに来ているのかもしれないと思っているのかもしれません」
「考え得る場所をしらみつぶしにしている訳か。心当たりは……無いのだろうな」
その言葉に瑞樹は力なく頷く。あればこれ程動揺する筈も無い、本当に心当たりが無いからこその動揺だろう。何故居なくなったのか、何処へ行ってしまったのか。瑞樹の不安は焦燥へと変わり「あの、お願いがあります」とメウェンに顔を向ける。するとメウェンは何処か察しが付いているらしく、フゥと小さく溜め息を吐きながら「みなまで言わずとも、分かっている」と告げた。
「君の事だ、オットーの所に行きたいとでも言いたいのだろう?」
「……はい」
「先日の件で私の心はいたく傷付いた故、本来であればニィガに向かうのを許可するのは躊躇う。……が、私は私怨を優先する程狭量では無い。すぐに行ってきなさい」
「……よろしいのですか」
「フッ、よろしいも何も君の心は完全にそちらを向いているだろう。そのように浮ついたまま執務など危なっかしくてむしろ迷惑だ。ひとまず現地にて情報の整理をするべきだ」
「ありがとうございます……!」
すぐさま駆け出そうとする瑞樹にギルバートを供に付けようとしたメウェンだが、瑞樹はビリーと共に向かうとこの提案を拒否。勿論ギルバートが嫌などという子供みたいな理由では無く、曰くビリーも冒険者時代が長かった為何か思い当たる事があるかもしれないとの事だ。確かに元冒険者なれば何か有効な考えがあるかもしれないとメウェンは瑞樹の提案を受け入れた。
直後、執務室を飛び出した瑞樹はビリーへの説明もそこそこに馬車を走らせる。瑞樹に急いでと請われればしない訳にもいかず、ビリーは平生よりも揺れを激しくさせながら速度を増していく。平生ならば感じる筈の無い揺れのせいか、はたまた不安と焦燥から来る心労か、若干顔を青くさせている瑞樹に気が付いたビリーは、ちらちらと後ろを振り向きながら瑞樹に視線を向けた。
「急ぎたいのは分かるが、中で酔ったりすんなよ瑞樹」
「ビリー、俺の事は気にしないで良いからとにかくぶっ飛ばしてくれ」
「分かった分かった。……けどシーラが行方不明って何があったんだろうな」
「手紙にはそこまで書かれていなかった。知らないってのが一番の理由だろうけど……もしかしたら暗に俺を呼びつけたかったのかもしれない」
「瑞樹なら放っておく筈が無いって見越してか。確かにあのおっさんならやりそうだ」
「……ともかく、早くオットーさんに話を聞いてみよう」
「おう。せいぜい吐いたりしないようにな」
急いだ甲斐もあり、平生の半分近くで到着した瑞樹達は以前とは違いギルドの前に馬車を停め、慌てた様子で建屋の中へと入って行く。中は昼前という事もあり閑散としていてある意味ではいつもの光景とも言えるのだが、行方不明のシーラはともかくとしてもハンナも姿が無く、臨時で雇ったと思われる女性二人が給仕服に身を包んでいた。瑞樹としてはハンナにも話し聞きたかったようだが、ともかく足早に受付まで向かうと、いつものようにカーシャが応対した。何処か非日常感漂う現状だが、知っている顔を見て瑞樹の心はほんの少しだけ和らいでいたようだ。
「カーシャさん、ギルドマスターは居ますか?」
「はい、自室に居る筈です。……もしかしてシーラの件ですか?」
「……はい」
「やはりそうでしたか。もし何かありましたら些細な事でも教えてあげて下さい」
「分かっています。ではまた後で」
瑞樹とビリーは小さく会釈した後、速やかにギルドマスター室の中へと足を踏み入れた。中では「おぉ、わざわざ来てくれたのか。すまんな」とオットーが謝辞を述べていたが、何処かやつれているようで声にもあまり覇気が感じられなかったようだ。
「オットーさん、早速ですが教えてください。シーラが行方不明って一体何が起きているんですか?」
「まぁ待て、ひとまず落ち着いてそこに座れ。ビリー、下から茶を持って来てくれるか?」
ビリーが返事をして退室した後、いつもの来薬用ソファに腰を下ろした瑞樹とオットーは先程の続きを始めた。
「俺がハンナからシーラの事を聞いたのは、大体七日くらい前の事だ。なんでもいつも先に起きてくるシーラが、いつまで経っても起きてこないと不思議に思って部屋を覗いたら、姿が無かったらしい」
「そういえば同居していたんですよね、二人って。……そのハンナは今何処に?」
「この七日間あいつはシーラを探す為にずっと休んでいる。近くの森から街道沿い、そして今日あたりは恐らくアートゥミまで行ってると思う。……俺も手伝ってはいるんだが影も形も無い」
オットーが少し疲れたように見えるのは、恐らくそれが要因だろう。しかしながら手掛かりは何も見つからなかったらしく、オットーは執務机の上に置いてある一枚の羊皮紙を手に取り、そのまま瑞樹に渡す。
「これは、シーラの捜索依頼?」
「おぉ、それならさっき俺も下で見たぞ」
部屋の扉が開くと、お茶を手にしたビリーが羊皮紙に視線を向けながら告げた。ひとまずビリーもソファへと座り、各々にお茶を配ってからさらに続けた。
「って事は既に依頼として出されているのか」
「だな。薬草とかの採集依頼ならともかく、人探しの依頼なんざあんまりギルドに来ねぇから目につきやすかった。それにな、依頼者の名前を見てみろ」
瑞樹は再び依頼書に目を通すと、依頼者の所にはハンナの名前が記載されていた。それだけではなく、報酬金の額は金貨一枚。平生鉄貨や銅貨、危険な依頼でさえ銀貨数枚という中での金貨一枚というのはまさしく破格で、ハンナが苦慮して必死にかき集めたであろう事は瑞樹にも容易に想像出来たらしい。
「……ビリー、今お財布って持ってる?」
「ん? おぉ、持ってるぞ。外に出る時まさかお前に持たせて買い物させる訳にもいかねぇし」
ビリーから財布という名の小さな革袋を受け取った瑞樹は、中身を確認してから小さく頷いた。
「オットーさん、ハンナの依頼を破棄してください」
「何? どういう事だ」
「ハンナにこれ程の大金を出させるのは忍びないです。代わりに俺が──」
瑞樹が袋に手を突っ込み中から取り出したのは、金貨五枚。これを報酬にハンナの依頼とを交換して欲しいとの事だった。
「……だが、本当に良いのか? お前、あんまり金に物を言わせるやり方は好きじゃないだろう」
瑞樹は本来、金で何でも解決させるような考えは好ましく思っていない節がある。現状でも貴族界隈ではそういった考えがあるのが事実で、何より瑞樹自身の根底が庶民ともなれば無理からぬ事。それでも瑞樹は自身の事を天秤に掛ける事すら無く、ハンナとシーラの為ならばと言わんばかりに大きく頷いた。
「分かった。手続きは俺の方で済ませておく。ハンナにも帰ってきたらその旨伝えておこう」
「ありがとうございます。くれぐれも私の独断という事にしておいてください。ハンナがその事で思い悩むのは筋が違いますので」
「分かっている。お前の馬鹿みたいな甘さは相変わらずだな、それで良く貴族として生きていられるもんだ」
「ハッ、こいつは周囲に迷惑を掛けてばかりだからな。この前もメウェン様に叱られてたし」
呆れた様子で話すビリーに、オットーもやはりかと察しがつくようで溜め息を吐きながら肩を竦めていた。当の本人は、そんな事はどうでも良いと一つ大きく咳払いをして話しを強引に元に戻す。
「そもそも何故シーラは姿を消してしまったんだろ?」
「さぁてな、それが分かればハンナも俺も苦労していないさ」
「誰かに攫われたとか?」
「それは俺も考えた。あいつは結構冒険者の中でもそれなりにやり手だったしな、拉致でもしてそこらの貴族に売ればそれなりの値になったかもしれん。ただな、部屋にはそういう抵抗したような形跡が無かったらしい。それにハンナも馬鹿だが愚かじゃない、一つ屋根の下で暮らしている以上変な物音がすれば夜中だとしても気が付く筈だ」
「って事は自分の意思で消えるようにどっかへ行ったって事か」
水面に落ちる雫は波紋を生み、一つ、また一つと落ちる度に波紋は大きく振れ動く。
「そういえばハンナは良くシーラの神力の高さを自慢していたな」
「あぁ、俺も良く聞かされた。ここに居る以上仕方ないと言えば仕方ないが、あの馬鹿の声が一階から嫌でも聞こえて来たもんだ」
心に落ちる不安は、やがて心を大きく揺らし不安が蝕んでいく。まさか、瑞樹の頭に一つの仮説が浮かんだらしく、顔を蒼白させながら手で口を押えた。
「オットーさん……! シーラの冒険者情報ってありませんか!?」
「お。おぉ。多分カーシャの所に行けば登録時の記入用紙が残っている筈だが」
「それを貸してください」
本来そういった物は厳重に管理されており、簡単に他人に情報を貸与はしてはいけない事になっている。状況は違えども以前メウェンが教会に対して同様の事を行なった結果、瑞樹は貴族に目を付けられる事になってしまっていた。それを知っていて尚という事は、瑞樹に何かしら考えがあるのだろうと、オットーは渋々ながら受付に居るカーシャの元に向かい、原本を瑞樹の元に持って来た。
「ほら、今一度言うが本来は駄目な事だからな。お前なら大丈夫だと思うが、間違っても変な事に使うなよ」
「はい、ありがとうございます。ビリー、大事な用が出来たからすぐに戻ろう」
「何が何だかさっぱりだが、分かったよ」
瑞樹はオットーから受け取った羊皮紙を大事そうに持ちながら立ち上がると、オットーへとお辞儀した。
「ではオットーさん、俺達は帰りますけど何かありましたらまた教えてください」
「あぁ分かった。……俺からも一つ良いか?」
「えぇどうぞ」
「お前の頭ん中だとシーラはどうなってる?」
瑞樹はその問いかけに黙したままだった。言わないのではなく、言えない。だが、それでも「言えません。……が、良くない事だと思います」と言える範囲の限界で瑞樹は答えると、今一度お辞儀をした後ビリーと共に退室した。
閉ざされた扉をじっと見つめるオットーの瞳は何が映っているのか。えも言われぬ不穏な空気は、物憂げな顔に一層影を落とす。